第57話 GW最終日 薫

 ゴールデンウィーク最終日。


 前夜の疲れを少し引きずりながらも、俺は早めに家を出た。薫との待ち合わせは明治神宮の最寄り駅。今日は神様にお礼を言いたい、と薫が提案してくれた場所だ。


「明治神宮、か……」


 俺は歩きながら呟く。


 考えてみれば、観光地として有名な場所だけど、実際に行ったことはない。特に神社とかにあまり縁がなかったせいか、こうして神聖な場所に足を運ぶのは新鮮だ。


 待ち合わせ場所に近づくと、遠くからでも薫の存在は際立っていた。キャップを深めに被り、ダテメガネで変装しているが、その可愛さは隠しきれない。変装しているにも関わらず、周りの通行人が振り返るほどのオーラを放っていた。


「おはようございます、宏樹先輩!」


 薫が俺に気づいて駆け寄ってくる。小さく手を振りながらも、その顔にはほんのり緊張感が漂っていた。


「おはよう、薫。今日も気合い入ってるな」


「ふふ、気づいちゃいました? せっかく宏樹先輩とお出かけですし、オシャレは大事ですからね。でも、ちょっと目立っちゃいましたかね……」


 確かに。目立たないようにしようと変装しているはずなのに、薫の存在感が際立ってしまっている。いつもステージで輝くアイドルのオーラは、どうやら簡単には消せないらしい。


「じゃあ、早速行こうか」


「はいっ!」


 薫はうなずいて、俺たちは一緒に明治神宮へ向かった。参道はすでに観光客や参拝者で賑わっているが、それでも広大な敷地の中では静寂が広がっていた。


 木々に囲まれた参道を歩いていると、都会の喧騒が嘘のように感じられる。薫も俺も無言でその雰囲気に浸りながら歩き続けた。


「ねえ、宏樹先輩」


 突然、薫が小さな声で俺に呼びかけた。いつもの元気な薫とは少し違う、少し控えめな声だった。


「どうした?」


「ボク、今日ここに来たかったのは……改めて、ちゃんと先輩と神様に感謝の気持ちを伝えたかったから、なんです。あの時、もし宏樹先輩が助けてくれなかったら、今のボクはいなかったかもしれないって……ずっと思ってたから」


 その言葉に俺は一瞬言葉を失った。あの事件のことは、俺も忘れられない。薫の命を救ったあの日が、彼女の人生にこんな大きな影響を与えていたのかと思うと、胸が少し熱くなる。


「大げさだよ。俺はただ、目の前に困ってる奴がいたから助けただけさ。俺がいなくても薫はきっと大丈夫だったよ」


 そう言って笑ってみせたが、薫は首を横に振った。


「ううん。今ここにこうしてボクがいるのは、あなたのおかげ。あの時、宏樹先輩がいたから……ボク、今こうしてここで生きていられるんです」


 薫の言葉に、俺は黙って頷くしかなかった。真実など話せるわけもないのだから。


「それに、今日はただ先輩に感謝を伝えるだけじゃなくて、一緒に神様にお礼を言いたいと思ったんです。宏樹先輩が神様に祈ってくれたおかげで、ボクは元気にやってこれたんだと思うから……」


 薫の言葉に、俺の心に温かいものが広がった。彼女がここまで俺を信頼してくれていること、そして感謝の気持ちを持っていることが、なんだか嬉しかった。


「そっか、じゃあ一緒にお礼を言いに行こうか」


「はい!」


 俺たちは鳥居をくぐり、神殿の前で並んで立った。手を合わせ、静かに目を閉じる。


 心の中で、これまでの出来事に感謝を捧げた。薫が元気で、こうして笑って過ごせること。辛い思いを乗り越え、アイドルになれたこと。彼女が俺に感謝を伝えたいと言ってくれたこと。そのすべてが、俺の胸にじんわりと染み込んでいく。


