百日後・破

 現在時刻は午後十一時十分。一条いちじょうに指示された駐車スペースに白金しろがねが車を停めると、彼女は颯爽さっそうと助手席から降りていった。降り続く小雨にはいつのまにかみぞれが混じり、寒風かんぷうが頬を突き刺しては逃げていく。


 それにしても――と、白金は周囲を見渡しながら思う。


(この近所一帯は人気ひとけが少なすぎる。誰も生活しとらん訳ではないが、あまりにもひっそりとし過ぎている気がする。皆何かに怯えて暮らしとるのか、それとも――)


 ――しかし、この辺りが異様なほどの静寂に包まれている原因、そしてその元凶は、恐らく今から自分が入ろうとしている家なのだろう、そう結論付けた白金は自分の意識を正面にいる一条の言葉に戻した。


「――いや、ホンマすごいな。こっからでも分かるわ、ヤバイオーラがダダ漏れや」

「一条さん、勝手に人の家の駐車場に入れてよかったんか」

「心配すな言うたやろ、ちゃんと許可は取っとるわい」

「許可て誰に――」

「それは守秘義務シュヒギムがあるから言えん。んなことはどうでもええやろ。ほれ、さっさと入るで」


 一条は振り返りもせずに言い放つと、世界と次元とを隔絶かくぜつするゲートのようにしか見えない黒いステンレス製の門扉もんぴの前に立った。


「……あんたらに、先言うとくで、この門扉もんぴを開けて中に入った後、横にあるでっかい石には絶対に指一本触れちゃならんからな。もし触れてみい、飛ぶで」


 一条がステンレス製の門扉もんぴに手をかけ、ゆっくり開ける。キイイイイイ……と、金属特有の甲高いきしんだ音が空気を不吉に揺らし、これから待ち受ける不穏な何かを暗示するように、三人の鼓膜と恐怖心に突き刺さった。そして慎重に歩を進めて敷地内に入る一条が〝あっ〟と短い声をあげた。


「何でこないなことに――」

「ど、どないしたんや一条さん」

「ええか、もっぺん言うぞ。このとがった岩には触んなよ。やばいからな、二重の意味で」

「二重?」

「ああ、こいつはな、要石かなめいしや。この敷地ん中と外の〝通り〟を良くして出しちゃならんモンをしっかり閉じ込める役割を持っとるんやが……今はずれとるからな」


 要石かなめいしはその役割上どこにどういう風に置かれているかが極めて重要で、角度や位置を含めて少しでもずれると用をなさなくなるのだと、一条は言った。


「つまりここに閉じ込めとったモンが自由に出入りできるようになっとる、ちゅうことか」

「まあ、そうやな……こない大きな岩、どないして動かしたんかも、何で動かしたんかも一切分からんがな……ほんで、こっちのほうがもっと大事なんやけど……この要石かなめいしにな、えっらい怨念おんねんがひっついとるんや」

「――――」


 そのおどしを受けた二人は、無言で一条の指すとがった岩から距離を取った。それから三人は、雑草が伸びたい放題に、この厳寒の中ある意味で活き活きと生えている雑草をかき分けながら奥へと足を進めていく。


「うっ、うわ――」

「何もしゃべるな、パンチ、メガネ。あんたらは大丈夫や。それに今はまだ襲ってはこん」


 家の前にやってきた白金は、そこで目の当たりにした光景がもたらす不気味な気配と圧力に恐怖を覚え、思わず絶叫が口を突いて出かける。しかしそれを一条の手が押さえ、次いで低い声で警告が出された。

 家の周りを白い何かがぐるりと取り囲み、うぞうぞとうごめいている。まるでロープのような、あるいは太いしめ縄のような外見をしていて、白金は思わず生唾を飲み込んだ。


「ええか、ウチが合図したら札紙を額に貼り付けて、目をつむり耳を塞げ。そうすりゃ、時間がきてもあんたらにとばっちりがくることはない。分かったな?」

「わ、分かった。しかし――一条さん、一体これどないするつもりなんや」

「ウチがこの家ん中に入って、どうにかする。時間がきたらウチが一人で入るからあんたらは外で終わるのを待っとき」

「えっ、しかし」

「しかしもかかしもあるかいパンチ。ほんならあんた、アレの相手できるんか? 無理やろ? あんたらがそばにおると邪魔やねん」

「……分かった。でも、ホンマにあんた、ここの家主に許可もらっとんねんな?」

「大丈夫やて何回言わせりゃわかんねん。ウチに任しときや」


 そこまで言われ、白金は何とか自分を落ち着けた。それからは家の周りをぐるぐる回る白い何かに気を取られながらも、あまりにも静かすぎる建屋の様子を観察していた。


「……明かりがついとらん。それに、シャッターが全部締め切られとるな」


 白金は二階を見上げ、そのままの感想を漏らし――一条の声がそれに被さってきた。


「ん――白蛟しろみずちの気配を感じるんはあっちやな」


 一条が指さしたのは家ではなく、その前に広がる庭だった。何本かの木が生い茂っており、奥に少しスペースがあるようだが、やはりここも雑草が伸びたい放題で、ちょっとした密林になっていた。季節柄鬱陶うっとうしい虫はいないが、それでも雑草をかき分けて進むのは骨が折れる。一条の先導でどんどん前に進み、白金と羽金はスマホのライトを点けて暗い足元を照らしつつ、足を引っ掛けないように注意しながら後を追った。


