八十三日後・夜

 十九時を回った現在、一番騒がしいのはキッチンだった。そこでは、一条いちじょうと同じデザインのエプロンを身に着けた羽金うこんが、一条の指示で動いていた。


「ほれほれ、しっかり練り込まんとちゃんとふくらまんから気張りや」

「んなこと、いっても、腕がっ――」


 現在羽金は豚まんの皮を作らされている。基本はパン生地と一緒なためイースト菌を使って発酵させる工程が入る。羽金の両手とエプロンは白く汚れており、キッチンの周りは床も含め粉が飛び散っている。片付けはどうせ自分がやらされるのだろうと、白金しろがねは今から頭が痛い。

 しかし、白蛟しろみずちとかいう人外ジンガイが今夜自分たちの頭を狙って襲ってくるにしては緊張感に欠けたある意味呑気のんきな作業にも、白金と羽金が文句を挟むことはない。


饅頭まんじゅうはな、大昔に中国で考案された食いもんや。しやけど最初は〝身代わり御供〟の役割を持っとったのは知っとるか?』


 有名な『三国志演義さんごくしえんぎ』で劉備りゅうび亡き後の蜀漢しょくかんの国力増強を図った諸葛亮孔明しょかつりょうこうめいが南征を挙行した時の逸話。帰り道に出った蛮族ばんぞくが川の氾濫はんらんしずめるために人身御供ひとみごくうとして人間の首を生きたままで切り落とす現地の風習を改めさせるために考案したとものと言われているのが饅頭マントウだ。それも肉をふんだんにつかった〝豚まん〟が、伝承の通りのものだと、一条は言った。


饅頭まんじゅう由来ゆらいが、そのまんま白蛟しろみずちの縛りへの対抗策になっとるんや。生きたまま首をスパッと斬り落としてにえにする白蛟しろみずちは、この饅頭まんじゅうには絶対にあらがえん』


 ただ豚まんを作るだけなら効果のほどは見込めないが、今回用意するのは対白蛟しろみずち専用の特製豚まんだった。とある工程を除けば、この一帯でも大人気の〝あの数字三桁の店〟に匹敵する味を誇ると一条は自慢しているが、今回欠かしてはならないのはむしろその〝とある工程〟のほうだった。


『これがなきゃあ白蛟しろみずちが見向きもせん可能性があるからな。大事なこっちゃ』


 白金と羽金は同意の上で、一条の操るナイフによって手のひらに紋様もんようを刻まれ、きずあとから血を採取された。その血を豚まん二個分のあんに練り込み、白金と羽金の血液が混じった豚まんを一つずつ用意する。


うし刻参こくまいりでも藁人形わらにんぎょうのろいたい相手の髪の毛や爪を埋め込むっちゅう話あるやん。それとまったく一緒で、一番確実に効果があるんは〝血肉を新たに生み出す子種と卵〟なんやけど、それが嫌だっちゅうからしゃーなしにその次に効果が強い血を貰ったんよ』


 結局二人は子種を出していない。一条の口からその話が出た際、秒で強硬に拒否をしたが、一条もずいぶんゴネたのにも関わらずこの一件で白金と羽金が譲ることはなかったのだった。その白金と羽金は今説明を受けて頭では理解したが、たとえこれを事前に説明されていた所で〝子種を素直に提供していたか〟と問われると断じて否だった。要するに一条は他人の心情を勘定に入れないし、興味がないのだった。


「……ついにこのメッセージか」

「ああ、この次が届いた時が、白蛟しろみずちとご対面の時やな。今からワクワクすんで」

「いや、ワクワクしとんのはあんただけやろ一条さん」

「――ふっ」


 そして今、〝もうきました〟のメッセージが白金と羽金のスマートフォンに届いた。時間は十九時十九分、時間と分がそれぞれ素数のゾロ目という法則に従えば次の受信予定は二十三時二十三分で、それで最後の受信になる。一条は拳で手のひらをパチンと鳴らしながらニヤリと笑ったが、それを受けた白金の冷静なツッコミが意外にシュールでツボに入った羽金だった。


 そんな白金は白金で別途一条の指示を受け、テレビをけてBGMの代わりに適当な番組を流しながらリビングの片付けを進めている。羽金は一条にあれやこれやと文句を言われながら豚まんのあんを皮で包んでいる。他よりも一回り大きな二つだけ他のものと混ざらないように置いてある以外はよく見る豚まんを作って蒸籠せいろに並べている。ここから二次発酵をさせた後、蒸し上げれば完成で、最後のメッセージが届く時間にはその他の準備も含めてすべて滞りなく終わっている手はずになっていた。


