第17話 彼女に寄りつく虫を論破した

「おら、俺と付き合うって言えよ!」


 光一こういちが至近距離からかえでの顔面に唾を飛ばす。


「いやっ……!」


 楓は必死に抵抗したが、さすがは腐っても卓球部のエースと言うべきか、その腕はびくともしなかった。


(助けてっ、悠真ゆうま君……!)


 そう心の中で願ったその瞬間、


「——宮村みやむらっ、楓を離せ!」

「っ……!」


 光一がビクッと体を震わせ、楓から離れた。

 その反動で、机に押し倒されていた彼女は床に転げ落ちそうになったが、伸びてきた二本の腕ががっしりとキャッチした。


「楓、大丈夫かっ?」

「悠真君……!」


 悠真が来てくれた。

 その事実に緊張の糸が切れたのだろうか。


「うぐっ、ひぐっ……ゆうまくん……!」


 安心感とともに込み上げてきた涙を抑える術を、楓は知らなかった。

 お姫様抱っこされた状態で悠真の胸にしがみつき、子供のように声を上げて泣きじゃくった。




◇ ◇ ◇




「楓、よく頑張ったな。もう大丈夫だ」


 俺は楓を地面に降ろし、力強く抱きしめた。

 その頭を撫でてやれば、彼女の泣き声はさらに大きくなった。


 楓を腕の中に匿ったまま、宮村を睨みつける。


「お前、自分が相手にされなかっただけで押し倒すとか、やってることやばいぞ。しかも人の彼女を」

「だ、黙れ黙れっ! お前なんぞ楓の彼氏に相応しくない! 俺こそが楓の彼氏だっ、俺が一条いちじょうみたいな陰キャに負けるはずがないんだ!」

「……ハァ」


 思わずため息が漏れてしまう。

 どこのどいつだ。こんな悲しきモンスターを生み出したやつは。きっと一人じゃねえんだろうけど。


「た、ため息⁉︎ ちょっとアドバンテージがあるからって調子に乗るなよ! 楓が俺の魅力を理解しさえすれば——」

「お前の魅力ってなんなんだ?」

「……はっ?」


 宮村が間抜けな表情を浮かべる。

 楓だと可愛いけど、こいつのはただただ馬鹿面晒してるだけだな。


「実は前から聞いてたんだ。けど、お前の話の中でお前個人に関する魅力は何一つわからなかったぞ」

「なっ……⁉︎ ふ、ふんっ、陰キャの負け惜しみか」


 宮村がせせら笑った。

 余裕を示したいんだろうが、額に青筋浮かんでちゃ台無しだな。


「いや、普通に。だってお前、自分の内面の魅力のこと何も語ってねえじゃん。やれカースト上位だの、やれ友達が多いだの、自分のポジションや持ち物の自慢しかしてねえ。そういうのは中身が伴って初めて武器として使えるんだよ。武器しかなくてもそれを使う奴がいなきゃ、それはただのガラクタだ」

「何……⁉︎」

「まあ、唯一束縛がしないってのはアピールしてたけど、それだって俺のことを下げながらだからな。他人を落として自分を上げようとするやつに魅力なんて感じられるわけねえだろ。ましてや楓の立場ならなおさらだ。普通に考えて、彼氏けなされて気持ちいいやついるか?」

「ぐっ……!」


 宮村が言葉を詰まらせている。

 それはそうだろうな。あいつの理論なんて穴だらけだ。叩けば埃が出てくるなんてものじゃない。元から埃まみれだ。というか埃だ。

 プライドの塊のしゃべっている内容が埃か、お似合いだな。


「つーか楓も言ってたけどさ、なんでお前俺と楓を別れさせることがそのままお前と付き合うことに繋がるとか思ってたんだ? 楓の言う通り、人は相手にある程度の好意や興味を持って初めて恋人になるもんだろ。同じ中学かなんか知らねえけど、お前と楓はこれまでほとんど会話もしてなかったはずだ。そんなよく知りもしねえやつと楓がどうやったら付き合うんだよ?」

「だ、黙れっ! 俺のほうが明らかにスペックが高いんだ! 女がより優秀な男を選ぶのは当然だ!」

「たしかに数値化できるようなスペックならお前のほうが高いだろうな。俺よりかっけえし、運動もできる。けどな、俺を選んだ時点で楓の判断基準のトップがそこじゃねえことくらいわかるだろ。楓は俺の内面を見て好きになってくれたんだよ」


 泣き止んでいた楓が、大きくうなずいた。

 その赤く染まった頬を見れば、嘘かどうかは宮村特製の色眼鏡越しでもわかるだろう。


「も、もちろん、悠真君は顔だって格好いいですよ?」

「っ……!」


 こんなことまで自ら付け加えたのなら、なおさらだ。


「さんきゅ」

「えへへ」


 頭を撫でてやれば、楓はほんのり頬を染めつつもふにゃりと表情を緩ませた。

 未だに宮村が目の前にいると言うのにリラックスしてるってことは、俺のことを信頼してくれてるってことだよな。


(やべえ、めっちゃ嬉しい……!)


