第50話 哀しみを知る者

白騎士ルシアさんの幼馴染、ホアキン・ペレス。ドレスの仕立て職人を目指し、宮廷仕立工の見習いに採用されたと聞いていた。


鮮やかなライムブロンドの髪に、エメラルドグリーンの瞳は澄んでいる。


善良そうな顔つきが、おどおどして見えるのはわたしが高位貴族だからか。


執務室に招き入れたけど、わたしも嫁入り前の身だ。平民の男性とふたりきりという訳にもいかない。


ベアトリスに立ち会ってもらう。


ルシアさんとは、ホアキンのことを〈ふたりだけの内緒話〉と約束していたけど、勝手に大目に見てもらうことにする。


ホアキンの緊張をほぐすように、柔らかな口調を心がけて声をかけた。



「……ルシアさんとは?」


「はい……、ルシアが帝都に戻ってから、一度……」


「ルシアさんは今、どうされてるの?」


「……偉い賢者様と、教授様から、いろいろ話を聞かれていると」



風の賢者ラミエル様と、ビビアナ教授だろう。


わたしに〈心を操られた〉形跡がないか、聴取が行われているということだ。



――ルシアさんは、お友だちが出来るだけで大ごとになる。



ホアキンを緊張させたくはないのだけど、かるく眉が寄ってしまう。



「あ、あの……、公爵閣下……」


「はい。なにかしら?」


「あの……」


「ええ」


「その……」


「いいのよ。焦らずゆっくり喋ってね」


「はい……。ルシアは……、公爵閣下に仲良くしていただいたと……、とても喜んでいました」


「そう……」


「……あんな笑顔、ルシアが白騎士になってから、はじめて見ました……」


「うん」


「オ、オレが言うのもなんなんですけど……」


「うん」



善良そうな外見に反し、一人称は「オレ」なんだと、すこし思ってしまったけど、微笑みを絶やさないように努める。



「ありがとうございます! ……ルシアと、友だちになってくださって……」


「いいえ。こちらこそ、ルシアさんには良くしていただいたのよ? お礼を言うのはわたしの方だわ」


「い、いえ、そんな……」


「ほかには? ……ルシアさん、なにか仰られてなかった?」


「……たぶん、聖都に送られるだろうって……」



聖都――、


いわば白騎士様の墓場だ。


ほんとうの聖都リエナベルクは、聖女が乱立した時代にとっくに失われ、いまとなっては正確な場所も分からない。


いま聖都と呼ばれている場所は、身体の効かなくなった白騎士様が、終焉を待つためだけに設けられた、


なにもない場所。


〈聖〉でも〈都〉でもなく、風光明媚で、最期の時間を穏やかに過ごせるようになっているらしいけど、


北方の辺地にあるということ以外、


詳しいことは何も分からない。



――厄介払いね……。



ルシアさんを聖都に送るとは、


わたしに〈心を操られた〉かもしれない白騎士を、そのまま放置しておくことが恐いのだろう。


微笑みを崩さないように努力したけど、どうしても片目をほそくしてしまう。



「でも、あの……」


「なあに?」


「……オレ、ルシアの世話係で同行させてもらえるかもしれなくて……」


「あら、そう」


「ルシアの身体がキレイなうちに、オレのドレスを着せてやれるかもしれなくて……」


「うん。……良かったわね」


「……はい」


「ルシアさんも、きっと喜ばれてることでしょうね」


「でも、オレ……、あの……」


「うん」


「オレ……」



と言ったきり、黙り込んでしまったホアキンを黙って見守る。


やがて、ツラそうに顔をしかめたホアキンが、わたしの目をまっすぐに見た。



「オレ……、やっぱりルシアの前に立つと、……身体がすくんでしまって」


「うん」


「公爵閣下!」


「はい」


「……ど、どうしたら、公爵閣下のように、白騎士と接しても平然としていられるようになれますか!?」


「そうねぇ……」



ベアトリスと目を見あわせてしまった。


肩をすくめたベアトリスが、ホアキンに親しげな微笑みを向けた。



「……横からごめんなさいね」


「いえ……」


「私もほんとうは、恐いの」


「……はい」


「でもね、マダレナが平然としてるから、いつの間にか平気になっちゃった」


「……ええ」


「参考にならないかもしれないけど、世の中にひとり、ルシアさんを普通の女の子だって見てる娘がいる……って、考えてみたらどうかしら?」


「あ……」



ベアトリス。


そんな風に思ってくれてたんだ……。



「私の場合、その娘が親友で、主君で、かけがえのない娘だから、ちょっと特別かもしれないけど」


「いえ、……とてもよく分かりました」


「だったら良かったわ。……だってねマダレナったら、白騎士様をいきなり温泉に誘うのよ? 器が大きいのか鈍感なのか、分からなくなるわよ?」


「ちょっと、ベア」


「ふふふっ。……キレイなドレスを着せてあげて、ふたりでゆっくり過ごせるといいわね」


「はい……、ありがとうございます」



宮廷仕立工は見習いであっても、個別にドレスを受注することが出来るとホアキンから聞き、


ホアキンがルシアさんと聖都に旅立つ前に、きっとドレスを注文するわと約束してから、皇宮に帰した。



「……ルシアさん、本望だと思うわよ?」



と、ベアトリスが慰めてくれた。



「マダレナというお友だちが出来て、心ゆくまで楽しんで、早めにお役目から解放されて……」



気休めだとは分かっていたけど、ベアトリスの気持ちが嬉しくて、


久しぶりに抱きしめてしまった――。



   Ψ



「カタリーナの舞踏会を断って、イサベラの舞踏会を選んでくれてたんだってな」



