猫とネコと社畜の話

夜凪

第1話:エイプリルフールと朝の同居騒動

カーテン越しの春の光が、ゆっくり部屋に広がっていく。

布団の端で丸まっていた飼い猫のめんまが、背伸びをし、にゃあと鳴いた。


その声に、春野ひよりはゆっくり目を開ける。

寝癖がふわりと跳ね、髪の間からのぞく目はまだ半分夢の中みたいだ。


「……おはよう、めんま」


ひよりが眠そうに身体を起こすと、めんまは顔に寄ってきて、尾をゆっくり揺らす。

それだけで、ひよりは少し微笑んだ。


――が、家の奥からガチャガチャと金属音が響いてきて現実に引き戻される。


(……これは、嫌な音……)


ひよりはゆっくりと立ち上がり、めんまも一緒に行くとばかりに、ついてくる。

足音を忍ばせてキッチンを覗くと――


「……ひより、おはよ。パンを焼こうとしたんだけど……失敗した……かも」


夏目かすみが、トースターの前で呆然と立っていた。

トースターの中には、もはや“パンだったもの”というより“黒い化石”が鎮座している。


「……かすみ、これもうパンじゃなくて、化石だよ」


「エイプリルフールだから……嘘にならないかな……?」


「現実を見よう?」


かすみはスーツ姿ではなく、大きめの部屋着Tシャツで髪も少し跳ねている。

会社では“誰もが憧れるバリキャリ”なのに、家では完全にふにゃんとした生き物だ。


そして、そんなかすみに――


「にゃ」


めんまがすり寄っていく。


「めんま……慰めてくれるの……?」


めんまはただ尾を立てて歩いただけなのに、かすみは勝手に癒されている。

ひよりは苦笑した。


「朝ごはん、私が作るから。かすみは座って待ってて」


「あのね……ひよりのご飯が食べたかったの……」


そう言いながら、かすみはひよりの肩に頭をぽすっと置く。


「ち、近いってば……! めんまが見てるから!」


ひよりは耳まで赤くなりながら、フライパンを火にかける。

卵を割り、味噌汁を温め直し、焼き魚を並べる。

その一つ一つの動作が日常のはずなのに、かすみの甘えた視線だけで時々心臓が跳ねる。


かすみは椅子に座りながら、じっとひよりを見つめていた。


「……そんなに見られると、手元狂うんだけど」


「ひより、料理してるとき可愛いんだもん」


「朝から言わないで……!」


「ほんとに思ってるだけだよ?」


ひよりは慌てて味噌汁の火を弱めながら、耳が熱いのをごまかすように咳払いした。

その横をめんまが通り抜けていき、かすみの膝にひょいと乗る。

しっぽをゆらゆらと揺らしながら一緒にひよりを見つめる。どことなくめんまも幸せそうな顔をしている。


「めんま……さすが、わかってる……」


かすみはめんまを抱き上げ、ほわっと笑う。

ひよりはその笑顔を見て、胸の奥がほんの少しだけ温かくなった。


(……こういう時間、好きだな)


食卓に朝ごはんを並べ、3人――いや、2人と1匹の朝が始まる。


「ありがと、ひより。……あのさ」


かすみが箸を置いて、窓の外の桜を見つめた。


「今日の仕事終わったら、一緒に桜見に行かない?」


「……エイプリルフールの嘘じゃないよね?」


「嘘じゃない。本気で誘ってるの」


ひよりは思わず箸を止めた。

胸が少しくすぐったいような、落ち着かないような気持ち。


「うん。行きたい。かすみと……」


言いかけて、めんまを見た。


「めんまも一緒に?」


「にゃ……」


かすみは笑って肩をすくめる。


「めんまが来たいならね」


「にゃー」


めんまは鳴いたが、その真意は誰にもわからない。

ただ、尾を軽く振り、食事の匂いに惹かれてテーブルの下へ消えていく。


春の光が差し込む部屋で、ひよりは静かに微笑んだ。


こうして、春野ひよりと夏目かすみ、そしてめんまの何気ない日常が――

4月1日、エイプリルフールの朝から始まった。


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