「……ありがとうございました」


 小さくつぶやく薫の声が聞こえた。静かな参拝客たちの中で、その一言がとても温かく感じられた。


 手を合わせ終えると、薫が俺を見上げて微笑んでいた。


「すごく、心がスッキリしました。ありがとうございます、宏樹先輩」


「俺も、なんだかスッキリしたよ。薫のおかげでいい参拝ができた」


「ふふ、良かったです」


 少し照れたように笑う薫が、いつもの元気な彼女に戻っていた。俺たちはそのまま参道を歩きながら、次の目的地へ向かう。


「表参道、少し歩いてみないか?」


 俺が提案すると、薫は嬉しそうに頷いた。


「はい、行きたいです! 宏樹先輩と一緒なら、どこだって楽しいですよ!」


 その言葉に俺は苦笑しつつ、心の中で少しだけ嬉しさを感じていた。今日は薫と、特別な一日を過ごせる気がする。




 俺たちは、表参道に向かって歩いていた。参道から少し歩くと、街の雰囲気は一気に変わり、おしゃれな店やカフェが並ぶ賑やかなエリアに入った。


「表参道って、すごくオシャレな街ですね。さすが、モデルさんたちがよく来る場所って感じがします」


 薫がキョロキョロと周囲を見渡しながら言う。その顔には楽しそうな笑顔が浮かんでいて、まるで好奇心旺盛な子供のようだった。


「そうだな。確かにオシャレな店が多いけど、意外と隠れ家的なカフェとかもあって、落ち着ける場所もあるんだ」


「へぇ、そんなところがあるんですか? ボク、そういう場所大好きです!」


 俺は薫の楽しそうな様子を見て、少し安心した。


「じゃあ、ちょっと隠れ家的なカフェに行ってみようか。実は予約してある」


「ふふ、先輩すごいです。デキる男って感じがプンプンしますよ!」


「茶化すな」


 俺は少し路地裏に入ったところにある、こぢんまりとしたカフェを思い出しながら案内する。ここは観光客でごった返すこともなく、落ち着いて話ができる場所だ。


 カフェに着くと、店内はアンティークなインテリアで統一されていて、外の喧騒とは対照的に静かな雰囲気が漂っていた。予約していた個室に座ると、俺たちはメニューを広げる。


「何にしようかな……」


 薫がメニューをじっと見つめながら悩んでいる。その姿がなんだか微笑ましい。


「俺はコーヒーと……カルボナーラとサラダのセットにしようかな。薫は?」


「じゃあ、ボクも……あ、でもクラブハウスサンドも気になるかも」


「どっちでもいいぞ。好きなものを頼めばいい」


 俺がそう言うと、薫は少し照れくさそうに微笑んだ。


「じゃあ……今日はサンドイッチにします。ボリュームのあるものを食べたい気分なので。それと紅茶を」


 テヘッと舌を出す薫のしぐさに、俺の心臓がドクンと跳ねる。

 こうして俺たちは注文を終えた。




 カフェの店員が静かに飲み物を持ってきてくれる。店内は落ち着いた音楽が流れ、テーブルの上には陽の光が柔らかく差し込んでいた。心地よい空間が、俺たちを包み込んでいる。


「宏樹先輩、こうして雰囲気の良いお店で静かに過ごすのって、すごく贅沢ですね」


 薫が紅茶を手に取り、ふわりと香りを楽しむように鼻を近づける。その仕草がなんとも可愛らしく、俺は思わず目を奪われた。


「そうだな。こういう静かな時間もいいもんだよ。普段は忙しそうだから、こうしてリラックスできるのも大事だと思う」


「はい……本当に今日は、特別な一日です」


 薫が穏やかな笑みを浮かべながら、窓の外に目をやる。そこには、人々の喧騒と隔絶された景色があり、徐々に表参道の街が柔らかい光に包まれ始めていた。


「宏樹先輩とこうして一緒に過ごせる時間が、ボクにとっては本当に大切なんです。普段はアイドルとして、作られたキャラクターを演じるのに忙しいけど、今日は誰かじゃなくて、ただのボク……薫として、宏樹先輩と一緒にいられるから」


