第13話 奴隷令嬢と惨劇

「そ、そんな……」


 館に駆けこんだララは、門の前に掲げあげられているものを見て愕然とした。


「領主……」


 それは、串刺しにされた領主の首だった。

 

 ララは定期船の異変に気づいた際、領地に戻っていた領主と初めて対面してそれを報告した。彼は妻であるパメラの口添えもあってそれを信じ、彼女の講じる防衛策を了承した。


 その領主が無惨な姿となって晒されているのを見た少女は、慙愧と痛惜に胸が押しつぶされそうになる。


 しかし、それでも彼女は駆けた。

 これ以上大切なものを失わないために。


「家令さん!?」


 館の入り口に横たわる女性の姿を見つけたララはすぐに駆け寄り、抱き上げた。


「ら、ララさん……。申し訳ありません。力及ばす敵の侵入を許してしまいました……」

「家令さん……」


 ララは絶句した。

 家令の体には何ヶ所も斬り傷が刻まれており、まだ息があること自体が不思議な状態なのだ。


「彼らは十人ほど……。お願いします、ララさん。どうか、みな様を――」

「……家令さん?」


 しかし、返事が返ることは無かった。

 最後まで責務を果たし、少女に思いを託した家令はその役目を果たしたかのように静かに事切れたのだった。


 ララは立ち上がった。

 そして階段を駆け上がると二階の最奥の部屋へ――領主の妻であるパメラの部屋へと一目散に駆けこんだ。


「パメラさん!!」


 勢いよく扉を開けると、いつもの甘い麝香の香りではなく、生臭い不快な臭いが少女の鼻にまとわりつく。


 そして部屋を見渡すと、テーブルも椅子もタンスも破壊され、その残骸が無造作に転がっていた。


「パメラ……さん?」


 障害物を避けながら部屋の主を探す。


「ッ!!」


 刹那、ベッドの上に目をやるとそこにあった信じがたい光景を目の当たりにし、ハッと息を飲む。


 全裸の状態で――

 体に複数の痣を刻まれ――

 胸に剣を突き立てられた――


 パメラの死体が横たわっていたのだ。


「ウソ……ですわよね?」


 ふらり、と幽鬼のような足取りで近づく。


 豊かな栗色の髪はくしゃくしゃに乱れ、あんなに色艶に富んでいた肌はくすみ、透き通るような水色の瞳は鈍色に凝り宙に視線を漂わせていた。


「……ようやく幸運を掴んだのに……ようやく幸せを手にしたのに……」


 明らかな凌辱の痕跡があり、激しい暴行の末に剣を突き立てられ殺害されたことを理解したララは怒りに体を震わせてその剣を抜き、


「パメラさん、アナタこそ貴族の責務ノブレス・オブリージュをまっとうした気高きお方ですわ」


 そう告げて部屋を駆け出した。




 〜


 パメラはそわついていた。


 このドレスでよかったのだろうか?

 化粧は華美すぎやしないだろうか?

 そもそも、自分がここに来て本当によかったのだろうか? 


 多忙な夫の代理として初めて上級貴族の招待を受け、城で行われる祝賀会へとおもむいた彼女だったが、現地に到着したとたんに言いようのない不安に襲われてしまうのだった。


 客観的に見ても彼女はとても美しく、まだ二十代とは思えぬほどの妖艶さをまとったまさに貴婦人であった。

 しかし、それでも彼女が自身に不安を抱いてしまうのは、彼女の出自が大きく影響しているのだろう。


 パメラは元娼婦であった。

 領主にみそめられその後妻となってからは必死になって貴族としての素養を身につけ、どこに出ても恥ずかしくないくらいの気品を備えることができた。


 しかし、今日はひとりだ。

 もしも自分が笑われるようなことがあれば、それはすなわち夫である領主が笑われるということなのだ。


 ――恐い……もう、帰りたい……


 全身を包みこむプレッシャーに押しつぶされながら、パメラはフラフラとした足取りで城内の廊下を歩いていた。


 その時だった――


 注意が散漫だった彼女は前方からやって来る者たちに気づかず、うっかり先頭にいた女性とぶつかってしまう。


「し、失礼いたしました!」


 ハッと我に返り、平謝りする。


 ――やってしまった……


 まるで世界の終わりのごとく絶望感に見舞われ、頭が真っ白になる。


「この香り、麝香ですわね」


 しかし、正面の女性は玉を転がすような声で言うと、


「わたくし、この香り好きですわ」


 ぶつかったことなどまったく気にしてない様子でニコニコと無邪気な笑みを浮かべている。


 豊かな金髪と透き通るような碧い瞳を持つその少女は、まだ十代前半くらいの年ごろでありながら淑女としての気品と美しさをまとっており、ひとつひとつの所作には自信が満ち満ちていた。


 パメラは自分よりも一回りも年下のその少女を一目見た瞬間から、彼女がかもし出す形容しがたい美しさに心奪われ、これこそが本物の貴族なのだと感嘆を禁じ得なかった。

 同時に、取りつくろっただけの自分とはあまりにも違いすぎると、余計に惨めな思いになるのを感じていた。

 下賤の者がいかにつくろってもしょせんはまがい物。本物の貴族にはなれないのだ、と。


「……申し訳ありませんでした」


 余計に惨めな思いになったパメラは、そそくさとその場を離れようとする。


「あ、お待ちになって」


 しかし少女はすぐにそれを制し、


「チョーカーのリボンが少し曲がってしまっておりますわ」


 そう言ってぶつかった時に乱れてしまった服装を修正する。


「き、恐縮です……」

「そんなに畏まらなくてもよろしくてよ」


 少女はクスッと笑い、


「アナタ、お名前は?」


 そうたずねる。


「わ、私はエイレンヌ領主の代理で参りました、妻のパメラと申します!」


 固い口調でパメラは腰を深々と折り名乗る。


「まあ、アナタがパメラさん!? 若くて美しい奥方がエイレンヌにいらっしゃると噂で聞いておりましたの! お会いできて光栄ですわ!!」


 興奮気味にピョンピョン飛び跳ねると、少女はパメラの手を握って言った。


「そんな、私なんて……お嬢様に比べたら月とスッポンです」

「あら? まだ名乗ってないのに、わたくしのこと、ご存じで?」

「もちろんです……。社交界の華と讃えられておりますから」


 パメラは目の前にいる少女が、ホストであるこの城主のひとり娘であることを察していた。


「……パメラさん。惑う必要などありませんわ」

「え?」


 突然少女から向けられた言葉に、思わず首をかしげる。


「アナタはご自身の信念を貫いてここまでこられた。それは立派な矜持プライドであり、他者から何を言われようとも、どう思われようとも、決して侵されることの無い聖域です。もっと胸を張って歩いてくださいまし」

「ッ!!」


 パメラは瞠目した。

 それまるでパメラの過去を知っているかのような口ぶりであった。

 たしかに前妻の子であるエリクはことあるごとに彼女の後ろ暗い過去を非難し、罵詈雑言を誰彼かまわず撒き散らしていた。


 ――このコは知っているの?


 疑念を抱くパメラに少女は、


「どうかご自身に負けないように……」


 そう言い残してその場を去って行った。


 自分に負けるな――


 ――すべては私の心持ち次第、ということ?


 そう考えた瞬間、パメラは重くのしかかっていたプレッシャーが霧散し、身も心も軽くなるのを感じていた。


「ありがとうございます、お嬢様……」


 去り行く背中に向けて深々と頭を下げる。


 この後パメラは宴席で堂々と立ち振る舞い、領主代理としての務めを立派に果たしたのだった。


 〜


 

 

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