第19話 絶望の中に潜む(長いので暇があるときに呼んでください)
「はっはっはっ!」
動機が止まらない、心臓の音がうるさくて仕方がない。
ここは海から上がってすぐの浜辺だ。さっきまでいた崖じゃない、そして如月が今立っている場所はその崖だった。
そんな如月の手には生首が一つ握られていた。
………っだめだ、そんな予感は消せ。
「ふざっ、偽物に決まってっ」
「んー?あ、これねはいあげる」
綺麗に放物線を描いたそれは俺の目の前にぐちゃっとなまめかしい着地音を発する。
それと同時に飛んだ血が俺の頬をかすめる。
あまりにもリアルなそれは生気を失った瞳を俺に向けてきた。
その顔は俺の友達に似ていた。いや、似ているというレベルじゃない、本人だと頭が警鐘してくる。
あの活発な瞳にはもう光がともらない。どここまでも小うるさくきゃんきゃんっと騒ぐあの声はもう聞こえない。
竜胆雅という少女はもうこの世界には存在しない。
真っ直ぐで愚直な彼女はたった半径13センチほどの球体に成り下がる。
「逃げなさい神宮寺君、私がなんとかっ」
「邪魔だ」
如月がつまらなそうに嘆息しながら指をはじくと目にも止まらないスピードで来栖理亜は近くの岩盤に打ち付けられた。
「来栖っ!!」
「かはっ、はぁはぁ」
「………っくそが」
来栖理亜はなんとか生きていた、辛うじてだが息をしている。
「魔力がほぼないお前は使い物にならんだろ、すっこんでいるといい」
「すぅはぁ、すぅはぁ、すぅはぁ」
だめだ、落ち着け、落ち着け。
荒い呼吸のままではまともな思考などできない。一旦落ち着いて、如月を………見なきゃ。
だが目の前に転がる球体が俺の視線を離さない。
「竜胆っ、なんで」
彼女はなんの抵抗もできずに殺されたのだろうか、その顔は絶望でもなんでもなく全くの無表情であった。
それが唯一の安心できる材料だった。絶望させてから殺すことしかしない如月に殺されても絶望はしなかったんだ、死ぬ痛みも感じることなくきっと楽に………。
「うっ、くっ」
吐き気がこみ上げる、一度は落ち着けたはずの頭が再びぐるぐると回りだす。がちがちと歯をぶつけ、視線を右往左往させる。
始めてだった、人の”死”を見たのは。
テレビのニュースでしか見たことのない現実味のない現実が、今俺の目の前で起こっている。
俺がそんな体験をするとは思いもしなかった。こんな、こんな………。
「はっようやく絶望したか、神宮寺郎」
「あ、あ、あぁ!」
俺の目の前に降りてきた緑髪ショートボブの女は俺を見下ろしてあざ笑う。
だが俺はそんな女を押しやって、転がった球体を抱きしめる。
「はっはっはっはっ」
もう暖かみのない球体を包み込むように抱きしめ続ける。
戻ってこない竜胆の体温を、戻ってくることを祈り続ける。
「頼む、どっかにいる神様ぁ竜胆を生き返させてやってくれ、あいつは頑張ってた、頑張ってたんだ、真っ直ぐすぎてたまにずれたことしちゃうけど、でもいいやつなんだ、だから、頼む」
「つまらんな神宮寺郎、こうも簡単に絶望するならもっと早くに殺しておくべきだったか」
気色が悪く、憎悪すら覚えるようなこの世で一番嫌いな声が後ろから聞こえる。
「だがその顔はいいぞ、いつもの余裕と自信に満ちた顔なんかよりそそられる」
赤く染め上げた頬はどうしてか俺を見ることでさらに紅潮させる。
「神様、どうか………」
どこにいるかもわからない神に届くかもわからない無駄な願いを告げながら俺はさらに強く抱きしめる。
「いもしない神にすがりつく余裕はあるのか、ふむ、少しどけ」
「あっつ」
とんでもない力で吹き飛ばされた俺は何十回転もして浜辺に打ち付けられる。
「こうすればもっと憎悪するか?」
「やめろ!!!」
俺に残された竜胆雅と認識できる最後の球体を如月は粗雑に握る。それを静止させえようと足に風魔法を溜めて踏み込んだ。
だが………それよりも早く如月はその最後の遺物を、潰した。
顔のパーツがまるでおもちゃのように飛んで行く。目が、鼻が無造作に四方八方に散らばっていってしまう。
ぷつん、と俺の中の何かが吹っ切れた気がした。
「あ、あ、あぁ、あっう、くっふざっ」
体の底からどす黒い何かがこみ上げてくる。黒い液体が体中をはいずり上がっていく。大量の虫が腕にのぼってきているかのような不快感が襲う。
頭が急速冷凍されていくのに対し、体は狂うほど熱い。俺の体が何かに改変されていくのを感じる。
「-------、---------」
耳が遠くなる。目の前の如月の言葉は耳に入らない。今はただ自分のことで手一杯だった。
皮膚が、骨が、そして五臓六腑にわたってわらわらと不快感がはいずり寄ってくる。
視力が落ちて行き、周りの世界がどんどんぼやけていく。揺れる視界の中俺の腕に黒い線が浮かび上がっていた。
赤いはずの血管は黒く染まり、それが隆起していた。
………俺の体に何が、起こって、いる?