「――こいつやな、お目当ての白蛟しろみずちの家は。しかしえっらいみずぼらしい石碑や。こんなんでようあんだけの信仰を集め続けられたもんやで」


 そこにあったものは、三段に積み上げられた然程大きくもない平石と、その上に乗せられた三角形の形をした――というよりは三角錐に近い――石柱だった。花瓶のようなものが地面に半分埋められているが、ずいぶん放置されているのか、中身は空っぽだった。


「……ほんで一条さん、こいつをどうするんや。まさか撤去してしまいって訳じゃ――」

「アホウ、んなことしたら全部こっちにおっかぶさってくる。ウチらにできることは、丁重ていちょうにお願いしてここからお帰りいただくぐらいしかあれへん」

「えっ、そんなことをして大丈夫なんか」

「大丈夫やパンチ。もうここらの土地は手遅れやからな。さっき言ったやろ。ヤバイオーラがダダ漏れやて。ありゃあ白蛟しろみずちのモンちゃう。あの家の下に封じられとる何かや。白蛟しろみずちは――」


 その封じられた何かが逃げ出そうとするのを抑えつけるために、ここに――一条はそう言った。


「え、水害や干害から土地を護るために勧請かんじょうしたんやなかったのか――」

「それ〝も〟目的の一つや。しやけどこのまつり方は白蛟しろみずちに対してまったく敬意を払っとらん。むしろ、厄介事を押し付けて、できるだけ関わり合いにならんように――そんなまつり方やで、これは。何やホンマ、これだけみたら白蛟しろみずちにちいと同情するわ」

「いやいや、こいつは俺たちの命を狙ったし、多くの人間の命を――」

「そんなん分かっとるよ。それはそれ、これはこれや。しやけど――人外ジンガイかて、感情はある。こないぞんざいに扱われとったら、そら傷つくやろ。人間かて同じやんか」


 一条のつぶやきに、白金も羽金うこんも押し黙った。彼らが握るスマホのライトが石柱を照らす中で、雨脚あまあしがさらに強まってくる。


「っち、この家、問題が多すぎて何から手えつけたらええんか分からんな。それでなくとも、あの白蛟しろみずちが素直にこっちの言葉を聞いてくれるんか分からへんしやな……」

「とにかく、先ずは家の中に誰かいないか調べないと――」

「いや、あんたらは入ってくるな。これからウチはあの家ん中で白蛟しろみずちを含めて全部解決する。そん時にあんたらが横におるとはっきり言って邪魔なんや。日が変わるまでは外におり」

「えっ、じゃあ何で俺たちこんなとこまで」

「運転手と緊急時の雑用くらいは必要やろ。あんたらが一緒におると話がややこしゅうなる。今回アイツが狙うんはウチやから、心配すな。それにあの家ん中……ほんまヤバイで。正直、白蛟しろみずちなんかじゃ本来太刀打ちでけんくらい格が違う」

「ちょ、あの白蛟しろみずちよりが太刀打ちできん? 格が違う――?」

「せや。前にもいっぺん話したやろ、白面九尾はくめんきゅうびとかそこらへんの話をな。あれと同等とまでは言わへんけど、それに近いモンを感じるよ。こいつが何なのか見当もつかんが、きっと文献ぶんけんに載って永遠に語り継がれるレベルの人外ジンガイであるんは間違いない」


 一条が重苦しくつぶやき、白金と羽金が重苦しく押し黙る。その刹那せつな、一条のスマホが着信音を鳴らし、最後のメッセージが届いたことを知らせてきた。すかさず一条は画面を確認して――舌打ちを鳴らしながら〝始まったで〟とだけ言い放った。


「〝もうきました〟ときたわ。ついに対決やな」

「一条さん、ホンマに大丈夫なん――っ!? こ、この気配はっ――!?」


 どす黒く重い不安が足元から忍び寄るような錯覚に陥って弱気な声を出しかけた白金の顔が引きつる。強烈な悪寒が足元から腰へ、次いで背中をとおり首筋へとい上ってくるような、おぞましい感覚が彼の顔色を恐怖一色で染め上げた。

 気づけば、家の周りを取り囲んでいた白い何かが見当たらなくなっている。それでも不吉な気配は周囲から消えることなくただよい続け、むしろ時間を追うごとに色濃くなっていった。

 単なる気温のせいだけではない嫌な冷気――というよりもはや凍気――が全身を包み込み、体温を急激に奪われるような錯覚に陥る。このままいけば自分の命まで凍てつかされ、瞬時にその場で倒れ込んでしまいそうになる――白金は文字通り身の危険をひしひしと感じていた。


「――っ!? 一条さん、二階から、光が漏れとるっ!」


 白金が視線を飛ばしたその先に、シャッターの隙間から漏れ出る青白い光が見えた。一条は鋭く舌打ちをして〝出遅れたか〟とつぶやき、次いで後ろの二人に怒号のような指示を飛ばす。


「おい白金、羽金! 札を貼っつけて目を閉じい! 耳も塞ぎや! ウチはこれから家ん中に突っ込んで決着つけてくる。絶対についてくんなよ! あと、前と同じく誰に何を言われても反応したらアカンからな、忘れんな!」


 そしてそのまま引き戸を開け、勢いよく飛び込んでいった一条を目で追いつつ、白金は札を額に貼り付けて目と耳を塞ぎ、ざるのポーズで嵐が過ぎ去るのを待つのだった。

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