影と闇の術師1
@miharuka
第1話
もう決めたこと。
ずっと自分に言い続けたのに、揺らいでしまった。
あの人に会ってから、私の意思と行動が大きく変わった。
*
雲がない空を少女は眺めていた。周りでは少女と同じ年の子供や少し離れた年の子供たちが遊んでいた。そんなとき職員がある子供を連れてきた。
「みんな。ちょっと集まってください。」
職員が周りにいた子供たちに呼びかけるとすぐに集まってきたが、少女だけは聞いていなかったかのように空を眺めていた。
少女が集まっていないことを別の先生が見つけた。
「凪ちゃん。みんな集まっているから、こっちにおいで。」
「……はい。」
先生に言われると少女、凪は素直に従った。
この子は玖條 凪。彼女の両親はすでに死去している。父親は凪が生まれた次の年に病で亡くなり、母親は凪が四歳になったときに夫のあとを追うかのように亡くなった。凪には頼る親戚がおらず、母親が生前に雇っていた家庭教師である硬がこの施設に凪を連れてきた。硬は週に一回に凪に何かの指導をしているが、何をしているか施設側は知らない。指導があるたびに凪は怪我をして帰ってくることが多いため、硬を警戒している。
「今日からここで過ごすことになった陰城 恭君です。」
凪は恭の名前を聞くと、その場を逃げるように離れ部屋に戻った。凪がその場を離れるのを恭は見逃さなかった。
「先生。あの。」
「何? どうかした?」
「さっきまでいた子。右手に包帯を巻いていた子はどこに行ったのですか?」
「ああ、凪ちゃんね。あの子いつもはここにいるのに今日は変ね。多分部屋に戻ったのでしょうね。そこが恭君の部屋にもなるから。」
ここは児童養護施設。施設で生活する子供たちは虐待や死亡などによる理由で家庭での養育できなくなった子たちが生活する場である。
恭は両親の仕事都合により一時的にここで生活することになった。
その後、恭は職員に指定された部屋に向かっていた。
一方、凪は部屋に戻っては、この施設に来た時から飼っているまだ雛である梟の毛づくろいをしながら考えていた。
(陰城って、まさか。あの一家の?だよね。どうしよう。わかったら、絶対に黙っていられないはず。硬に知らせないといけないかな?)
膝にいた梟のキリも凪がいつもと違うことに気付いては心配そうに見た。そのときドアからノックが聞こえた。
「! はい。」
「陰城です。入って大丈夫?」
「…はい。」
凪は一瞬迷ったが恭を部屋に入れた。前から職員から同室になることを聞いていたため仕方なかった。
「今日からよろしく。しばらく一緒になった陰城 恭です。君の名前は?」
「……クジョウ ナギです。この子はキリ。」
「! よろしく。梟可愛いね。僕も持っているんだ。ここは入れても大丈夫かな?」
「多分、私もこの施設で飼っているから大丈夫だと思います。」
「そっか、よかった。」
恭は開いている窓から指笛を鳴らすと、キリより大きい梟が入ってきた。
「こいつはカゲ。キリちゃんよりは少し大きいけど大丈夫かな?」
「どうでしょう。キリ。どう?」
ベッドで不安定そうに座るキリを抱き上げて、カゲに近づけると怖がる様子もなかった。
恭が持ってきた荷物を整理しているときにカゲを凪が見ていた。
「どうしてこの施設に来たのですか?」
「…なんでそれを聞くの?」
「わかっているでしょうに。私がキリを持っている段階で術師であることを。」
「そうだね。それより、なんで敬語なの?」
「? 階級に差があるからです。私は中級階級の者ですから。当たり前のことです。」
「え?本当に?」
「…はい。」
恭は凪が言った階級について耳を疑った。
術師とは『影』を術に変えてそれを自在に操れる使役術を扱える者をいう。階級というのは血族、功績、術の力によって決められる。最上階級である著名、上級、中級、下級という四つに厳しく分けられている。特に著名は全ての階級が了承しなければ得ることが不可能で稀な階級である。著名階級になれると議院という術師たちが形成した裏社会、言い換えると『術師社会』を統括している機関である。
著名階級になれると総帥として議院を統括する権利が与えられる。現在著名階級である
一家は二つしかいない。
恭が階級について驚き聞き直したことを凪には何に驚いているかを分かっていないようであった。
「なにか?」
「あ、いや。僕は別に階級にこだわっていないから敬語で話さなくてもいいよ。あと様で呼ばれるのも本当は嫌だから呼び捨てでいよ。」
恭からの頼みで凪は少し困惑しながら言った。
「わかった。それより、さっきの質問に答えてくれるかな?恭。」
「ああ、実は四年前に陰城と同じ階級である一家の子供の死亡が確認できなくて生存していることを視野に陰城を中心に捜査することになったんだ。家にいてもよかったけど、万が一のことがあってはいけないからって父さんが一般の施設に預けることにしたんだ。」
「へー、捜査に時間はかかるの?」
「うん、議院も初めて知ってから大掛かりにやるみたい。」
「……見つかるといいね。」
「うん。凪は何か知らない?お父さんとかから聞いていない?」
「……何も、母さんはあまり言わない人だから。一言言ってくれたらよかったのに。」
「え? 初めて知ったの?」
「…うん。でも詳しいことを話してくれなかった。」
「そうなんだ。なんか父さんも母さんも必死になって探しているみたい。」
「そう。」
なぜか凪は視線が恭とは合わせず床を見ていた。
話しが一段落すると、恭は凪の机の上にある古い本に目を向けた。
「これって、まさか掟の本?」
「うん。そうだよ。もう何回も読んでいるから全部覚えた。」
「え? 全部? すごい。僕は全然覚えていないよ。」
「あはは。著名階級だと忙しいからかな。私はもう暇だったからそればっかり読んでいた。」
「そう。まあ、いつも何がしら予定が入っていて覚える暇も確かになかったなあ。たまに読んでもいいかな?」
「いいよ。ただ年代物だから紙がボロボロになっていると思うから気を付けてページめくってね。」
「そうだね。家にあるのより古いかも。よく残っていたな。」
「本当。最近新しくしたのがあるって聞いたけど、母さんがこっちの方が基盤となっているから読みなさいって言われて買ってもらえなかった。」
「そうかもしれない。家に帰るまで覚えたら、父さん驚くかも。そうだ。凪も掟破りを裁いている?」
掟破りとは術師社会では憲法のような役割を持っている規律や制限が細かく定まっている総称を掟という。その掟を破り表社会で犯罪を起こしている者を掟破りと昔から呼んでいる。掟破りは見つけ次第未成年であっても戦えるようであれば、その場で裁くことができる。
「うん。まあ見つけたらやっているよ。町とかでもよく見かけているから。日ごろから武器も持って行っているから。」
「武器ってどんなの? 日ごろから持っていけられる物ってあまり聞いたことがないよ。」
「これよ。なんでも私の一家の者しか使えないって母さんが言っていた。スペルを唱えると呪縛が解けて鎌になるの。」
凪は腰のベルトについていた小さいバッグから二十センチぐらいの黒い鉄製の棒を取り出した。
「へー、初めて見た。結構古い。」
「聞いた話では術師専門の武器づくりの職人が一家専用に作ってくれたみたい。もう亡くなった職人さんだけど。」
「かなりいいね。僕が持っているのは剣だけど、まだ慣れていない。」
「毎日触っていくと慣れていくよ。私もそうだったし。」
「なんだか、凪のほうが先輩って感じだなあ。」
「なにそれ。年齢じゃあ恭のほうが上だよ。」
「あ、そっか。」
凪が笑って言うと恭も釣られて笑った。
(久しぶりかも、こんな風に誰かと気軽に話して笑うなんて。)
恭は凪と話すたびに思った。著名階級であり父・彰の長男で跡取りであることから周りからは常に総帥の座だけを狙われているような中で生活していた。そのため信頼できる友達すらも持てなかった。凪と話すとそんなことを忘れてしまっていた。
初日から二人は時間を忘れて話すこともあり、常に一緒に行動していた。
*
数か月後。
昼ごろに凪が児童相談所の人に呼び出された。去年から凪は里親になる夫婦と交流と引き合わせをしており、交流期間を先月で終えていた。今回はその里親への委託が決定されたことを知らされた。委託されるのは二週間後と決まった。
このときまで凪は恭に両親が死亡していることを黙っていた。
(委託が決まったか。まあ、ちょうどいい。今回の調査は議院にとってはやかましいのようなことだったし。恭には悪いけど、仕方ない。)
凪はキリを撫でながら考えを巡らしていた。
*
次の日、凪は硬の指導で出かけていたときに恭に電話があった。
「もしもし?」
『あ、恭?久しぶり。元気?』
電話を掛けたのは母・茜であった。月一に電話を掛けることを施設に預けられる前から決めていた。
「うん。なんとか。」
『そう、よかった。実は調査がひと段落したから三日後には迎えに行けるから。』
「! 分かった。施設には?」
『昨日のうちに伝えたから大丈夫よ。早く荷造りしてね。』
「うん。じゃあ三日後。」
電話を受話器に戻すと、恭はため息を吐いた。
(早かったなあ。でもいい機会かもしれない。帰ったら、父さんたちに話そう。)
凪と過ごして恭は引っかかることが多かった。凪は比較的に大人しく嘘は言えない子であることは過ごしながら感じていた。しかし、何かを言いたいような表情や言葉が詰まるようなことがあった。
