第17話 奴隷令嬢の純潔

 叛乱軍によって居城が陥落させられたあの日――


 ララは自身の首に下げていた乳白色の宝珠――紫紺騎士団のリオの話によれば『八紘の宝珠エレメンタリス・ジュエル』と呼ばれるそれがまばゆい輝きを放ったその直後に気を失った。


 そして彼女はそのまま群衆のなぐさみ者とされるはずだった。

 しかし、ララの母が必死に請うたという。

 自分はどうなってもかまわない。だから娘には手を出さないで欲しい、と。


 もちろん、彼らに――血に飢えて理性を失ったケダモノたちにそれを認める道理など無かった。

 しかし、獣面の者がそれを許したという。


 男の話によれば、彼もその謎に満ちた人物については何も知らず、ギヨームはことあるごとに獣面の者の助言を仰いでいたという。


 こうして、本来群衆に凌辱された後に娼館に売られる予定だった少女の純潔は守られ、替わりに奴隷として売られることとなった。


 しかし、その代償は彼女の母親が支払うこととなった。

 本来娘と同様に凌辱された後に娼館送りとされる予定だった彼女は、死よりも惨たらしい輪姦劇を経て、夫である領主と共に斬首されたのだという。


「そんな……」


 あまりにも残酷な顛末てんまつを知ったララは愕然とし、その場に膝から崩れ落ちる。


「それでは、お母様は本来散らさずに済んだはずの命を、わたくしの純潔のために……」


 それ以上は言葉にならなかった。


 ミレーヌも、そんな彼女の姿にかける言葉もなくうなだれるしかなかった。


 そして、そんな自責の念はララを自己嫌悪へとおちいらせ、やがて彼女の胸の中でもやもやとしたドス黒い感情が頭をもたげる。


「アナタも……。アナタもわたくしの母を凌辱したのですわよね?」


 ゆらりと音もなく立ち上がると、氷のごとく凍てついた冷たい視線を男に向ける。


 ――憎イ


 男は恐れおののき、


「お、オレは周りに流されて仕方なく……。ゆ、許してくれ!」


 言い訳を並べて慈悲を請うた。


 ――スベテガ憎イ!


 そのもやもやとしたドス黒いものは彼女の憎悪をさらにかき立てると、それに操られるようにしてララは殺意の衝動に駆られて剣を掲げ上げる。


 そして――


 ――コロセッ!!


 それを振り下ろした。


「ララッ!!」

「ッ!!」


 刹那、ミレーヌの必死の呼びかけでハッと我に返ったララはとっさに切っ先の軌道を変える。


 ガシュッ!!


 それは男の頭上ギリギリのところにある木の幹を深くえぐり止まった。


「ひ……ひぃぃ……」


 男は涙と鼻水で顔をくしゃくしゃにしながら体をガクガクと震わせていた。


 ホッと胸を撫で下ろすミレーヌ。


 ララはひとつ深呼吸を入れて気持ちを落ち着かせ、剣を収める。


「老婆心から申し上げますわ」


 涼やかな声で言うと、


「アナタは今すぐここを離れ、どこか人目のつかない場所で隠遁した方がよろしいと思われますわ。仲間を売って得たそのお金で、一日でも長く生き延びたいのであれば……」


 男にそう告げる。


「ひいぃッ!!」


 男はまだ怯えた様子のまま駆け出し、何処かへと去って行った。

 その背中を見つめる少女の側にミレーヌが寄り添い、


「……よく我慢したね、ララ」


 ねぎらうようにそっと頭を撫でる。


「……本当はわたくしにもわかっておりました。お父様とお母様が無事でいる可能性の低いことを。ですが、それでも心の奥底ではわずかな望みにすがっていたのです。生きていて欲しい……。どれほどの辱めを受けようとも、生きていてくれさえすればまたやり直せる、と。ですが……」


 淡々と思いを吐露したララは振り返り、ミレーヌの胸にすがりついた。


「う、うぅ……ふえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇんッッッ!!!」


 そして涙と鼻水で顔をくしゃくしゃにしながら号泣する。


「思う存分泣いてイイよ……」


 ミレーヌは少女を優しく抱きしめ、そのまますべてを受け止めるのだった。


 



 二人はそのまま廃墟と化したノルマンの町にとどまり、ララの気持ちが落ち着くのを待った。


 ミレーヌは周りを少し見て来る、と言ってそこを離れている。

 ララはそこに転がっている大岩に腰を下ろし、ぼうっと変わり果てた故郷の町を眺めていた。

 

