八十四日目・昼

 月が変わって結構経っても状況は何一つ変わっていないどころかひどく悪化した。霊能師れいのうしにきてもらっておはらいをして貰ったはいいが、当人がおかしくなって家を飛び出し、意味不明な言葉を叫びながら近所を流れる大きな川に飛び込んで、おぼれて死亡してしまった話はテレビでニュースになった。俺たちとの因果関係までは分からなかったのかマスコミが押しかけてくることはなかったが、まるで毒虫でも丸呑みさせられたかのような不快感が体内を駆け巡った。

 さらにその時美桜みお失踪しっそうしてからもう一週間が経とうとしているが、何も手がかりはない。警察へ通報し、特異とくい行方不明人として捜索して貰っているものの、目撃情報もそれらしき話も一切あがってこず、俺たちは睡眠時間と食欲と、何よりも生きる活力を削り取られていった。ポスターが各所に貼られ、未成年者略取誘拐事件として少しだけ報道もされたが、その件ではマスコミが数社訪れはしたものの、取材と撮影を拒否すると何故かこちらが怒られたりして、どんどん心がザラついていくのが自分でも分かった。

 彼らが言ってきた内容は理解できる。自分たちが大々的に報じることでより多くの人たちの目に止まって、それが結果的に美桜の早期発見に繋がるという説明は、理屈としては正しい。しかしそれはあくまで〝彼らの制作する番組に利用してスポンサーから資金を引き出す〟のが目的であり、それが果たせている間は協力的に報道してくれるだろう。だが俺は明奈を好奇心の底なし沼に放り投げたくなかった。


 ――そしてそんな俺の配慮もむなしく、明奈あきながとうとう限界を超えて参ってしまった。

 度重なる災難、不運、そして押し寄せる悪意と絶望に彼女の神経がやられてしまったのだ。元来身体も強くない上に、メンタルが強い人であってもまず耐えられないであろうストレスが彼女の平常心の防波堤を軽々と乗り越える黒い高潮となって、心を侵食してしまった。


『……美桜……美桜……どこに行ったん……お願いやから帰ってきて……』


 うわ言のように娘の名前を連呼し、涙も感情も枯れ果てた表情――能面のうめんのようなそれ――を浮かべながら、彼女は仕事を休み続け、睡眠や食事すらもろくに取れずに一日をベッドの上に座って過ごしていた。彼女が勤めていたパート先の会社からは心配の連絡が入り、退職なしで落ち着いたらいつでも戻ってこれるように長期休暇扱いにしたという話を聞くに及んで、俺は彼女が一生懸命頑張って働いていたのだと実感し、同時にそこまで体も強くないはずなのに、無理をさせ続けていたという負い目をも感じてしまった。そして終始そんな状態で心安んじた生活など営めるはずもなく――

 そんな俺たちを見かねたのだろう、義父母ぎふぼが様子を見にきてくれた。そこで明奈の姿を見た義父ちちが『娘は一旦うちに戻ってきたほうがいいだろう』と、一時帰省を勧めてくれた。


進次郎しんじろう君もずいぶんしんどそうや。美桜のことを考えると二人とも家を空ける訳にはいかんやろうけど、今の環境は明奈にとってこくすぎる。子供も身ごもっとるんやし、落ち着くまではうちで養生させたいが、進次郎君はどう思う?』

しんちゃん、ホンマに無理せんといてね。明奈のことは私らがちゃんと見とくから、あんたはまず自分のことをしっかり持ちや。ええね。あんたに倒れられたら皆悲しむよ』

『……お願いします。この環境は今の明奈には辛すぎると思いますし、おっしゃる通り、私はこの家を離れる訳には参りません。落ち着きましたら必ず迎えにあがりますので、それまではどうか明奈のことをよろしくお願いできますでしょうか』


 義父母ぎふぼは俺にもすごく優しくしてくれる、とてもできた人たちだった。作る料理も絶品で、気配りも細やかな二人のこの言葉に悪意など欠片も見当たらない。二人は心の底から俺たちを心配して、気遣ってくれている。それが分かるだけに、俺は感謝の気持ちと同じくらい明奈と美桜をこの手で守ってやれない不甲斐なさに歯ぎしりした。


 ――こうして、この家での一人と一匹――正確にはあと何匹か――の生活が始まった。

 一緒に残ったクロノアのお腹はもうかなり大きく膨らんでいて、明らかに出産が近い兆候が出てきている。こんなことを言ってはいけないのだろうけど、今このタイミングで出産か――俺は一瞬だけそんなことを思い、即座に打ち消した。生まれてくる子や生む母に罪はない。