「ふう……こっちは大体終わった。んじゃあ、あんたらもはようシャワー浴びて体を清めえ。体の汚れは心の汚れやで、けがれがついとると気づかれるかもしれんから念入りに洗えよ」


 二人が体を洗っている間、一条は家具を壁にすべて寄せて広くなったリビングのフロア上にブルーシートを敷き、その上にベニヤ合板を乗せる。さらにその上に自分で持ってきた大きな半紙を敷いて四隅を画鋲で留め、黒墨と朱墨で紋様もんようを描いていった。〝確かこうやったかな〟〝これでええやろ多分〟などとつぶやきながら作業を進めていたのを横で聞いていた白金は本当に大丈夫だろうなと今さらながらに不安を覚えたが、ここまできたらと腹をくくる。


「――よし。図面はこれで完成や。あとは――」


 一条はフローリングに広げられた幾何学きかがく図面――オカルト方面ではよく見かける魔法陣にも似ているがそれとも異なる――の四隅に蝋燭ろうそくを置いて、蝋燭ろうそくを突き立てた。図面の四辺に四獣しじゅう――朱雀すざく青龍せいりゅう白虎びゃっこ玄武げんぶ――の小さな置物を、中央に麒麟きりんの置物を置く。その隣に白金と羽金の血を練り込んだ豚まんを皿に乗せて配置した後は、冷やした酒をますいで口に含み、ぷうっと図面全体に噴き散らして、同じことを白金と羽金も繰り返す。

 それから、白金と羽金には判読不可能な、それでいて達筆であることが容易に分かる文字が書かれた札紙が渡された。


「ええか、間違うなよ。合図を出したらそれを額に貼っつけて目を閉じ、何が聞こえても絶対目を開けんな。息はしてもええが咳き込んだりくしゃみを飛ばすのは厳禁やぞ、分かったか。そして声は何があっても出したらあかん。これも厳守や。忘れんな」


 ここにきて白金は、一条の表情と目からいつもと違う空気を感じ取り、唾をごくりと飲んで首肯しゅこうを返した。羽金にも緊張が伝わったようで、何も言わずうなずいた後、札紙を見つめている。

 その後も細かい位置調整や確認作業を重ねた一条だったが、やがてふうと大きく息をつき、額の汗を拭って、リビングの端に寄せたソファに座る白金と羽金の前にどっかと腰を下ろし、一升瓶に入った酒をますいで飲み始めた。


「これでお出迎えの準備は完了や。あとは時間がくるのを待つだけやな。さあいつでも来い、白蛟しろみずち。くるのはええがただじゃ帰さんで」


 現在時刻は二十二時三十分。〝来客〟まであと一時間を切っている。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 ――二十三時二十三分。

 怪異は突然襲ってはこなかった。

 緊張の糸を切らさず、些細ささいな異変も見逃さない姿勢で構える一条とその後ろに控える白金に羽金の鼓膜を電子音が震わせる。一条は視線を動かすことなく『内容は?』とだけ問うた。


「……〝いたたきます〟やな」


 白金が一条の予想にたがわない答えを返す。しかし羽金は画面を凝視したまま、何も答えずに固まっていた。白金はその様子を見て怪訝けげんそうに声をかけた。


「おい伊知朗、どうしたんや」

「い、いや……俺は……違うメッセージがきた」

「何やて? ちょ、見してみい」


 一条のいぶかしげな声とともに、手が後ろに回る。やはり視線は自分の眼前に広げられた図面、そしてその先にある玄関の扉に集中していた。羽金はスマホを彼女に手渡し、別の手につかんだ札紙に視線を落とした。その札紙はかすかに震えている。


「……なるほど、〝けふいらない〟か。あんたはもう必要ないちゅうことやろな。これでまた一つ、確定できたやないか。一度に始末できるんは一人だけやと。これが力の限界なんやろ」

「んじゃあ、俺はとりあえずもう――」

「いんや、やることは変わらんぞ。人間風情が人外ジンガイを目の当たりにしたらな、下手をせんでも発狂してまう可能性が大や。今からどこぞに逃げられる訳でもなし、そこにおり」


