第3話 没落令嬢の野営

 ララとミレーヌが武器商人であるヤンという男と出会い、そこで働き始めてから三日が経過した。


 彼らヤン商会はここより南西に位置する港町コリンヴェルトへと向かっているところであるが、その道中は道の険しい難所があるだけでなく、治安が悪く通行人を狙う賊なども出没するという悪所でもあった。


 そして、隊商はこの日の夜は丘の上で野営し、寝ずの番をララとミレーヌが務めることとなった。


 枯れ草が広がる地面に天幕テントを張り、薪をべて火を起こし、獣肉と山菜を煮込んだシチューを食べ終えると、彼らは一斉に眠りに就いた。


 そして天幕テントと荷馬車の中心辺りに起こした焚き火の前で、ララとミレーヌが丸太の切れ端に腰を下ろし、寝ずの番に就く。


 幸い好天に恵まれて月や秋の星々が爛々らんらんと輝いているが、周囲は町の灯りも目印となる篝火かがりびもない寂寥せきりょうの丘で、ただ目の前でパチパチと爆ぜながら時々吹きこむ冷風にその身を踊らせる炎が朧げに二人の顔を照らし出していた。


「静かだね……」


 まるで魅入られるように炎の律動を見つめながら、ミレーヌがポツリとつぶやく。


「ええ……。不気味なくらいに静かですわね」


 その隣でララが膝を抱えたまま同意する。


「ヤン殿は、ただ朝まで座っていればよいとのんきにおっしゃっておりましたが、この辺はそんなに安全な場所なのかしら?」

「まあ、獣くらいだったら火を絶やさなければ大抵は近づいて来ないとは思うけど。でも、この辺は獣よりも全然恐ろしい奴らが跋扈ばっこしてるってもっぱらの噂だよ」

「ミレーヌ、それって……」

「ああ。賊どもだ」


 ミレーヌは大きくうなずいて言った。


「ですが、それにしてはこのヤン商会はあまりにも無防備ではありませんこと? たしかにヤン殿はお強いですが、他の方々は至って普通の使用人といった感じですし……」

「そうなんだよ。それはアタシも気になってたんだ」


 ミレーヌは大きく身を乗り出し、


「だけど実際、賊は現れてない。いや、賊どころか獣の気配さえもこの近辺には無い。『吸血者ドラキュリアン』になって感覚が研ぎ澄まされてるから、そう感じられるんだ」


 実感を伝える。


「たしかにわたくしも、この辺りに危険なモノの気配は何も感じませんわ」

「果たして偶然運がイイだけなのか……。まあ、アタシとしては何もないに越したことはないけどさ」

「そうですわね」


 二人は再び焚き火の方に目を向ける。


「そういえば、この隊商の行き先ってコリンヴェルトなんだよね? 何か運命的なものを感じないかい?」

「そう……ですわね」


 ミレーヌの言葉に、ララはふと思い返してみる。


 今より数週間ほど前のことだ――


 エイレンヌという小さな港町でララとミレーヌは領主の奴隷として仕えており、そこで大ブリタニア王国の紫紺騎士団の襲撃を受けて敵将のリオと死闘を繰り広げた。

 その時、紫紺騎士団はコリンヴェルトとの定期船を乗っ取り、そのまま乗りこんで来たのだ。


「でもさ、コリンヴェルトって別に内乱もなければ敵の侵略があるワケでもない、ホントに平和な港町のはずだよ。そんなところに武器商人が来ても、旨みのある商いが出来るとは思えないんだけどなぁ」

「たしかに……。戦がなければ武器は売れませんから、不思議といえば不思議ですわね」


 二人はヤンの狙いが理解できず、小首をかしげながら考えこむが、やはりその答えは出なかった。


「でもさ、コリンヴェルトといえばやっぱりワイン! あそこの白ワインは格別なんだよねぇ」


 早々に考えるのをやめたミレーヌは、頬に手を当ててうっとりと赤みを帯びた顔で思いを馳せる。


「そういえばミレーヌ、最初に会ったころはお酒なんて一滴も飲まなかったのに、わたくしと旅をするようになってからはよく飲むようになりましたわよね?」


 実は彼女が酒好きでかなりの酒豪であることを、ララは最近知ったのだ。

 

「ああ、旦那が死んでからさ、ずっと禁酒してたんだよ。かれこれ五年だからけっこう長かったね。でも、心機一転エイレンヌを出てアンタと一緒にこうして旅に出てるんだ。もうしがらみを捨てて好きなものを好きなように楽しむことにしたんだ」

「好きなものを楽しむ。それが一番の幸福ですもの、イイと思いますわ。まあ、飲み過ぎない程度にお願いしますわね」

「ああ。酒は飲んでも飲まれるな。心得ているよ」


 実際、ミレーヌは酒が入るといつも以上に陽気にはなるものの、決して理性を失ったり他者に迷惑をかけることも皆無なので、ララもそこは安心しているところだ。


「ところでミレーヌはヤン殿についてどう思います?」


 不意にララはたずねる。


「どう、って?」

「うーん、何と言ったら良いのか……とにかくその存在自体が謎だらけではありませんこと?」

「ずいぶんとざっくばらんに言うねぇ」


 ミレーヌは思わず苦笑した。


「まあたしかに、見た目や名前からしてここら辺の出身じゃないだろうし、商人にしてはあまり愛想が良くなくて暗い感じだし、商人というワリにべらぼうに強いし。何か掴みどころが無い人だよね」