 けど、にやけてばっかいるわけにはいかねえな。

 楓との甘々タイムは、寄ってくる虫を退治した後ゆっくり楽しめばいい。


 俺は楓のおかげで緩んでしまった表情を引きしめ、虫——もとい宮村に向き直った。


「つーわけだ。これでお前にチャンスがねえってのはわかっただろ。これに懲りたら大人しく身を——」

「黙れと言っているだろう!」

「おおっと」


 殴りかかろうとしてきた宮村に対して、俺は楓を背に庇いつつ携帯を突き出した。


「動画だ。斉藤さいとうたちは俺に殴りかかろうとしただけで退学になったぞ?」

「くっ……ひ、卑怯者がっ!」

「なんとでも言え。それが自分と楓の安全に繋がるなら、卑怯なことくらいはやるさ。だから——楓」

「は、はい?」

「安心してくれ。嫌がらせされたところで、俺は負けねえから」

「っ……!」


 楓が大きく目を見開いた。


「つーかさ」

「ふぐっ」


 俺は携帯を持っていないほうの手で、楓の頬をつまんで引っ張った。


「おおっ、相変わらずぷにぷに……じゃなくて楓さ、宮村の言うこと真に受けて俺と別れるべきなのかって馬鹿なこと考えてたよな?」

「……ごめんなさい」


 楓が眉尻を下げた。

 俺はため息を吐き、彼女の頬から手を離した。


 楓はすっかりシュンとしてしまった。

 その頭をポンポンと優しく叩きながら、


「俺に迷惑がかかるから、なんて理由で別れんのは認めねえからな。そもそも俺に悪意を抱いているやつらは、楓のことを見ているわけじゃねえし。あくまで陰キャの俺が美人と付き合ってるっていう状況が許せないだけだ。そんなくだらない理由で生徒六人と先生一人さよならさせた可能性のあるやつに絡もうとするギャンブラーなんていねえだろ」

「そ、それはまあ……」

「それに」


 語気を強め、楓の瞳を覗き込む。


「たとえ何かやられたとしても黙ったままでいるつもりはねえし、そんなリスクくらい余裕で呑めるっつーの。前にも言っただろ? 俺は楓が思っている以上に楓のことが好きだって」

「っ〜!」


 楓が熟れたリンゴのように真っ赤になった。

 俺は笑いながらその頭を撫でた。

 羞恥はもちろん感じていたが、それ以上に自分の言葉でこんなに照れてくれているという事実が嬉しかった。


 ——その行為にさらに顔を赤くさせたのは、楓だけではなかった。




◇ ◇ ◇




(一条のクソ野郎……! 一人じゃ何もできねえくせに見せつけてきやがって……!)


 光一こういちは怒りで顔面を真っ赤に染め上げながら、憎悪のこもった眼差しで悠真を睨みつけた。

 完膚なきまでに論破された挙げ句にイチャイチャを見せつけられ、彼のプライドはすでにズタズタだった。


 悠真が光一に向き直る。


「宮村、もうこれでチャンスがないのはわかったろ。金輪際楓にちょっかいはかけないでくれ」

「ぐっ……!」


 光一は唇を噛みしめた。

 はらわたは煮えくり返っていたが、動画を撮られてしまった以上は逆らえなかった。


「俺らにはわからなかっただけで、お前の魅力をわかってくれるやつだってどっかにはいんだろ。そいつを探せよ。まあ、この学校じゃ厳しいかも知れねえけどな」

「なんだとっ……なっ⁉︎」


 光一は我を忘れて拳を振り上げたところで停止した。

 悠真がチラリと視線を向けた彼の後方、教室の扉に多くの見物人がいたからだ。


(み、見られていたのか⁉︎)


 光一は焦った。


「き、貴様っ、どこまで卑怯な手を——」

「別に俺が集めたわけじゃねえよ。お前の怒鳴り声が響いてたんだろ」

「くっ……!」


 呆れたように悠真に言われ、光一の怒りの炎はさらに燃え上がった。


(……いや、待て)


 彼はふと冷静さを取り戻した。

 ギャラリーの中には彼の友達も多数混じっていたからだ。


(ふっ、あいつらに援護させれば状況など簡単にひっくり返せるぞ!)


 光一は勝利を確信して笑みを浮かべた。


 ——これまでギャラリーが誰一人として言葉を発していなかった、その事実の意味するところも知らずに。

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