 俺は明奈と義父母を見送った後、自分の部屋のワーキングチェアに身を投げ出して、平日の昼間から酒に逃避するという、普通なら選択しない行動を取って無為むいに時間を過ごす。


「……ん……誰だ、一体……」


 何も考えられない頭と焦点の定まらない視線でPC画面を見つめていた俺の耳に、階下からインターホンの音が鳴り響いた。俺はまるで意思なきゾンビのようにフラフラと階段を降り、誰がきたのか確認した。画面の中にはどこかで見た覚えのある男の顔が一人、別の男を連れて立っていた。


「昼間に失礼します、○○署から参りました広瀬ひろせと申します。お話をお伺いしたいのですが、今お時間頂戴ちょうだいできませんか」


 広瀬という名前にも聞き覚えがある――玲央れおが亡くなった時に駆けつけた警察の人だった。俺はそのままサンダルをつっかけ、門扉もんぴで応対した。


「突然申し訳ありませんな。あなたとは前に一度顔を合わせとりますが、改めて失礼します。○○署捜査第一課の広瀬と言います。こちら身分証です」

「はあ。本日はどのようなご用件で」

「数日前に、近くの○○川○○橋において発生した田原剛志たはらつよしさんの転落事故について足取りを追っている所です」

「田原……?」

「ああ、確か〝最上天道さいじょうてんどう〟という名で霊能者れいのうしゃおよび動画配信者として活動してらしたとか」

「ああ……はい」


 最上さんの名前が本名でないのは分かっていたが、いきなり聞いたこともない名前を警察に言われると戸惑いと焦りが出てくるのは一体何なんだろう。そして広瀬と名乗った刑事さんは俺の反応を見て、さらに説明と質問を続けてきた。


「○月○日午後○時頃に最寄りの○○駅で田原さんを見たと、情報が上がっとりましてねえ。調べた結果、男性が運転するシルバーの軽自動車に同乗して移動した……という所までは現在判明しとります。それで目撃情報にあった、シルバーの軽自動車をお持ちのお宅に話を聞いて回っておるという訳です。所であなた、田原さんのことをご存知でいらっしゃるようですが」

「ええ、隠すつもりもありませんので正直に申し上げますと、田原さん、でしたか、霊能師れいのうしの最上天道さんは、数日前にこの家までお越しいただきました」

「なるほど。それはお間違いありませんな?」

「はい。名刺も頂いていますので少々ここでお待ちください」


 俺は一旦家の中に戻って彼に頂いた名刺をつかみ、それを広瀬さんに見せる。裏表を繰り返し眺めたあと、それを突き返しながらさらに質問が飛んできた。


「田原さんとはどのようなご関係で。あと、田原さんがこちらにいらした目的など、ぜひともお聞かせいただければ幸いですが」

「ええと、少し話が長くなってしまいますが――」


 俺はそこで、最上さんを知った経緯からこの家で起きたことまでをかいつまんで説明した。その間、広瀬さんだけでなく後ろに控えていた刑事さんもメモを取っている。


「……なるほど、ふむ。そうでしたか。ええとですな、これはあくまで要請なのですがね――今から家の中の捜索にご協力いただくというのは難しいですか」

「それは――家宅捜索かたくそうさく……ということですか?」

「そこまで仰々ぎょうぎょうしいものじゃありませんがね、まあ、田原さんが家にお上がりになったということであれば、何か遺留物なども残っている可能性がございますんでね」

「では後日改めてきていただけませんか。家の中が色々と散らかっておりますので――」

「いや、むしろ我々としては散らかってくれているほうがありがたいですよ。故意でなくとも重要な証拠や手がかりなどが散逸さんいつしてしまう可能性が大いにありますんでね、現場保全もまた大事な捜査の一環でして」


 確かに家には、最上さんがのこしていった荷物がまだ置いてある。彼がリビングで組み立てた祭壇さいだんは片付けて元に戻したが、二階のペット部屋に広げてられたスーツケースは手つかずだ。そこには彼の私服、おはらい道具や身の回りの小物まで乱雑に散らかっていて、片付けようにも手を付けていいものかどうかすら分からず、結局そのままになっていたものだ。あの人が川に飛び込み、おぼれて亡くなったというニュースを聞いて以降、恐ろしくて何も触っていない。

 別に今警察にあがられても困ることなど何一つないが――いや、一つだけ後ろめたいことがあったのを思い出した。彼に手渡した依頼料の前金三十万円が入った茶封筒が部屋にそのまま置いてあったのを見つけた俺は〝彼は依頼を途中で放り投げた=俺の依頼は未達成〟と自分に無理やり言い聞かせ、その茶封筒を〝返して貰っていた〟のだ。