 スマホを返しつつ指示を出す一条の言葉を受け、羽金は改めて小刻みに震える札紙を見る。ここにきて白金にも緊張と一緒に恐怖が訪れてきており、背筋に冷たいものが走っていた。


「――くる! あんたら、札を額に貼って目をつぶれ! ええか、何があっても声とか咳とか出すなよ! 出したらその瞬間死ぬと思え!」


 張り詰めた空気を切り裂くように放たれた一条の声。その瞬間、部屋の電気が激しく明滅を始め、エアコンの影響ではない冷気が床を伝って一同にい寄ってきた。白金と羽金は札紙を額に貼り付け、目と口をきつく閉じて合掌し、寒さと恐怖と緊張で震えながら俯いた。


 ズルッ……ザリッ……ズルッ……


 何かを引きずったような音が聞こえてくる。部屋の空気は尋常でない冷たさを帯び、寒気や怖気おぞけが全身を襲った。

 しかし、リビングの中央にある図面の四隅に立てられた蝋燭ろうそくは揺らがない。その周りだけは何ごともなかったように、炎は静かに立っていた。


「っち、こいつ……ええか、あんたら。ウチの言葉絶対守れよ。何があっても――」


 極度の緊張をはらんだ低い声が白金と羽金の耳に届くが、当然返答などしない。今の一条に他のことを気にしていられる余裕はなく、目の前で起きている怪異に意識を集中させていた。


「――カダ」


 一条の声がポツリと聞こえてくる。それまでも何かを口の中でつぶやいていたが、それは空気を震わせるには足りない音量だった。その刹那せつな、風もないのに部屋のカーテンが激しく揺れて、床に立てた蝋燭ろうそくが四本とも同時に消えると同時に、部屋の電気もすべて消えた。その間怪音は響き続け、だんだん近づいてきていることも感じられる。


「……ヒ」


 突然、誰かが声をあげた。白金でも、羽金でも、一条の声でもない。喉が潰れたかのように引きつった声だった。そしてそれは今、床に広げられた図面を挟んで一条と対峙している。


「……ヒヒ、ヒヒヒヒヒ」

「おう白蛟しろみずち、頭ならそこにある。遠慮せずい。あんたのために念入りに準備したんやから、美味かったらそのまま帰り」


 言葉はいつもの一条のようでも、その声色はいつもと完全に異なっていると白金は気づく。あの一条から余裕がなくなっている。緊張を隠して虚勢きょせいを張っている。弱みを見せまいとして必死に取りつくろっている――白金はそんな印象を受けた。


 目をきつく閉じ、息も漏らさぬ勢いで祈るようなポーズを取り続けている二人の首筋に突然冷たい何かが当てられた気がした。それは触れたものを瞬時に凍てつかせる刃にも感じられ、白金は思わず『ひっ』と口にしかけて、すんでの所で何とか踏みとどまった。その後も気配は二人の周囲をズルリズルリとい回り、品定めでもしているか、処刑を執行するタイミングを見計らっているような素振りで動き回っている。二人には当然見えていないが、彼らの全身は誰にも分かるようにガタガタと震えていて、噛み合わない歯の根の音を漏らさないよう必死に踏ん張るだけでも気力を根こそぎ持っていかれるような恐怖に心と魂とを揺さぶられていた。汗とも涙とも、よだれとも鼻水ともつかない体液が白金と羽金の鼻っ柱や顎先から垂れ落ち、彼らの太ももに染みを作る。それでも動いてはならない、目を開けてはならない。ましてや、口を開くなど言語道断ごんごどうだん。警察官と検察官という職業にいて修羅場をくぐり抜けてきた男すら耐えられない戦慄せんりつと緊張が、部屋を支配する恐怖の気配と絶望の冷気に込められていた。


「……おい、白金、羽金。もうコイツはウチが押さえた。目を開けても大丈夫やで」


 二人の前から一条の声が聞こえてくる。刹那せつな、突き刺すような気配がだんだんと薄らいでいくのが二人にも感じられた。白金は緊張を解して目を開けかけ――強烈な違和感に襲われた。


……?)


