第7話 メディアといじめの報道の偏り

いじめ問題が取り上げられるとき、多くのメディアはその深刻さに注目する。しかし、ニュースとして取り上げられるのは、いじめの結果としての自殺や暴力事件など、極端なケースが中心であることが多い。実際に日常的に発生しているいじめや、それによって苦しんでいる被害者の声は、メディアの報道の中であまり大きく取り上げられることはない。これが、いじめ問題の全体像を見えにくくし、解決に向けた動きを遅らせているように感じる。


メディアが報道するいじめのニュースは、どうしてもセンセーショナルなものに集中しがちだ。たとえば、いじめによる自殺事件が大々的に報じられると、その事件が社会問題として一時的に注目されることがある。しかし、その後、事件が落ち着くとメディアの関心も薄れ、日常的ないじめ問題は再び忘れ去られてしまう。メディアが報道しない、表に出てこないいじめは、どれほど多くの被害者を生み続けているのだろうか。


もう一つの問題は、メディアがいじめを取り上げる際に、加害者の名前や顔が伏せられるケースが多いことだ。特に未成年の加害者の場合、プライバシーの保護が優先されるため、加害者がどのような人物であるかが明らかにされない。これによって、被害者は自分の苦しみを公にする一方で、加害者は社会的な罰を受けることなく、いわば「守られている」状態になってしまう。これでは、被害者はさらに孤立し、加害者が責任を負わないまま、いじめが続く可能性が高まる。


被害者の声も、メディアではほとんど取り上げられない。被害者が声を上げても、その声が広く届くことは少ない。報道されるのは、いじめの悲劇的な結末が多く、そこに至るまでのプロセスや被害者の訴えは埋もれてしまうことが多い。これは、被害者が自分の苦しみを打ち明けることをさらに困難にしているように思う。いじめを受けている最中の被害者が、助けを求める声を上げることができるような環境が必要だが、メディアの報道はそうした場を提供できていない。


メディアがいじめ問題に取り組む際、単にセンセーショナルな事件に焦点を当てるだけではなく、日常的ないじめの実態や、被害者がどのように苦しんでいるか、さらにはいじめを防ぐための取り組みについても報じるべきだ。特に、被害者が孤立していないことを伝えるために、いじめに対する社会的なサポート体制や、いじめに立ち向かう人々の声を積極的に取り上げることが重要だと感じる。


また、メディアは加害者に対する報道の仕方も見直すべきだろう。加害者の行為がどのように被害者に影響を与え、社会全体にどのような問題を引き起こすかを、もっと深く掘り下げて報じるべきだ。加害者が責任を問われることなく守られる社会では、いじめはなくならない。加害者が自身の行為の重さを理解し、更生するための報道が求められている。


いじめの報道は、事件の「結果」だけを伝えるのではなく、その背後にある「過程」や、解決への「手段」を伝えることが大切だ。いじめの被害者が声を上げられる社会を作り、加害者が責任を取る仕組みを強化するために、メディアはもっと深く、広く、バランスよくいじめ問題を報じるべきだと感じている。

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