第9話 没落令嬢の滝行

 快晴なのもあってポカポカとした暖かさも感じられる気温ではあるが、水の中は冷涼の世界であった。


 ララは一度その冷たさを体感したこともあり、何の苦もなく川の奥へと邁進しているが、ミレーヌは足先を水に入れた途端に悲鳴にも似た声を上げており、早くも後悔に襲われるのだった。


 ――これが若さなのかねぇ……


 ガチガチと体を震わせながら、ミレーヌは少女の後ろ姿をうらめしそうな視線で追った。


「近くに立つとすごい迫力ですわね」


 遠目からはさほど大きく感じなかったその滝も、間近から見上げると切り立った岩肌の上から潤沢な水量が轟音を伴って降り注ぎ、その壮大な光景だけでも来る者を拒む圧を感じられた。


「では、滝の中に入ってみましょう」

「だ、大丈夫かい? あまりムチャしないでよ?」


 果敢に挑む少女をミレーヌは心配そうに見守る。


 ララは恐る恐る滝の中に頭を入れてみると、


 ドゴゴゴゴゴッッッ!!!


「あだだだだだッッッ!!!」


 滝の水圧をもろに受けて前のめりに倒れそうになる。


「く、首がもげるかと思いましたわッ!!」


 何とかそこから抜け出して体勢を立て直したララは、あまりにも大きな自然の脅威に目をいた。


「ララ、頭から入るからバランスを崩しちまうんだ。先に体からこう入れば――」


 そう言って今度はミレーヌが背中を向けながらゆっくりと滝の中へと身を投じる。


「ほら、これならずべべべべべッッッ!!!」


 しかしそこに頭を入れた直後、途轍もない水圧が顔を襲い、ミレーヌは言葉にならない言葉を発していた。


「ぷハァッ!!」


 慌ててその場から抜け出す。


「ねえ、ミレーヌ。『すべべべべべ』って何ですの?」

「水を飲んじまって喋れなかっただけだよ!!」


 ララの屈託の無い問いに、ミレーヌは全力でツッコミを入れる。


「どうも上手くいきませんわね」

「多分、頭は入れない方がイイのかも知れないね。肩で受けるような感じで入ってみたらどうだい?」

「わかりましたわ」


 アドバイスを受け、今度はララが背中からゆっくりと水を浴び、そして頭を下げ気味にした状態で肩まで入る。


「……大丈夫ですわ! これなら何とか立っていられますわ!!」


 ややふらつきながらも、ようやく滝の水流を受け止められる体勢を見出したララが声高に叫ぶ。


「それじゃ、アタシも……」


 それに倣い、ミレーヌも滝の中に身を投じる。


 ミレーヌですら水が腰上まである状態なのに、ララに至っては胸の下辺りまで浸かってしまっているので、余計にバランスを取るのが難しそうだった。


「ねえ、ミレーヌ!? 滝行ってこれであっているのでしょうか?」

「え? 何? よく聞こえない」

「滝行って、本当にこれであっているんですのッ!?」

「知らない!! やったことも見たこともないからね!!」


 滔々とうとうと流れる水流の轟音の中、二人は問答するが答えは出ない。


 何が正解なのかもわからないまま、二人はしばらく滝に打たれ続けた。


 ――わたくし、何でこんなことをしているのでしたっけ?


 不意に疑問が沸き出す。


 自然と一体化するためだ。


 ――本当にこれで自然と一体になっていると言えるんですの?


 そもそも、なぜ自然と一体化する?


 ――そうすれば強くなれる……はずだからですわ


 本当にそれで強くなれるのか?


 ――わからない……わかりませんわ


 自問自答すればするほどに自信を喪失してゆく。

 やがてどうしようもない虚しさが生じる。


 そして、ララは考えることを諦め、目を閉じて深呼吸をする。


 と、その時だった――


 滝に打たれているはずなのに――


 轟音鳴り響く中にいるはずなのに――


 少女の意識は体を離れてその周囲に及び、風に揺れる木々の葉音、空を遊泳する鳥たちのさえずり、山間で獲物を求める獣の足音まで――風の流れも、空の広さも、大地の息吹も、まるで自身の一部であるかのように鮮明ハッキリと感じられるのだった。


 ハッと目を見開く。


 そこは先程と同じ滝の中で、耳を劈く程の轟音と肌にまとわりつく冷たさに再び覆われる。


 ――今のは……一体何なんですの?


