第22話 練習試合
「
アップをしていると、
楓は澄まして応えた。
「練習試合とはいえ、初めての対外試合ですから」
「あぁ、そっか。そういうことにしておくかっ」
陽奈がニヤリと笑って、一瞬だけ客席に目を向けた。
彼女の視線に釣られた結果、
陽菜はその頬に指を伸ばした。
「
「や、やめてくださいっ」
「あははは!」
陽菜は上機嫌な様子で戻っていった。
楓は手を腰に当て、不満げに「もう」とつぶやいた。本気で怒っているわけではない。ただ恥ずかしさを誤魔化しているだけである。
陽菜の推察した通り、楓がやる気に満ち溢れているのは初の練習試合だからという以上に悠真が見ているからだ。
陽菜だけではない。他の部員たちもわかっていたし、楓もほとんど全員に見抜かれているのは自覚していた。
微笑ましい目を向けられているのは恥ずかしかったが、それでもやってやるぞという気持ちはアップ中も高まっていった。
しかし、試合開始時がピークだった。
序盤こそ接戦を繰り広げたが、徐々に実力の差が現れ始めた。
あと三点取られれば負けるという場面で、楓はすっかりやる気をなくしていた。プレーも雑になっていた。
ふと、観客席を見た。
ほとんどが親世代しかいない中、すぐに悠真が目に入った。
彼は楓と目が合った瞬間、鼓舞するように拳を握りしめた。
『俺は楓が頑張って楽しそうに卓球をしている姿が見られればそれで充分だし』
出発前の悠真のセリフを思い出した。
彼氏の前だからこそいいところを見せたかったし、勝ちたかった。だから負けそうになって不貞腐れていた。
しかし、それは間違いだと楓は気づいた。
(悠真君はどんな結果であろうと馬鹿にはしないし、私が本気でやれば褒めてくれますよね)
反対に、負けそうだからと適当なプレーをすることを悠真は望まないだろう。
「……よしっ」
頬を叩く。
全身にやる気がみなぎってきた。
そこから楓は、人が変わったように脅威の粘りを見せた。
接戦に持ち込むも最終的には負けてしまったが、清々しい気持ちだった。
悠真に対して、感謝の気持ちを伝えるように笑みを浮かべてみせる。
彼は嬉しそうな笑みを浮かべ、親指を立てた。口がナイスゲーム、と動いた。
楓は嬉しくなった。
胸がぽかぽかと温かくなっているのは、きっと気温や運動後だけが理由ではないだろう。
「いやぁ、ヒヤヒヤしたぜ」
対戦相手が握手の際に話しかけてきた。
男勝りな口調が似合う、ベリーショートのボーイッシュな女の子である。
「追い込まれてからの粘りがすごかったな。何があったんだ?」
「い、いえ、その……」
楓は口元が緩んでしまっているのを自覚して、うつむきつつ答えた。
「か、彼氏が応援してくれたので」
「ぷっ……あっははは! なんだそれ、めちゃくちゃかわいいな!」
女の子は大口を開けて豪快に笑った。
「あー、笑った……私は
「
「楓か。かわいい名前じゃん! なぁなぁ、連絡先交換しようぜっ」
「あっ、はい」
優衣はガンガン距離を詰めてきた。
楓はあれよあれよという間に連絡先を交換していた。
結局その日、楓は一勝しかあげることはできなかったが、心は晴れやかだった。
◇ ◇ ◇
全ての試合が終了して解散すると、楓は小走りで俺の元に駆け寄ってきた。
さすがに他の部員たちもいるため、お迎えはハグではなくハイタッチにした。
「お疲れ、楓」
「はい、応援ありがとうございますっ」
屈託のない笑みを浮かべて手のひらを合わせてくる。満足げな表情だった。
初戦こそだれるところもあったが、それからは終始楽しそうにプレーをしていた。
並んで歩き出す。
「初の練習試合はどうだった?」
「楽しかったです! 全然勝てなかったですけど、やっぱり真剣に何かをやるってそれだけで楽しいですね」
「見ててすげえ伝わってきたよ。なんつーか、めっちゃ可愛かった」
「なっ……!」
無邪気な笑みが一転、恥じらいを前面に押し出した表情に変わった。
ジトっとした目を向けてくる。
「……悠真君は、私を既定回数照れさせなければいけないミッションでも授かってるんですか?」
