第8話 崩壊

鰯雲のつづき 八話

 今日も屋上に俺たちはいた。春坂と交換した本を読んでいたのだ。春坂と俺は途中途中でその時の感想を言い合いながら、読書を楽しんでいた。

 ゆっくり時が流れているようで、集中しているからあっという間だ。太陽が南に上がり、二人とも昼ご飯をいそいそと出し始めた。

 平穏な時間が流れていた――のに。


 ――ドンドンドンドン


 ドアが強く叩かれる音がした。机と椅子ががたがたと揺れている。あと少しの力が加わったら崩れそうだ。毎回トイレのたびに組み立て直すのがめんどくさく、最近は、机と椅子の量が少なくなっていた。険悪な雰囲気に俺と春坂は顔を見合わせた。

「先輩……」

 小声で春坂が俺を呼んだ。身構える。

 いじめっ子か、先生か。その二択だ――と思った時。


「ねえ、沙奈、いるんでしょ?」


 おばさんの心配そうな声が聞こえた。

 まさか、春坂の親?春坂の下の名前を知らなかったから、誰か一瞬わからなかった。

 ぱっと春坂を見ると、顔が白くなっていた。俺はひゅっと息を呑んだ。

「いませんよ、そんな人」

 俺がドアに向かって言う。

「嘘つかないで!」

 悲鳴が混じったようなヒステリックな声が聞こえた。

「沙奈、いるのよね?先生から聞いたわ。授業に出てないんだってね」

 春坂は声が出ない様子で膝から崩れ落ちた。その場でしゃがみ込み、コンクリートに手をついている。

 俺は何が起きているかわからなかった。

「さっき男の子の声も聞こえたわ、そこで何してるの?」

 春坂の母は、知らないのか。いじめられていること。そういえば前、母親に言えないって言ってたっけ。

「開けなさいよ!」

 春坂の母の声が大きく響いた。机と椅子もがたがた揺れる。

 心がざわつく。

 春坂の母がここに来たということは、先生も春坂の状態に目を向けなくてはならなくなるだろう。

 そうすると屋上を閉鎖、春坂と俺を教室に連れ戻す、ということになるのかもしれない。

 俺はクラスからひどい扱いをされているわけではないから、教室に帰ってもダメージが大きくないが、春坂は帰ったらまた虐げられるのではないか。初めて春坂がここに来た時を思い出す。

 母の手によってさらに春坂の居場所が無くなるのだろうか。

 俺は机と椅子を押さえた。

「ちょっと!なんで開かないのよ!」

 おばさんの力は思ったより強くて、筋肉のない俺の体ではきつい。でも、守りたいと思った。この場所を。春坂は今きっと、死にたいような気持ちだと思う。また、いじめられる日々に戻ってしまうから。

「先生!!速くきてください!うちの子が中にいるんです!」

 ドアの奥で、おばさんの声が聞こえた。そんな、まるで監禁されているみたいな言い方。春坂は、自分の意思で来ているのに。何も知らないんだ。自分の娘なのに。

 誰かのかっかっかっという階段を登る足音が聞こえた。しかも複数人。

「お母さん、私が開けます」

 生活指導の先生だ。声で勘づいた。理不尽な、昭和時代のような考え方の先生だ。

 椅子の間から、手を伸ばしドアを押さえる。

 だが――バゴン、という鈍い音共に、椅子と机が崩れ落ちた。先生がドアに体当たりしたのだと分かった。

 俺の足に椅子が落ちた。つま先にじわっと痛みが広がる。もう一回、ドアが音を立てる。完全に、机と椅子が倒れてしまった。

 落ちた痛みで俺は立ち上がれない。じんじんと、痛い。多分、爪が割れている。靴下に血が滲んでいるだろうか、と脳の片隅で思った。

 ドアが開く。

 ああ。

 何人も大人がいた。大人が子供に勝ってしまうのを許してしまった、と思った。

「沙奈っ!」

 おばさんは椅子たちを飛び越え、涙ぐみながら、春坂の方に駆け寄った。

 何もかも、終わった。コンクリートに滲む、汗を見つめていた。見ているけど、見えていないみたいだった。何も考えれない。ぜんぶ、俺のせいだった。それだけが分かった。

「沙奈、どうしたの、この男の子に何されたの」

 振り向くと、心ここに在らず、という死んだような目をした、春坂と、それを抱き寄せるおばさんがいた。

 俺の方をおぞましそうに見ていた。汚物を見るような目だ。

「沙奈、ねえ」

「春坂さん、最近なんで屋上にいたのか教えて。黙ってたら何もわからないから」

 教頭が優しい声で言った。でも、その優しさには裏があるはずだ。屋上になんで行くかを知りたかったら、親が学校に来る前から、屋上に来て、春坂に話を聞くはずだ。春坂と俺をほっておいたのは、学校の都合。

 何が、黙ってたら何もわからないから、だ。

 激しい怒りと自分への失望が湧く。

「行こうか、春坂さん」

 いろんな大人たちが、崩れた椅子と机を飛び越え,屋上に入ってきた。入るなよ。勝手に。何も知らないのに。いじめられていても助けない学校なのに。大人は子供を大事にしているように装って、結局、大人しか見てない。死んでしまえば良いのに。世界にお前たちはいらない。

春坂をひっぱる、春坂のすすり泣きが聞こえた。振り返ると、大人たちが春坂の背中をさすっている。信じられなかった。ずっと春坂を無視し続けた人間がこんなことができるんだ。

 悔しかった。でもどうすることもできなかった。反抗してももっと春坂の心を傷付けると思ったからだ。

 

 その日は眠れなかった。春坂との日々が蘇ってきたが、頭を振って目を閉じ続けた。

 星の見えない、夜だった。

 






 


 

 

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