 当然のことながら道ゆく人はまばらで、そこにとどまる者は彼女たち以外に皆無であったが、時々馬に跨った警護兵が巡回しているのが見える。

 どうやらここから少し離れた丘陵に部隊が駐屯しているようだ。


 おそらく他の領地から住民を募り、少しずつ復興に向けて動き出すはずだ。

 しかし、ここまで荒廃した町が元通りになるまでの道のりは困難であり、相当の年月を要することだろう。


「おーい、ララ」


 街道の方からミレーヌが手を振りながら戻って来ると、


「さっき巡回してる警護兵から話を聞いてきたんだけどさ」


 そう言ってララの隣に腰かける。


「何かわかりましたの?」

「ああ。ここの叛乱軍を鎮圧した人がデュラスって名前らしいんだ。知ってるかい?」

「アルバン・デュラス……。アルセイシア王国きっての名将と名高いお方ですわ」


 神妙な面持ちで考えこみながら、ララは答える。


「へぇ、すごい人なんだね。近くに駐屯してるみたいだけど挨拶しなくてイイのかい?」

「一度お会いしたことがあるのですが……。わたくし、あの方が少々苦手なんですの」

「ララでも苦手な人がいるんだね」


 ミレーヌが呵々かかと笑うと、ララは不機嫌そうに頬を膨らませる。


「それと、そのデュラスって人が亡くなった公爵一家の墓を建てたらしいんだよ」

「お墓を!?」


 ララはすっくと立ち上がり、


「そこへ参りましょう!」


 真剣な眼差しでうながすのだった。




 町を出て街道を北に少し進んだ先に開けた丘が見えてくる。

 普段は何もないその寂寥とした場所に、大きな墓石が三つ立ち並んでいた。


「本当にお墓が……」


 感慨深げにもらすララ。


 そこにはそれぞれ名前が刻まれており、上級貴族の墓に見合ったかなり上質な造りをしていた。

 しかし、デュラスがわざわざこのような豪奢な墓を建てたのは公爵一家への敬意というよりも、民衆たちの憎しみをそちらに向けさせようとする意図があったのでは、とララは考えた。


 デュラスは今回の戦いで叛乱軍の民を容赦なく根絶やしにした。その悪評が広まるのを忌避するために、『叛乱の要因となったノルマン公爵一家』にヘイトを向けさせ、それを煽るようにわざと豪奢な墓を建造したのではないだろうか、と。


 だから、いずれこの墓標はデュラスの思惑通りに民衆の非難の的となって破壊されるかもしれない。

 しかし、ララはそれでも構わないと思った。

 どんな形であれ父母と再会でき、その死をようやく受け入れることが出来たのだから。


「フフフ……。本当にわたくしの分まで造ってくださったのね」


 まだ生きているのに自分の墓前に立っているという不思議な現象に、ララはこみあげる笑いを抑えきれずにいた。


「『アンジェリーヌ・ドゥ・アルセイシア ここに眠る 享年十四』、か。……ん? アンジェリーヌ?」


 首をかしげるミレーヌ。


「わたくしの名前ですわ」

「ああ、そうなんだ……ってアンタ、ララって名前じゃなかったのかいッ!?」


 今になって初めて知る驚愕の事実に、ミレーヌは大きくのけぞった。


「もう……わたくし、何度も言おうとしていたんですのよ」


 ララはそんな過去を思い出し、苦笑する。


「ですが……」


 ララはもう一度自らの墓石に手を添え、


「その名はここに置いていくことにしますわ。この墓石に刻まれているように、過去のわたくしはもう死んだのです」


 自身に言い聞かせるように語るのだった。


 そしてミレーヌの方へ向き直り、


「わたくしはララ。誰がつけたのかはわかりませんが、それが今のわたくし。アナタと出会い、さまざまな人と出会い、ただ恵まれた環境に甘んじているだけだったわたくしを生まれ変わらせてくれたこの名と共に生きますわ」


 そう告げる。


「うん。アタシもイイ名前だと思うよ」


 コクリとうなずき同調するミレーヌ。


「そして、わたくしはここに誓います」


 ひとつ深呼吸をして、ララが高らかに告げる。


「わたくしはこれより先、お母様が命を賭してまで守ってくださったこの純潔を穢されぬよう生涯処女を貫き、決して男に体を許すことなく、それを亡き婚約者ジョエルへのみさおといたしますわ」

「ララ……」


 ミレーヌは複雑そうな面持ちでつぶやく。


 たしかにこれまでの経験から彼女が男を遠ざける決意にいたるのは仕方のないことであり、当然の流れとも言えるものだ。

 それでも、愛する伴侶の子を授かりながら産めなかったという辛い過去を経験したミレーヌには、ララが素敵な伴侶を得て元気な子供を産んで欲しいという思いもあるのだ。

 しかし、彼女の胸の奥底にはまたそれとは違う別の感情が芽生えており、それがもやもやとした不快なこごりとなって巣食うのだった。


「そしてもうひとつ……。アナタにどうしても伝えたいことがありますの」


 まだ気持ちの整理がつかないミレーヌに、ララはいつになく真剣な眼差しを向けてそう言うのだった。

 

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