「がっうっいだいっ」
最早俺の視力はなくなり完全なる闇に包まれる。感じるのは目の前にいる人肌ほどの体温だけ。
その体温がまるでサーモグラフィーのように如月の輪郭を表現する。
「ははっようやく目的が達成できる」
聞きたくもない言葉は俺の気持ちに反してあまりに聞こえやすいものであり、すっと耳に入って来た。
「てめぇ殺す」
………自分の体がどうなっているかなんてどうでもいい、そんなくだらないことよりも俺は目の前の人型にかたどられた温度の塊を殺したくて仕方がない。
憎悪が彼を、シハイする。
・
「あれは、何?」
自分の体がこれ以上傷付かないように必死に回復魔法をかけていた来栖理亜は神宮寺郎の体に起こっていることを理解できずにいた。
背中の肩甲骨は異常なほど飛び出ていて羽のように広がっている。血管はどす黒く汚れていて奇妙なほどに浮かび上がっている。
まさに異形、それは人の形を成してはいなかった。
虫、いや獣、いや人間、そのどれともとれる形でそれは最初の一歩を踏み出す。
「私も行かないとっ、くっつっ!?」
岩盤に埋められた体を抜こうとすると体に激痛が走る。少しでも腕を動かせば灼けるような痛みが腕を引きちぎろうとしてくる。
「がっ、つぅ」
如月から与えられたダメージは相当のものだったらしく、その重い痛みが来栖理亜の足を止める。
「神宮司君」
彼女は見守るしかなかった、神宮寺郎の命を燃やした文字通りの命がけの戦いを。
少し時は戻り、如月は変態していく神宮寺郎を恍惚とした表情で眺めていた。
「いいぞ神宮寺郎、今お前はこの私に並ぶ域まで来ようとしている」
漆黒に染め上げられた瞳の中にともる青い炎を見てさらに頬を赤く染める。
神宮寺郎という人間の形を完全に忘れたそのフォルムを見ても彼女は全く動揺することはなかったのだ。
爪は数十センチまで伸び湾曲している、そして口からは細長い牙が見え隠れしている。
「がっあぁ!」
飛びそうになる意識を神宮寺郎は自分の頭を殴ることでなんとか保つ。
「やめろ抵抗するな、そのまま身をゆだねろ、お前はそのままいけばきっと私と同じような」
「がっあ!!」
如月は苦しむ神宮寺の肩にぽんっと優しく手を置く。だがそんな如月の手はいらないと神宮寺は荒々しく払う。
「っ!あぁぁぁぁぁ!!」
体中を走る激痛の中、神宮寺は如月に狙いを定め手に激流のごとき闇をたずさえ殴りにかかる。その軌道を如月は追い切れていなかった。
「ぶっかぁっ!」
いつもの余裕の表情を崩して吹き飛ばされた如月はきりもみ回転をして海に向かって吹き飛ばされた。
「ははっいいぞ、まったく見えなかった」
だが飛ばされただけで彼女自身には全くと言っていいほどダメージが入っていなかった。まるで効いていませんよという風に宙に浮いている。
事実、彼女の顔に傷らしい傷は一つも見当たらず、殴られたはずの頬は赤くもなっていなかった。
「がっあぁぁぁぁ!!」
半ば理性を失った次々と体の芯から続々と闇魔法が発現され、黒い塊が大量に作り出され如月に突進していく。
「ははっその調子だっ!私はお前の友達を殺した、なぶった!もっと怒れ!憎悪しろ!そしてそのまま………」
その先を言うことなく少し眉をひそめた如月は仁王立ちの構えで大量の闇魔法を受けきった。
そして如月を中心として煙が発生し、彼女の姿は不鮮明になる。
「魔獣になれ神宮寺郎」
その時の彼女からは笑みは今まで見た彼女のどんな笑みよりも真っすぐであり、少しだけ毛色が違った。
・
この世界には魔獣に成る方法が存在する。
あまりに下劣で遠ざけたいその方法は太古の時代から知られていた。
その方法とは大量の魔獣を食したものが魔獣の成分に慣れる前に激しい憎悪を持つことである。
そして神宮寺郎はこの二つを満たしていた。
神宮寺は魔獣の力になじんできてはいたが食した魔獣の量が果てしなく多かったがために完全に物にしていたとは言い難かった。
それを如月に突かれたのだ。
極悪非道、残虐で悪辣、そしてなんの慈悲もない如月の行動は人に嫌悪を生ませるには十分であった。
彼女の目的は達成されようとしていた。
「ほとほと貴様のクズさ加減には吐き気がする」
口を開いたのは如月に押さえつけられ、目の前の板から神宮寺達の状況を見せられていた会長であった。
「うるさいなぁ、私はただ神宮寺に私と同じ位置まで来てほしいだけさ、ただの純粋な乙女心なんだがな」
やれやれとため息を吐いた如月の言葉には殺した竜胆雅へのねぎらいの言葉は微塵もない。
「貴様ぁ、神宮寺を魔獣にする気か!」
「そうだあいつが魔獣になりさえすればあいつは私を殺せる存在になる、私と一緒に生きてくれる存在になる、それだけでいい、それだけで私は幸せなのだ」
