第四章「あたしが過去と向き合う日」

【誰にも、言えるはずはなかった】

 長かった夏休みは終わりを告げ、練習メニューはそれまでのものに戻った。

 授業が終わったあとで取れる練習時間は限られている。昨今は、文部科学省によって定められた『運動部活動の在り方に関する総合的なガイドライン』による練習時間の縛りが厳しいので殊更だ。大会が近づいているのだから、短い時間でより実戦的な練習をしていく必要があった。

 筋力トレーニングとフットワーク練習とを手短に行い、そこから基礎打ち、ノック練習と続き、試合形式の練習へと移っていく。

 そんな中、ペアが変わったばかりのあたしと心は、ペア練習に少しだけ多めに時間を割いていた。


 心がダブルスでプレーすることを、どういった経緯でコーチが決断したのか、知らずにいればもう少し心穏やかでいられたのかもしれない。

 それは、月曜日の放課後のことだった。

 うちのクラスはホームルームが少し早く終わったようで、サブアリーナに着いたときあたしの他に誰もいなかった。みんなが来る前に、ネットを張っておこうかな。まずは着替えだと、部室に向かうため階段を上り始めたそのとき人の声がした。

 それは部室の中から聞こえてきていて、どうやら心と監督の声だった。

 ああ、そうか。心のクラスの担任は監督だった。あたしのクラスより早くホームルームが終わっていたんだ、と向かいかけた足が、次に聞こえた一言で凍り付く。


「つまり、歳桃はダブルスをやりたいと。そういうことか?」

「はい」

「それはこちらとしても願ったり叶ったりなのだが……、それだと、歳桃の負担が増えてしまう。……それでもいいのか?」

「はい。私は個人戦だけではなく、団体戦でも勝ちたいんです。こんなことを言うと自惚れみたいに聞こえるかもしれませんが、勝つためには私が第一ダブルスで出て、その後のシングルスと併せて二勝することが必須だと考えています。特に、修栄に勝つためには」


 修栄にはあの姫子がいる。勝つためにそうするべきなのは間違いない。計算できる白星がひとつ増えるのはとても大きい。

 そこからしばらく会話が途絶えた。監督が長考している様が見えるようだった。


「わかった。ペアについては、こちらで考えてもいいよな?」

「もちろんです」


 ここまでを盗み聞きして、あたしは急いで階段の下まで戻って、今来た風を装ったのだった。


 心のペアは、鈴木先輩あたりになるだろうとそう思っていた。心はオールラウンダーながら前衛向きだし、スマッシュが速い鈴木先輩が一番相性がいいはずなのだから。

 ところが、蓋を開けてみたらペアはあたしだった。

 驚きが強すぎて、あの日からうまく気持ちを整理できていない。

 紗枝ちゃんは、二年の先輩とペアを組むことになった。だが、大会が近いので、ダブルスの練習はまだしていない。紗枝ちゃんにとって降格とも取れるペアの組み替えだが、彼女自身は平静を装っていた。

 そして、心はずっと沈黙を貫いている。

 渦中の人だ。むしろそれでいいとすら思う。

 心が言わないのだから、会話を盗み聞きしたことは当然あたしも言わない。というか、言えるはずがない。

 心にダブルスをさせるべきかどうか、心の負担増と勝率とを天秤にかけていた監督に他ならぬ心が進言したということは、自分を犠牲にする覚悟があるからだ。同時に、心がダブルスをやると言ったというのは、周囲のメンバーたちに頼りないと言ったのも同然なのである。

 たとえそんな意図はなかったとしても、そう取れるのだ。

 だから、言えるはずがなかった。



「ちょっと、人の話聞いてる?」

「ああ、うん。で、なんの話だっけ……」

「呆れた。全然聞いてないじゃない」


 諦念が、心の顔に張り付いた。


「いかにして、トップアンドバックの陣形を維持するかって話をしていたんでしょ」


 あたしが後衛としてのプレーをほぼできない以上、速やかにあたしが前、心が後ろのトップアンドバックの陣形を作る必要がある。かつそれを維持しなくてはならない。

 こちらがサーブのときはいい。

 あたしがサーブのときはショートサーブを打ってそのまま前に出ればいいし、心がサーブのときはロングサーブを打ってその間に陣形を整えればいいから。

 開幕の攻めが単調になる欠点はあるが、いったんトップアンドバックの陣形を作れたらなんとかなる。

 問題は、向こうがサーブのとき。

 心がレシーブのときはショートサーブを主体とすることで。あたしがレシーブのときはロングサーブを主体とすることで、容易に妨害されてしまう。

 ローテーションがワンパターンになるのも問題だ。

 たとえば、相手のスマッシュに対して心がネット際に返した場合、打った心がそのまま前に詰めて前衛を担当するのが筋だが、あたしたちの場合はここで動きが逆になる。

 また、クリアの打ち合いになったとき、相手からスマッシュがくることを想定してサイドバイサイドの陣形が普通であれば選択肢に入る。だが、その対応はできればしたくない。陣形をなるべく崩したくないから。

