お客様、失礼ですが――

「俺はミステリー小説家なんだ」



 後部座席から響くその声に、思わず顔をしかめた。酔っ払いだ。そう直感しながらも、タクシードライバーの仕事はこうした相手とも話を合わせるのが役目だ。



 私は平静を装って「そうなんですね」と返し、ちらりとミラー越しに客の様子をうかがった。赤ら顔の中年男性が、だらしなく背もたれに沈み込んでいる。だいぶ酒が入っているようだが、その目には妙な高揚感が見え隠れしていた。



「お前にだけ、次回作の構想を教えてやるよ」と男は続けた。自信たっぷりで、どこか得意げだ。



 酔いに任せた思いつきか、はたまた本当に温めていたアイデアなのか、その辺りは分からないが、こういった会話も仕事のうちだ。適当に相槌を打ちながら、話を聞くことにした。



「あるところに、六角形をした館があるんだ。そこで殺人が起こる」



 六角形の館か――。そのフレーズに、思わず綾辻行人の『十角館の殺人』を思い出した。



 私は「それで?」と興味を引き出すような言葉を返した。



「その館はハニカム構造を取り入れていてな、部屋は全部六角形なんだよ。で、ある部屋で殺人が起きるんだ。被害者が最後に残したダイイングメッセージが六角形だった」



 男は目を輝かせながら話を続ける。ハニカム構造という言葉を使ったあたり、なかなか凝った設定だと感じた。だが、どこか少し唐突だ。酔っているせいか、その説明に緻密さはなく、どこか浮ついている。



「なるほど、六角形のダイイングメッセージ、面白いですね」と私は相槌を打つ。すると、男はさらに自信を深めたようで、話の核心に迫った。



「捜査が進むうちに、雪村って男が犯人だとわかるんだよ。で、そのダイイングメッセージが何を意味していたかっていうと、雪の結晶が六角形だろ? それを指してたんだよ。雪もハニカム構造で六角形だから、館の形と一致してるんだ!」



 男の顔には、まるで大発見でもしたかのような誇らしげな表情が浮かんでいる。だが、その理論には明らかな穴があった。六角形を軸にしたトリックのアイデア自体は悪くないが、どうも論理が破綻しているように思える。私は一瞬、どう返答するか迷ったが、慎重に言葉を選びながら答えた。



「お客様、申し訳ありませんが、雪の結晶が六角形なのは、フラクタル構造によるものです。ハニカム構造とは少し違います」



「な、なんだって!?」男は驚いたように身を乗り出す。



「フラクタル構造というのは、小さな部分が全体と似た形をしていて、何度もその形が繰り返される構造のことです。雪の結晶は、氷の粒が少しずつ重なっていって、その過程で自然と六角形の形ができあがるんです。なので、ハニカム構造のように、人工的に作られた規則正しい六角形とは異なります」



 男は困惑したようにしばらく黙り込んだ。顔には明らかにショックが表れている。彼の頭の中で練られていたトリックが、理論的に崩れてしまったのだろう。



「そ、そうなのか……」彼の声は明らかに落胆している。



「ええ。もし、雪の結晶を使うなら、フラクタル構造を活かしたトリックを考えるのも面白いかもしれませんね。例えば、何度も繰り返される形の中に、犯人を示すヒントが隠されているとか。繰り返しのパターンに注目することで、新しい視点が生まれるかもしれません」



 再び、静かな沈黙が車内を支配した。エンジンの低い音だけが響き、男は外を見つめながら深く考え込んでいる。その悔しそうな表情は、どこか無邪気ささえ感じさせた。だが、彼の瞳の奥には、新たなアイデアが浮かび始めているようにも見える。



 私は思わず微笑んだ。この酔客が次にどんなトリックを考え出すのか、少し楽しみになってきた。

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