 その言葉には、彼女の素直な気持ちが込められていた。いつも輝いているステージの薫とは違う、普通の女の子としての一面を見せてくれているのが嬉しかった。


「俺も、今日はゆっくり過ごせて嬉しいよ。薫のおかげで、こういう特別な時間が持ててるんだ」


 俺も素直に気持ちを伝えると、薫は照れたように顔を赤くしながらも、満足そうに微笑んだ。


「ありがとうございます、先輩。これからも、もっと一緒に過ごせる時間を増やせたら嬉しいです」


「もちろんだよ。これからも、一緒にいろんな場所に行こう」


 俺の言葉に、薫はさらに笑顔を見せた。




 カフェを後にして、表参道を歩いていた俺たち。少しずつ増えてくる人波の中でも、薫はその存在感を隠しきれず、時折振り返られることもあった。


「……あれ? あれってもしかして……KAORUじゃない?」


 通りすがりの人が薫のことに気付きそうになった瞬間、俺たちの穏やかな時間は一気に危険な雰囲気に変わった。


「まずいな……薫、こっちだ!」


「えっ……!」


 俺は咄嗟に薫の手を取り、人混みの中をかき分けながら代々木公園へ向かって小走りに移動した。人々の視線を背中に感じながら、俺たちは必死に逃げる。


 なんとか代々木公園にたどり着いた頃には、二人とも息を切らせていた。


「はぁ……はぁ……危なかった……」


 ベンチに座り込んだ薫が、苦笑しながら息を整える。


「本当だよ。目立たないようにしてたのに、さすがアイドルだな。隠しきれない魅力があるってことだ」


「そんな風に言われても、嬉しけど困っちゃいますね……」


 薫は笑いながら、少しだけ肩をすくめた。公園の静けさが俺たちを包み、さっきの騒ぎが嘘のように落ち着いた時間が流れていく。


「ボク、そんなに魅力的ですかね……」


「ああ、すごく魅力的だと思うぞ」


 ぷしゅ~と音を立てて耳の先まで真っ赤になる薫。


「で、でも、こうして宏樹先輩が守ってくれてるから、安心していられます」


 薫が俺に感謝の眼差しを向ける。その無邪気な笑顔に、俺は少し照れくさい気持ちになった。


「まあ、俺が守れる範囲なら、いつでも助けるよ」


「ふふ、そう言ってくれると頼もしいです」


 俺たちはまたしばらくベンチに座って、代々木公園の静かな時間を過ごした。木漏れ日が地面に模様を作り、心地よい風が二人の間を通り過ぎる。


 代々木公園の静かな空間に、薫と俺は並んで座っていた。木々のざわめきと小鳥のさえずりが、さっきの喧騒から逃れた安堵感を強めてくれる。俺はふと横を見ると、薫が少し緊張した表情をしているのに気づいた。


「……大丈夫か?まだ心臓がバクバクしてるんじゃないか?」


「はい、ちょっとドキドキが止まらないです。普段ステージでもこんな風にまではならないですよ。すごいです。ほら」


 薫はそう言って、俺の手を掴んで心臓の上へと持って行った。

 心臓の上。別の言い方をするならおっぱいである。

 ふにっと、思っていた以上のボリュームを感じる。


「ちょっ!? 薫!?」


「え? はっ! せ、先輩、これは、そうじゃなくてですね!?」


 俺は、自分でも何を言っているのか分からない薫の頭に手を乗せる。


「落ち着け、ちょっとしたハプニングだ」


「は、はい……あ、あのっ!」


「なんだ?」


「わ、私、そんな小さくなかったですよね!?」


「その話はもうやめようね!?」


「でも、だって、やっぱり気になるから!」


「あー……思ったよりも……あったよ………」


「ホントですか!? うわ、先輩顔真っ赤ですよ!」


「し、仕方ないだろ!?」


「えへへ…」


 美玖とは違う感じだが、小悪魔みたいな笑顔を浮かべる薫。

 薫にもこんな一面があったんだな。


「しかし、何かあったらすぐに逃げようって言ってたけど、まさか本当に逃げることになるなんてな……」


 薫は軽く笑ったが、その声には少しの疲れが感じられる。彼女がいつも人前で感じるプレッシャーや、常に見られているという感覚。それがいかに重いものか、俺には少しだけ分かる気がした。


「ごめんな、俺がもっとしっかりしてたら……」


「そんなことないですよ! 宏樹先輩がいてくれて、ボクはすごく助かったんです」


 薫は少し驚いたように言い、俺の顔を覗き込むように見つめた。


「ボク、いつも一人で頑張ってるつもりだったんです。でも、こうやって逃げる時も、守ってくれる人がいるって思うと、何か……温かい気持ちになりました」


 薫の言葉に、俺は少し驚いた。彼女はいつも明るく、元気で強い印象があったが、実はその裏では孤独と戦っていたのかもしれない。


「一人で頑張りすぎなくてもいいんじゃないか? こうして、俺とか、他のみんなもいるんだからさ」


「……でも、ボクは誰にも迷惑をかけたくないんです。ボクのせいでみんなに心配をかけたり、トラブルに巻き込んじゃうのが怖いから」


 薫は小さく呟くように言った。彼女の心の中にある葛藤が、少しずつ俺にも伝わってくる。


「心配してくれる人がいるっていうのは、別に迷惑じゃないだろう? むしろ、薫が頑張りすぎて辛そうな方が、周りはもっと心配すると思う」


 俺の言葉に、薫はハッとしたように俺を見つめた。


「……そう、ですね。ボク、頑張りすぎてるのかもしれません。アイドルっていう仕事が楽しい反面、時々プレッシャーが重くて……でも、宏樹先輩がいてくれると、本当にホッとします」


