宇宙超人

荒谷宗治

第1話

 その日彼女は死を覚悟した。19年の人生で2度目のことだった。


「なにこれ……」


 雨音が鼓膜を揺らす中、黒のTシャツにジーンズとスニーカーというラフな格好をした細身の女性が、肩まで伸ばした黒髪を揺らしてポツリと呟く。四限目が終わった大学の帰り、彼女は家のポストに詰まったチラシを取り出し目を通している最中、折り畳まれたコピー用紙のような紙が混ざっていることに気がついた。広げてみると、そこには恐らく手書きと思われる、真っ黒で太い、ある文字が書かれていた。


『お話があるのでそちらに伺います』


 裏返したり、光に透かしてみてもその文字列以外の情報は紙に存在しない。


「なにこれぇ〜……こっわ〜……だれだよこんなの出したやつ……」


 汚物でも見たかのように顔をしかめる女性。それもそうだろう。彼女の友達、知り合いにはこんなイタズラをするような人間はいない。そうなると、知らない第三者である可能性が非常に高いと彼女は考えた。しかし、ここで彼女の脳内に別の可能性が浮上する。


「もしかして……『あいつ』……?」


 彼女の指す『あいつ』とは高校時代に半年程付き合っていた彼氏のことである。こんな嫌がらせじみたことをしてくる顔見知りの心当たりは彼しかいなかった。


「……いや、それは無いな……あいつと別れたのもう3年近く前だし、別れて3日も経たずに新しい彼女作ってたし……あいつの性格的にも元カノより今カノに嫌がらせする方が楽しい口だし……」


 善性に対する信頼度皆無の推測により容疑者から一旦除外される元カレ。必然的に当初の可能性に立ち返り、顔と名前を知らない第三者が最有力となる。


「えぇ〜……ちょっと待って……やめてよ~……ストーカー? マジでキモいキモい……」


 改めて認識し直した不審な手紙。彼女の表情と声色に恐怖と嫌悪が入り混じる。安心と休息の場であるはずの慣れ始めた新居が一転、緊張と危険の場へと変貌した事によるストレスは最近一人暮らしを始めたばかりの彼女にとってあまりに重い。

 警察に届ける。友人に連絡する。ストレスを取り除こうと彼女が考えを巡らせるていると、ある可能性をひらめく。

 

「ひょっとして……もう家の中にいたりする……?」


 これが単なるイタズラでないという仮定が前提だが、彼女は手紙の文面から、差出人が近いうちに家を訪ねてくるものだと無意識に思い込んでいた。だが相手は誰とも知らない他人のポストにこんなものを突っ込む人間だ、常軌を逸した行動をしていてもおかしくはないのかもしれないと、水が低きへ流れるように思考がマイナス方向へ回り始める。


「……あーくそ!」


 彼女がそう吐き捨てると意を決して鍵を開け、持っていた傘を前へ突き出すように持ち直しドアをゆっくりと開く。傘を左右に揺らしながら周囲を警戒するが、部屋の中は静まり返っていて人の気配は感じられない。


「……誰もいない?」


 僅かに緊張の糸がほぐれた彼女は玄関へ入り前を警戒したまま後ろ手でドアを閉じようとしたその瞬間だった。誰かが手を差し入れ、閉まろうとするドアの動きがピタリと止まった。

 

 (え……?)


 ドアを押し止めているであろう背後の何かから発せられている威圧感に戦慄が走り、傘が彼女の手から滑り落ちる。全身から嫌な汗が吹き出し、心臓は鼓動を早め呼吸は浅くなる。ドアを止めたまま動かず喋ろうともしない存在は謎の手紙に関連している者であると彼女の直感が告げていた。そしてそれによってもたらされる最悪の結末が彼女の脳内で沸騰した水に浮かぶ泡のように激しく浮かんでは消えていく。思考の泡で頭が真っ白になった彼女は恐る恐る後ろを振り向いてしまう。

 そこにいたのは優に2メートルは超えるであろう身長を持つ二足の怪物がいた。真っ黒で筋骨隆々な身体に、これまた真っ黒な、鳥のくちばしのような形状をした、恐らく眼と思われる白いイナズマのようなラインの入った頭が乗っかっている。微かに開いた口からは鮫のように鋭い歯がびっしりと並んでいおり、ドアを押さえている手は人の頭を握りつぶせそうなほど大きく、指は先端に行くほど細く、鋭い鉤爪のような形をしていた。


「ばけも――――むぐぅ!?」


 叫ぼうとした瞬間、黒く、大きな手が顔を包み込み、上手く声を発せなくなってしまう。瞬間、彼女の脳内には『死』の文字が色濃く浮かびあがる。


「んーーーー!! んんーーーー!!!」


 くぐもった声を上げる彼女にお構いなく、怪物はまるで人形でも持つかのように軽く持ち上げる。足が地面を離れ、踏ん張ることが出来なくなる。バタバタと足を動かし、必死に抵抗する彼女だがまるで効果が無い。黒い怪物はそのまま部屋の奥へと進んでいく。


「んんーーーーー!!! んんーーーーー!!!!」


 逃れようと必死に手を伸ばす彼女の声も姿も覆い隠すように、支えを失なったドアは無常にもゆっくりと閉じていく。パタンと音を立てドアが完全に閉まった後の廊下では、雨音だけが響いていた。

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