如月は暖かな笑みを浮かべ胸に手を当てた。頬を朱に染め、長い前髪を耳に賭ける。その様はまるで恋する少女のようだ。
下手すれば少女漫画にでてきそうな一コマのようだ、それほどまでに彼女の表情は完成されていた。
だがそれは一コマだけ見ればの話である。彼女のしてきたことを鑑みればそれは到底少女漫画で描いていいものではない。
「貴様、人を殺しておいてよくいう、貴様に幸せになる権利があると思うか!」
「お前らは神宮寺の障害だ、障害は排除する、当たり前のことだ」
「っ………く」
圧倒的な強者の発言に会長は何も言い返すことができずに押し黙ってしまう。
「だ、だが!お前は仲間も殺していたはずだろ!」
”仲間殺し”、そのことに関して会長は特になんの感情も揺れ動いていない。今はただ目の前の如月という存在を言い負かしたくて仕方がないのだ。
老人なりのプライド、いや老人だからこそのプライドだったのだろう。
だがそんな老人の声を聞いても特に表情を変えることなく告げる。
「あぁあれか、確かにお前にはそう見えたかもな」
「は?貴様何を言って」
「見つけました」
「誰じゃ!?」
会長が問い直そうとしたとき遥か後ろから若い女性の声が聞こえてきた。
その方向を見ると重い前髪をしている一人の女の子が屈強な男を大量に引き連れ立っていた。
その女性の目を覆ってしまうほど長い前髪から見え隠れする瞳は強く凛々しく、真っ直ぐであった。
だが身なりは真っ直ぐとは言えずところどころ穴が開いたジャージ、ぱさついた髪、肌には汚れが目立つ。まさに汚い人間の代表ともいえるような容姿だ。
「………お前は確か、小鳥遊の妹か」
「はい、小鳥遊美音です」
彼女が深々と行儀よく礼をする。そのしぐさはあまりに完成されていてひとつの芸術のように思えた。
「後ろのはなんだ?」
「テニス部のみなさんです」
「「うぉぉぉぉぉー!!」」
如月が細くけわしい視線をさらに細くして睨むと小鳥遊美音の後ろにいたむさくるしい集団がけたたましい雄たけびをあげる。
「神宮寺が浜辺で戦っているらしい!助けに行くぞ貴様ら!!」
「「うぉぉぉぉぉーー!!」」
テニスラケットを脇に挟んでいる男は周りよりも余計目立って見えるほど大きい体躯を持っている。その男が叫ぶと周りもここぞとばかりに大きな声を張り上げた。
「うるさいやつらだ、なぜここに来れた?」
「発信機です」
美音が見せてきたのは丸い電子板だった。その板の中でぴかっぴかっと定期的に点滅する光がある。
その光は如月の隣でぐっすりと眠る小鳥遊累の方向を向いている。
「随分と古そうな発信機だ、最近のものとは思えないな」
「私ドラゴン〇-ルが好きなので」
「はっ確かにそれはそっくりだな、まさかの自作とは思わなんだ」
「自作でもなければ体の中に埋め込める発信機は作れませんから」
にこっと「今日は朝に目玉焼きを作ってきましたよ」とでもいうようなほどの軽さでえげつないことをのたまう小鳥遊美音に流石の如月も冷や汗を流す。
「………なるほど、純人間にも魔獣に近しいものがいたか」
如月は今現実にいる狂人から目をそらしつつ自分の隣で夢うつつとなっている小鳥遊累を見下ろす。
「お前の目的はなんだ?兄の奪還か?」
「神宮司先輩の救出です、救出のために兄の力が必要なのです」
「ほう?随分と色男だなあいつは」
すると如月の空気が変わりぴりっとした張り付いた空気が流れ始める。
「………お前まさか神宮寺の体にも」
殺気だった如月は緑の髪を赤く染め紫の瞳を半月にして小鳥遊美音を睨みつける。
その睨みつけは並の魔法使いすら震え上がらせるほどの威圧があった。
だが残念彼女は異常なサイコパスブラコンだ。そんな視線などものともしない。
「いえ神宮司先輩にはそこまではしていません、私はただ毎日ドローンを使って上空で探索を続けていただけです、そしたら上空を飛んでいる神宮寺先輩を見つけました」
「………そうか、なら安心した」
如月は放っていた殺気を収め朗らかな表情に戻した。だが冷や汗の数は先ほどよりも多くなっていた。
「というわけで兄さんを借りますね」
「それとこれとは話が違う、私の邪魔をしようとするやつにそんなことすると思うか?」
「私と兄さんの逢瀬を邪魔したあなたにそんなこと言われる筋合いはありません」
「くだらないことを言う、貴様の事情を私が汲むと思うか?」
「じゃあ力づくでもっ」
腕まくりをして今にも食ってかかりそうな勢いで走り出した美音は一直線に如月に突撃する。
如月は必死の形相で襲ってくる美音を横目で見て大きなため息を吐いた。
「はぁぁぁぁぁぁ、めんどくさい」
頭を抱えて顔を歪めた如月は右手に溜めていた炎を消した。
