第26話 お宅訪問

 乗ったときが一瞬なら、降りるときも一瞬だ。

 イェルサール様が地面に降り立ったと思ったら、私とケティも地面に立っていた。乗った時にもイェルサール様の背中に瞬間移動していたけど、降りる時も同じなのか。魔法ってやっぱり便利だなー。

 この魔法、向こうの世界に持って帰れるものなら持って帰りたい。

 電車に乗ってる時、降りたい駅で自動的に降りることができる機能。これならドア前ブロッカーも怖くない! 乗り過ごし対策にも!みたいな。

 

「イェルサール様!」


 そんなどうでもいいことを考えながら周囲を見回していたら、女性が一人息を切らせながら駆け寄ってきた。

 イェルサール様は人型に姿を変えて駆け寄ってきている女性を出迎えた。

 

 住んでいるところに竜が飛来すれば驚きそうなものだけど、ここはどうも違うっぽい。

 降り立ったのが町? 村? の居住区からちょっと離れたところだからなのかも。

 荒野のあの町なんて飛んでいる姿を見ただけであの騒動だったのに、ここはこの女の人以外は誰も寄ってこないし、こちらを観察するようなこともない。

 竜がいて当たり前な土地なのかも。

 

「どちらにお出かけされていたのです? 行方不明にでもなったかと思って皆心配していたのですよ」

「すまん、すまん」


 笑顔を崩すことなくイェルサール様は女性に頷いた。返事というより適当に頷いているだけのようにも見える。なんだか親しそうな空気が漂っている。

 おでかけってことは、イェルサール様はここで生活をしているってことなのだろうか。だったら竜が飛んできても日常風景だ。

 どこに連れて行くんだろうって思ってたけど、自宅へのご招待ってことか。


「あら、あなたたちは?」


 ここで私とケティの存在に気づいたのか、女性は私たちを見て即座に緊張した面持ちに変わり、「ああ!」と頭を抱え込んだ。

 

「だ、大丈夫ですか?」

「どうしましょう! イェルサール様が女の子を誘拐してきてしまったわ―――!」

「違いま――」


 否定する前に、女性は叫びながらも住宅地の方へと走って行ってしまった。

 って速っ!


「え! えぇー……?」


 追いかけようか悩んで救いを求める気持ちでケティに目をやれば、手を伸ばしかけた状態でそのまま固まってしまっている。どういうリアクション取ったらいいのか悩むよね、これ。


「イェルサール様……」

 

 伸ばした手はそのままに、ケティはイェルサール様を見やったが、イェルサール様はそれには気づかず豪快に笑い声をあげた。


「皆壮健そうで何より!」


 あなた誘拐犯にされそうなんですけど! そんな呑気でいいんですか?




 ◇◆



 

「えぇっ!? 救世主様!?」


 すぐに、さっきの女性が血走った眼差しの男の人を二人引き連れて戻ってきた。

 私とケティを見て一瞬だけきょとんとした表情になったその二人に、ケティが慌てて説明したらそんな驚きの声があがる。


「女の子というからもっと小さいお嬢さんかと……。いや、本当にうちの奴が早とちりして申し訳ない!」

「ついにイェルサール様がやらかしたと思ったぜ」


 ぺこぺこと何度も頭を下げる男の人の後ろで、もう片方が漏らしたセリフはイェルサール様にも絶対に聞こえていると思うんだけど、大丈夫?

 こっそりとイェルサール様の顔を見やれば、ニコニコしたままだから、大丈夫なんだろう、たぶん。

 二人ともはっきり『おじさん』と言っても差し支えない年齢に見える。壮年にも近いかも。どこの世界にも口が悪いおじさんっているよね。


「ごめんなさいね、ここ数年イェルサール様、頭の機能が随分衰えてしまっていて、どこからか人を攫ってきてもおかしくないなって……」


 女の人も深く頭を下げて謝罪してくれるけど、頭の機能が……って呆けてるってこと!?

 認知症というもの、なのだろうか。

 何か神に近い存在ってそういうのとは無縁だと思ってた……。

 

「神獣って、認知症になるの?」

「聞いたことないです」


 ケティにこっそり聞いてみるがあっさりと知らないと言われてしまう。顔を見合わせばお互いの表情には戸惑いの色しかない。

 ここに降り立つまでは割とまともそうに見えていたし。

 認知症の人って知らない人に会うとしゃきっとするって聞いたことあったけど、私とケティという見知らぬ人と接していたから一時的にしゃきっとしてたってことなのか。

 それに散歩だと思っていたけど、徘徊だった?


「なんだか腹がすいたのお、飯はまだか?」


 『おじいちゃん、ご飯はさっき食べたでしょ』と思わず口に出しそうになって口を噤む。

 よく思い返してみれば私たち、出発前に保存食の硬いパンみたいなのを食べただけでその後は食べてなかった。お腹すいたな。

 保存食がちょっと残ってたけど、でもここ数日保存食しか食べてなかったから、あったかいスープ系が食べたいかも。保存食は水分がないからもそもそするし、水分と言えば水しか飲んでなかった。

 

「ユエ」


 何となく中華コーンスープが食べたいなぁなんてお父さんが作る絶品スープに想いを馳せていたら、イェルサール様に名前を呼ばれた。

 名前はちゃんと憶えてくれたのか。


「異世界の料理が食べたい、作ってくれんか?」

「え! 絶対無理です!」


 反射的に全力で否定する。

 突然何の無茶ぶりを? って感じだ。


「なんと! 年長者の言葉をそんなに無下にしていいと思っておるのか!」


 怒られてしまった。え、ちょっと、理不尽すぎませんかねえ?

 怒られるようなことじゃないと思うんだけど。


「私、料理できないんで無理です!」

「本当に、何も作れないと?」

「う……」


 一歩こちらに足を踏み出して問うてくるイェルサール様の圧が強い。

 でもめんつゆもガラスープもコンソメもない世界じゃ作れるものなんてない!

 〇〇の素もないんでしょ? 絶対無理!

 

「イェル様、あまり無理強いをされてはいけませんよ」


 女性に優しくたしなめられても、イェルサール様は引く気がなさそうだ。


「儂はどうしても食べたい! 食べたいと言ったら食べたい!」

「イェル様!」

「えぇい! スージアよ、止めてくれるな! 今異世界の料理を食べなければ儂は死んでも死に切れんのだ!」

 

 ええ……ちょっと何言っちゃってるんだろう、この神獣……。

 まるで子どもの駄々のような言葉に呆れていると、スージアと呼ばれた女性と連れてきた男性の二人が「何とかしてくれ」みたいな目線を私に送っていることに気づいた。

 …………えぇっと。無理なものは無理……なんです……よ?


「後生だからこの年寄りの為に作ってくれるな? 救世主よ?」

「……うぅ……」


 何でそうなる?

 ケティを除いた全員の視線が痛い。

 これ「はい」を選ぶまで会話がループするあれじゃないのか。

 なんで料理でこんなイベントが発生するの。


「……材料が用意できるんだったら、いいですよ」


 ここが妥協点だ。

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