夕食時、凪はいつものように怪我を負って帰ってきた。指導の時はいつもこうだと本人は言っていた。恭もしているから言わないが、知らない人から見ると驚く。
「みなさん、ちょっと注目してください。実は陰城君が明々後日に自宅に帰ることになりました。」
職員が食堂にいた子供たちに恭が帰ることを伝えた。凪も初めて知った。
(そういえば、調査が一段落したって硬が言っていたなあ。恭も帰ることも予測できたけど。
…こうなるんだね。やっぱり。)
向かいにいる恭を見て凪は思った。自分とは違うのだと。
部屋に戻った後、キリとカゲに餌を与えていたとき恭は横で荷造りをしていた。凪は別に恭が帰ることを先に教えてくれなかったことを責めなかった。しかし、反対に寂しい感情が襲ってきた。
「ごめんね。凪。」
「何が?」
「家に帰ることを先に伝えられなくて、実は凪が指導に行っているときに母さんから連絡があって。言おうか迷っていた。」
「いいよ。気にしないで。ただ…。」
「?」
「……寂しくなるなあ。キリもカゲに慣れてきたのに。」
「そうだね。凪はいつまでここにいるの?」
「…わかんない。でもそろそろかもしれない。」
「そっか。」
恭も凪と同じようなことを思っていた。いままで友人を持てなかった彼にとってはこの数か月はとても幸せな時間であって、もしかしたら唯一気を許した時間であった。
凪もそうであったことには変わりない。
あと残された時間。あまり言葉は交わさなかったが、そばにいた。
*
三日後。
施設の門にはリムジンが止まっていた。
「恭! 来たよ。」
「うん。」
茜の呼びかけに答えながら、横にいる凪を見た。凪は必死に泣くのを堪えているように茶色い瞳に涙をためていた。
「凪。手を出して。」
「え? うん。」
恭はズボンのポケットに手を入れては凪の手のひらにシンプルなデザインのペンダントを乗せた。
「! 恭。これ。」
「あげる。」
もう泣きそうな声で凪は答えたときは凪に耳打ちをした。恭は車に乗り込んで行ってしまった。
車が見えなくなるまで、凪はその場に崩れ落ちるように座り込んだ。声を押し殺すかのように泣いた。
(もう、忘れてくれてもいいのに。恭。)
*
恭が帰ったそのあとの夜。凪はあるところに電話した。
「もしもし。夜分すいません。硬を出してもらってもいいでしょうか?」
『その硬ですが。なんだよ。凪。こんな夜中に。』
「調査のこと。詳しく聞いていなかったから。あと今日の昼頃に恭様が自宅に戻ったの。
だから…ばれるかもしれない。」
『ああ、そうかもな。ていうか。葵様は知らせなかったもんな。陰城にも議院にも。』
「でも、この四年間は騙せたけど。ここまでは母さんは予測できなかったかもしれない。」
『だな。まさかだけど、俺も驚いている。いくらそこの施設が術師社会から近くても著名名家の跡取りを預けるわけないと思ったのに預けるとは。』
「彰様が決めたみたい。万が一のことがあってはいけないからって仰っていたみたい。
何があったの?」
『うーん。実は凪がガキだった時に陰城が所有する別荘で火事が起こってな。原因は不明だ。
もしかしたらそれかもしれない。とにかくどうする?』
「それだけど、一昨日に特別養子縁組の委託が決まったの。確か東京に本社を構える財閥だって聞いた。でも。」
『黙ってはいられないだろう。陰城は。特にお前が著名階級である玖條家の、薫様と葵様の娘であることが術師社会に知られてしまったら。』
「わかっている。だからこうして電話しているんじゃない。恭様は絶対に彰様や茜様に伝えるとしたら…こっちの旨を伝えないといけなくなる。」
『……だとしても。凪。』
「? 何。」
硬は電話越しであったが、ため息を吐いてこういった。
『これはずっと言いたくなかったけど。もう限界なんだよ。お前を守るにも俺一人だと。いつも周りから目を盗んでここにきてお前の指導をしたり、情報を握っては伝えることも俺一人だと限界がある。なあ、もう全てこっちに任せて戻らねえか? お前が苦しむことはあの方たちも望んではいないはずだ。』
「………だめ。アイツのことは私が始末する。これは一家の問題よ。たとえ何がどうであろうとでも、母さんも父さんも為せれなかったことは生き残りである私がする。もう決めたから。」
凪は硬の言っていることの全ては分かっている。しかし、凪には未だにぬぐいきれない。アイツとは葵がわざと娘である凪を行方不明扱いにしたのはこれが一番大きい理由である。アイツとは表向きには玖條家の者であるが、実は玖條家の者ではない男。
凪は未だにアイツに対する憎しみがあるのは一家を滅ぼしたことへの恨みでもあった。
「アイツは、保の始末は私がつける。他の人を巻き込むわけにはいかない。これだけは譲るつもりはない。」
本当は誰かに頼みたいことを凪はなぜか頼まず、自分でけりをつけようとしていた。
『はあー。分かった。本当にそういうところは葵様似だな。薫様はどうだったかはあまり聞いたことはないが。次の指導の日までに彰様方への手紙を書いておけ。届けるから。』
「ありがとう。」
硬の言葉に凪は少しだけ救われたような気持になった。その日から手紙をどう書くかを考えていた。とにかく自分の意思を率直に書いた。
*
とある場所。
そこでは凪は憎んでいる男、保が部下である少年、愁の報告を聞いていた。
「何? 凪が一般人の養女になる?」
「はい。それを掴んだのは数日前でしたが、相談所が委託を可決したそうです。」
「ほお。で、どこに。」
「東京に本社をかまえている財閥です。何でも子宝に恵まれなかったそうでずいぶん前から斡旋を待っていたそうです。」
「それで凪が、陰城とかの動きは。」
「今のところは何も見受けられません。」
「ならこのまましばらくは様子見だ。だが、議院より早くこっちに連れて来よう。」
「はい。」
*
恭が家に帰ってから凪のことを彰と茜に話すべきかをずっと考え込んでいた。
そんな時に茜が来た。
「恭。お茶の準備ができたから降りていらっしゃい。」
「うん。」
(やっぱり話そう。凪のこと。)
そう思いながら居間に向かった。
久しぶりに飲む紅茶を堪能しながら、二人に話すタイミングを探していたとき彰が口を開いた。
「そういえば、昨日恭を見送っていた女の子だが。あの子の肩に乗っていた梟は普通のではないなあ。中級階級以上の者が持てるものだったなあ。」
「私も引っかかっていたの。それに右手に包帯していたし、なんか…葵ちゃんに似ているように見えた。」
茜がいう葵とはかつて同じ著名階級であった親友の名である。時折、思い出したように恭に昔話をすることがある。恭は思い切って二人に凪の名前を教えると二人は驚いた。
「ちょっと待て。もしかしたらその子だ! 薫の子供は。玖條って名乗ったんだろう?」
「うん。確か武器を見せてもらったとき一家の者しか使えない鎌だって言っていた。」
「玖條の者しか使えない鎌。右手の包帯はもしかしたら闇の刻印を隠すためだとすると玖條家の者であることの条件はすべてそろうわ。はあー。灯台下暗しだったのね。まさか術師社会に近い施設にいたなんて。なんで気づかなかったのかしら。」
茜は凪が言っていたことをまとめて言うとこれまでの調査の無駄を嘆いた。
「とにかく凪ちゃんを施設からこっちに引き取ろう。」
彰はすぐに玖條 薫の子供である凪の生存を正式に発表した。凪が術師社会に戻ってきたときはどうするか、次の議会を開き話し合うことにした。
*
凪の生存が術師社会に広まった翌日に一人の術師が陰城家を訪れた。
「何用ですか?」
「捜査機関に属している硬という者です。彰様と茜様に玖條の当主から手紙を預かっているとお伝えください。」
「! 分かりました。どうぞ。」
対応した執事は玖條の名を聞くと硬を中に入れ、彰と茜に伝えた。
硬は居間に通され待っていたが、すぐに二人は来た。
「お前が硬か?」
「はい。捜査機関に属しており、これまで隠しておりましたが凪様の家庭教師をしております。いままで凪様と葵様から口止めされておりまして公には捜査官として動いておりました。」
「そう。ところで、凪ちゃんから私たちに手紙を預かっているって本当?」
茜が聞くと硬はうなずき、持っていたカバンの中から一つの封筒を出し彰に渡した。
宛先を見ると陰城家当主になっており差出人には『玖條 凪』と書いてあった。
『 陰城家 当主へ。
初めに捜査機関に属している硬を通じてお渡しすることになり申し訳ありません。貴方様の安全を考慮したうえでこのような形になりました。
ご察しのとおり私はかつて貴方の友人であった玖條 薫と葵の娘・凪です。まず、私が施設にいたのは葵がそのようにしたのです。理由はというとご存じであると思いますが、
保です。
玖條が著名階級である権限と階級までを捨てて術師社会を去ったのは保をすぐに始末できなかった代償を負うためです。母はいつも保のことを話すと始末できなかったことを後悔していました。
奴がいなければ、おそらく私も術師社会で著名階級の者として一族の後見を頼りにいたかもしれません。しかし、もう事は起きてしまった。未だに私は奴への恨みを抱いております。
玖條を滅ばすような事件を起こした奴を野放しはできませんし、何より一家の問題を他の一家が、術師社会に任せるようなことはしたくありません。
ですから、この問題は私に任せてくれませんか?