「難儀なものだ、私はもうあいつに侵されてしまっているらしい」
眉をひそめて自分の右手を見つめる。その顔にはどこか哀愁が漂っており、どこか遠くのものを見つめるように目を細めた。
「どりゃぁぁぁぁ」
今なお突進を続ける美音はただただ真っ直ぐ突き進んでいる。そのありようはまるで闘牛士に挑発されている牛のようだ。
「小鳥遊累はお前にやる」
「でいやっ!」
如月のその最後の言葉も聞かずに美音は力に任せて思いっきり頬に拳を叩き込んだ。
「でいやっでいやっでいやっ」
小動物の鳴き声のようなこうるさい声をあげながら何度も殴る、別に如月にとっては肌の産毛に少し風があたったくらいのものだがいくら何でも話を聞かなすぎるので首根っこを捕まえて目と目を合わせる。
「小鳥遊累はお前にやると言ったんだが、聞こえなかったか?」
「………えぇ聞こえていましたよ、では預からせてもらいます」
「お前、この状況で丁寧にしても遅いぞ」
首根っこを掴まれて宙ぶらりんになったまま声だけは丁寧に言う。
だがそんなものは状況とあまりにミスマッチしていたため、思わず如月も突っ込んでしまう。
「ほら行け」
「はい、皆さんお願いします!!」
「「了解だぁぁぁぁぁ!!」」
如月は首根っこを掴むのをやめ美音を離す。
自由になった美音はすぐさま振り返り自分の肉体美に溺れていたテニス部の人達に喝を入れた。
するとテニス部の人達は熱した油をひいたフライパンに脂がたっぷりのってある豚肉が焼けるときのように一気に火がつき、その勢いで眠っている小鳥遊累を無理やりかつぎ「出航だぁぁぁぁ」と叫びながらどこかもわからぬ方向に走っていった。
「ちょっまだ目的地言ってませんって!」
その猪突猛進にも近いテニス部の面々を追って小鳥遊美音も走り出した。
その後ろ姿を如月はまるで母のような温かい笑みで見送る。
「やはりあぁいうやつらなんだろうな歴史を動かすのは」
情景にも近い焦がれた視線を美音の後ろ姿にぶつける。そんな如月をあざ笑うかのように老人は口を開く。
「面白いことを言う、情が移ったか化け物め」
「違うよ情なんて移ってない、私はただ事実を言っただけだ」
「事実だと?さっき去っていったガキどもはあっちで分裂したお前に殺されるだけの存在だ、あいつらがどうやって歴史を動かすっていうのだ?」
「ふむやっぱりお前は、いやお前らはつまらんな、いつもリスクを見ている」
そして如月は口答えしようと眉を動かした会長の口を土魔法でふさいだ。
「しょうもないリスクを避けるために逃げる、絶対に危ない橋を渡ろうとはしない、神宮寺郎は私に勝つかもしれない、その可能性を信じようともしない」
「だが」と、如月は会長から手を離し続ける。
「あいつらは違う、あいつらは命をかけてでもつかみ取ろうとしているのさ、自分が望む結果を」
如月はそう言ってまた笑う。
「それがたとえ世間一般的に悪いことだとしても、後世ではこう伝えられるのさ”歴史を変えた英雄”と」
その目はどこかさみしく、これから先の未来を見据えているようだった。
・
コロス、コロス、コロス。
たった一つの感情が神宮寺の心を支配する。どす黒い闇が神宮寺の光を呑み込み始めていた。
「さぁそのまま憎悪に身を任せろ」
「しゃぁぁぁぁ!!」
神宮司から放たれた黒い炎をまとった玉は魔法なんて高度なものではない。それはただの魔力の塊、一端の魔法使いが見れば心底ため息をつきそうなほどの魔法の出来損ない、ただ魔力を無駄に消費するようなものだ。
魔法がきちんとした銃身を持つ銃から放たれた弾丸なら神宮寺が放ったのは銃弾を飛ばすための火薬のようなものである。
「いいぞ、そのまま理性をとばっっ!?」
そんな出来損ないの魔法ともいえぬ下劣な玉はしかし、如月の手に確かな痛みを与えた。
「………は?」
如月自身理解不能であった、そんな下等な術など腕ではじけばなんの問題もないと思っていたからだ。
過去、何度も如月は高度な魔法を喰らってきた。それは最早魔法を超えた奇跡ともいえるものまでだ。
だがそのすべては彼女の体に傷をつけることさえできなかった。だから魔法使いにとって最悪の敵であり続けることができた。
彼女に唯一傷をつけたのは昔意識魔獣の食いすぎで完全な魔獣になってしまった元人間だけだ。まぁそれもつい殺してしまっているのだが。
他の魔法使いは無駄に知能があるが故ただの魔力の塊を放つという思考に至ることはなかった。
だから彼女は気づけなかったのだ、その出来損ないの魔法以下の技術が自分を最も傷つけるものだと。
魔獣に成り下がった元人間は魔獣が本来持っていない人間の魔力を持っている。そして知能を失った魔獣が放つことができるのはただの人間の魔力の塊、そのからくりにようやく気づくことができた。