 その考えに至った白金は、別の違和感にも気づく。


(今の一条の声……やけに耳の近くから聞こえてきた気がする――)


 これは罠だ――白金はそう結論付けた。そうと分かれば彼に迷いはもうなく、目と口を固く閉じて意識を保つことに集中する。


(た、頼むぞ伊知朗イチロー……こいつは罠だとお前も気づいてくれよ)


 危うい均衡が保たれてどれほどの時間が経ったのか白金には分からない。数時間のようにも思えるし、まだ数分しか経っていないようにも感じられる。今の彼が確実に分かるのは、まだ怪異は諦めずにそこに〝る〟ということだけだった。


「いつまで固まっとんねん、。もう大丈夫やから、さっさと目え開け」

「――――」


 羽金も気づいている……白金はそう確信し、希望の光を自分の内に見出した。そして彼にも分かったのだ――この状態を保ち続けるかぎり、白蛟しろみずちは彼らに触れられないのだ、と。

 だからこの人外ジンガイは彼らの目を開かせる。口を開かせようとする。意思を交わそうとする――そこが繋がってしまえば、一条が用意してくれたものなどひとたまりもなく消し飛び、彼らの頭が刈り取られていくのだろう……白金は絶対にそんなことはさせまいと必死に踏ん張った。


「キ――キキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキリキルキリクリグリキリギリキイイキキキキキルキルキルキル……!」


 突如、鼓膜が張り裂けそうな金切り声が部屋中に響き渡る。そして部屋中にありえないほどまぶしく禍々まがまがしい光が満ちあふれた。それはオレンジ色の何かで、激しく点滅していた。


「――クロウ……ユワウ……タテマツル……」


 数瞬をおいて発せられた聞き覚えのある文言もんごん。それはあの神社で聞いた言葉のりとであり、白蛟しろみずちを動かす言葉のろいであり、のものが力の源とする言葉しばりだった。


「クロウゆワウタテマつル、クロうユワウタてマツる、テきくロウいシユわうニえタテまツルクロうユわウタテマつるクロうユワクろウクロロろロユゆユユたテマつまツマツテてテくロうユユゆゆユユユゆユユクロロロろてテテてテツつつツツつツツ」


 さらに、〝それ〟はおぞましい声を発し続けた。それは腹の底にずしりと響くような低音で、さながら危険を知らせるサイレンのようだった。


「アたマアたまあたまあタまあたたたタタああアあああアアまたマたあアあたまマまたたまたアタマアたアアあマタタたたマまマままアアアアあアアアアあアああ――」

「――時間や。はよ食え。食ったら帰れ!」



 その叫び声の直後、聞き慣れた声とともに、玲瓏れいろう柏手かしわでの音が部屋に響き渡った。その音とともに禍々まがまがしい気配が文字通り雲散霧消うんさんむしょうする感覚を、白金は肌で感じ取っていた。


「――よう頑張ったな、パンチ、メガネ。あんたらの肝、たいしたわりっぷりやったで」


 頭上からそんな声がかけられると同時に、なお固まって震えている二人の額から札紙ふだがみが雑に引きがされる。それから背中を強く叩かれ、白金はようやくそこで目を開けた。


「――ッブハアッ、ハアッ、ハアアッ――」


 恐怖と緊張のあまり呼吸すらまともにできていなかった白金は、重圧から解放された反動で大量の酸素を求めてあえいだ。彼らの前には一条が腕組みをして仁王立におうだちしている。安堵あんどした笑顔で、一条は額や首筋を流れる汗を拭った。


「先に謝っとく。すまんかった。ウチの見込み違いやった。アイツは――手に負えん」

「……えっ。で、でも一条さん、ちゃ、ちゃんとアレを追い返したんじゃ」


 肩を激しく揺らしながら息をする白金が眉をひそめて問いかけるが、一条はただゆっくりと頭を振っただけだった。


「ど、どういうことや一条さん。あんたでも手に負えんて、じゃあどうして俺たちは――」

「時間切れや。今はもう日が変わっとる。粘り勝ちってとこやな、あんたらの」

「時間……切れ」


 白金は傍らに放り投げてあったスマホを見る。今は零時れいじ三分……確かに日が変わっていた。


「せ、せやけど一条さん」

「ちゃうねん。ウチがアイツの姿を見た時、こらアカンと直観した。正直、あんたらの安全を護れる状態じゃなかったんや。自分の身を護るんで精一杯でな。しやから謝っとる」

「――あんたでも手に負えんその白蛟しろみずちて、一体どんな存在なんや」

「きちんと説明したる。しやけどその前に――」


 そう言いながら一条はおもむろに羽金の前に立ち、彼の顔を下から覗き込むように屈んで、くつくつと忍び笑いを漏らした。


「――気絶しとるメガネを介抱したらなアカンわ。こいつ、恐怖のあまりトンどるで」


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 落ちていたブレーカーを直して電気を入れ、部屋を見渡す。そこまで劇的に変わったという所はなかったが、ろうそくが四本とも倒れ、豚まんが一つ消えていた。