 窃盗せっとうの罪に問われる可能性がある。もしかしたら証拠隠滅いんめつにもなるのかもしれない――俺はそんなことを考えるほど自分の行為に違和感を覚えていた。そこに降って湧いた、警察からの捜査協力の要請に、俺はどうしても素直に首肯しゅこうできなかった。広瀬さんの視線が俺に刺さる。早く返事をしなければと思うと、少しだけ嫌な汗が出てくるのが自分でもわかった。


「……申し訳ありませんが後日お越しいただけると助かります。最上さんは二階のペット用の部屋にご自分の荷物を置いていました。今も当時の状況のまま放ってありますし、そこは何もいじらないように気をつけますので」


 ……これも嘘だ。その部屋の主人はクロノアであり、彼女は今出産を控えて大事な時期だ。それに猫というものは見慣れないものに強い好奇心を示す動物で、案の定最上さんの荷物にもちょっかいをかけていた。それを放置していたが、やはりこれは大問題なんだろうな――

 そんなことを考えながら広瀬さんの目を見る俺は、果たして広瀬さんにどう映っただろう。怪しい人物に見えたのか、それとも――

 そしてその時になって、俺は以前広瀬さんが家にあがりこんできた時のことを思い出した。自分にも彼に聞きたいことが一つあることも、その時になって記憶に蘇ってくる。


「――承知しました。お忙しい中のご協力に感謝致します」

「あの、最後に私からもお伺いしたいことがあるのですが」


 踵を返しかけた広瀬さんに、今度は俺から質問を投げかける。広瀬さんの鋭い視線を受けて俺は一瞬だけたじろいだが、以前気になった疑問を晴らすべく俺は口を開いた。


「何でしょう?」

「さっき広瀬さんが私と前に顔を合わせたとおっしゃっていましたが、その件で質問が。あの時――広瀬さんと火戸さんが話をしていた際、広瀬さんが〝やっぱり〟とおっしゃっていたのがどうしても気になるんです」

「――」

「同じ言葉を、救急隊員が駆けつけた時にも言っていたので、ずっと引っかかっていまして。まるで、この家では以前からそういうことが、何度も発生していた――印象があったんです。広瀬さんにお聞きしたいのは、実際そういうことはあったのでしょうか……と」

「……うーん、難しい質問ですな。一応この話も人には話せない決まりになっとるのですが、そうですか、私はそんなことを口走っとりましたか。ほんで救急隊員も……すみませんがね、詳しいことは何も申し上げられませんが、口を滑らせてもうたお詫びに一点だけ――」


 そう前置きした広瀬さんの口から、今の俺には到底耐えられそうにもない一言が飛び出す。


「――この家じゃあ昔から、男の子が亡くなる事案が発生しとるんですよ。同じ年頃の子が、ほぼ同じ症状でね」


 ~~~~~~~~~~~~~~~~


「……ヒロさんが珍しいですね。捜索の協力をお願いするなんて。普段なら何にも言わんで、許可状請求でしょうに」

「――この件で許可状なんて下りんよ。明確な疎明資料そめいしりょうがある訳でなし、犯行があの家の中で行われたと疑えるだけの可能性を示せるモン、何もないやろ。せやから協力要請なんや」

「えっ――でも、あの男ヒロさんの質問に目が泳いとりましたよ?」

「あの泳ぎ方は精々せいぜい〝現場をいじった〟程度のモンや。まあ、あの場所が関わっとるんなら、田原の件はただの事故でしまいやろな」

「あのヒロさん、言うてる意味が分からんのですけど」

「分からんならそれでええ。好奇心猫を殺すっちゅう言葉あるやろ。知らぬが仏や」

「はあ……あとヒロさん、最後にしとったあの話、ホンマなんですか?」

「ん? ああ、男の子の話か? 事実やで。原因から何からとんと分からんが、起きたことを見るだけやったらホンマの話や。ついでに田原の死因と同じってとこまで」

「えっ、そうやったんですか――そう聞くともはやのろいか何かに聞こえますね」

「ん……まあ、見えるモンだけで判断すりゃそうやな」

「それにしてもヒロさん、あの男には何か優しかったですね。えらい口軽かったし」

「あの男見ると、同情してまうんよ。置かれた環境を考えるとな。ホンマ難儀なんぎなトコやで」

「それでですか、ヒロさん、珍しくさっきの説明でも出しとりましたもんね」

「ん、?」

「はい、だってヒロさん、〝口お詫びに〟て言わはったでしょ。あれって何か〝口止めされとることがある〟って言うたも同然やないですか」

「……そりゃ下手打ったな。最近の俺、モウロクしとるんかね――」

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