この四年間、術師社会を離れてから奴の狙いが徐々に分かってきました。被害を出さないためにもどうか陰城の当主である貴方様から説得をお願いします。
玖條 凪』
手紙を読み終えると彰はため息をついてはすぐに茜に渡した。
「凪ちゃんは今いくつになった?」
「八歳です。少し生意気なところがありますが、葵様の意思をしっかり引き継いでいるところではしっかりしております。」
「そうか。」
彰は暖炉に飾っている昔の写真を見た。それは互いに成人した時に撮った最後の親友の写真であった。
「全く、似てしまったなあ。薫に。もしかしたら葵さんのほうかな?」
「薫君だと思う。率直で飾らないでありのままを書いているから。薫君はいつもそうしていたわ。それに女の子はお父さん似っていうし。」
茜も手紙を読み終えては彰の問いを返した。
「それで、今も施設にいるのか?」
「…そのことですが。実は凪様は表向きには孤児となっています。そのため児童相談所が特別養子縁組を組んでしまい、来週に里親に委託するそうです。」
「そうか。まだ裁判所の審判を受けていないから間に合うと思うが。」
「何とかして凪ちゃんを連れ戻さないと。」
「そうだな。硬。今後の凪ちゃんの警護は他の機関に任せる。お前は凪ちゃんに捜査機関を使っての情報収集も許可する。とにかく連絡を絶えず行え。」
「わかりました。」
硬はその後この日のことを今掴んだ調査報告を合わせて手紙に書き凪の委託先に送った。
*
恭が去ってから二週間後。凪は里親のところで生活を始めていた。
このときキリについて問題はなかったが、硬については葵が雇った家庭教師であることを簡単に伝え了承してもらった。
それからは退屈ではなかったが、保がいつ来るかが分からず四六時中警戒していた。
もちろん学校に行くにも安心することはなかった。
なぜなら、凪が小学校に通い始めたころの下校中に保と会ってしまったのだ。最悪にも戦闘になってしまったが、保は薫に負わされた傷が癒えていなかったためか、まだそこまで強力ではない凪が持つ刻印の力だけで撃退することができた。
この日からカマを持ち歩くようになったのだ。
ある休日。
凪は与えられた自室でと彰から言われたことと調査結果をまとめた硬の手紙を読んでいた。
(なるほど。だから議院らしい人たちがいたわけか。逆にここにいることを教えているように感じる。まあ、控え目にした方がいいと思うから硬に言っておこう。)
手紙を机の上に投げ捨てため息をついたとき、家の使用人がドアをノックした。
「凪さん。お父様が一緒にお茶をしないかと言っていますが、どうします?」
「すぐに行きます。」
里親である養父母は本当に子どもを欲しがっていたためか、凪をとても可愛がった。
しかし、養父母はまだ気づいていない。
世間話をしながら紅茶を飲んでいたとき、凪は右手に痛みが走り顔をしかめた。
「いっつ。」
「? どうしたの?」
「いいえ。なにも、なぜか右手にある痣が時々痛くなるのです。気にしないでください。」
「そうか? 耐えきれなくなったらすぐに言うんだぞ。別に無理することはないのだから。」
養父母は心配して凪に言った。
(なんか起こるのか? この痛みは保が来た時と同じ感じ。近いうちにくるか?)
右手にある闇の刻印は玖條家の者であれば必ず生まれたときに右手に宿るものである。刻印は時折、危険を予知する力を持っている。この力のおかげで術師社会を何度も危機から救ってきた。
凪は夜。まだ痛みが取れない右手をさすりながら外を見た。
「今度は逃がさないから。」
そうつぶやいた。
*
(凪は何をしているのだろう?)
恭は授業が始まる間、窓の外を見ながら物思いにふけっていた。
正直凪が陰城と同等の階級である著名階級であり、行方不明であった子であることを恭は驚いた。確かに何かを隠している様子であったことは恭も感じていた。
そして今、里親のところで生活をしていることに対して恭は納得しているつもりであったが、本人は早く凪と過ごしたいと思っていた。
やっと午後の授業が終えると恭は教科書をカバンに押し込んで教室を出た。廊下に出ると恭を待っていたのか多くの名家の令嬢が階級関係なくおり、恭を見るやはしゃぎ始めた。そんなことを恭は気にせず真っすぐ正門に向かった。
正門を出るときにある一家の当主が恭に声をかけた。
「もう帰宅なさるのですか? 恭様。」
「ん? ああ斎藤殿。ええまあ。」
「そうですか。」
斎藤は階級としては上級であり、恭と同じクラスには娘の澪がいる。議会の立場としては総帥である彰に最も心酔している議員である。とはいっても恭にとっては興味のないことである。
「しかし、なぜ凪様はこちらに戻らないのでしょうねえ。せっかく彰総帥が引き受けると仰っているというのに。」
「凪さんには何か考えがあるのでしょう。今亡き薫様や葵様に対して敬意を持っているのか。あるいはもう末裔であることからその意思を突き通そうしているのかもしれません。」
「ああ、そうですか。しかし、重い積み荷を自ら背負おう決めたお方ですね。私でしたら他の一家に頼んでしまいそうですよ。」
「そうしないのが玖條のやり方だと、父と母が言っていました。玖條は何よりも術師社会に迷惑をかけることをしないことが玖條の人間であることの証だとよく言っておりました。」
「ふーん。その所はともかくご自分で追い込むようなことは避けてもらいたいですな。」
「全く。責任を負うことはともかく。玖條の恩は未だ返せずにいますから少しは頼ってほしいなと総帥も言っておりました。」
「でしょうなあ。」
「では、僕はこれで。」
「ええ、つい長話になってすいませんなあ。お気をつけて。」
「はい。」
そのまま帰路につく恭を斎藤は見えなくなるまで見送った。
*
凪が委託されてから数週間が経った。ここまで何も起きてはいないが、何も起きない方が不思議であった。
(アイツ、もしかしてこっちが動くまで待つつもり? まさか。でも流石にもう掴んでもおかしくない。まあ、もともと頭が悪いこともあってかな。実際にあそこまで来なかったし、玖條の者だったら絶対に知っているはず。本当に愚か者だ。)
凪は小さく笑うと、肩に乗っていたキリが不思議そうに凪を見た。
使用人が凪に手紙を二通持ってきた。差出人を見ると一通目は硬からだったが、二通目の差出人を見ると目を疑った。なぜかというと、保と書かれていたからだ。
『 薫の娘へ。
突然の手紙に驚いているだろう。二年前に突然戦闘を起こしてしまい申し訳ない。
玖條の証がお前にあるかを確かめてみたかったためが、本当であること改めて痛感させられた。
しかし、著名階級にいるお前が一般の養女では一族の名が落ちるのでは私は感じる。
もう残り少ない一族の者として争うことはやめて、手を取り合おうではないか。
昔のことを水に流して、私のところに来てほしい。
保』
保の手紙を読み終えると、凪はその場に崩れ落ちた。保の手紙を握りしめて。
「何よ。誰が…誰が玖條を全滅まで追い込んだと思っているの?
