堕天使陛下の仰せのままに ~え?俺が黙示録戦争を終わらせるんですか?~
西 条陽
プロローグ①
深夜、オフィスビルの廊下を全力で走っていた。
背後から、サラリーマンとOLの集団が無言で追いかけてくる。彼らの顔には表情と呼べる表情がなく、人間味がない。シンプルにいうと、恐い。
「なんか、ヤバいんですけど!!」
耳につけたイヤホンマイクにむかっていう。思わず声が大きくなる。
「きいてます? エリさん!?」
『エリではない』
イヤホンから、女の人のきれいな声。
『陛下と呼べ、陛下と』
そんなやりとりをしていると、スカートをはいた女の人が陸上部みたいな走り方で、しかも床と平行になりながら壁を走って俺の前にまわりこんでくる。
なにそれ! って思いながら俺もがんばって走るんだけど、その女が壁を蹴って、俺に飛びかかってくる。
そのままもつれあって床を転がる。
びっくりしたのは、そのあとだった。女の人の顔が間近にある。そして、俺をとらえるその目が、白目まで真っ黒だったのだ。
俺は、「ぎゃ~!!」って悲鳴をあげて、女の人をふりほどいて、また走りだす。
「陛下、目が真っ黒です、目が真っ黒! 白目まで真っ黒!」
『目が白目まで真っ黒だったら――』
陛下がゆっくりした調子でいう。
『恐いだろ。うん、すごく恐い』
「そうです! 俺は今、そういう話をしてるんです!!」
陛下はビルの外、クリスマスツリーのある広場にいて、通話で俺に指示をだしている。
だから、めちゃくちゃテンションにギャップがある。
『まあ落ち着け。今夜は星がきれいだぞ』
「のん気なこといってる場合じゃないんですよ!」
俺はそれどころじゃない。
「なんなんですか、これ。いつものほんわかした依頼じゃなかったんですか!?」
俺と陛下は普段、山の手線の少し外側に位置する街で、便利屋みたいなことをやっている。掲げている看板は『英国屋』。
陛下は英国屋を、颯爽と人助けをするスタイリッシュな事件解決屋にしたいみたいだけど、地元の人たちは英国屋のことを、きれいなお嬢さんが道楽でやっている、かわいらしいお手伝い屋さんだと思っている。だから、やってくる依頼はどれもローカルでピヨピヨなものばかり。
猫が逃げだしたとか、果物屋の店番をしてほしいとか。草野球の人数が足りないといわれ、朝早くユニフォーム姿で河川敷に集合したりもする。
失恋した女の子の愚痴をきく依頼は大変だった。俺はファミレスで一晩中、眠気をこらえながら相づちを打ちつづけた。陛下は窓の外を眺めながらずっとポテトをかじっていた。
絵になってないかといえば、これはこれでありだった。
美人なお姉さんの陛下と、ちょっと抜けてる高校生の俺。
ポップでキャッチーなふたりの日常。
陛下のイメージすることではないかもしれないけど、俺はけっこう好きだった。
だからこんな感じでやっていくぞ、うお~、って思ってたんだけど、今は――。
「なんか、薄気味わるい人たちに追いかけられてるんですけど!」
今回の依頼はキーホルダーだった。
依頼人は高校一年生の女の子で、電車に乗っていたらサラリーマン風の男にカバンにつけていたキーホルダーをとられてしまったらしい。
女の子は男が首からぶらさげていたストラップに勤務先の名称が入っているのをしっかりみていた。男が勤務する場所は、都心のオフィスビルだった。
そして幸運なことに、そのオフィスビルで清掃員として働くおばちゃんと、俺たちは茶飲み友だちだった。俺たちは普段のピヨピヨな依頼をこなすうちに、いろんな人と知り合いになっている(陛下はそれを国民ネットワークと呼んでいる)。
おばちゃんはさっそくオフィスを掃除しているときに、ちらちらとのぞきみをして、キーホルダーがその男のデスクの引きだしに入っていることを確認して教えてくれた。
俺たちはさっそく電車に十五分ほど乗って、都心へと向かった。
目的のビルは地上四十八階で、一般人が出入り自由の展望ルームもあった。そしてキーホルダーがあるのは四十五階らしかった。
俺は陛下の手足として、夕方になると展望ルームにいって身を隠し、夜を待った。
閉館になり、万全を期して深夜〇時をまわったところで動きだした。消灯し、静まり返った展望ルームから非常階段でフロアをくだり、暗いオフィスに入っていく。
机の引き出しを開けて、キーホルダーを持って帰るだけのはずだった。
いつもならそれでめでたしめでたし。陛下、なんか美味しい物でもおごってくださいよ、ってなるんだけど、でも今回は――。
「死んでたんです!」
『誰がだ?』
「男です、男!」
キーホルダーを女子高生から奪ったらしき男が机に突っ伏していた。
真っ暗なオフィスにその状態でいる時点でイヤな予感はしてたんだけど、不審に思って肩をゆすってみたら、案の定、椅子から崩れ落ちた。
仰向けになった男の両目は真っ暗な空洞になっていて、さらに焦げた匂いを漂わせながら煙をあげていた。
