第6話「フィオン・アトレイユ」

ローブをまとい、意を決して荷物を手にする。

部屋の戸口に向かう途中、姿見に映る自分の姿が目に入った。

前髪でわずかに隠れてはいるものの、額にはあの"印"がくっきりと浮かび上がっている。

いつか、私を殺す印が。


師匠はほかに道は残されていると言った。きっとその言葉に偽りはない。

私だって、本当は行きたくない。

正魔法使いになろうと思ったのだって、こういう旅に出たときのためなんかじゃなくて、いつかは自分の魔具の店を持ちたいと思ったからだ。

自分が何者かわからなくたって、魔法が自由に使えなくたって、平穏に暮らしてゆければそれで良かった。


なのに、自分の意思に従おうとすればするほど、セリアスのあの悲痛な目が思い出される。

セリアスは言った。

"私に生きていてほしい"のだと。


見知らぬ私のことをどうしてそこまで気にかけるのかはわからない。

けれど、どうしてか、その言葉が私の胸の奥で深く渦巻いて落ち着かないのだ。


居間へ向かうと、ロッキングチェアにもたれながら暖炉の火にあたっていた師匠が振り向いた。


「……エリービルに向かうのじゃな」


どう伝えようか散々悩んでいたのに、やはり師匠の千里眼にはかなわない。

ショルダーストラップを掴む手に力が入る。

はい、と絞り出すと、師匠は小さく息をつき、暖炉に手をかざした。

暖炉の脇の棚に積み上げられた薪が二つ、火にくべられる。


「引き留めても無駄だとわかっておる。じゃから、せめてアドバイスを授けるとしようかの」


「この先、おぬしはそれぞれ目的を持った者たちと旅をすることになるだろう。じゃが、誰一人として信用してはならぬ」


「……なぜでしょうか」


「その者たちのなかに、"ツチラト"の者が紛れておるからじゃ」


「ツチラト……?」


聞き慣れない単語に、首をかしげる。


「おぬしが聖堂地下で遭遇したという、顔のない者。あやつが取りまとめる集団の名じゃ」


師匠はかたわらに浮かせた杖を手に取ると、チェアのひじ掛けに手をかけゆったりと立ち上がった。

そうして私の目の前に歩み寄ると、長いそでのなかから白い石に紐を巻きつけたネックレスを一つ取り出し、私に差し出した。

そっと受け取ったそれは、私の手のなかで煌々と柔らかな光を放っている。


「よいか、アネリ。何かあればその石を握りしめなさい。さすれば、その石がおぬしを守ってくれるじゃろう」


「わかりました。……ありがとうございます」


ネックレスを首から下げ、ローブのなかに隠す。


「では、行ってまいります」


深く頭を下げ、今の戸に手をかけたときだった。

待ちなさい、と背に声をかけられる。


「街の外は魔物が蔓延っておるのを知っておるじゃろう。おぬしには同行者の助けが必要じゃ。じゃが……」


言い淀む師匠は何だかめずらしい。

師匠は物言いこそ穏やかなものの、普段はどちらかと言えばはっきりと物申すほうだ。

そんな師匠が言葉を選んでいる。そんなに言いにくいことなのだろうか。


「街の酒場に、"フィオン・アトレイユ"という流れ者の剣士がおる。

目立たぬようにしておるようじゃが、ここいらじゃ特に腕が立つと言っても過言ではない。

しかしのう、あの者は見てくれこそ柔和じゃが……その、少々雄弁での」


なるほど、腕利きの剣士だが性格に難あり、と言いたいのだろう。

念のためその剣士以外に適切な人はいないのかと確認してみたものの、師匠の知る限りエリービルまでの同行に相応しい者はこの街にはほかにいないとのことだった。


「そうじゃ、いざというときはこれを見せなさい。さすれば、あやつとて従わざるを得んじゃろう」


そう言って、師匠はふたたに袖に手を忍ばせ、封筒を取り出した。

この封筒にその剣士を従わせるだけの効力があるなんて到底想像できないが、師匠の口ぶりからしてかなりの自信があるのだろう。

しかし初めから断られる前提なのが少々厄介だ。

それほどまでに難儀な人とこれから組むことになるのかと思わず苦笑いが浮かぶ。


ーーー


この街唯一の酒場"バー・ウェルテル"に向かう。

昼間だというのにバーは満席に近く、泥酔した酔っ払いたちが騒ぎ立てている。

トレイに乗せた品を運ぶ店員を避けながら店の奥のカウンターへ向かうと、一人カウンターの角の席に座る青年を見つけた。

彼のかたわらの壁に立てかけられた剣に目が留まるが、思っていたよりも年若く、人違いではないかと思い始める。