お前が……自分で殺したんだろう! 一族を。もう会うことができない一族の人たちを。自分で犯したくせに何様のつもり? 全く。何が昔のこと? お前のせいで…。」
怒りの感情を抑えようにも抑えきれない。保に対しての恨みが募っていくばかりだった。
その日、凪は怒りが静めることができず部屋にこもった。
凪が夕食に顔を出さないことを養父母は心配した。
「何か、あったか?」
しびれを切らしたのか養父が使用人に聞いた。
「実は凪さん宛の手紙が二通ほど来ていて、一通は家庭教師の先生でした。しかし、もう一通が宛先不明で気になって様子を見に行ったら。とてもなんて言えばいいのでしょうか。
とても混乱した様子でした。」
「どういうことかしら。」
「とにかく凪ちゃんから聞こう。」
養父母は凪がいる部屋に向かうと、部屋は暗く電気をつけていなかった。
電気をつけると凪は座り込んでいた。キリは心配そうに鳴いては養父母が来たことを凪に知らせた。
「凪ちゃん? 大丈夫かい?」
養父が凪に近づき声をかけた。それに応えるかのように凪はうなずいたが、黙ったままだった。二人は凪を連れてリビングに連れた。ようやく落ち着いたのか凪は口を開いた。
「すみません。夕食に顔を出せずにいて。」
「いいのよ。何があったか話してくれる?」
「………。」
養母の問いにしばらく凪は応えられなかったが、事の起こりを話した。
「そうだったの。つらかったわね。」
「どこまで執念深いのやら、じゃあその相続権を取り戻すために君が狙われているのだね。」
「ええ、未だ行方が分からなくていったい何を考えているかも知りたくありませんが。」
しばらく沈黙が続いたとき養父があることを提案した。
「そろそろ、スキーシーズンだし別荘がある長野に行かないか? こっちが行方をくらませればそのうち諦めるだろうから。」
「そうね。じゃあ明後日にでも行きましょう。凪ちゃんもそんなに悩むことはないからこの際思いっきり楽しみましょう。」
「はあ。」
養父母は凪を気遣って明るく振舞おうとしているのか、自分たちの都合と合わせているように凪は思えた。また凪は右手をさすっていた。
(はあー。また痛い。多分来るだろうと思うが、アイツが来るとは限らない。念のため硬に知らせておこう。)
深夜。凪はベッドから体を起こし、硬に電話した。
「もしもし。硬を出してもらえませんか?」
『はあー。その硬ですが、なんだよ。凪。毎回夜中に電話して、こっちは眠いんだよ。』
「じゃあ。切るよ。」
『ちょっ、冗談だって。で、要件は何だ?』
「アイツから手紙が来た。」
短く答えると、硬は眠そうな声からいつもの口調になり驚いた。
『本当か?』
「ええ、硬の手紙と一緒に渡された。アイツ何にも分かっていないように書いていた。」
『内容的にどんな感じに書いてあった? 明日ちょうど陰城家に行かないといけないからそれと合わせて彰総帥に伝えるよ。』
凪は手紙に書いていたことを読んだ。全部聞き終わると硬は呆れた声を出した。
『何を考えているのやら。自分で玖條家を全滅に追い込んだくせにとんだおバカしか言いようがない。』
「本当に、母さんから事件のことは全て聞いていたから正直言って怒りを覚えたよ。
もう許せない。」
電話越しからも凪の怒りがとても伝わった。
『だろうな。わかった。こっちでもすぐに対策本部を立ててすぐに対応に当たってもらうように要請してみる。まあ、彰総帥ならすぐに動くと思う。』
「そう。あと一つ。一応養父母にも話したけど。掟には反していないから。よくありがちな相続の争いにアイツが敗れたことしか伝えていないけど、明後日ぐらいに長野にある別荘に行こうって言い始めた。」
『なんだ? その流れは。自分たちの楽しみじゃないか?』
「そうだと思う。念のため伝えておくから。」
『オッケー。明日陰城家に行ったあとすぐに俺も派遣されると思う。武器と必要なものは持っていっとけよ。』
「わかっている。」
『じゃあ。あとで連絡する。』
硬はいうだけのことをいい、電話を切った。
(これでお別れかもしれない。仕方ない。)
凪は刻印の痛みから全てを感じていた。翌日から別荘に行く準備で大慌てであった。
凪はこれまで持ってきた荷物全てをボストンバックに押し込んでは衣類を少なめに入れて別荘に向かった。
*
凪の電話を受けてから、その日の昼頃。硬は陰城家の正門にいた。
(保のことを告げると総帥は黙っていられないだろうなあ。)
そう思った。玖條家と陰城家は切っても切れない関係であることは議院直属の機関に属している者なら誰でも知る事実であった。
客間に通されるとすでに彰と茜がいたが、今日は珍しいことに恭もいた。
「何か、凪ちゃんの方から連絡はあったか?」
「実は昨日、保自身から手紙が来たという連絡を凪様から来ました。」
「何? 手紙の内容はどういうものだった?」
三人は驚きを隠しきれなかった。これまでの調査でも保の行方は依然と分からない中でこのように行動をしたことに驚いた。硬は電話で凪に読んでもらった手紙の内容をメモした紙を彰に渡した。
「なんだ。この内容は。」
「本当に分かっているのかしら? 自分で起こした事件を凪ちゃんが知らないと思っているのかしら。よくもまあ、こんなことを簡単に書いて。」
彰と茜はメモを読むと怒りを露わにした。恭も読んだがある点に気付いた。
「硬。これの初めに書いてある『二年前に突然戦闘を起こしてしまい申し訳ない』ってどういう意味?」
恭が硬に聞くと二人は改めてメモを見直した。
確かにメモにそう書いてあった。
「実は凪様は日頃から欠かさずに玖條家の当主しか使えない武器を持っている理由でもあります。二年前、学校に通い始めたころに保と会ったのです。本人は戦闘を避けたかったのですが、保本人から仕掛けてきました。そのとき武器を持ってはいなかったのですが刻印の力だけでなんとか撃退することができたそうです。凪様は軽傷ですみましたが保は重傷を負わせるところで逃げられたようです。」
「そうだったのか。相変わらず逃げ足だけは変わらないようだな。しかし、まだ六歳でそこまでの力を持っているとは玖條の血を歴代以上に濃く受け継いでいるのか?」
「そうね。覚醒はしているの?」
「ええ、本人としては覚醒していると言っておりました。」
「覚醒って何? 使役術とは違うの?」
恭は闇の力に関しては詳しく分かっていなかった。
《闇の力》は古い昔、ある術師が影を使役することをやめ新たに生み出した力である。それは血縁関係では遺伝することがなく、他の人へ全て受け継がせることができる単独の力であり幻の力とされていた。しかし、時代と共にその力は忌み嫌われるようになり、術師社会に身を置けなくなるまで追い込まれた。幻の力を持った者は自分で最後と決め、命尽きるときはこの力と共に死ぬことを決めていた。そのとき使役術を失った一族、玖條家と出会った。玖條家は理由なしに闘うことを嫌う一族であったため、術師を一族の中に招いた。
このことに術師は玖條に感謝していた。そして術師が死ぬとき、その恩を返すために命より大事だった幻の力を玖條家全ての人間に与えた。一族の者はその証として右手に刻印がきざまれている。玖條家が闇の力を得たことで力は血によって力の度合いが決まっていくようになり、玖條家でも本家と分家によって分けられることになったのは後の時代からである。これが玖條家が闇の使役者と呼ばれるようになった所以である。
闇の使役者とは違う。闇の力は影のように使役するのではなく、刻印によって力が本人と一体になっているのだ。つまり、本人意思によって操ることができる力であり、ある一定の年齢になると力が目覚めることを『覚醒』と玖條は言っている。この力は影と比べると安全な力である。
一方で影は使役させなくては力として成り立たない。生まれてから間もなくして影を使役しなくてはならない。使役がうまくいけばその力をさらに強力にすることができるが、逆に使役がうまくいかないと乗っ取られるといった方がいいのかこれは稀なケースである。影に乗っ取られると物事に制御ができなくなり、ある事例では大きな事件が発生したという報告として挙がっている。これは階級関係なく起こっているため問題となっている。
その説明を硬から聞いて恭はやっと理解できた。
「これはとても混乱したでしょう。凪ちゃん。」
「はい。電話でしたが、とてもお怒りの様子が聞き取れました。」
「はあー。もうこちらとしても凪ちゃんが拒否をしたとしても動く。対策本部を直ちに立ち上げる。」
「あと、一つ養父母が明後日ぐらいから長野にある別荘に行くそうです。もちろん凪様を連れて。その警備も立てた方がよろしいかと。」
「そうか。硬。おまえはすぐに現地に向かえ。あとで執行機関と捜査機関の者を送る。今は凪ちゃんの安全を確保しろ。保が来たらその場で始末だ。もし、現れなかったとしても養父母に術師であることがばれることを視野に考えた方がいいか。」
「考えて置いたら、彰。今のうちに裁判所に知らせてこっちに引き取れるように手続きしておきましょう。」
「そうだな。すぐに本部を立てる。硬はすぐに向かえ。」
「はい。」
