第28話 惰弱の王


 コロナドに戻った私たちは、すぐに旅支度を始めた。

 すでに出遅れているのだから、時間を空費することはできない。


「とはいえ、移動自体はゆっくりになってしまうがね」


 状況の説明を受け、ダンブリンが腕を組む。

 騎士団や親衛隊は健脚で強行軍にも耐えられるが、学者や老人、子供もいるのだ。

 こういう人たちに速く歩けというのは無理がある。


「いえ、進んでください。私たちのことなど捨て置いていただいてけっこうです。顧慮するに足りません」


 決然と申し出たのはタニス。


 偵察隊唯一の生き残りだ。彼らが文字通り命がけでもたらしてくれた情報により、私たちは魔王軍の秘密の一端を知ることができた。


 タニス自身は偵察行のときに半死半生の大けがを負い、聖女の奇跡をもってしても完全回復には至らなかった。

 おそらく以前のように動けるようになることはないだろう、と、メイファスが悲しげに語ったのを憶えている。


「いやいや。何を言っているのかね、タニスくん。女子供老人をコロナドに残していけるはずがないだろう」


 ダンブリンは苦い顔だ。

 現在のコロナドの人口は百四十三名。このうち九十八人がまったく戦えない人たちである。


 ニセモノの魔王を倒したとはいえ、ここが魔の森のほとりだという事実はまったく動いていない。

 そんな場所に非戦闘員を置き去りにできるかという話だ。


 絶対に無理。

 ダンブリンにはできない。


 飢饉が発生したとき、王国政府の許可を待たずに官庫を開いて人々を救済したような人だもん。

 そんな彼が民を見捨てるような作戦を是とするわけがないよ。


「お代官様、惰弱の王ミネトンですら、世界の危機に及んで奮い立ちました。どうか私たちに恥辱を与えないでください」

「…………」


 タニスの激語にダンブリンが渋面で腕を組んだ。


 ミネトンってのは、魔王ザガリアが世界を滅ぼしかけた人魔大戦時代の人物で、吟遊詩人たちが歌うサーガにもしばしば登場する。


 まー、美女と美食と美酒を愛して国政を顧みない、典型的なダメ王様だったらしい。

 で、そのミネトン王が治める国に魔王軍が攻め入った。


 もちろん軍隊は迎撃しようとしたんだけど、王様は戦わせなかったんだ。

 絶対に勝ち目がないから。

 一国一国がバラバラに魔王と戦っても、各個撃破されて終わりである。


 だから、聖女が現れたというオルライト王国まで向かえって命令した。道々に軍勢をかき集めながらね。


 簡単な話じゃないし、その間に国は魔王軍に蹂躙されるだろう。

 それでも、戦える人間を一ヶ所に集める必要があった。


 兵士たちを送り出すために、なんとミネトン以下老人たちが魔王軍の前に立ちはだかったのである。

 勝てるわけがない。むしろ、絶対に死んじゃう。


 めちゃくちゃだ。

 軍を逃がすために民が犠牲になるとか。

 ためらう騎士たちに、ミネトンは言い放ったのである。


「我らをもって念となすなかれ」


 自分たちのことは気にしなくて良い。復讐も必要ない。ただ、最後は絶対に勝て、と。


 そうして惰弱の王と呼ばれたミネトンは、彼とともに国に残った老人たちと一緒に、魔王軍を足止めした。


 自分たちの命と引き換えに。

 たったの数日。


 しかしその数日は魔王にとって致命的な遅れとなった。

 決戦場となったディッケル平原に布陣するタイミングが、人類連合軍よりわずかに遅れたために彼らは勝機を失ってしまったのである。


 宝石よりも貴重な数日を稼ぎ出したミネトン王は、人生最後の数日によって英断王の異称を奉られることになった。






 深く深く、ダンブリンが息を吐いた。

 ミネトンの例を出され、恥を掻かせないでくれとまで言われてしまったら、

 タニスたちの意を汲んでやるしかない。


 そこまで覚悟を決めた者たちである。

 同行するよう強制すれば、足手まといになるくらいならと自害しちゃいかねないのだ。


「仕方ないな……」

「ダンブリンさん。私から一言だけ良いですか?」


 控えめに挙手する。

 彼らの覚悟を無駄にはできない。だからといって犠牲を肯んじるつもりもない。


「判った」

「ありがとうございます」


 魔術師の杖を両手に抱え、私は民衆の前に進み出た。

 右後ろにはフリック。左後ろにはメイファス。


 いやいや、そのポジショニングはダメだって。

 従者のフリックが後ろに控えるのはまだしも、現聖女のメイファスが私より下がった位置なのはありえない。


 私は左手でメイファスの右手をとり、ぐっと前に押し出そうとする。

 しかし彼女は、頑として私より前には出ようとしない。


「ちょっとメイ……」

「あたしはユイナと比べて経験でも年齢でも下だから」


 こ、この頑固者めぇ……。

 仕方がないから並んで立つ。

 これだって格式の上からはおかしいんだからね?


 気を取り直して、人々のほうに向き直った。

 ほとんどが老人と子供たち。

 この人たちを置き去りに進むのはつらい。


 だけど……。


「みなさん! 私はミネトン王よりも強欲です! 私たちが戻ってくるまで犠牲は許しません! ただのひとりも!」


 声を張り上げる。

 一拍の沈黙。


『聖女様の御心のままに!!』


 そして喊声が爆発した。


「必ず! 生きてまた会いましょう!!」


 衷心から、私は民たちに言った。

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