「ええ。それでわたくし、思ったんです」

「何を?」


 ララは大きく身を乗り出し、


「もしかしたらヤン殿は、他国から送られた諜報員スパイなのでは、と」


 ヒソヒソ声で伝える。


諜報員スパイ? ヤン殿が?」


 ミレーヌは腕組みを考えこむ。


「……なるほどね。たしかにそう考えると腑に落ちるかも知れない」

「でしょでしょ? コリンヴェルトに行くのだって、商売ではなく諜報工作が真の目的だとしたら合点がいきますもの」


 二人が同時にうなずいた、その時だった――


「なるほど、諜報員スパイですか」


 彼女たちの背後から、穏やかな口調ながらどこか圧を感じさせる言葉が向けられる。


「ッ! や、ヤン殿!?」


 常人には無い高い戦闘能力と鋭い感性を持つ二人でさえもまったく気配を察することが出来ず、暗闇と同化するようにして現れた黒ずくめの男――ヤンは飄々とした足取りで近づくと、


「失礼させていただきます」


 そう言って彼女たちと同じように焚き火の前で腰を下ろした。


 途端に重苦しい空気がその場を支配する。誰も言葉を発しないまま、ただパチパチと炎の爆ぜる音だけがやけに大きく聞こえる。


「あ、あの……」


 沈黙を打ち破ってララが言う。


「差し支えなければヤン殿のこと、教えていただけませんか?」

「そうですね。さして人に語るようなものでもありませんが……」


 おもむろに下弦の月を見上げ、一度ため息を吐くと、男は静かに語り始める。


「私はここより遥か東方の出身です。物心ついたころにはすでに両親は無く、奴隷として貴族の下で働いておりました」

「奴隷?」


 かつて奴隷堕ちした経験のある二人は思わずその単語に反応を示す。


「ええ。まさに地獄のような日々でした。食事は二日に一度程度。睡眠は一日三時間程度。それ以外は捨て駒として肉体労働と戦争に駆り出される。それの繰り返しでした」

 

 しかし、比較的恵まれた環境にいた彼女たちと違いあまりにも過酷すぎる生活を送っていたことを知ると、何も言えず推し黙るしかなかった。


「そして私はある日、主である貴族を殺害したのです。おそらく衝動的な行動だったのでしょう。当然私は捕縛され、処刑されるはずでした。しかし、私はたまたま通りかかったひとりの大商人に拾われたのです。

 不思議でした。なぜ、矮躯わいくで醜い犯罪者の私を助けたのか、と。その商人は、一期一会だと言いました」

「一期一会?」

「ええ。つまり、偶然出会ったから助けたということです。私は戸惑いながらも彼の元で働き、やがて自らも商人として独立するに至ったのですよ」


 そこまで話すと、再び深いため息を吐く。


「ヤン殿が商人になったのは、その恩人の影響だったんだね?」

「ええ。何も無かった私に指針を示してくれた大恩人でございます」


 ミレーヌの問いに、ヤンはかすかに微笑んだ。


「あの、申し訳ございませんでした。 わたくし、ヤン殿のことを諜報員スパイなどと愚かな邪推をしてしまいましたわ」


 ララは深々と頭を下げ、非礼を詫びる。


「いいえ、謝る必要などありませんよ、ララ殿。アナタのご推察、のですから」

「え?」


 意味深なその言葉に、ララはすぐに顔を上げる。しかし、ヤンはただ微笑むばかりでそれ以上を語ろうとはしなかった。


 ひんやりとした肌寒い風と共に再び沈黙がその場に流れる。


「今度は私が聞いてもよろしいでしょうか?」


 そして、先に口を開いたのはヤンだった。


「ええ、構いませんわ」


 ララはコクリとうなずく。

 

「お二人はこうして私と同行しておりますが、嫌ではありませんか?」

「嫌、とは?」


 二人は同時に首をかしげる。


「私は武器商人でございます。武器は人を殺すための道具。世間ではそんな武器商人のことを『死の商人』と呼び嫌悪し忌避する者も少なくはありません。そのような忌むべき存在と共にあることを、アナタ方は苦痛に思うことはありませんか?」


 それは相変わらず感情の乏しいくぐもった声であり、その言葉の中にある真意を読み取ることは困難であった。


 ララも少し首をかしげるが、結局深く考えることはやめてまっすぐに男を見据えて言う。


「武器はたしかに人を殺めることの出来る道具ではありますが、それは同時に命を護るための力でもあります。殺すも活かすもすべては使う者の心次第であり、武器そのものが悪であるはずがなく、ましてやそれを商う者を忌み嫌うなどはなはだしい謬見びゅうけんですわ」

「ほう……」


 まっすぐな瞳で忌憚きたんなく発せられる少女のその言葉に、ヤンは感嘆を禁じ得なかった。


「真にありがたきそのお言葉は正論であり、道理であり、理想であります。しかし、この世ではそのような正しきものが退けられるのが常でございます」

「では、わたくしの言葉は荒唐無稽な絵空事ということになりますわね?」


 少女の言葉にヤンは大きくかぶりを振って言う。


「いいえ。そのような現実の中でも自分を見失わずに己の理想を抱き続けられる愚か者こそが強者なのです。ララ殿は愚直なまでにお強いですよ」

「それって褒められているのかけなされているのか、わかりませんわね」


 ララは苦笑する。


 ヤンもどこか愉快そうに口角を上げるとおもむろに立ち上がり、


「少々話しすぎたみたいですね。私はそろそろ失礼させていただきます」


 そう告げてきびすを返し、ゆったりとした足取りで天幕テントの方へと戻ってゆく。

 が、すぐに足を止め、


「コリンヴェルトではきっと大きな商いが待っていると思いますよ……」


 振り返ることなくそう告げ、再び歩みを再開すると、すぐに闇と同化してその気配と共に溶けてゆくのだった。

 

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