 なんとかしてトップアンドバックの陣形を維持したい。そのステージに相手を引きずり込みたいという意思が、無意識のうちにローテーションやラリーを窮屈にしてしまうのだ。

 陣形を崩されたときのリカバリーをどうするか、それも問題だった。

 心の真正面にシャトルを落とされるだけで、容易に陣形を崩されてしまう。心が前に出て拾わざるを得ないため、陣形が逆になってしまう。

 ここから再び前後を入れ替えるにはひと手間要る。あたしが後衛をできないと悟られた時点で、この攻め方はされると思わなくちゃならない。


 ――これらの弱点は、紗枝ちゃんとのペアで市川姉妹と試合をしたときにも露呈していた。


 こういった問題点への対応をどうするか。小春と夏美を相手にして、繰り返し模索していった。

 しかし、これといった解決策が出ることはついぞなかった。

 これだけを言うと八方塞がりみたいだが、そんなことは断じてない。

 いったん前に出てしまえば、あたしはほとんどの相手に遅れを取らない。少なくとも、小春や澤藤先輩に打ち負けることはない。

 今ではもう、二人の癖を良く知っている。予測とテクニックと手数の多さで、打ち合いになれば必ず二人を圧倒した。

 心のスマッシュも強力だ。

 弾速だけで言えば鈴木先輩のほうが速いかもだが、長身から繰り出される角度あるスマッシュと、ライン上にピタッと運ぶ絶妙のコントロールは、たびたび相手の判断を狂わせた。

 アウト、と予測して見送ると数ミリだけラインにかかっている。

 必然的に臭いコースはすべて拾う必要がでてきて、そこを逆手にとって心は時折﹅﹅﹅アウトを混ぜ込む。

 苦しい体制で相手が拾ったシャトルを、押し込むのはあたしの役目だ。

 第一ダブルスとして期待されたあたしたちは、その期待に違わぬ勝ち星を部内で重ねていった。

 だが――何かが足りない。

 心と組んだことで、確かに『ペア』として強くなった。しかしそれは、『個』の力が上がったことで、強くなっただけじゃないのか?

 心とペアになったからと気負うな。もっと伸び伸びとプレーしていいんだぞ、とコーチからは言われている。わかっている。自分なりにアクティブに攻めているつもりだし。

 けれど、違う。

 ああ、まただ。前にも感じた違和感。何かが足りていないのに、それがなんなのかわからないこのもどかしさ。弱点を克服できていないのとは違う、『熱』みたいな何かが足りていない。



「お疲れ様でした」


 澤藤先輩の声に合わせてみんなで唱和する。今日も練習が終わった。

 明日は土曜日なので学校が休み。とはいえ、遊んでいる暇などない。十一月に予定されている地区予選会に向けて、練習はこれからも激化していくだろう。土曜も日曜もないのだ。

「それから、今日は部内報を配布する。澤藤。悪いけどこれを一枚ずつみんなに配ってくれ」


「わかりました」


 澤藤先輩が監督から受け取った半紙を部員全員に配っていく。最初に受け取った鈴木先輩が、瞳を白黒させた。

「マジで?」と言ったまま絶句する。

 彼女が絶句したその訳を、受け取った部内報を見てあたしは瞬時に理解した。


「突然なんだが、札幌修栄高校との練習試合を日曜日に行うことになった。修栄さんは元々別の学校と練習試合を行う予定だったのだが、ドタキャンされたらしいんだ。それで、うちにどうかって打診がきてな」


 相手は強豪だが、これもいい経験になると思う。そう言って監督は話を締めくくった。

 私立札幌修栄高校。

 札幌駅から見て西側に二キロほど歩いた場所にある学校で、いじめのない学校作りをスローガンにかかげた、活気があり、アットホームな学校だと言われている。

 スポーツを通じた人間育成にも力を入れていて、とりわけ女子バドミントン部が強い。ここ数年は、北海道地区の頂点に立ち続けている文字通りの最強校だ。

 落ちた青、などと揶揄されている永青高校とでは、正直格が違うだろう。

 だが、そんなのは過去の話。周りの部員たちは|(心を除いて)やや萎縮した反応を見せているが力不足だなんてあたしは思わない。

 今の永青には北海道地区三強だった心がいる。

 片翼をもがれたとはいえ、あたしだって。

 姫子。返り討ちにしてやるよ。

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