「なら、もっと頼っていいんだよ。俺も、みんなにもな」


 そう言って、俺は薫に微笑んだ。彼女は一瞬驚いたように目を丸くしたが、すぐにその瞳が涙で潤んでいるのが分かった。


「ありがとうございます、先輩……」


 薫はそう呟くと、俺の肩にそっと頭を寄せてきた。今まで見せていた元気な姿からは想像できない、弱さと素直さがそこにはあった。俺はそんな薫が愛おしく思えて、彼女の髪をそっと撫でた。


「疲れてたら少し休んでてもいいぞ。今日の予定はまだまだあるけど、無理はするなよ」


「ふふ、そうですね。少し休ませてもらいます」


 薫は目を閉じ、俺の肩に頭を預けたまま静かに深呼吸を繰り返している。木漏れ日が彼女の顔に優しく降り注ぎ、心地よい風が吹き抜ける。


「宏樹先輩、ボク……こんな時間が、ずっと続けばいいなって思います」


「ああ。何もかも忘れて、こうして二人でのんびり過ごせたら、それが一番だよな」


 俺の言葉に、薫は小さく頷いた。


 しばらくそのまま二人で静かに過ごしていたが、ふと薫が思い出したように顔を上げた。


「そうだ……ゴールデンウィークのみんなとのデート、どうだったんですか?」


「えっ? みんなとのデート?」


 急に話題が変わって、俺は少し戸惑った。


「はい。ボクも昨日までのこと、ちょっと気になってたんです。どんな一日を過ごしたんですか?」


「そうだな……色々あったよ。初日のクロエとはデート自体が中止になってな」


「な、何があったんですか……」


 そんなこんなでゴールデンウィークの話をしていく。

 興味があったり、時折寂しそうな顔をする薫。


「でも、今日の時間は薫と一緒に過ごす大切な日だ。余計なことは考えないでいこうぜ」


 俺がそう言うと、薫は少し驚いたように目を見開いた。


「……本当ですか?」


「ああ、俺は今、薫との時間を大事にしてる」


 その言葉に、薫の顔がほんのり赤く染まった。そして彼女は、少し恥ずかしそうに微笑んだ。


「……嬉しいです。宏樹先輩と一緒にいる時間が、ボクにとって、本当に大事なものなんです」


 二人の間に、柔らかな空気が流れていく。公園の静けさと自然が、俺たちの心をさらに近づけているようだった。




「そろそろ行くか。うちの母さんも夕食を用意して待ってるし」


 薫は俺の肩から頭を上げて、少し名残惜しそうな表情を見せた。


「はい……でも、本当にご家族に迷惑じゃないですか?」


「全然。むしろ薫が来るのを楽しみにしてるんだよ。母さんなんて張り切って料理を用意してるし、あかねも久しぶりに会えるのを楽しみにしてた」


「そうなんですね……」


薫は少し驚いたように笑った。


「あかねちゃんもボクのこと覚えてくれてるなんて、ちょっと嬉しいです」


「あかねは同級生だったもんな。『薫ちゃんに会えるの!?』って、まるでファンみたいなテンションだったぞ」


「ふふ、あかねちゃんも昔から可愛かったですけど、今はどんな女の子になってるんでしょうね」


 俺は軽く肩をすくめて答える。


「まあ、相変わらずだな。妹としては可愛いけど、たまに手が焼けるって感じだ」


 薫はクスクスと笑いながら、


「そんなこと言っても、宏樹先輩ってすごく優しいお兄さんですよね」


 と言った。


「いやいや、そんな大したもんじゃないよ。ただの世話焼きだよ」


「……ボクも、そんな家族が欲しかったな」


 薫が少し切なそうに呟いた。俺は、その言葉にドキリとした。


 彼女には家族がいない。俺が彼女を助けたあの日から、ずっと一人で頑張ってきたんだ。その寂しさは、きっと俺なんかには計り知れないものがある。


「薫……」


 俺が何か言いかけたその時、薫はパッと顔を上げて笑顔を作った。


「でも、今日は宏樹先輩の家族に会えるから楽しみです! それだけで十分ですよ」


 そう言って、明るく振る舞う彼女を見て、俺は言葉を飲み込んだ。


「……そっか。じゃあ、行こうか。お腹も空いただろ?」