うわぁぁぁぁって思ったんだけど、すぐに周囲の異変に気がついた。
オフィスは消灯されて、真っ暗になっている。それなのに――。
全てのデスクに、人が座っていたのだ。スーツを着た男の人が、オフィスカジュアルの女の人が、まるでマネキンみたいに、無言で、姿勢よく座っている。
それってめちゃくちゃ異常な光景だ。普通に怖い。
「キ、キーホルダーだけもらっていきますね~」
小声でいって、キーホルダーに手をふれようとした瞬間だった。
座っていたサラリーマンたちがいっせいに首をねじって俺をみた。光の加減なんかじゃなく、みんな、目が真っ黒だった。そしてそいつらが俺に襲いかかってきた。
たまらず廊下に飛びだして、走って逃げている。
それが俺の現在地。
「陛下、こいつらなんなんですか!」
『ふむ』
陛下は考えるような間をとってからいう。
『よくわからない』
なんて会話をしていると、腹に響くような轟音がして、その瞬間、視界のなかにあったガラスのパーテーションが粉々になる。
後ろをみれば、サラリーマンのなかに、制服の警察官がひとり混じっている。
そしてその警察官は例の真っ黒な目で俺をみながら、銃口をこちらに向けていた。
真っすぐ走っていたら、的になってしまう。
俺は直感的に木製の扉に体当たりしていた。ドアを壊して部屋のなかに入った瞬間、廊下にまた銃声が響き渡る。
俺は部屋の奥に入っていって、デスクの下に隠れる。
ほどなくして、サラリーマンの集団が部屋に入ってきた。彼らは痛みを感じないのか、さっき割れたガラスの破片を素手で握りしめている。そしてデスクの上の物をひっくり返しながら、俺を探しはじめた。
『大騒ぎだな』
「こっちはたまったもんじゃありませんよ」
『私は大雨の日に家のなかから窓の外を眺めてテンションあげるタイプの陛下だ』
「でしょうねえ!」
外にいて余裕な陛下。俺はこの場をどうやって切り抜けようか考える。
そのとき、一瞬、フロア全体が静かになる。
助かった?
そう思って、様子をうかがおうと、おそるおそる顔をだしたときだった。
俺が顔をだすのを待っていた警察官が、また銃をぶっ放してくる。急いで顔をひっこめると、割れたディスプレイの破片が頭にふってきた。
俺の位置に気づいたサラリーマンとオフィスレディたちがぞろぞろとこっちにまわりこんでくる。
「陛下、どうしましょ~!」
『まあ、まずは話し合いだろうな』
「そんな悠長な~」
『紳士たるもの話し合って解決するべきだ』
「俺、ただの高校生! アルバイト!」
それに、と俺はイヤホンにむかってつづける。
「話し合いなんて無理ですよ。ガラス手づかみにして襲ってくる連中ですよ!?」
『そうなのか――』
陛下の口調が急に冷めた感じになる。
『そいつらは話し合いもなしに、いきなり襲ってきたのか』
「はい、銃まで撃ってきました! わるいやつらです!」
『それは――マナーがなってないな』
あ。
スイッチ入っちゃった、と思う。
通話越しにも、陛下が表情を変えたのがわかった。
『私はお前とちがって映画に真実があるとは思ってないが、以前、お前と一緒に観た映画で、なるほどそのとおりだと思ったセリフがある』
俺は陛下が思い浮かべているセリフに心当たりがある。それは、オックスフォード大学のモットーにもなっているイギリスの格言だ。
陛下はそれを口にする。
『マナーが人を作る』
つまり、陛下はいっているのだ。
いきなり襲いかかってくるようなやつらは気に入らない。だから――。
『お前が彼らにマナーを教えてやれ』
「そうなりますよね~!!」
警官がまた銃を撃ってくる。俺は銃声のなか、イヤホンマイクに向かっていう。
「でもそれって、俺が戦ってやっつけるってことですよね?」
『うん』
「いきなりかわいくうなずくじゃないですかぁ……」
あのぉ、と俺はつづける。
「恐いからイヤだっていったら許してくれます?」
『…………』
沈黙。
ダメだ。陛下、やる気だ。
俺はなにもごっこ遊びで陛下のことを『陛下』と呼んでるわけじゃない。
陛下には本当に陛下って呼びたくなるような、普通じゃないところがある。顔がめちゃくちゃきれいとか、服がいつも貴族っぽいとか以外に、もっと常識では考えられないような不思議な力を持っている。それを使われたらたまらない。
俺は、目が真っ黒のホラーな奴らと戦いたくなんかない。だから――。
「あ、陛下、なんか大丈夫になりました。相手もめっちゃ行儀よくなりました。ひとりで逃げれます」
とかなんとかテキトーなことをいってみる。でも、しっかり銃声はつづいているし、ガラスを握りしめたサラリーマンはこっちをみて口の端を釣りあげて笑うし、そもそも陛下は俺のいうことなんてきかないから、いってしまう。
『戦いなさい』
とびきり威厳のある声で。
『女王陛下の名の下に』
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