腕利きの剣士というからには、中年くらいのもっとむさくるしそうな人物を想像していた。

けれど、目の前のこの青年は私とそう変わらないくらいの年頃に見える。


彼の目の前のテーブルには、殻の皿がいくつも積まれているが、ほかの席に並ぶタンカードが見当たらない。

代わりにグラスに注がれた水らしき飲み物と銀製のピッチャーが置かれている。


「……後ろに立たないでもらえるかな?」


さらりとした透き通るように淡い茶色の髪が揺れ動き、肩越しに振り返る。

その目には、見覚えがあった。

淡いタンザナイト……セリアスと同じ色の目だ。


しかし、セリアスの穏やかな眼差しとは違った。

突きさすような鋭い視線に、固唾を飲む。


「あの……あなたがフィオン・アトレイユ、ですか?」


「そうだけど。……あんたは?」


「わ、私はアネリ。アネリーネ・フランコです。大魔法使いエイドラム様から、あなたを訪ねるようにと……」


師匠の名を口にした途端、フィオンの眉がピクリと動いたのを見逃さなかった。


「ふーん、あのじいさんの差し金、ね」


ようやく話をする気になってくれたらしい。

ナフキンで口元を拭うと、グラスを手に身体をこちらに向けた。


「……それで、いくらだい?」


飲み物を口に運びながらそう尋ねられ、えっ?と思わず声が裏返る。


「依頼料だよ。いくら積むつもりかって聞いてるんだけど?」


依頼料だなんて聞いていない。

ふと師匠の顔が浮かび恨みそうになるが、こうなっては仕方がない。

旅支度として所持金は一応多めに用意してある。

手痛い出費だが、持参した魔具を売れば少しは取り戻せるだろう。


「こ、これでどうかな?」


相場がわからないが、自分が出せる限界の額を提示したつもりだった。

しかし、フィオンは私の手のなかの硬貨に目を落とすなり鼻を鳴らした。


「やれやれ。ずいぶんと足元見られたもんだな」


「悪いけど、こんな目腐れ金じゃとても引き受ける気になれないよ。ほかをあたるんだね」


そう言い捨てるなり青年はふたたび目の前の食事に戻ってしまった。

このやりとりなどなかったかのように私を視界から除外し、さっさと次の皿に手をつけはじめる青年に、唖然とするしかない。

師匠は確か、この男のことを雄弁だとか評してなかったか。


「あの……フィオン?」


呼びかけるも、私の声など届いていないかのように無視を決め込んでいる。


しまった、どうしたらいいのだろう。

これ以上話ができないとなると困る。

このまま一度引き返したとして、ふたたびここを訪れた際にまだここにいるのかどうかもわからない。

そのとき、師匠から手渡されたものを思い出す。


「……これ、師匠からです。あなたに渡すようにと」


封を開け、なかの紙を広げてフィオンの眼前に晒す。

すぐに差し出したため中身が何なのかはわからないが、紙の上部に"誓約書"という記述が一瞬見えた。


気だるげに振り返ったフィオンは、差し出されたものに目を留めた途端、大きく目を見開いた。

その顔がさっと青ざめたかと思えば、したたかな舌打ちとともに恨めしそうな眼差しが送られてくる。


「図ったな……この僕を」


「わ、私には何のことだかさっぱり。師匠にはこれを見せろと言われただけで、封の中身が何なのかまでは知らないんです」


椅子から立ち上がり今にも掴みかかってきそうな勢いだが、私の手から紙を奪い取っただけだった。

そうしてぞんざいに腰を落とすと、改めて紙に視線を走らせはじめる。


「あの年寄り……!」


師匠への恨み言を漏らしながら、震える手で紙を握りしめている。

そこまで腹を立てるほどのこととは一体何なのだろうか。

好奇心に駆られ、彼の背中越しにそっと紙を覗き込もうとしたとき。

フィオンは手にした紙をぐしゃりと握りつぶしてしまった。


「……わかった。君に同行しよう」


深く長いため息の後、フィオンは無造作に前髪を掻き揚げ、私を振り向いた。


「確か……アネリ、とか言ったね」


フィオンの目の奥が、じりじりと燃える炎のように深い色をまとう。

その瞬間、彼の手のなかの紙が、一瞬にして立ち上がった小さな火に飲まれるようにして消え去った。


「この貸しは、高くつくよ」



第6話「フィオン・アトレイユ」 終

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