「はい! 楽しみです!」


 俺たちは公園を後にし、駅へ向かった。薫の明るさが少し戻ったことに安心しながら、夕方の穏やかな空気を感じながら歩いていく。



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「ただいまー」


 玄関を開けると、家の中からいい香りが漂ってきた。母さんがキッチンで調理している音が聞こえる。


「お邪魔します」


 薫が控えめに挨拶し、変装を解く。

 すると、母さんがキッチンから顔を出した。


「あなたが薫ちゃんね! 来てくれてありがとう。まぁまぁ! 本当にテレビで見たことのある子だわ!」


「お世話になります、宏樹先輩のお母さん。今日はご招待いただいて、本当にありがとうございます」


 薫は深々と頭を下げた。その姿に、母さんもにっこりと微笑んだ。


「もう、そんな堅苦しくしないでね。さあさあ、ゆっくりしてて。ご飯もすぐにできるから」


 俺たちはリビングに案内され、少し待っていると、あかねが勢いよくリビングに飛び込んできた。


「薫ちゃん! 久しぶり!」


「あかねちゃん!」


 二人は顔を見合わせて笑い合い、あかねが嬉しそうに近づいてきた。


「まさか薫ちゃんが家に来るなんて! 急に転校してた時は驚いたよ~! ってゆーか、同級生がテレビで見るアイドルになってるなんて信じられないよ!」


「ふふ、あかねちゃんたら、そんなに驚かないでくださいよ。ボクもあかねちゃんとまた会えて嬉しいです」


「いやー、でも本当にすごいな。薫ちゃん、テレビでも輝いてるけど、やっぱりこうして直接会うと、もっと可愛い!」


「ありがとう。でも、あかねちゃんもすごく可愛くなって……すっかりお姉さんですね」


 二人が談笑していると、母さんがキッチンから料理を運んできた。


「さあ、二人とも話は後にして、先にご飯にしましょう。今日はいっぱい作ったから、たくさん食べてね」


 テーブルには、色とりどりの料理が並べられ、まるで小さなパーティーのようだった。俺はその光景に驚きつつも、母さんの張り切り具合に感謝した。


「母さん、これ全部作ったのか? 気合入ってるなー」


「まあね。薫ちゃんが来るって聞いて、少し張り切っちゃったのよ」


「すごく美味しそうです! ありがとうございます」


 薫が目を輝かせて料理を見つめる姿に、俺は思わず微笑んだ。


「遠慮せずに食べてちょうだい。さあ、みんな、いただきます!」


 全員で手を合わせ、食事が始まった。母さんとあかねも加わり、賑やかな食卓となった。




 夕食が終わり、俺と薫は家を後にした。薫は少し名残惜しそうに家の前で立ち止まった。


「今日は本当にありがとうございました。ご家族にもお礼を言えて、すごく嬉しかったです」


 食事が終わるころ父さんも帰ってきて、薫はしっかり全員にお礼を言う事ができた。


「俺たちの方こそ、来てくれてありがとうな。母さんもあかねも楽しそうだったし、久しぶりに賑やかな食卓だった」


 俺がそう言うと、薫は少し照れたように笑った。


「でも、今日は本当に楽しかったです。宏樹先輩と一緒にいると、なんだか安心できて……」


 その時、俺はふと気づいた。薫が少し言葉を濁したように見えた。


「何かあったのか?」


「……いえ、何でもないです。ちょっと疲れちゃっただけで」


 俺はその言葉に一瞬引っかかりを感じたが、あまり深く追及しなかった。薫はいつも自分の弱さを見せたがらないタイプだからだ。


「そっか。じゃあ、そろそろ送って行くよ。今日はお疲れ様」


「ありがとうございます……でも、本当に楽しかったです」


 薫はそう言いながら、俺の方を見つめた。その瞳には何か言いたそうな、けれど言い出せないような迷いが浮かんでいた。


「宏樹先輩……」


自然に手が繋がる。


「あっ……」


 薫はそのまま俺の肩に頭を寄せた。


 その瞬間、何かチカッと光った気がした。


「……ん?」


 俺たちは驚いて周りを見渡したが、特に何もない。