彰の指示に従った硬はそのまま長野に向かった。一方で彰は本部をたてて、執行機関と捜査機関にあれこれ指示を出した。また、茜は離縁の準備を整えるのと同時に学園への編入の手続きをし始めた。
*
凪が術師であることを隠した話を養父母は本当に事実として捉え、凪のことを気遣ったのか。あるいは自分たちの楽しみのためなのかスキーを楽しんでいた。
もちろんキリも連れていけたが、キリは初めて見る雪にとても興奮していた。凪も初めてのスキーを楽しんでいる反面、周りをいつもより警戒していた。
(対策本部が立てられたのは聞いたが、うーん。目立ってはいないからいいけど。知っている人間から見ればわかる。)
凪は木の影に隠れているまた、術で身を隠している捜査委員を見ては少しだけ安心するが見つかるのではないかと不安になる。
この現状を分かっているのはキリもそうであった。
「大丈夫だよ。でもここまでしなくてもいいのにね。」
凪が安心させるようにキリに言った。
(やっぱり、私が著名階級からかな。でも、もう昔の話で、今はただの術師だ。)
*
凪が長野の別荘に行ったという情報を保も掴んでいた。というよりも掴んだのはまたも愁だった。保はこれをチャンスと思ったのか、すぐに部下を全て長野に向かわせ凪を連れてくるように愁に命令した。
愁は保の行動に呆れていた。それは後先のことを考えずに計画を立てることが毎回であったため、苛立ってしまう。
主人が苛立っているのを梟も感じていた。
「ん? 平気さ。いつものように失敗するだけさ。アイツに心酔しているのは俺以外の奴らだけだし、この際で片付くならいい方さ。」
笑いながら言う愁のもとに部下の一人が戻ってきた。
「愁様。手はかかりましたが、何とか別荘を見つけました。」
「そうか。日中は人目もあるし、議院も動いているし。…明日から荒れるそうだから夜に行こう。保様にも一報をいれておけ。それまでは全員何もせず俺が言うまで待機だ。」
「かしこまりました。」
*
凪がスキーを楽しんでいるとき、硬も警備に当たっていたが夜も張り込んでいた。
夜。硬は一人もろい構造の山小屋で寒さと戦っていた。ここが凪のいる別荘から近いが、
大勢であると目立ってしまうと判断し、緊急事態が起こった場合は下のホテルにいる捜査員に連絡する者を選ぶとき、真っ先に指名されたのは家庭教師であることから硬が選ばれた。
「…たく。アイツらホテルでのんびりしやがって。いくら俺が凪の家庭教師だからと言ったってこんなの嫌な役回しだろ? こんな寒いとこに俺を置きやがって。凪も凪だし。」
寒さの中、他の議員や同僚に対して愚痴っているが、今日からいきなり吹雪になる大荒れた天候になる。しかし、いつ保が来るかも今は誰も予測できないため油断できない。重要な役を任されたため愚痴っていた。
「来るのか、来ないのか。せめてそれだけはっきりしてほしいぜ。凪の奴もピリピリしているようだったぜ。」
役回りに愚痴る反面、凪の様子をよく見ていた。スキーの時も腰にカマをつけていたことを硬は気付いていた。
*
ある日の夜。シーズンとしては珍しい悪天候で外には出られないほどの吹雪だった。
刻印の痛さは時間が過ぎるたびに痛さを増していくたびに右手をさすっては窓の外を見ていた。
「!」
何かが動いた。凪はそれを見逃さなかった。養父母は凪の様子を変だとは思わなかった。
ただ雪を見るのが初めてであるからと思い込んでいた。
凪の顔が険しくなっているのを感じているのはキリだけであった。
「何かあるのか?」
全く窓から離れない凪を不思議がった養父が凪に近寄り外を見た。しかし、吹雪のせいで何も見えなかった。誰もこんな吹雪の中に出かける人はいないと考えていた。しかし、よく見ると誰かがこっちに向かってきているようにかすかであるが見えてきた。
「来るか。」
人影が見え始めると凪はすぐに窓から離れ、ドアを開け外に飛び出した。凪の突然の行動に二人は驚いては後を追いかけるように外に出た。
すると窓からは遠くに人がいると思ったが、すぐそこまで近くに多くの男たちが立っていた。その傍らには牙をむき出しにした狼のような犬がうなっていた。
沈黙が続くと思ったが、初めに発声したのは凪だった。
「ずいぶん時間がかかったね。まあ、アイツのことだから私を見つけるには時間がかかることは推測できたけど、どうも優秀な奴でもついているのかしたら。で、あんたたちが従っている愚か者はどこにいるのかしら?」
「誰のことですか?」
手前にいる男が凪に問う。
「保のことよ。ていうかなんで貴方たちがあんな馬鹿に仕えるの?自分のしてきたことを分かっていない大馬鹿者に仕えて何の得がある?」
「貴方様は保様をそう思うのですか? 我々にとってはあのお方こそ主です。」
そう答えると、凪は大笑いした。キリはその場を離れてどこかに飛んで行った。
「その様子じゃあ、あなた達もこっちから見ればバカの集団が正義を謳っているようにしか見えない。」
「なんだと! 元はと言えばあなたたちが保様を嫌ったからこそ、その報復をしたまでにしか過ぎないのです。貴方様が薫様達に騙されているのですよ。」
「報復ですって? 当たり前でしょう?一族の人間ではない者を一族の者として扱うなんて考えられない。かといってこれまで玖條家が成り立ってからの記録書には嘘の記述はない。どの一家よりも正確な出来事をまとめている。だから私が知る事実は全て正確に近いことが残っていて、受け継がれている。間違っているのはお前たちだ!」
まるで怒りを露わにしているかのように思えたが、凪は冷静であった。手前の男に変わって、横にいた男が凪に声をかけた。
「詳しいことを我々は何も保様から聞いておりません。しかし、薫様の娘である凪様をお連れしろと命令されています。どうか我々とご同行ください。」
「断る。玖條家の者ではない者の命令をなぜ私が聞かないといけない? ましてや奴は中級階級以下の術師。そんな奴の命令聞く耳も持つ気はない。」
そう強く答える。掟にも下級階級の者は上級階級の者には絶対服従であると定まっている。男は何度も凪に同行を申し出たが、凪が応じなかった。そのやり取りに男は疲れたのか凪にこう言った。
「もう力ずくでも連れていきますよ。」
「もうしびれを切らせたか。まいっか。この場で全員返すわけにもいかない。掟に反する者はこの場で始末する。もう一回聞くけど、保はどこにいるの?」
「答える義務はありません。」
「そう、まあいずれ奴から来るでしょう。まずは掟破りから裁かないといけない。」
そう言ったとき、一人が武器を構えて凪に突進してきた。
殺されるかもしれない状況なのに凪は平然としていた。男の剣が当たると思ったら、
聞こえたのは男の叫び声と何かが切られた音だった。白い雪の上には真新しい鮮血が雪を赤く染めていた。誰も何が起こったかが理解できない顔で凪を見た。本人はクスクスと笑って、右手の包帯を慣れた手つきでほどき、腰につけていた鉄の棒を手の上で転がせて言った。
「何にも知らないんだ。掟破りを裁く名としては有名なのに、玖條は。教えてあげる。
玖條ははるか昔に使役術を失ったが、ある術師から一族全員に宿った幻の力…。」
凪の言った言葉を理解した部下の一人は呟いた。
「闇の力…。」
「正解。」
そう答えると、鎌の呪縛を解き放った。鎌は凪の身長の倍もあり、見かけ以上に重そうであるが、刻印を持つ者が持つと軽いものである。
「死にたい人から来なさい。」
鎌の先端を男たちの方に向け、冷たく言った。男たちもそれに答えるかのようにそれぞれの武器を手に取り凪に向けた。さっきの言葉を忘れたかのように。
「言っておくけど、さっきのは指を少し動かしただけ。」
凪はかすかに笑ったかのような顔で言った。男たちの傍らにいた犬が主人の指示に従い凪に向かってきた。周りの人は凪に逃げるように叫んだが凪の耳にそんな声は届いていなかった。
「全く、面倒なことをするなあ。」
慌ててもいない声で、右手で何かを払うかのように動かすと全ての犬がまるで風に飛ばされた。
「またか。」
「全員でかかれ。」
一人が叫ぶと全員が凪に襲い掛かってきた。
「やれやれ。面倒くさい。」
そういうと鎌を右手に構えて刃先を上にして、勢いよく降り下げた。するとほぼ前から襲ってきた者は全員血に染まり、その場に崩れ落ちた。鎌が当たることはなかった。
それでもなお襲い掛かってくる男たちを凪は刻印の力でどんどん血に染めていく。鎌は接近戦の時にしか用いらない。戦闘時には大半を刻印で行うことが玖條家の戦闘スタイルである。刻印の力を最大限に引き出すことは鎌の威力を高めるにことにつながる。
闇の力は体に宿っている力であり、影のように意思がある力ではない。
(何にも知らないんだ。こいつら。本当にこれだと保も相当バカってことだ。)
男たちの戦い方を見て闇の力をまったく知らないと感じた。それどころかもう理性すらもなくなっていることが不思議で仕方なかった。ただ衝動のままに動いているように感じてしまう。
(もしかして、影に乗っ取られた? よく噂で聞く掟破りの集団も半分以上がそうであることが報告されているから。保もそうなのか?)
