第37話 元小鬼さん洞窟を出発する
見知った洞窟に辿り着くも、生命の気配はまるでなかった。その代わりに、腐臭を伴う生温い風が奥から吹き込んで来る。
足を進めて行くにつれて、人間とゴブリンの死体が混ざり合うようにして倒れているのが見えて来た。割合で言えば、ゴブリンの方が格段に量が多いが。
過去の栄華はまるで見る影もなかった。どこを見ても視界に入るのは死体ばかりで、あの犇めくような緑色の生物達と、彼らが発していた煩い騒音は、微塵も感じられない。
繁殖区に辿り着いた。前には湿った空気と熱気で満ち溢れていてかなり気持ち悪かったのだが、今ではそこまで不快感はない。
蛆虫が湧いている女の死体を引っ繰り返すと、腐り落ちた顔面が上を向いた。当たり前のように服は着ていない。
ゴブリンの死体も大量にあった。襲撃の際に、ここに辿り着いた討伐者に殺されたのだろう。周囲の人間の死体には、何かしら布が被せられたりして裸体を隠されている様子のものもあった。
何か役に立つものが残っていないかと思ったが、死体を漁る気にもなれず、結局何も取らずにその場を去った。
少し歩いて、その奥にある養育区の部屋の中を覗く。俺が生まれた場所だ。あの頃には大量の小さな緑色の塊が蠢いていて活気があったのだが。
そのとき、ふと一つ動く小さな影があって、目を凝らした。暗闇の中で、小学生男児程度の大きさの人影が動いている。
部屋の隅にある人間の死体を貪っているようだった。生き残りのゴブリンだろうか。それとも、あの襲撃の後に生まれたのか。
視線が合ったので、そそくさとその部屋を出る。
見るべきところは全て見て回ったと思う。特にこれと言った以上もなく、最後に俺が見た光景が、そのまま風化しただけだった。
この短いスパンでまたゴブリンが大量発生でもしてようものならどうしようかと思っていたが、そうはならなかったらしい。
†
そのまま洞窟に寝泊まりして三日が経った。
町を飛び出して来たときに感じていた浮遊感は大分なくなっていた。自分が自分でないような感覚に、ずっと苛まれていたのだが。
夢見心地と言えば一番分かりやすいが、その語感とは比べ物にならないほどに不快だった。
そろそろこの場所を離れないと、腐臭に鼻が馬鹿になりそうだった。洞窟には入り口が幾つかあるはずなのだが、悪臭が全体に籠ってしまっているらしい。どこに避難しても嫌な臭いからは逃げられなかった。
食事を探す時には森へと繰り出して魔物を仕留めに行くのだが、帰って来るたびに毎回食べたものが出て来そうになる。
魔物を殺すことに何ら不自由はなかった。
確かに、毎日のように命の奪い合いをしていたころと比べてしまうと、精神状態は張り詰めておらず、その分動きも良くない。とはいえ、毎日アグシアと
もう川の向こう側に出発してみても良いだろうと思っている。実際のレベルがどれぐらいかは分からないが、川一つ挟んだ程度で何かが大きく変わるとも思えない。
油断は禁物だが、臆病になり過ぎてもいけないだろう。特段親しいという訳でもないアグシアを除いて、同族も同胞もいない今、俺が死んで困ることは何もない。己の決断を引き留めるものは何もなかった。
ただ、別に進んで死にたいというわけでもなかった。自分の精神状態が良くないことは分かっている。それでも、自分は投げやりになっている訳でもない。死は今でも怖く、苦しいことは嫌いだった。
しかし、町にいる討伐者共の強さを知った今、のうのうと日々を過ごしていたらいつか本当に人間に殺されかねない。何せ、俺が未だに敵わないアグシアでさえ、討伐者連中で言えば下の方だというのだから。
この世界の強さの水準がどこまで高いのか分からない今、強くなるに越したことはないだろう。死なないために命を投げ出すのは、あまりにも矛盾だが。
とはいえ、下手に思考が回る人間を相手にするよりは何も考えていない魔物を相手にする方が楽な気がした。だからある意味では、より安全な道を選んでいる。
特に持ち物はない。強いて言えば剣だろうか。
向こうでは、寝泊まりする場所には困るかもしれないが、結局そんなものはどんな場所でも同じなのだから気にしても仕方がないだろう。そもそもこの洞窟でさえも魔物に襲われる可能性があるのだから。
ただ、朗報としては、眠っている最中に誰かに近付かれたら気が付いて目が覚めるようになった。つまり、眠りが浅くて休めていないということではあるのだが。
ともかく、準備は整った。まだ朝早い内にここを出発してしまおうと思う。知らない場所に突入して直ぐに夜になってしまうという事態は避けたかった。
洞窟の入り口から外に出る。
初めて外界に出たときのことを思い出した。考える頭がなかったことと、意味の分からない事態が多すぎたことで特に感動はしなかったが、あれは自分の中では大きな一歩だったと思う。
その時とは随分状況が変わってしまっているが、新しい何かに挑戦するということには間違いない。
湧き上がってくるネガティブな感情を無理やり抑え込み、震える手を、剣の
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