「白金の血を練り込んだ豚まんは持っていかれたわ。羽金のんは白蛟しろみずちの宣言どおり、今日は要らんいうことやろ」

「……いや、何なんやアレ。めっちゃ怖かった……俺いつのまにオチとったんや……」

「伊知朗、オチとって正解やったかもしれんぞ。あいつ、俺らを罠にハメようとしたからな」

「わ、罠?」

「ああ、一条の声真似で俺らの目を開かせようとしとった。俺は嘘に気づいたからよかったが伊知朗が気づくかどうかは分からんかったからな」

「…もしかしたら目を開いとったかもしれんな、俺」

「なるほどな。やたら静かやなあと思たら白蛟しろみずち、んなことしよったんか。小賢しいやっちゃ」


 一条は冷蔵庫から冷酒を取って一気飲みしている。


「んで、説明やったな。先ずもっぺん謝らせてくれ。ウチの見込み違いやった。アレはウチの手に負えるようなモンちゃうかった。何せ、めちゃくちゃに怒り狂っとってもうどうしようもなかったからの。ホンマにすまんかった」

「怒り狂って?」

「ああ。アイツの姿を見た時に実感した、こいつは何も見えとらんとな。怒り狂って話なんぞできる状態でもなかった。正直あんたらを護る余裕なんぞ、これっぽっちもなかったんや」

「……」

「豚まんは用意したけれどもやな、やっぱ血じゃ完全にだましきれんかった。食いつこうとした瞬間に動きが止まって、豚まんをじいっと見た後、部屋んなかをキョロキョロし始めたから、バレてはいないやろうけど疑われたんは間違いない」

「バレてはいないってどうして分かるんや」

「最終的に持っていったからや。ニセモンやとバレとったら見向きもされんよ。それよりも、ホンマにあんたらよう堪えたわ。正直死んだ思たからな」

「……」

「ウチには白蛟しろみずちの声は聞こえんかったから、あんたらの意識に直接語りかけたんやろ。しかしパンチ、どうやって嘘を見破ったんや」

「それだよ一条さん。俺がナンボ言うても止めへんかった〝パンチ〟呼びや。あいつは俺らを〝白金〟〝羽金〟と呼んだからな。それでおかしいと気づけた」

「……俺はそんな言葉、聞こえとらんかったわ――」


 白金の横で心なしか小さくなっている羽金がボソっとつぶやく。しかしそれが結果的に彼の命を救った形になったと思っている白金は、黙って彼の背中をポンポンと叩く。


「んで、怒り狂っとったって、そんなにヤバかったんか」

「ああ……あの姿は形容しようがない。説明するとは言うたが、あんたらに説明がしたくともどうあんたらに伝えりゃええのかちっとも分からんのや。何にせよ今日の所は何とかあいつの襲撃を乗り切った。まだ油断はでけんが、少なくとも白金は大丈夫やろ」


 羽金の対策はまた改めて考えるが、今は対象から外れているとみていいと説明を受けた当の本人の顔はすぐれない。まだ完全に解放されたかどうかは分からないのだ。


「俺が大丈夫て、一条さん。何でそんなことが言えるんや。またくるかもしれへんやろ」

「いんや。あんたは多分もう〝相剋そうこくした〟ことになっとるわ。その証拠にな――」


 そう言いながら一条はアクセサリがたくさんくっついたスマホを取り出して白金に見せる。そこに映し出されたものを見て白金は目を大きく見開き、一条の顔を凝視した。


「――ああ、ウチにも、きたんよ。地獄への招待状がの」


 つきいきます


「な、何で、一条さんが〝生贄いけにえ〟に選ばれ――ま、まさか一条さん、あんた、名前が――」

「おっとパンチ、そこまでや。それ以上は詮索せんさくすな」


 言葉を紡ぎ出そうとする白金を右手で制し、一条はニッコリと笑いながら言葉を続ける。


「――女とバケモンは、秘密があればあるほど強いモンでな、それがバレたらしまいなんや。そんな野暮天ヤボテンゴメンやで?」

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