彼女に希望が灯る、自分を殺せるのが魔獣以外にもいたことに。
「そういうことか」
そのほんの少しの希望が如月の頬を緩ませた。
「ふっいいぞ神宮寺郎………」
「ぎゃぁぁぁぁぁっ!!!」
如月の賛辞は今の彼には聞こえない。
半分獣となった彼は爪をかきたて如月に襲い掛かる。それを体をひねって避ける。
胸すれすれで通過した神宮寺の爪は彼女の服をほんの少し切り裂いた。
本当ならもう神宮寺を魔獣にさせる必要はない。だって彼女を殺せる存在が他にも大量にいることがわかったのだから。
”でも、彼には私が死にたいと思える瞬間までずっといてほしい。”
そのために魔獣になって永遠を手に入れてほしいという重く冷たいまとわりつくような、それでいて純粋な感情が如月に芽生え始めていた。
「一人はさみしいからな………」
眉を曇らせ如月はざらざらとした神宮寺の頬を撫でる。
「ぎゃらぁぁ、あぁぁ!!」
どれだけ体を魔獣の魔力に支配されようと神宮司だって負けてはいない、今なお膨れ上がる憎悪を抑えようと苦しんでいた。
「あ、あぁぁぁぁぁぁぁ!!」
やぶれかぶれに腕を振るって如月の顔に拳をぶつけた。
その顔は険しく辛そうだ。何度も歯ぎしりをしていて闇夜の瞳に映る暗く青い炎は揺らいでいる。
「受け入れろ神宮寺、そして私と一緒にどこまでも生きようじゃないか」
腕を大げさに広げ神宮寺を抱きしめようとする。
だがその腕は神宮寺の残った理性によって払われた。
「あ、あぁぁぁぁっ!!」
「………だろうな、お前はそんなタマじゃない」
徐々に神宮寺の瞳に宿る青い炎は徐々に落ち着いていく。その奥にはいつも通りの理性をもった神宮寺の姿が見える。
だがそれがどうにも寂しいのか、それともこうなることがわかっていたのか諦めたように目をつむる。
「っ!あぁぁぁ、ふざっけるなっ」
彼の中から殺意が消えていくのがわかる。鳥肌のように逆立った肌は少しづつ落ち着いていき、彼をまとっていたとげとげしい雰囲気は棘が抜けていく。
「神宮司、くんっ」
すると神宮寺の横を一つの風魔法が通り抜ける、その所在は来栖理亜その人だ。
痛む腕をなんとか根性で動かし照準を定めた彼女は寸分たがわず神宮寺の奥にいる如月の顔面にクリーンヒットした。
「あなたは魔獣なんかではないでしょっ」
似つかわしくないと自分で分かっていながらも彼女は大声を張り上げた。
「来栖、理亜」
そしてその声は彼のもとに確かに届いていた。
「あぁだからお前は魔獣にはなれないんだろうな神宮寺」
「あっくぅ、ぁぁぁあぁ、そうだ俺は、神宮寺郎だ、魔獣なんかじゃ、ない!!!」
完全に闇を打ち払い、手放しかけていた人型を取り戻す。もうそこに意識を失った人間はいない。
さなぎから羽を出した蝶のように自由に腕を広げた。
神宮寺郎という人間は諦めることをしない強い人間だ。
たとえ一時の憎しみに体を預けそうになったとしてもすぐに自分を取り戻せる人間なのだ。
「はぁ、はぁはぁ、待たせたな如月」
「ははっ待ってはいないけどね」
彼は確かに強く、たくましい人間だ。だがそれと同時にすぐにでも折れてしまいそうな弱さも持っている、その弱さと強さが人を引き寄せるのだろう。
「よかった」
ほっと一息ついた来栖理亜はしっかりと二本の足で立っている神宮寺を見て穏やかではなかった胸を撫で下ろす。
たった数十日一緒にいただけで敵であった人間も味方につけることができるあたり中々に悪質だ。
「第二回戦ということか?」
「あぁそうだ、そして俺はお前の殺し方も知っている」
憎しみを抑えることに成功はしたが消えたわけではない、表面には出してはいないが今でも神宮寺の中には如月への殺意がうごめいているのは確かだ。
事実今にも暴走しそうになる魔獣の魔力をずっと抑えているせいか冷や汗が止まっていない。
「そうか、ならば私も本気でやらねばならないな」
「はっお前が本気でやったとしても手加減をしたとしてもどっちでもいいが俺はお前を殺すのは変わらない」
「虚勢を張るな、冷や汗が止まってないぞ」
「………これはてめぇにびびって出てるわけじゃなねぇ」
半分嘘半分本音だ。
魔力の暴走によって噴き出ているものもあるが本人さえ気づかない心の奥底の如月への恐怖に対するものも含まれている。
「予定変更だ、お前を完膚無きまでボコボコにしてもう一度憎悪を破裂させてやる、死んでくれるなよ?」
煽りに近い神経を逆撫でするような笑みをこぼす。
「俺が?馬鹿抜かすな」
だが神宮寺はそんなものは効かないと同じように不敵に笑う、そのかすかでか細い希望を掴むために彼は精一杯の虚勢を張った。
・
あ、危なかったー!!