第1皇子フェリペ殿下は、毎日皇宮書庫に顔を見せるようになっていた。


わたしがちっとも〈なびかない〉ことに、焦りを感じているのだろうか。


パトリシアがけしかけているのか。



――婚約破棄。



を、させたがっているのか。


思惑は読めないけど、毎日すこしだけ口説いては、わたしの研究に興味のあるふりをして、話しかけてこられる。



「……その紙切れはなに?」


「民俗学の資料で……、太古の民たちが書き遺した走り書き……、いわば日記の断片ですわね」


「ふ~ん。面白いの?」


「当時の民たちの生活を窺い知れるのは、興味深いですわ」


「……民は、我ら高貴な者たちが領導せねばならない存在だよ?」


「ええ……、そういう面もあるでしょうね」



フェリペ殿下は、わたしが手元に広げている無数の紙片にはすぐ興味が失せたようで、窓の外に目をやられた。



ふん――、



ふと、フェリペ殿下が、鼻を鳴らす音が耳に入った。


見ると眉をひそめ、ほそめた目で窓の外をじろじろと見渡している。


なにをご覧になっているのかと、わたしも身体を起こし階下に目をやると、自分の顔色が変わるのが分かった。


見えたのは、まだ幼さの抜けない白騎士候補の少女たちの列――、



――このお方は……、フェリペ殿下は白騎士様を……、白騎士候補の少女たちを、蔑まれているのだ……。



それだけで、わたしはもう完全に、フェリペ殿下を軽蔑してしまった。


精悍なお顔立ちも、逞しい体付きも、高貴なお生まれも関係ない。


人として軽蔑する。



「舞踏会ではいい返事を聞かせてもらいたいな」



と言い残して皇宮書庫を出られたけど、


わたしは窓をすべて開け放ち、空気を根こそぎ入れ替えた。



――わたしは、なにがあろうとアルフォンソ殿下を皇太子に押し上げる。



寒風吹き付け、わたしの銀髪が乱れ舞う中、そう堅く決意した。


いまのわたしは、なんの権力も持たない成り上がりの小娘かもしれない。


〈第2皇后派〉は、汚濁にまみれているのかもしれない。


だけど、この偉大なる〈太陽帝国〉の皇帝には、白騎士様の哀しみを知る者が就くべきだ。


そうでなくてはならない。


舞い散った紙片を慎重に集めなおすのは大変だったけど、やることはこれまでと変わらない。



――状況をひっくり返すだけの〈功績〉をあげる。パトリシアの謀略も蹴散らす。そのための〈手順〉を丁寧に踏む。



焦ってはならない。


自分にそう言い聞かせながら、太古の民が書き残した紙片を一枚ずつ丁寧に読み込んでいった――。



   Ψ



日が暮れて邸宅に戻ると、入口ホールに山のような荷物が積まれていた。



――なにごと?



と、眉をしかめながら中に入ると、


薄髪薄髭、頬はこけているのに腹は出ている〈辺境伯派〉の太鼓持ち、


マヌエル侯爵が、醜く媚びた笑顔を浮かべてわたしの帰りを待っていた。



――フェリペ殿下の宮殿に滞在しては?



と、アルフォンソ殿下の婚約者たるわたしに皇帝陛下の御前で言い放った、瞳に光のない陰険そうな顔をした男だ。



「これはこれは、マダレナ閣下。ご学問に精を出されておられますな」


「……マヌエル侯爵。何用でございましょうか? 入口ホールには随分な荷物が積まれているようですが?」


「いやいや、荷物だなどとお戯れを」


「戯れ?」


「すべてフェリペ殿下からの贈物にございますよ」


「殿下から……?」


「イサベラ妃殿下の舞踏会をまえに、なにかとご入り用でございましょう。ぜひ、フェリペ殿下のご好意をお受けくださいませ」



――踏み絵だ……。



いつまでも〈なびかない〉わたしに業を煮やし、実力行使に出たともいえる。


あれだけ大量の贈物を受け取ったとなれば、返礼品も大量になる。


いやでも噂になる。



――公爵マダレナと第1皇子フェリペ殿下は、どうやら深い仲らしい。



と、風聞が広まれば、あらぬ嫌疑で逼塞を強いられているアルフォンソ殿下のお立場は、ますます困ったものになる。



「よもや、持って帰れなどということはございますまい? 第1皇子殿下よりの贈物にございますぞ?」



そう。断れば、第1皇子殿下に対し、わたしは明確に非礼を働いたことになる。



――ズルい手を使う……。



そばに控えるナディアも、対応に苦慮していることが伝わる。



「ありがたきお心遣いなれど……」


「おやぁ? まさか、お断りになられると? 困りましたな。荷馬車を返してしまいましたのに」


「くっ……」



わたしが断っても、置いて帰るつもりか。


どこまでも、やり口が狡猾だ。


マヌエル侯爵も高位貴族。だけど、礼容に外れて思わず眉間に険しくしわを刻んでしまった、


その時だった――、



「おおっ! マヌエル侯爵ではないか! 娘の顔を見に来てみれば〈辺境伯派〉の影の首魁に会えるとは、帝都も狭くなったものだな! ははははははっ」



と、快活で、聞いてる方まで気持ちのよくなる笑い声が響いた。


見るからに狼狽えた様子のマヌエル侯爵が、ぎこちなく笑みを返す。



「こ、これは……、王太后……、いや、大公閣下……」



凛々しいお美しさに満ち溢れ、菖蒲色の瞳には変わらぬ気品が漂っている。



「娘マダレナが受け取れば、いらぬ憶測を呼ぶもと。フェリペ殿下のご迷惑にならぬよう、私が代わりに受け取ってやろう!」



頼もしい笑みを浮かべられたエレオノラ大公閣下が、凛々しく美しく端正に、悠然と立っておられた――。

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