1-4 近接戦闘術
名前を呼ばれた男──レイは彼女の歓迎の言葉に殺意を感じ取る。
そして、ひどくおかしな感想を抱いた。
「こちらの世界だって? いったい何を言って──」
未だ状況を飲み込めないレイに薄ら笑い答えた女は叫んだ。
「殺して!!」
その叫びに呼応し、スキンヘッドの男がナイフを片手にレイに突っ込む。
レイは傍らに倒れている女騎士が「逃げるんだ!」と叫んでいるのを聞いた。それと同時に彼は自分の体の状態を分析する。
頭痛──知らない間に消えている。問題なし
腹部の負傷──すぐにでも治療が必要
所持している武器──無し
ナイフを持った男への対処──可能
素早く自己の分析を終えたレイの体は無意識のうちに、
重心を落とし、半身になる。
左腕を軽く曲げ、拳頭を向かい来る男に向ける。
そして右手は軽く開いて顔の前へ。
その構えの意図するところは彼自身思い出せなかったが、本能的に理解した。
これは
急に刃物で襲われる。通常であればあり得ない状況にレイは自分でも驚くほど冷静だった。
まるで、
そして彼の中には確固たる意志があった。
彼らは敵だ。
敵ならば殺さなければならない――
レイは腹に向かって差し出されたナイフを左手で捌き、その手をしっかりと掴む。
そして開いた右手を男の顎に突き上げる。
試合や喧嘩であれば既に決着の状態、だがレイは攻撃の手を緩めなかった。
掌底を繰り出した右手の平を男の顔の側面に滑らせ、左耳を掴む。
そして掴んだ耳を思い切り引っ張ることで、彼の顔を勢いよく懐に引きこみ、その顔面に膝蹴りを打ち込んだ。
膝蹴りのあまりの勢いに、レイの握っていた彼の耳が千切れて頭が仰け反る。
レイは後方へと倒れこむ彼の後を追うように一歩踏み出すと、頭が地面に当たる瞬間に、その顔面を体重を乗せた踵で踏み抜いた。
後頭部を硬い床に打ち付けられた男の全身がピンと伸び、誰が見ても生命活動を停止したと分かる状態になる。
レイは己の手で
この場で必要なのは罪悪感などではない。必要なのは最短最速で敵を排除するだ。
捌き、掌底、膝蹴り、踏み砕き──レイの一切の無駄を排した攻撃は開始から終わりまで3秒とかからなかった。
一瞬の攻防──否、一方的ともいえる殺人に反応できた者は誰もいなかった。その隙にレイは身をかがめてナイフを拾うと、残った男女に対峙する。
圧倒的な戦闘能力を見せつけられた全員が本能的に理解した。
しかし殺されるという恐怖から彼らの思考は混乱し、戦闘続行を選択してしまう。
メルキオルは残った男に火かき棒を押し付けて叫んだ。
「早くレイを殺してッ!」
「殺せ」と命令された男は半ば
だが自棄になりつつもその心には微かな希望があった。
自分の方が間合いの長い武器を持っている、と。
「
そう呟いたレイは火かき棒を振り上げた男の顔へと、先ほどの攻防で引きちぎった耳を投げつける。
顔へと放たれた
その一瞬で間合いを詰めたレイは、火かき棒を振り下ろせないように彼の腕を下から抑えつつ、ナイフを振るう。
振るわれたナイフはまず男の喉に刺さった。致命傷であるその一撃を受けた彼の手から火かき棒が離れる。
だが、レイは決して手を止めなかった。
喉への攻撃は致命傷ではあるが、完全にとどめを刺した訳ではない──レイは喉に刺したナイフを
そして振り上げられた腕のせいで、無防備にさらされている彼の脇にナイフを差し込む。
これもまたすぐに抜くと
レイは倒れた男へと獲物にとびかかる豹のように一瞬で覆いかぶさり、その心臓へと逆手に持ち替えたナイフを突き立てた。
動脈を狙った斬撃──刃物を使った戦闘は徒手と同じく数秒で終結した。
血に濡れた顔を上げたレイの視線が生き残りであるメルキオルを捉える。
深い闇を思わせる漆黒の瞳に射すくめられたメルキオルはすでに諦めの境地にいた。
躊躇いなく人の命を、それもほんの数秒で奪い去っていく怪物を何故召喚しようなどと思ったのか。そもそも何故この話を受けたのか――彼女の頭には後悔入り混じる様々な思いが去来する。
レイは既に戦う意思が無い彼女に向かって口を開いた。
「お前は生かしておいてやる。色々と聞きたいこともあるしな」
そう言って彼女に一歩踏み込んだ。その瞬間、レイの体ががっくりと床に崩れ落ちた。
片膝をついたレイは勢いよくせき込むと、床に血が飛び散る。
マズいな――レイは出血量が致命的なラインに来ていることを悟る。
腹部の傷はどうやらかなり酷い状況らしい。
だが、とレイの頭の中で本能が叫ぶ。
レイは血が抜けて冷え切った足で立ち上がると再度女を見据える。
しかし女の顔は絶望に染まっていなかった。自分より弱い物を攻撃する下卑た笑みを浮かべ、その手には杖が握られていた。
メルキオルとエンディはレイが膝をついて血を吐くまで彼が怪我を負っている――それも明らかに致命傷となる怪我を負っているとは気付かなかった。
前者はレイの
メルキオルが取り出した杖は一メートルほどだが、その持ち手には彼女の髪と同じ色の緑色の宝石がはめ込まれている。
その宝石を向けられたレイは彼女が何をしようとしているのか分からなかった。しかし分からないなりに、
すでに体は満足に動かない。だが怪しげな道具持った素人一人
彼女は左手を上げ、手のひらをメルキオルに向かって突き出す。
その手の平からは赤色の魔法陣が浮かび上がっていた。
「──
そう叫んだエンディの手からはソフトボール大の火球が発生し、勢いよく射出された。その向かう先はメルキオルの持っている杖。
思わぬところからの反撃を受けたメルキオルは「キャッ」と短い悲鳴を上げ、自分の手に持っている杖に火球がぶつかるのをただ見ているしかなかった。
衝撃に杖が幾分か焦げ、部屋の隅まで弾き飛ばされる。
まるで魔法じゃないか──その光景に思わず度肝を抜かれたレイは痛みを忘れ、思わずエンディの手を見た。
騎士が魔法を使えるまでに回復し、武器を失ったメルキオルの行動は素早かった。
一瞬芽生えたレイを殺せるという希望を捨て、逃亡の手段を選ぶとドアへと一直線に走る。
走り出した彼女を見て、目の前で行われたファンタジィ映画のような光景から我に返ったレイはナイフを握りなおす。
そしてナイフを振り上げると、逃げるメルキオルの背を目掛けて
放たれた刃は数度の回転を経たのち、彼女の背中に深々と刺さった。
「キャァッ──────」
腎臓まで到達した刃に悲鳴を上げるメルキオルはドアの手前で受け身も取れずに顔面から倒れ込む。
レイは腎臓をえぐった耐えがたい痛みに襲われている彼女に向かって、重い体を引きずるように歩き始めた。
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