第5話
生い茂った枝葉によって光が遮られ、どこか薄暗さを感じる森林の中に、彼女達はいた。
「あの……! すいません! 友達に呼ばれたのでもう行かないと……!」
「まあまあいいじゃないですか。お友達だって許してくれますよ」
逃げようとする真奈の道を塞ぐようにして人畜無害そうな笑みを携えた、異様に目の澄んだ中肉中背の男が立っている。彼の周りには彼と同じ目と同じ笑みを浮かべた男達が真奈を囲むように立っている。
彼女を呼び出した先輩はもうこの場にいなかった。真奈と彼らを会わせると、早々に立ち去ってしまったのだ。
「今回だけですよ? この素晴らしいお話を聞けるのは。この機会を逃すのはもったいない! 一度聞けば頭がスッキリして人生が変わりますよ!」
「……あの、話聞いてます? もう授業始まるって言ってるじゃないですか! 出席しないと単位が……!」
「単位なんかよりずっとずっと価値がありますよ! 学校では決して学べない、人生やビジネスの教訓となる内容です! 貴方も聞けば大学の授業より有意義だったと必ず思えます! 私が保証します!」
真奈の拒絶の言葉に男は一歩も引かず、それどころか追い詰めるように距離を詰め、声を張り、勧誘を続ける。呆れと苛立ちが大部分を占めていた真奈の心にじわりと恐怖が広がっていく。
「いやでも……その……単位もありますし……サボると学費が無駄になるじゃないですか……だから……」
「ちょっと言い訳が苦しいのではないですか? 先程の電話もそれっぽく装っていただけで本当は友達からかかってきたのではなくて自分からかけたのでしょう?」
男の言葉に真奈の心臓がドキリと跳ねる。この場を離脱する大義名分を失い、真奈の身体が緊張で強張り、呼吸が浅くなる。
「う、嘘じゃないです……! あの、すいません! ほんといい加減私もう行かないと……痛っ!」
強引にその場を離れようとする真奈の腕を男は掴み、優しげな笑顔からは想像できない程強い力で彼女を引っ張る。
「良いんですか!? 一生後悔しますよ!?」
「ちょ……! ほんとやめてくださ……!」
彼女はその手を振り解こうと、力を込めるが、男の腕は固定されているかのように微動だにすることはない。自分の力だけではこの状況を脱することができないという事実に真奈は背筋を凍らせる。
「あ! 真奈! いたいた〜!!」
そんな彼女の背中側からわざとらしい大声が聞こえてくる。真奈が振り返ると、大げさに腕を振る志穂の姿が目に飛び込んで来た。笑顔で駆け寄り、真奈の腕を掴んでいた男の手を引きはがし、その手を握る。
「ほーら早く行かないと欠席判定されちゃうよ! すいませんそういうわけなんで!」
ピッっと手を上げて真奈の手を引き、志穂はその場を去ろうとする。すると、男は再び真奈の腕を掴む。彼女の動きが止まり、それと連鎖するように志穂の動きも止まる。それと同時に、男の後ろで待機していた他のサークルメンバーが整然とした動きで二人を取り囲む。その全員が張り付いたような生気のない微笑を浮かべていた。その異様とも言える光景に、真奈はすがるように志穂の手をより強く握る。
「どうも、小清水さんのお友達ですか? ちょうどよかったこれをどうぞ」
男が本を取り出す。志穂が受け取り、表紙の文字を読み上げる。
「神……宙……会……」
「そう。この世界の真理を探究する宗教法人、神宙会です。といっても決して胡散臭いものではなく、俗物的な世界では到底気づくことのできない、人生において大切な精神性を学ぶ学校のような場所です。これからセミナーをやるんですが貴方もどうです? 大学の勉強なんかより遥かに有用な知識を手に入れることがでますよ」
優しげな笑顔と声色で志穂に話しかける男。志穂は振り返りもせずに口を開く。