影を使役することができなくなり、逆に乗っ取られたとき同じ影を使役する者が解縛の術を施すことで半分の可能性で助けることができる。しかし、凪は闇の術師であるため解縛の術を施すことはできない。
それを考えながら力を発動させているとき一人が凪の後ろに回り込んだが、鎌を回したことで何とか回避できた。
(もう、全員の息の根を止めるしかない。)
そう決めた。まだ立てる男の人数を数えた。
「ねえ。もう終わりにしようか。」
そう男たちに言うと、鎌を右手に持ち替え地面と平行になるように構えた。短いスペルを唱え、鎌を勢いよく振り下げた。振り下げた勢いが大きかったのか吹雪がそのとき強くなったのか風が強くなった。たった一瞬のことであったが、立っていたはずの男たちが全員雪の上に倒れ、雪が鮮血で染まった。
「終わった。何もかも。」
そうつぶやくと鎌に呪縛をかけ、仕舞った。
その様子を養父母はただ茫然と見てはかける言葉が一つも見つからなかった。名前を確かめるように呼ぶと凪は振り返った。顔には男の返り血が服にも付いていた。普通の子ではない。そう養父母はやっと理解した。凪がいつも両親のことを言おうとしているときも何かと気まずそうな表情になることは言えないことがあって隠していた。ずっと。養父は思い切って凪に聞いた。
「君はもしかして、術師なのかい?」
嘘であってほしいそう願って聞いた。術師は表社会にとっては噂レベルしか聞いたことがないのだ。
「そうですよ。生まれたときから。正確には裏社会を治めてきた一族の末裔です。
今回の男たちは一族の者ではありませんが、あなた達を巻き込んでしまい申し訳ありません。」
嘘は吐かなかった。吐いても意味はないことを何より理解していたのは凪自身だったから。これは掟により示されている。
『術師であることを自ら一般の人間に告げてはならぬ。』
この記述は術師社会ができてから変わったことはない。そもそも掟自体を作ったのは玖條家である。そのため、掟についてはどの一家よりも厳しく教え込まれている。そのため凪は何があっても言えなかった。たとえ、尋問のようなことを受けてさえも。
しばらく沈黙が続いたとき、硬を呼びに行ったキリが凪の元に戻り、ここに持ってきた荷物を持って戻ってきた。
「おかえり。キリ。ありがとう。」
凪に荷物を渡すといつものように肩に止まった。その後を硬は足が雪でとられるなか走ってきた。
「わりー。凪。思っていたより雪のせいで道が悪くて遅れた。」
「どこにいたの?」
「ん? ここの下にある山小屋。他はホテルに待機していた。」
「変なの。そんなんじゃすぐに来られないはず。」
「おれもそう思う。あとで彰総帥に叱られるかもな。…俺もだけど。」
硬はそういうと、周りにある死体と養父母を見た。
「全員をよく倒したな。」
「そっちが遅かったから。」
「言い訳はしない。凪。分かっているな?」
「硬に言われたくないね。」
「ならよし。その前に。」
「?」
硬は着ていたコートを凪に着せた。あまりに凪が寒そうだった。
「著名階級の令嬢があとで風邪でもひかれたらこっちが怒られる。」
「ふーん。珍しく気が利くね。」
「じゃあ、行くか。他の連中もそろそろ来るだろうから。」
「そうだね。」
凪が頷いて答えると、養父母ははっと我に返って叫んだ。
「まて。凪をどこに連れていく?」
「もちろん術師社会にです。」
養父の問いに硬が冷たく返答した。
「そんなところに私たちの娘を連れていかれてたまるものですか? 凪ちゃんはもう私たちの子供よ。」
養母が硬の返答に対して叫んだ。しかし、硬の表情は困ったような表情になりため息をついた。
「もうこの状況になれば、我々は一線ひかなければならないのです。どうぞご理解ください。」
「理解だって。私たちは何年も養子の斡旋を待って、やっと来たのがその子なんだ。誰がなんだろうと譲らないぞ。」
「かといってあなた達のことなんて信用してないわ。凪ちゃんは私たちをその男たちから守ってくれた。親としてはどうかと思うけど、もう私たちの子。あなたに何がわかるの?」
「凪様の一家玖條家は代々、術師社会のために貢献してきた。名高い一家の末裔。
我々が信用できないと言いましたが、これは凪様のお父上様がお決めになったことを凪様も受け入れているのです。」
「ならどうしてあなた達は凪ちゃんがどうしてあんな施設にいたか知っていたの?」
「ええ、とはいっても知っていたのは私だけです。」
「お前だけだったら意味がないがないではないか。」
養父母と硬の話し合いは双方引く気配はない。そのときようやく凪が口を開いた。
「全部、母さんが決めたから。死ぬまで気にしていたことがあった。だから術師社会に私の存在を隠すように硬に命令していた。それについては私も理解している。」
「気にしていることって、術師であること?なんでそれを隠していたの?」
「……掟の中に術師であることを名乗ってはならないと定まっているから。だからあなた達でも言えなかった。あなた達には関係ないと考えていたから。」
凪は吹っ切れたかのように養父母に言い放った。これには何も言い返せなかった。
そのとき、やっときた議員や機関の者たちが息を切らせながら駆け付けた。
「玖條凪様ですね?」
「はい。」
「大変遅くなり、申し訳ありません。すぐにホテルに行きましょう。後のことは我々にお任せください。」
その後、議院によって凪は一時的に保護を受けることとなった。このとき吹雪はいつの間にか止んでおり、車を動かせた。車に乗り込もうとしたとき凪はある気配を感じ、辺りを見渡した。しかし、気配はすぐになくなり感じられなくなった。
「どうかしましたか?」
「いや。何か気配を感じた。」
「そうですか。あとでここ一帯を調べる予定ですので、あとでご報告いたします。」
「ありがとう。」
凪はとりあえずあとを議院に任せることとして、車に乗り込んだ。その後を養母が泣きながら追いかけてきた。その場で議員に押さえ込まれた。
「行かないで。凪ちゃん。お願い。」
養母は去っていく車に叫んだ。車から凪が見ることはなかった。もう凪の中にある両親は薫と葵しかいなかったからだ。
(母さん、父さん。もう少しあなた達が生きていたら変わったことが多くあったと思う。)
ホテルに向かう中で今亡き両親に嫌味を言うかのように凪は心の中で言った。凪自身、本当は二人に多く甘えたかったことがあった。しかし、もう叶わないことだということをすでに分かっていた。
*
凪が別荘から去ったあと、議員たちが慌ただしく動いている様子を愁は眺めていた。
「すごいや。凪は。闇の使い手としてまだまだだと本人は思うかもしれないけれど、あんな人数を一人でやれるなんてかなりの術師だ。普通でも息切れになるのに。まあ、影と闇の元が違うからなのか。」
あれこれ言ったあと、凪が愁の方を見たことを思い出した。
「やっぱり。兄さんより俺の方が相性いいよ。戻るぞ。バカ保に報告だ。今度はあいつ自ら行くだろうな。」
愁は自分の梟に呼びかけると、その場を離れた。
保のもとに戻ると、すぐに報告した。
「何? 全員全滅だと。」
「ええ、ですから凪様の力を侮ってはならないかと。」
「そうか。……愁。すぐに議員の動きを追え、居場所が特定され次第行くぞ。」
「自らですか?」
「当たり前だ。そっちの方が凪にも好都合だろうからな。もし私がやられそうになった時は援護しろ。いいな。」
「仰せのままに。」
保に言われるままに愁は返事した。愁はその後梟に議院の動きを追跡させた。
*
翌日から、凪の身元は議院に置くことになった。今後のことを議員の代表者と話し合うことになった。
「彰総帥はどのように考えているの?」
議員の話を聞き終わってからようやく質問をした。
「はい。総帥はすぐにでもこちらに戻ってもらいたいとお考えのようです。」
「……つまり、術師社会に戻って他の階級の子たちのように暮らすということ?」
「はい。その通りです。」
「保はどうするの?」
「それはこちらで対処すると総帥が。」
「だめ。」
凪は代表が言い終わる前に叫んだ。凪が最も嫌なことがあったからだ。
「保のことは、私が対処する。これだけはいくら総帥であろうとも譲れない。」
「しかし、凪様。貴女様は生まれたときから術師社会で行方知らずの扱いをしてきた我々にとってはこれ以上重荷を掛けたくないのです。総帥や茜様もそう言っておられました。ですから、保のことは我々に。」
「保のことをお祖父さまが始末してくれていたら大きく変わっていたことがあったと思うけど。もう、これは玖條の問題。それに奴の狙いは私だってことは分かった。もう奴の駒がなくなったら、奴自身が私を探してくると思うから。奴を始末するまでが私の仕事だと彰様にお伝えください。」
凪はそういった。一族の問題だけは誰にもやらせない姿勢は玖條のやり方であることは誰もが知っていることであった。説得しても無駄であるやり取りを見ていた硬が代表に声をかけた。
「代表。とにかくこのことを彰総帥に伝えましょう。凪様の意思はとても堅いです。
今は一日でも早く保の始末が最優先ですし、奴の狙いは凪様であるなら。保のことをよく知っている凪様が自ら動くことでことは早く済むのではないのでしょうか?」
硬がいうと、代表は考え込んだ結果、今後としては保の始末を重視することで凪と一致した。後日、このことを代表が彰に伝えることになった。
よって凪は議院が下町に用意した家で生活することになり、一般の学校に一時的通うことが決まった。あくまで普通であることを装うためであるが、本人はこの点だけ納得はしなかった。
数日後。某小学校。三年生の教室の前に凪は立っていた。
(なんでまたこんなところから。)
小さくため息がまたこぼれた。教室にいる先生から入室してもいい声がかかり、教室に
入った。黒板には『玖條 凪』と大きく書いてあった。
「ええと、じゃあ紹介して。」
「玖條です。よろしくお願いします。」