まじで来栖理亜の援護がなかったら完全に意識持ってかれてた。やっぱ持つべきものは仲間だぜ。
………さて、と。俺の憎悪が鳴りを潜めたところで一旦状況整理だ。
溢れそうになる憎悪を理性で押しとどめながら俺は目の前であざ笑う如月を見る。
如月、こいつはゲーム内で討伐されている。
その理由が如月に追い詰められた小鳥遊累が苦し紛れに放った魔力の塊が大ダメージを与えたからだ。
それまではどんな魔法や特技を放とうと全く効く様子を見せなかった如月がそこで初めて苦悶の表情を示したのだ。
そう如月は魔力を使った魔法は一切効かないがかわりに魔法ではない魔力の塊には弱かった。
だから俺が如月を倒すには不意打ちに魔力の塊をぶつけるしかない。
「勝率はよくて10%ってところかな」
何度シミュレーションしても無残に地面に転がる自分の生首を幻想してしまう。
「どうした、来ないのか?」
「あぁ?てめぇの方こそかかってこいや」
「そうか、せっかく先行を許してやろうと思っていたのだがな」
「っ!?がっ」
瞬間俺の視界がぶれた。綺麗な海だと思っていたものの光がびよーんと点から線に昇華した。俺の世界はすべて横に数メートル延びた気がした。
などと冷静に分析していたと思ったら俺は岩盤に叩きつけられていた。
「は?」
やっと声が出たのは自分が殴られたと気づいてから数秒経ってからだった。
まず襲ってきたのはいつ殴られたのかという困惑、次点でとんでもない痛みが襲ってきた。
「いってぇぇぇ、何をされた?」
少し前のことを思い返す。
一度ため息を吐いたと思っていた如月はその息を吐き切る前に俺の前に立っていて、いや違う多分吐き切った後にほんの瞬きするより早く動いたのだ、そんでそのまま頬を殴られた。
「いやどういうことよ」
あまりに次元が違う、立っているレベルがまったく同じじゃない。
初期装備で最初のボスに挑むようなものだ。
「まぁまだ負けてない、ぶっ!?」
俺が埋められた岩盤から身を乗り出したほんの少しの隙をつかれ、またも眼前に拳が湧いた。
そのほんの一瞬の時間で脊髄で反射した俺の腕がなんとかその拳を防ぐことに成功した。
「ぶっかっ、っ!」
新体操選手もかくやの大回転を見せて、奇跡の華麗な着地を見せる。
「はっ状況が状況ならオリンピック選手になれたかもなぁ」
「四年後には魔獣だから対象外だぞ!」
「くっそがぁぁぁ!!」
容赦なく追撃をしかけてきた如月の拳をまたも脊髄で顔を動かしてなんとか避ける。
「はっ風圧で皮膚が切れるのかよ」
ぴっと小さな切り傷がとんでもない拳圧によって作られる。
「どうしたぁ!抵抗して見せろ」
「馬鹿野郎!今はお前の癖を見てただけだわ!」
「その前にくたばるんじゃないか?」
「くっ!!」
ゼロ距離で放たれた炎の魔法は俺の表面を少し焦がした。
顔のやけどを水で冷やしてから一歩下がる。
「これならどうよ!!」
お返しとばかりに氷で作った剣の檻を如月の周囲に作る。逃げ場をなくしてから一斉に剣を飛ばす。
「やるなぁこんなにも大量の剣を発現させるとは」
「無駄口叩いてる暇あるなら対処した方がいいぜ」
「ん、対処?あぁいやいや確かにすごい技術だがこれくらいは私にとって”対処する”というレベルに達していない」
そのすべてを如月はまったく微動だにせず受けきった。
「ほらな?」
全く効いていないことをアピールするように舐めた笑顔をこぼしやがる。
「ははっどう攻略するんだよ」
「お前ならできるはずだ、魔獣になりさえすればな」
「こんの初狩り野郎が、初心者にも優しくしないと人として終わるぜ」
「私は元々人じゃあない!」
「ぶっかっ!?」
いつ発動されたのかもわからない風魔法が俺の体にぶつかり数メートル吹き飛んだ。
「いやいや、どうした神宮寺いつもより動きが悪いぞ」
「お前が強すぎるせいだろ、このカス」
「無駄口をたたく暇があるのか?」
「がっくっ!」
顔面に拳を放ってきたがぎりぎり鉄の盾を創造することができた。
だがそんな鉄の盾など無意味だったらしく細く小さい手に似合わない拳は鉄を貫通した。
「お前が聞いてきたくせによぉ」
まったく理不尽だ、とさらなる無駄口を叩こうとする自分の脳を焼き殺す。
いいぞ、このままこっちには余裕がなく、醜い口答えをしていると見せかけろ。
意識を目の前の俺だけに注がせろ。
「ふぅ本当にどうした神宮寺、お前こんなもんじゃないはずだろう」
如月は大きなため息をついて頭を抱えている。
「さぁな、過大評価のしすぎだろ」
流石に気づいたか、俺が全力を出していないことに。
まぁ実際は出せないだけなんだが。
「まぁいい、お前の憎しみを増幅させる手段はいくらでもある」
「っ!てめぇ!」
如月は俺から視線を切って後方で治療魔法を自分にかけている来栖理亜の方に手をかざした。
それを止めようと一歩を踏み出すがその焦った一歩を見破っていた如月は俺の顔面に華麗な蹴りを打ち込まれた。
「くっそ!」
「このまま本気を出さないなら本当にあの女を殺すぞ」
「………こんの、野郎」
今ですら無理してんのにこれ以上無理しなくちゃなんないのかよ。
魔法の同時使用はただでさえ疲れるってのによぉ。
同時使用しているからか執拗に顔面を狙ってくる如月のせいかわからないがたらっと一滴の鼻血が出てしまう。
「無理言うぜ!くそ野郎!!!」
焼き切れそうになる脳をさらに回せ!というか焼き切れ!俺の治癒能力なら壊れたそばから治せるはずだ!