「……あの。あたし達そういう話に興味ないので、通してください」
そう言い放つ志穂だが、彼女達を取り囲む人間は、張り付いた表情のまま動くことはない。
「まあそう言わずに聞いていきませんか? 本当に貴重なお話ですよ? 後で聞いておけば良かったと後悔しても遅いのですよ? 貴方方の先輩もこのお話に感銘を受けたのですよ?」
「結構です。もう一度言いますけど、そういうの興味ないので」
振り返り男の顔を見て鋭い目つきで力強く、はっきりと拒絶の言葉を口にする志穂。
「興味がないなどと切り捨てるのは勿体ない! 神宙会の教えはこれからの時代必須といっても過言ではないですよ! 先んじて知恵をつけておくべきなのです! そうすれば己の人生を永遠の幸福に満ちたものにできると言っても過言ではないとわたくしは思っています!」
だが男は怯むどころかより熱量を上げて勧誘の言葉を並べてくる。志穂の視線が拒絶から侮蔑へと変化する。
「いい加減にしてください! はっきり言って迷惑なんです! 大声出しますよ!!」
「それは無理ですね」
志穂の言葉に男が淡白な返答をした瞬間、何かを殴りつけた鈍い音が響いた。
「いっ……!? っ……!? !?」
真奈が声にならない声を漏らし、頭を抱えてうずくまる。
「真奈!? 大丈夫!?」
焦りと不安をべったりと顔に貼り付け、志穂が真奈を抱き起こす。だが、真奈から返事はない。痛みに身体を震わせ涙をこぼすことしか今はできないようだ。
志穂が視線を男の方へ移すと、彼の周りにいた1人の手に警棒のようなものが握られているのが見えた。
「全く……最初に言っておきますがわたくし達だって本当はこんなことやりたくないんですよ? ただ貴方がいい歳してグズグズと赤子のように駄々をこねるのが悪いんですよ? はっきり言っておきますがお友達が殴られたのは畑野さん。貴方のせいです」
男の表情と声色は怒りや嘲笑といったものではなく、自らの短慮と不注意で怪我をし泣き喚く幼子に対する優しげなお説教のようであった。男の言い草に志穂はわなわなと身体を震わせる。
「ふざけんな!! いい加減に……! んむう!?」
背後に回り込んでいた警棒の取り巻きが志穂の口を腕で塞ぐ。
「仕方ないですね」
すると、男が懐から何かを取り出す。バチバチと音を立て電気を迸らせているそれに、志穂は目を見開き顔を青ざめさせる。
(スタンガン!? なんでそんなもの持ってるの!? ヤバいヤバいイカれてる!!)
ゆっくりと確実に迫ってくる、小さいが凶悪な電光に志穂は声を上げ、必死に身を捩って逃れようとするが口元を抑えられているせいで声は抑え込まれくぐもり、力の差に拘束を振り解くことが出来ない。スタンガンが目の前まで迫る。志穂の視界が黒に包まれた。
「随分と興味深い話をしているな君たちは」
瞳に黒しか映すことができない志穂の鼓膜を聞き覚えのある声が揺らす。
「私も是非参加したいのだが。よろしいかな?」
志穂の視界を遮り、突きつけられた凶器から守った巨大な手の主であるベムがそう言って男に顔を近づける。男がニコリと笑みを浮かべ、口を開く。
「貴方はふさわしくない」
瞬間、志穂を拘束していた警棒の男がナイフを取り出し、逆手で持つとベムに突き立てようと振り下ろす。
「それは残念」
ベムが腕を振ると乾いた音が響き警棒の男が吹き飛ぶ。すると、志穂達の周りを取り囲んでいた数人がその薄ら笑いの表情を決して崩さぬまま金属バットにナイフやスタンガン等の様々な凶器を取り出しそのまま走り出すと、怪物の身体に次々とその凶器を突き立てようとしてくる。