「はい。玖條さんはご両親を亡くされて、今は親戚の家から通っています。みんな仲良くね。あと右手の手袋ですが、火傷のあとがまだ残っているのでからかうようなことはしないようにいいですね。」
先生が生徒に声をかけると元気よく返事を返した。生徒が気になったのは手袋よりも凪が背負っているのがランドセルではなく、リュックであったことだった。
授業が始まると生徒は真剣に先生の話を聞いているなか、凪はノートを書き終えると外をぼんやりと眺めた。凪はすでに高校までの内容を終えていた。
実は名家の子供たちは物心着いたときから勉強している。一般の小学校に入る前までに高校までの勉強を終えている子も少なくない。
術師になる者の成長が普通とは違いとても早いことから、学校は必要ないと思われていた。しかし、時の玖條の当主が各一家の子たちにも一般のような教育が今後の術師社会を豊かにするのではないかと発言し、術師社会で初の学園を創設した。今でも多くの術師の下級から著名階級までの子供たちが通っている。学園創設から当主の言う通り、これまで問題が起こっていたときの対応が早くなった。
このことから、教育に関する意識が大きく変わるきっかけになった。
転校してからの初日は誰とも深く関わることもなく、距離を置くようにして過ごした。
下校時、帰りの会を終えるとすぐに教室を出て、正門に向かっていたとき三人のクラスメイトが凪に話しかけた。一日中誰とも関わることを避けていたことを気にしたのだ。
「玖條さん。もしよかったら、近くまで一緒に帰らない?」
「来てばかりだから、とても気まずいと思うけど。私も去年来たばかりはつらかったから気持ちわかるんだ。」
「そうそう。大丈夫かな?」
凪の周りに集まってはいろいろ物事を進めるなか、正門に硬がいることに気付いた。
「ごめんね。いとこのお兄ちゃんが迎えに来ているから、また今度でいいかな?」
「わかった。じゃあまた明日ね。」
凪がそういうと、三人はその場を離れた。行ったことを確認したあと硬に近づいた。
「何しに来たの?硬。」
「ああ、来たか。迎え。代表に押し付けられいてな。」
「歩きで?」
「いいや。車。いくらなんでもお前を歩かせるなんて、そんなことをしたら俺が代表に怒られる。」
「ふーん。で車は?」
硬の話を半分聞き流しながら聞いた。車のある方向を硬が指さすとそこにはあったのはピカピカに磨かれたリムジンがあった。通る人はだれも振り返ってまじまじと見た。
「目立つね。以上に。」
「…俺もそう思う。」
「普通のはなかったの?」
「あったけど、お前があれだからっていう理由でリムジンになった。」
「これは私から言っておくわ。」
「ああ。そうしてくれ。俺じゃあ聞く耳も持ってくれないから。お前が迷惑かかるとか言えば、変えてくれるかもしれねえぞ。」
「かもしれない。」
話しながら二人はリムジンに乗り込んだ。車は住宅のなかに紛れているひときわ大きい家に向かっていた。
「なんか。初めてだなあ。」
「? 何が?」
「こんな風に守ってもらうのは。」
「あ。」
そういえばそうであった。凪が言っていることを理解したのは硬だけである。生まれてから他人に守ってもらうなどこれまで凪にはなかった。ずっと、自分で自分を守ってきた。
今されていることに戸惑いを感じていたのはこれまで自分でしてきたことがとても大きいと改めて硬は感じた。
(辛かったことも、凪は誰にも打ち明けられなかった。でも、一度も弱音なんて吐いたところなんて見たことがない。俺だって万能に守れるわけでもないから全部凪が一人で乗り越えた。本当に強いなあ。葵様の言う通りだ。)
凪の横顔を見ながら硬は誇りに思った。まだ幼くても一家の誇りを守ろうとする姿勢が誰よりも持っており、何よりこんな優れた者に仕えるような立場にあることを硬は誇りに思っていた。
「凪様。もうすぐ到着します。」
「わかった。」
議院が所有する家は見かけ普通のように見えるが、術で隠していることが多い。車から
二人が降りると、代表が凪に近づいた。
「お帰りなさいませ。凪様。」
「わざわざ出迎えありがとう。」
「いえいえ。硬。お前は仕事に戻れ。後は我々がする。」
「へいへい。」
硬はその場を離れて機関に戻った。その後、今後のことで凪は代表に聞きたいことがあった。
「保の捜索についてはどうなっているの?」
「実はあのあと、周辺を捜索したのですが何もありませんでした。死体からも保らしき者はいませんでした。何か?」
「いや。あそこまで情報を掴めるなんて思ってもみなかったから、誰か情報を奴に流しているんじゃないかなと思って。」
ずっと疑問に思っていた。二年前に保が下校時に襲い掛かってきたことや、今回のように個人の別荘の場所。何より動きを全て読まれたように感じていたのだ。議院が介入するようになる前から一度あったことから気になっていたのだ。
「そうですね。捜査機関の方でもそのことを疑っていたのです。今後から行方と情報が流出していないかを確認し、調査してみます。あと階級の関わっている者が流しているとも考えられますからね。」
「その辺りはそちらに任せるとして、総帥にこのことを伝えた?」
「いえ、まだ。実は凪様の生存が確認された日から各階級の一家が凪様の保護に動いておりまして、それを止めるのに精いっぱいでありまして。」
「余計なことを。………分かった。それについては私から議院に手紙を出すことでこちらの意向を伝えたい。その方が収まると思う。玖條の当主として。」
「その方法がいいですね。凪様自らの意向であれば他の方も納得するでしょうね。」
その日の夜に凪は議院宛に自分の意向を手紙に書いた。
(こっちが余計に動けば、奴の思いのままだ。今は何も変わらずにする方が被害を引き起こすことがない。)
手紙を書きながら凪はそう願った。
*
後日、手紙はその日に行われた議会で発表され、騒動はすぐに収まった。
議会を終えた彰はため息を吐いた。本来であれば彰が止めるべきことを凪の手紙によって収まった。
(また、借りができてしまった。玖條家に。薫。葵さん。いい娘を持ったなあ。でも、少し遺志が凪ちゃんには重すぎだと思う。)
また救われた。そう感じていた。若くして当主となった凪を彰は支える気であった。しかし、この騒動を凪が引き起こしたのかと彰は考えた。本当は彰と茜が凪の保護をどの一家よりも早く動いたことで周りを刺激してしまった騒動であった。
(全く。もう少し、頼ることを教えてあげてくれよ。)
誰にも頼らない姿勢がどうしても親友であった薫に似ていた。胸ポケットから手帳を取り出し、写真を見た。一枚は生前の薫と葵が成人した時に四人と撮ったものであった。もう一枚は恭を施設に預けたとき凪と撮った写真であった。ぎこちない笑顔であるが、もっと笑顔になれば可愛いと思う。写真を見るとすぐに手帳に仕舞うと議場を離れた。
その日の仕事を終えると、すぐに屋敷に戻った。陰城家の家は通常とは言えないほどの広さの家ともう一軒入るぐらいの庭があるため、家とは言わずに屋敷と呼んでいる。
「ただいま。」
「お帰り。彰。」
出迎えるのはいつも正妻である茜であった。昔は恭も彰が帰ると一緒に出迎えたが、今はほとんどない。
「議会はどうだった?」
居間で紅茶を飲んでいたとき、茜が聞いてきた。
「何とか、騒動は収まったよ。執行機関の代表から凪ちゃんの直筆で意向を記した手紙を提出された。」
「え? 凪ちゃんから?」
「ああ。今回は私たちが起こしてしまった騒動なのに、自分も関わっているからなのかわざわざ。」
「そう。その手紙にはなんて書いてあったの?」
「私たちが動いてしまったのは、葵さんが凪ちゃんを行方不明扱いにしたことが原因であることが書かれていた。あと保の件は相変わらず頑なに凪ちゃんが自分で対処すると書いてあった。全く薫似だよ。頑固なところは。」
彰が笑いながら言うと、茜も笑った。
「でも、それは私たちの身の安全を考えての行動だと思うわ。相変わらず玖條らしいやり方ね。………まだ幼いのだから。もっと頼ってほしいわ。」
茜は視線を落としながら呟いた。
「そうだな。相変わらず、助けられてばかりだ。まさか。凪ちゃんからの助けなんてとてもみっともないなあ。」
「本当に。頼りなくて申し訳ない。薫君や葵ちゃんたちからの、いや。それ以上の先祖の借りもろくに返せていないのだから。もう玖條の血をひいているのは凪ちゃんだけになった。」
「だな。保の件が片付いたら、あとは陰城でしっかり守っていかなくては。」
「そうね。ねえ、彰。」
「ん?」
「どうしてこんなことになったのかしら。いままで、昔もなかったのに何でこうなったのかしら?」
「そうだな。何かある。憶測だが、誰かが玖條家を壊滅に追い込もうとしているように感じる。そして異常に術師社会に戻ろうとしない凪ちゃん。何かを知っているのか?」
「そうとしか考えられないけど、だって保をあの事件が起こるまで私たちは玖條家の人間と思っていた。それが玖條家の人間ではなかったことは分かったけど詳しいことを薫君は何も言わずに葵ちゃんと去って行ってしまったし。」
二人はずっと疑問に思っていた。玖條家は一族に問題が起こると詳しい詳細を必ず議会に報告していたが、保の事件後の詳細を報告することもなく去って行ってしまっている。
また、これも不思議に思っていたことがあった。
なぜ、玖條家だけが使役術を失ってしまったのか?
もっとも彰たちは真相が消えてしまうことを恐れていた。
*
議院の保護を受けながら、平凡を装って学校に通っている凪はとても退屈であった。
雪の襲撃から数か月が経っていた。機関の方でも緊張が抜けない日が続くなか機関は交代で凪の警備に当たっていた。今日は一段と厳しく。
なぜかというと昨日から刻印の痣から痛みを感じ始めたのだ。授業の間も鉛筆を持つこともつらい。
(痛い。痣が…あの日と同じだ。だとしたらいつ来る? こんなに痛み出しているのに?