 夢だったのか、はたまた違う境地に至ったのかわからないまま、少女たちの苦行はもうしばらく続くのだった。



 今夜の晩御飯は、山菜とキノコと木の実、そして、ララとミレーヌが二人で捕まえた野ウサギの肉だ。

 それらを持参した鍋で煮込み、同じく持参した調味料と薬味で味を整える。


「ほら、出来たよ」


 ミレーヌが完成した料理を木皿によそってララに手渡す。


「ありがとうございます」


 木皿越しに暖かさが伝わり、夜になってさらに寒く感じられるこの時期には余計に染み渡る温もりであった。


「わたくし、ウサギ肉は大好物なのですが、こうして一から捌いて料理して口にするまでがいかに大変か、身に染みて痛感いたしましたわ」

「そうだね。アタシたちは普段精肉された状態しか目にしないからね。そこまでの工程にある目を背けたくなるような残酷な部分は、いつも他の誰かがやってくれてるんだよね」


 自分の分の食事を手にしたミレーヌが隣に座り、ララの言葉に同調する。


「命をいただく、というのはそれだけ重大な行為なのですわね」

「だからこそ、アタシたちはすべての命に感謝しなくちゃならないし、絶対に粗末にしちゃいけないんだ」

「自然の恵みに感謝ですわ」


 そう言って二人はそれぞれ手を合わせ、祈りの言葉と感謝の言葉を唱え、食事を口にする。


 ララは生まれて初めて動物を捌いた。それは彼女が自ら進んでやったことだ。

 最初捕獲した時には可愛いと思った野ウサギを、自らの手で絞め、ミレーヌの助言通りにナイフを入れて解体した。

 ふと涙もこぼれたが、絶対に目を背けることはしなかった。


 少女は命と真正面から向き合い、その大切さとありがたみを体感することが出来たのだった。


 食事を終えた二人は天幕テントの前で寄り添い、一枚の毛布に一緒にくるまりながら夜空を見上げた。


「星がキレイですわね」


 まるで宝珠を無数に散りばめたかのような煌びやかな満天の星空である。


「自然の中から見上げると、余計に鮮明ハッキリと見える気がするよ」


 ミレーヌが静かにつぶやく。


 耳を澄ませば虫の鳴き声や獣の遠吠え、木々のざわめきや川のせせらぎなど、夜の静寂はより一層に周囲の音を際立たせている。


 そして二人は焚き火を焚いたまま天幕テントの中にこもり、自然の中で一晩を過ごした。



 翌日も、ララの提案で二人は朝から滝行を行った。


 昨日のように、目を閉じているのに周囲の光景を克明に把握出来たあの超常的な状態を再現したかったのだが、それを期待すればするほど逆に感覚が鈍り、結局その時はただ水を浴びただけに終わったのだった。


「それではわたくし、昨日のリベンジでまたお魚を捕まえたいと思います」


 昼食の食材確保でララは再びそう主張し、今度は川の下流へとおもむいた。


 昨日とほぼ同じ場所。昨日とようにそこでは数多くの魚が悠然と泳いでいた。


 ――人の気も知らないで、のんきなものですわね


 そんなことを思いながらララは息を吐いて脱力し、おもむろに手を伸ばしてみる。


「え?」


 すると、その手にたしかに魚の感触が伝わり、手を引き上げるとその手には一匹の魚が収まっていた。


「えええッ!?」


 まさか本当に捕まえられると思っていなかったララは慌てふためき、その際に緩んだ指の隙間を掻い潜って魚はピョンと飛び跳ね、ぽちゃんと水音を立ててそのまま川の中へと帰還を果たす。


「何で……? 昨日はあんなに頑張っても捕まえられなかったのに」


 自分の手のひらを見つめながら思い返す。


 違いがあるとすれば、昨日は捕まえようと躍起になっていた、という点くらいだ。


 ララはひとつ深呼吸を入れると、だらりと脱力し、無心のまま水面を見つめた。


 足下を泳いでいる魚を見ていると、不思議とその動きがまるで静止しているかのようにゆっくりと感じられる。


 そっと手を伸ばす。すると魚は前方へ移動しようとする。


 刹那、ララはまるでその動きがわかっていたかのようにもう片方の手で先回りし、魚がそこに来たところをがっちりと捕らえる。

 

 「……出来た。本当に出来ましたわ!」


 ララは手の中でなおも抵抗する魚を今度は逃すまいと、両手で包みこんだ。


 結局ララは合計二匹の魚を持って天幕テントへと戻った。


「ララ、すごいじゃないか! ちゃんと捕まえられたんだね!」


 ひと足先に戻っていたミレーヌが、少女の両手に握られている虹色の光沢を持った魚を見て感嘆の声を上げた。


「大きなニジマストリュイッタルカンシエルじゃないか」

ニジマストリュイッタルカンシエルって言うんですの、この魚?」

「ああ。めちゃくちゃ美味いぞ」

「それは楽しみですわ」


 ララは初めて自分の手で捕まえた魚を、自らの手で捌いて焼いて食する。そのニジマストリュイッタルカンシエルの味は格別で、ララはそれを好物のひとつに加えるのだった。

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