 ただ、切れかけの電灯がチカチカとしていた。


「なんだったんだ?」


「……電灯でしょうか?」


 俺たちは不思議そうに顔を見合わせたが、その正体がすぐには分からないまま、その場を後にした。




 夜の静けさが漂う中、俺と薫は彼女に案内されるがまま歩いていた。


「ここです、宏樹先輩」


 薫が立ち止まって指差したのは、落ち着いた雰囲気の高層マンション。俺は一瞬驚いて、薫の顔を見た。


「……え、薫、ここに住んでるのか? 施設じゃ……」


「はい。施設じゃなくて、今はここのマンションに一人で住んでいます。みんなに迷惑かけちゃうし、セキュリティの面でも、ここが最適だと思ったんです」


 薫が少し笑みを浮かべて言う。


「そっか……そうだよな。アイドルだもんな。でも、一人暮らしは寂しくないか?」


「……寂しいです。だから、いつでも来てくれて良いんですよ?」


「こら。そんな事を言ってたらダメだぞ。送りオオカミになったらどうするんだ」


「いいんですよ、オオカミさんでも」


 ぎゅっと引っ付いてくる薫。


「こ、こら。大人をからかうんじゃない」


「大人って。ボクと一つしか違わないじゃないですか。ふふふ」


「ははは」


 しまった。ついつい大人を出してしまった。それでも、薫は笑顔で俺を見上げていた。その微笑みの奥に隠れた孤独に気づいても、俺には何も言えない。


「宏樹先輩、本当に今日はありがとうございました。神社に一緒に行けて、ずっとお礼を言いたかったことも言えて、すごく嬉しかったです」


「俺も楽しかったよ。薫のおかげで、いろんなことを思い出せた気がする。俺も、もっと頑張らなきゃな」


「……ふふっ、ボクも一緒に頑張ります」


 薫は微笑んで言った後、少し真剣な表情に変わった。


「宏樹先輩……私、前に宏樹先輩に助けてもらった時から、ずっと憧れていて……」


「薫……」


「ボクはずっと一人ぼっちで……でも、宏樹先輩がいたから、今のボクがあるんです。だから、もしボクを選んでくれたら、もっともっと宏樹先輩を支えて……」


 薫がそう言いながら、俺の目をじっと見つめた。俺の胸が高鳴る。


 だが、同時に彼女が抱える重荷のようなものが、俺の心を締めつけてくる。


「……ごめん、薫。今はまだ……」


 俺が言いかけた時、薫は微笑んで俺の言葉を遮った。


「分かってます。まだ決めなくていいです。ただ、ボクは……宏樹先輩のことが大好きです。だから、待っています」


 その言葉に、俺は胸が締めつけられるような思いをした。薫の真っ直ぐな感情が伝わってくるからこそ、簡単に応えることができない自分がもどかしかった。


「ありがとう、薫。ちゃんと答えるから、それまで待っててくれ」


「はい……おやすみなさい、宏樹先輩」


 薫はそう言うと、少し背伸びをして俺の頬に優しくキスをした。驚きで俺は言葉を失ったが、彼女は柔らかな笑顔を浮かべて俺を見つめている。


「……ごめんなさい。でも、どうしても我慢できなかったの」


「薫……」


 その瞬間、胸の奥で何かが揺れ動いた。彼女の強さも、弱さも、全てを知っているからこそ、どこか特別な存在になりつつあることに気づいてしまった。


「……ありがとう、気をつけて帰れよ」


 俺がそう言うと、薫は名残惜しそうに俺を見つめながら、ゆっくりとマンションの中へ入っていった。


 夜風が頬をかすめる中、俺はしばらくその場に立ち尽くしていた。自分の胸の中で渦巻く感情を整理できないまま、ただ静かに薫の姿が消えていくのを見送った。



 こうしてゴールデンウィークも終わり、明日から日常がまた始まる。


「楽しかった……よな?」


 しかし、何かとても大事なことを忘れている気も……

 何だったかな……


「あ……宿題!? 何もやってねぇ!!」


 俺は、かつてないほどの全力疾走で家に帰った。

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