でも学校の周りには機関の人たちが目を光らせているから、来ないとも限らない。)
授業を受けながら、凪はしきりに外を見た。
痣からの警告に嘘がないことは誰もが知っていた。議院でも保が現れたかの報告を受けてから救援と応援の体制を整えていた。
ある休日。
刻印の痛みが引かないため、一日中家にいるつもりであったが、痛みはさらに増していく。
外と中で警戒を緩むことはないように、全員が緊張していた。
そのとき、右手をさすっていた左手に鎌を持ち構え、外に出ようとした。
「凪様。どうかしましたか?」
「気配がした。もうすぐそこにいる。外にいる人を早く中に入れるように言え。」
「しかし、今動くと奴に。」
「もうばれている。あなたたちには分からないと思うけど、分かる。早く。」
「ぐああああああああああ。」
凪が議員の者に言ったとき、外で警戒している者だろうか、叫び声が聞こえた。
その声を聞くと凪は議員の隙をつき、外に出た。見ると数人の議員が重傷を負い、うずくまっていた。
議員たちに重傷を負わせたのは警戒していた男、保だった。傍らには牙をむき出した犬が寄り添っていた。保の出現に気付いた者は武器を手に保に襲い掛かってきたが、それに本人は慌てることもなく術で重傷を負わせた。
「全員引け。けが人の手当てと議院に報告しろ。あとは私がする。」
凪は周りにいた機関に属する者全員に指示し、保を睨んだ。
「久しぶりだな。我が姪よ。」
「……。」
「こんな登場で済まない。本当は何も起こらないようにしたかったのだが。」
「何が、何も起こらないようにしたかった?もう起こしている。全く本当に愚かな叔父さまですこと。呆れて何も言えないわ。」
保の言葉に反論した声は年齢に合わない低い声だった。そしてこれまでの憎しみが込められていた。
「まあ、そう言うな。もう一族が私とお前だけになった今、争うことはもうやめたい。手を取り合おうではないか。」
「………貴様。まさか私が何も知らないとも思っているのか? 誰のせいで玖條が壊滅に追い込まれたというの? 貴様が一族の者を殺したからだろう?」
保が嘘をいい、騙そうとしていることに凪は苛立っていた。
「はあー。知っていたのか。全部。」
「当たり前よ。知らなかったらこんなに憎むはずがない。」
「そうだな。今度は引かんぞ。お前を力ずくに連れていく。」
「あっそ。ご勝手に。誇り高かった我が一族をよくも壊滅に追い込んだことを報復してやる。」
怒りを抑え、鎌の呪縛を解くと鎌を見て保が目を見張った。
「やはり、持っていたのか。玖條の鎌を。」
「当主になる者が持つことを許されるのよ。もともと一族ではない者が持つことは許されない。」
「お前が何を言おうが、私は玖條家の者だ。」
「黙れ。この虐殺者が。」
未だに玖條家の者と名乗る保に怒鳴り叫んだ。同時に痣の力、闇の力を発動させ保に攻撃した。保も武器を構え、攻撃を無効にしようとしたが簡単にはいかなかった。その攻撃がもともと強力であった。何とか受け堪えたが、息切れになった。
「こんな攻撃でもう息切れ? 情けないね。そんなんだから父さんに敗れたのよ。あ。もしかしてまだ傷が癒えていなかったから? 父さんがつけた傷と二年前に私がつけた傷。結構くるでしょう?」
「くっそう。まさかここまで力を持っていたとは。」
「当たり前でしょう? 私は玖條家の中でも本家筋の者。だから血が始祖よりも濃ゆい。それなのか刻印の力も強い。多分父さんも母さんもそうだった。だから分家の者をあんたがやれたのはまあ、いい手段があったから。でも本家の者に歯向かうなんて命を捨てるようなことと同じ。」
「そんなことが。くっ。」
目の前にいるのはまだ力もない子供と保は思っていたのか悔しそうに声を出し、
凪を睨んだ。
「恨むなら、あんたを玖條家に置いてきた女やそう仕向けた奴を恨め。」
凪はそう言った。すると横から保の犬が襲い掛かってきた。素早くかわすと、鎌の矛先で犬を切った。返り血が顔や服に付いても拭いもせずに保に向き直った。
「くっ。やるな。」
「まだ序の口よ。この場でお前の息の根を止めてやる。」
鎌を持ち直し、攻撃の態勢になる凪と何とか立ち上がり剣を構え凪に突進してきた。
しかし、剣は凪に当たることはなく鎌の先に当たりすぐにはじき出された。優勢は素人が見たら保と思うが、逆に凪の方であった。相手の攻撃をすぐに見破り常にすきを与えないような戦い方であった。保も負けないように凪に刃を向けて襲ってくる。影を使役した術を攻撃に切り替え凪に向けた。それをいとも簡単に闇の術で打ち返した。もうその攻防を繰り広げていた。すぐに終わるものと考えていた凪にとっては予想以上であった。
*
双方が攻防を繰り返すなか、周りにいた議員や機関の者たちは議院に報告したり、執行機関が現場に向かうという中で情報の行き違いが多発した。
そのなかで彰は指示をしなくてはならない。
「執行機関の者で手の空いている者はすぐに現場に向かい。保をその場で始末しろ。行ける者は全員行け。救護隊も準備が整い次第、現場に行け。」
「総帥。実は凪様がご自分で保を始末すると議員に言っていたそうです。」
「失礼します。総帥。現場ですが、現在も凪様が保と交戦中であるということです。優勢は凪様ですが、状況が変わる恐れがあるかと。」
「そうか。くそ。こんな時まで意地を張るとは、分かった。凪の意思を尊重して。保は凪に任せる。執行機関は保が倒れ次第すぐに死体回収ができるように準備しろ。救護隊はその場で待機し、状況を詳しく通信しろ。」
彰は素早く指示した。
(全く。ここまで意地を張るとは凪ちゃんも相変わらずだ。しかし、保が現れてもう一時間だ。体力にも限界があるはず。無事であることを祈るしかないか。)
現場が遠いこともあり、彰は凪にもしものことがあってはならないと思っていた。
今亡き親友に何もできなかったことの罪悪感があるからだ。
*
攻防は収まるどころか一層激しさを増しているように見えた。後のことは誰にも予測できない。しかし、圧倒的に凪が保に傷を負わせていた。保は事件を起こしたとき薫につけられた傷が完全に癒えておらず加えて凪にも負わされた傷で満足には動けないのだ。
しかし、術の力は恐らく中級以上か上級未満の実力であった。互いの武器を交わし合い一定の距離を置いたとき、保はもう限界なのか足で立つことすらできない様子であった。一方で凪も息が荒くなっていったが力はまだある。
「もう終わらせようか。」
「そうだな。……もう避ける力も残ってはいないし、薫とお前につけられた傷が開きかかっているからなあ。」
「なら。条件は同じだ。これで終わらせてやる。」
足に重心を掛けると、鎌を右手に持ち替え地面と平行にしあるスペルを唱えた。
すると、痣が不気味な影が飛び出し鎌と合わさっていく。その光景をみた保はすぐにわかった。凪がこれから何をしようとしているのかを。
「お前。まさかそれは『闇の刃』を放つ気か?」
「そうよ。」
凪は短く答えた。『闇の刃』とは闇から生み出した術の中でも最強と呼ばれる技であり、とても危険な術である。玖條家では当主か術の力がある者しか使えず、失敗すると命を落とすと言われている。まだ幼い凪がやるには危険である。いくら本家の血筋を引いているからといっても油断すると命を落とすかもしれない。
(たとえ、命終えても。やってやる。死んだっていい。)
力を鎌に集中させながら凪はあることを決意していた。そして、鎌を大きく振り上げ勢いよく下げた。
「ぐあああああああああ。」
「うっ。」
二人の戦闘が終わったとき保の叫び声と凪のうめき声が一帯に広がり、二人はその場に倒れた。保は昔にやられた傷に闇の刃が当たり即死。凪は闇の刃を放った際に保の最後の足掻きだったのか、身を守るためだったのか持っていた剣を凪に向かって投げた。それが凪の腹部にあたってしまったのだ。
(こんな終わりになったか。まあ……いっか。知らなくてもいい真実は闇に葬ったほうが。)
「ごめん。恭。」
なぜかその言葉を口にし、瞳を閉じた。
*
凪が意識を失ったとき、救急隊がすぐに駆けつけ応急処置を始めた。
「急げ。出血が激しい。」
「おい。タンカを持ってきてくれ。」
「総帥に報告をしろ。手が空いている執行員は救急隊の手伝いをしろ。」
「止血が間に合わない。包帯を持ってきてくれ。」
議員や機関の者が慌ただしく動き回るなか、その様子を屋上から愁は眺めていた。
(保が死んでくれたのは予想していったが、まさか最後まで足掻くとは。どんだけ執念深いのやら。)
保が死んだことを悲しむどころか執念深さに呆れていた。凪は到着した救急車に搬送されたのを心配そうに見た。
「凪。生きてくれよ。頼むから。」
梟が愁の肩に止まり、心配そうに顔を覗き込んだ。
「行こう。凪を守らないといけない。俺こそが凪のナイトなんだから。」
愁は立ち去った。
影と闇の術師1 @miharuka
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