【あたしをダブルスに誘ってくれてありがとう】

【あたしをダブルスに誘ってくれてありがとう】

 全道大会が終わった翌日。あたしは一人電車に揺られていた。練習を休んで向かった先は、旭川市にある母が眠っている墓地だ。

 前日は雪が降った。墓石の上に積もっていた雪を手で払い除け、膝を追って手を合わせた。

 かつて、母とした約束に思いを巡らせる。

 ――必ず、全国の頂点に立つ。

 病に侵されている身でありながら、母は熱心にあたしのことを指導してくれた。あたしが勝利の報告をすると、手放しで喜んでくれた。

 だからあたしは、そう約束をしたんだ。あたしが全国の舞台に進み、頂点に立つことを期待してくれているのだと、そう思っていたから。

 ある意味、それは正しいだろう。

 でも、そのことを言い訳にしてきたとの自覚もある。

 自分がバドミントンを続けるための理由として、両親の不仲が、バドミントンの存在に起因している事実から目を逸らすため、『母とした約束』を、バドミントン続けるための動機として設定していた。

 母との約束を遂げたい、全国の頂点に立ちたいと思うこの気持ちは嘘ではない。

 だが、約束そのものにこだわるあまり、もっと大切なことを忘れていたんだ。

 あたしは、勝つことにばかりこだわるように、なってしまっていたんだ。

 もっと大切なこと。それは楽しむことだった。

 あたしはバドミントンが好きだ。

 母が授けてくれたこの技術が好きだ。

 勝つことにこだわるのをやめるわけじゃない。もっと大切なこと。バドミントンを思い切り楽しむことを実践し、その結果掴んだ勝利の報告を、ひとつずつこの場所に持ってこようと思う。

 そうしていつか、母さんとした約束を叶えるよ。

 まずは最初の一歩として、この報告を母さんにしたいと思います。

 冬の、冷たい空気を胸一杯に吸い込んだ。

 手を合わせて黙とうを捧げる。


「母さん。昨日の大会、ダブルスと団体で優勝したよ。全国、」


 ――行ってきます。


   ◇ ◇ ◇


 全国高等学校選抜バドミントン大会。その会場となっている福島県ふくしまけん郡山市こおりやましの体育館にあたしたちはいた。

 学校対抗 (団体戦)で北海道地区を制した永青高校は、第八シードとしてこれからトーナメントの初戦に挑む。

 このまま順調に勝ち上がっていけば、準々決勝で第一シードと対戦する。第一シードということは、つまり昨年の全国王者。押しも押されもせぬ優勝候補筆頭だ。

 正直、楽な組み合わせではないなと思う。だが、みんないずれは倒さなければならない相手だ。どうせ当たるなら、組み合わせなんて些末な問題だ。

 対戦相手と握手を交わし、コートの中央に緊張した面持ちで全部員が集まった。


「本大会における優勝候補は、第一シードで揺るぎないと言われている」

「麗香。それ今言わなくていいわ」


 開口一番、優勝候補がどうとか言い出した澤藤先輩に、鈴木先輩が冷淡に突っ込んだ。


「そうだけどッ。いいから最後まで聞きなさい」


 あはは、と夏美が笑い、とたんに張り詰めていた空気が弛緩した。


「メディアは私らにさして注目していない。第一シードが優勝候補で揺るぎないだろう、と言われている」


 風をまとう者、と呼称されていた元北海道地区王者が戦線に復帰したことで、永青高校は一時話題になった。だが、あたしが肩に故障を抱えている情報が広まると、永青高校に関する噂は潮が引くみたいにサーッと消えてなくなった。

「まあねえ」と小春が嘆息する。

 実際、相当厳しい戦いになるだろう。準々決勝が、事実上の決勝戦だとあたしはにらんでいる。

 でも、と主将が声を張り上げた。


「そんな下馬評、ひっくり返してやるよ。初戦からエンジン全開でいくよ? 完膚なきまでに相手を叩きのめして、台風の目はウチらだったって、言わせてやろうじゃないの? ノーマークにしていたこと、後悔させてやろうじゃないの? そうでしょ!?」

「おお!」と全員の声がそろった。

「えんじーーーーーん!!」


 気合いの声を上げた主将と鈴木先輩が肩を組み、それに心が肩を組み、やがてみんなが輪になった。


「元気出していきましょう!」

「はい!」

「声出していきましょう!」

「はい!」

「勝つのは誰だ?」


 主将の声に合わせて、全員で声を張り上げた。


「私たちだ!」


 おぉーーー!!

 輪になってラケットを天にかざして、それから円陣を解いた。それぞれが、それぞれの戦場に向かうために。


「歳桃、仁藤、第一ダブルス任せたぞ。勝ってこい!」


 コーチの声に頷いた。


「はい!」


 紗枝ちゃんと目が合った。勝利を期待され、トップシングルスとして起用された彼女は、これから最奥のコートに向かうのだ。

 ぱちぱちと、瞬きのシャッターが下りる。

 瞬いた視界の中、冬の夜空みたいに澄み切った瞳が、ふっくらとした彼女の赤い唇が、あたしの脳裏に鮮明に焼き付いた。

 触れたい、とわき上がった感情をひとまず飲み干して、あたしは拳を前に出した。


「勝つよ」

「当たり前じゃん」


 紗枝ちゃんも拳を合わせてくる。

 視線がはがれて、あたしたちは別々の方角に歩き始める。

 それぞれが舞うための、ステージに向けて。


 出会いは唐突だった。

 歓喜した日があった。

 絶望した日もあった。

 もう無理だって、そうわかっていても心の奥底はまだ燃えていて。

 くすぶっていた心に、いつの日か火を焚き付けられたんだ。

 迷っていた。悩んでいた。いつだってそう、あたしは。

 成長したのか、と問われたならば、それはまだよくわからなくて。これからも迷ってしまうだろう。悩んで、足を止めてしまうのだろう。

 それでも、弱い自分のことを認めようと思う。自分を全部受け入れて、一歩ずつ成長していこう。

 ここから先は、あたしも体験していない未知のゾーン。

 約束の地へと続いている最初の一歩を、心と一緒に踏み出すことを意識しながら、緩んだ頬をあえて隠さず口にした。



「ねえ、心」

「ん、どうした?」

「あたしのこと、ダブルスに誘ってくれてありがとう」


 全国の頂点まで駆け上がろう。あたしと心とでの、トップアンドバックで。


fin

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