やつに俺は必死で戦っていると思い込ませろ。
「喰らい、やがれ」
炎の牢屋に如月を放り込む。その牢屋に向かって闇魔法で作った矢を放つ。
その矢は俺にとっても会心のできで鉄の壁くらいなら100枚は抜けるだろうという自負はある。
「だらぁぁぁぁっぁぁぁ」
それを数百本にも及ぶ数を生成し、投げつけた。
だが多分、この三個の魔法を同時使用したあまりにも自分に無理をさせた魔法でも如月には届かない。
「そうだ、もっと来い、もっと必死になってかかってこい、それを潰してやる」
そう、こんなにもこっちは必死なのにその意志を空気を読まずに潰すのが如月というキャラクターだ。
やつはあれだけの俺の無茶を無傷で、それも一歩も動かず受けきった。
ほんと全くもっていいキャラしてる。
「さぁ神宮寺郎!もっとだ」
ニヒルに笑う如月は油断でもしているのか攻撃をしてくる様子はなくわざわざ隙をひけらかすように腕を広げている。
こいつ俺の魔力を空にしてからとことんなぶるつもりだ。
「なめんなよ、ばk、くっ!」
もう一度三個の魔法を使用しようとするが、作った闇の矢は完成を待たずしてはじけ飛んだ。
頭痛が止まらない、吐き気も、めまいもする。くっあ、やっぱ無理しすぎたか。
どうやら俺の治癒能力は頭にはあんま影響されないようだな。これ以上の無理は禁物か。
「しゃあねぇじゃあこれはどうだぁ!」
俺は横の海に目をやり、とんでもない高潮が来ているのを確認する。それに合わせさらに高潮が増長できるように風魔法で後押しした。
高さはおよそ20メートル、全長100mにも及ぶ巨大な高潮は俺ごと如月を呑み込んだ。
「むーーー、むーー」
やべぇ失敗だったかも、そりゃあんな至近距離にいたんじゃ俺も巻き込まれて当然だ。息が、できない。
早くこの波から出ない、とっ。
俺は必死で流動する波の中を泳ぐがそのすべては大自然の前に意味をなさず、俺の抵抗むなしくただ海中に引きずり込まれるだけ、と思ったが俺の横腹に強い衝撃が走った。
その衝撃は俺を遥か上まで連れて行こうとする。
「ぶっかっ」
勢いそのまま海面から出た俺は下に大海原を見た。そしてその水平線の先には落ち行く夕日がある。
青々とした子供っぽさは失われ、世界は大人しい朱色に染まり始める。
「くっもっとこの景色を堪能したかったぜ」
「そんな余裕はないでしょ」
「くっそ!」
腹の次は頭、容赦なく入れられた蹴りによって俺は槍のように地面に刺さった。
………土の感触がちょっと冷たくなり始めていた。
ばっとすぐさま浜辺に埋まった顔を取り、顔面中についた砂を頭を振って取る。
「さぁまだまだ元気だろ?続きをやろう」
「………」
やつはまだまだぴんぴんしているようだ、埃一つすらついていない。いいぞ、それでいい。
そのまま自分は余裕ですけどみたいな顔を続けていやがれ、俺のあれが完成するまでな。
俺は如月にばれないように視線を少しだけ上にあげて………。
・
「あれは、何?」
少し遠巻きに如月と神宮寺の戦いを見ていた来栖理亜は神宮寺の頭上にあるものができている。
「………巨大な玉?」
来栖理亜が見たのはおよそ半径数百メートルにも及ぶ球体だった。
球体は今にも苦しそうにエネルギーの一部を外に放出させている。後ほんの少しでも衝撃を与えてしまえばすぐにでも爆発してしまいそうな危なっかしいその球体は爆発のときを今か今かと待っている。
「もしかしてあれが神宮寺君の狙い?」
だとした常軌を逸している。あれはただの魔力の塊、最早魔法ともいえぬ代物だ。それを切り札にしようというのだからイカレている。
しかも神宮寺はあのたまに少しづつ魔力を流し込んで徐々に大きくしていっている、それを続けたまま他の魔法の使用もしているのだから余計ぶっ飛んでいる。
「しかもさっきはあの玉を維持したまま他の二種の魔法も使用してた、もう限界のはず、なのに………」
彼は今も好戦的な笑みを浮かべて戦っている。
「イカレているわ、本当に」
来栖理亜に闘志が宿る。こぼれた笑みは諦めたような乾いたものではなく、希望を持った余裕を含んだものだ。
立ち上がった彼女の瞳の炎はどこか神宮寺郎が持っているものと似ている気がした。
「じゃあ私も頑張らないと、よね」
彼女はきしみをあげる腕など知らないとでもいうように大手を振って走り出す。
もう彼女に迷いはなかった。現実を見るだけの一般的な少女はもういない、ここにいるのは狂人に感化された狂人だ。