ベムが突っ込んで来た人間の頭を掴み上げる。まるでビール瓶を持つかのように黒い鉤爪のような指と指の間で首を絞められ、ぷらぷらと地面から離れた足を揺らす男達をゴミでも捨てるかのように放り投げる。それでも眉一つ動かさずに統率された動きでベムに襲い掛かる。
「ふむ……」
ベムが軽く拳を前に突き出し、先陣を切った男を吹き飛ばす。更に腕を横に振り、次に突っ込んできた人間が木に叩きつけられる。背後を取った男の頭部を掴み、放り捨てる。分が悪いと判断したのか、ナイフ以外の凶器を取り出そうとした2人の頭を掴み、両の剛腕を振るうと鈍い音を響かせ怪物の手にある2つの頭が衝突する。
彼の一動作毎に人体が玩具のように飛び、凶器は薄氷のように砕ける。現実とは思えないその光景に、志穂はただただ圧倒されていた。気がつくと、彼女達とベム、そしてリーダー格であろう男以外の全員が倒れ伏していた。
「さて……私も君たちと話がしたいんだが……」
そう言ってベムが男に顔を近づけると彼は口角を僅かに上げナイフを取り出す。しかし、振りかぶるより先にベムの指先で弾き落とされ、男は手を震わせる。
「ふん」
ベムが男の頭に手をかざす。瞬間、光と共にバチィッという音が鳴り響き、男が崩れ落ちる。志穂はその現実離れした一連の流れに目を奪われていた。
「もう大丈夫です」
「へ?」
振り返ってそう言い放ったベムの声色は、食堂で己をあくまで地球人だと偽っていたときと同じであった。あまりにも唐突な変化に、志穂は声を漏らしてしまう。
「事後処理は全て私がやっておきます。貴方達は大学に戻った方がいい」
「え……でも……」
「3限、もう始まってるんじゃないですか? 行くなら早くいった方がいいですよ。ここに残っていると色々面倒ですから」
その一言に、志穂は改めてベムが現れて以降の状況の変化を一気に処理し始める。数秒後、彼女が出した結論は彼の言葉に従うことだった。
「真奈大丈夫!? 立てる!?」
「う、うん……なんとか……」
そう言って頭を押さえている真奈に志穂は肩を貸して立ち上がらせると、逃げるようにその場を離れていった。
既に講義が始まった静かな講義室の中を愛想笑いで通り抜けていく志穂と真奈。空いてる席を見つけると、そそくさと着席すると真奈が話始める。
「志穂、ありがとうね。本当怖かったよ〜」
「いいよお礼なんて。それより頭の怪我とか大丈夫? 気分悪いとかない? あれだったら一応病院とか行った方が……」
「……そうだね。今のところ大丈夫だけど大学終わったら行ってみるよ」
「ごめん真奈……あたしなにもできなくて……」
志穂が申し訳なさそうに目を伏せる。
「そんなことないよ。志穂が来てくれたとき本当安心したも〜ん。それに、志穂が宇人さん呼んでくれたんでしょ?」
「宇人……ああ……あいつのことか……」
「……呼んでなかったの?」
「……あ、いや……その……」
真奈の何気ない一言に志穂はしどろもどろとなり意味のない声を漏らす。
「……まあいいや。だけど宇人さんほんと凄かったよね。なんか……凄い人間離れしてたというか……あんな映画みたいなこと本当にあるなんて……」
「だってあいつ人間じゃないし、化け物だし」
「ええ……いくらイカついからってそこまで言わなくても……」
志穂のハッキリとした物言いに真奈が困惑していると、怒鳴り声が響く。
「そこ! いつまで話してるんだ!」
2人は肩を震わせ慌てて正面に向き直り、テキストを開いて筆記用具を取り出す。すると、志穂の肩を真奈が指でつつく。
「今度会ったら宇人さんにお礼言っといて」
小声で真奈が志穂にそう伝えると再び正面に向き直り、テキストに目を落とす。真奈の横顔を数秒見つめた後、志穂もテキストに目を向けた。
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