「まさか。ただ思ったことを伝えてるだけだぞ。前に楓にもお願いされたしな」
付き合いたてのとき、自分が自信をつけるために何度も褒めてくれと頼まれていた。
だから、俺はいつだって自分の想いを隠さず口にしているのだ。
最近は少なくなったが、それでもたまにネガティヴな言動が出ることはあるし、一ヶ月かそこらで完全に消えるほどいじめのトラウマというのは軽くないだろう。
俺が恥ずかしげもなく「好き」だの「可愛い」だの口にできているのも、あくまでこれは楓のためなんだという大義名分があるからだ。
まあ言っても最近は慣れてきたし、楓の反応が楽しくてやっている側面も少なからずあるんだけどな。
「嫌ならやめるけど?」
「い、嫌とは言ってないじゃないですかっ」
「じゃあ、ご所望という解釈でいいか?」
「……いじわる」
「悪い悪い」
そっぽを向いて拗ねてますアピールをしている楓の頭を撫でてやる。
途端に口元が緩んでいく。これだからイジりをやめられないのだ。
でも、最近ちょっと揶揄いすぎてるかもしれねえな。
「まったくもう、悠真君は……」
「楓」
何やら不満そうにぶつぶつ言っている彼女の名を真剣な口調で呼ぶ。
「たしかに楓の反応が可愛くて揶揄っちゃうときはあるけど、全部本心ではあるからそこは勘違いしないでくれ。あと、もし本当に嫌なら遠慮なく言ってほしい」
「……ハァ」
楓が呆れたようにため息を吐いた。
えっ、俺なんかダメなこと言ったか?
「悠真君」
「は、はい」
「たしかに、たまにしつこいなと感じることはあります」
「えっ」
ま、マジか。
「それはわるか——」
「でも」
楓が力強い口調で俺のことを
「それはあくまで私を好きでいてくれてるからこその言葉だとわかっていますし、悠真君が人を揶揄うために嘘の褒め言葉を口にするような人ではないことも知っています。第一——」
それまで勢いよく喋っていた楓が、不意に言葉を途切れさせた。
頬を染め、視線を逸らしながら、
「……第一、す、好きな人から褒められて嬉しくないわけがないじゃないですか」
「っ……!」
息を呑みながら俺は思っていた。
絶対にこの子と結婚すると。
「だ、だから別にそんな気にしなくていいですし、嫌なことはちゃんと言いますから安心してください」
「そっか……わかった。ありがとな」
「ふふ、こちらこそですよ」
俺はくすぐったそうに笑う楓の手を取った。
指を絡ませる。
それから少しの間、無言でゆっくりと歩みを進めた。
「——楓」
「なんですか?」
「好きだ」
「っ……!」
楓の足がぴたりと止まった。
赤面しつつも、真っ直ぐに俺の目を見てきた。
「私も、好きですよ」
「あぁ」
手は繋いだまま、空いているほうの手で抱き寄せる。ビクッと体を震わせた後、おずおずと体重を預けてきた。
唇に吸い付きたかったが、往来なのでさすがに控えた。
「そういえば、初戦の相手と結構仲良く喋ってたな」
「そうなんですよ!」
勢いよく同意をした後、楓はあっと口を押さえた。
あまり混んでいないとはいえ、電車内で大声を出してしまったことが恥ずかしかったのだろう。
頬を染めながら、それでも嬉しそうに小声で続けた。
「まさかのお友達ができてしまいまして。天羽優衣ちゃんっていうんですけど、結構好きな曲の好みとかも似ていて、連絡先を交換して今度遊ぶ約束もしました」
「おぉ、よかったな」
「はいっ」
楓が花の咲いたような笑顔でうなずく。
公共の場所でなければ抱きしめているところだ。
それからも楓は今日の試合内容や優衣との会話について楽しそうに話していたが、何試合もやって体力の限界が来たのだろう。
最寄り駅に着く前に眠ってしまった——俺の肩にこてんと頭をもたれかけさせながら。
なんだこれ、可愛すぎるだろ……!
小さく開けられた口からはすぅすぅという可愛らしい寝息が漏れている。
きっと楓を見る俺の目には慈愛が溢れているんだろうな。
今なら一口頂戴でパンを一気に半分ほど食べられたとしても笑って許せる気がするぜ。
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