狂人は必死に走りながら思案する。
(多分神宮寺君はあの魔力の塊で如月を倒せる自信があるんだと思う)
「ならそのサポートが私の役目」
来栖理亜は腕をかざし、闇の檻を如月の周辺に形成した。
「あぁ?なんだこれ」
闇に対抗できるのは光だけ、それが魔法使いの間の常識であった。
だがそんな常識如月は知らないらしい。
ただ風を起こすだけで闇が払われてしまった。まったくもって理というものを馬鹿にするような存在だ。
「ちっ時間稼ぎにもなれない」
「急にやる気を出してどうした?」
「っ、かはっ」
来栖理亜は初動すら見えず腹を殴られる。重く五臓六腑にしみわたるような衝撃がどすんっと襲い掛かる。
「ぶっかっ」
勢いを後ろに流して体ごと飛んでいたらまだ軽傷で済んでいたであろう。だがそんな楽な道を如月が与えるはずもなく、吹き飛ぼうとした瞬間胸倉をつかみその場に留めていた。
(全く見えなかった前如月が来たときはなんとか見切れたのだけど………そうかあのときは本気じゃなかったのね)
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
吐きそうになる喉を抑えているせいで気持ち悪くなりめまいを起こす中、頭は冷静に状況を分析している。
「………はぁ、はぁ」
「何か喋れよ」
胸倉をつかんだまま体を持ち上げられている来栖理亜は喉を抑えられているせいで声が出しずらいのか乾いた息しか出ていない。
「しゃべる暇がないもの」
だがそれは出なかったという意味ではない、出す必要がないという意味だったのだ。
「?、何言ってっ!?」
如月の視覚外から飛び蹴りを放った神宮寺は的確に脳を揺さぶり、思わず胸倉をつかんでいた手を離してしまう。
そして蹴られた勢いのまま海の上をピンボールのように跳ねた如月は流れるように着水した。
「傷はもういいのか?」
「いや今にでも泣き出しそうなくらい痛いわ、けどあなたの痛みはそんなものじゃない、だったらただ見ているわけにはいかない」
「………そうか、あんがとな」
今までいじられてきた分何か言い返そうかと思った神宮寺だったがそんな気すら失せるほど彼女は目は真っ直ぐと彼を見つめていた。
「気は抜かないで戦いは全然終わっていない」
「あぁそうだな」
二人は視線を同じ方向に交差させる。
その先には海面から顔を出す如月の姿がある。特段怒ってるようには見えないがその顔には呆れが含まれているようだった。
「そうか、はぁめんどくさい」
如月にとって来栖理亜の参戦は少しコバエがたかっているくらいの認識でしかない。
彼女がもし魔力が完全に回復しきっている状態だったらその認識になっていたかわからないが今の干し柿のような干からびた魔力量では最早話にならない。
「私の魔力はもう干からびている、期待しないで」
「それでもお前は何か起こしてくれるんじゃないかって俺は思ってるぞ」
「………その期待、私には少し重いわ」
来栖理亜は乾いた笑みをこぼす。
「話は終わりか?じゃあ私の………」
そこで如月は外周りが夕暮れによって赤く染まっているのに対し、自分の周辺だけはなぜかうるさいほど白くまぶしい。
「………なんだ?」
「っまず」
神宮寺の声を聞きながら如月ははるか上空を見た。
そこには得体のしれぬ巨大な光の玉が形成され始めていた。
「………そうか、お前はずっとこれを狙っていたのか」
その玉を見て今までの神宮寺の妙な弱さに合点がいった如月はぽんっと手を叩く。
だがそれは神宮寺にとって勝敗を決したゴングとなる。
「残念だなぁ神宮寺、お前の負けだ」
如月はゴングの音に浸るようににたりっと薄気味悪い笑みを浮かべる。
「気づかれ、た」
瞬間神宮寺の目から光が失われる。もう彼に打開策はない。今この状況で放っても当たらないし、集められた魔力量も必要量に達していない。
「くっそ、どうしたら」
「何を諦めているの?まだ勝負は決まってはいないでしょう?」
「………来栖、でもここからどうやって」
この状況でも来栖理亜は諦めていない、彼女の目の炎はまだ消えていなかったのだ。
「私が命がけで時間を稼ぐ、神宮寺君は上の玉を如月に確実に当てられるタイミング、で………」
「来栖!!!」
「かはっ」
まるで捉えることのできない速度で接近していた如月は来栖理亜の腹に重い一撃を喰らわせていた。
彼女の瞳は裏返り、瞬時に意識を刈り取った。彼女はその場に倒れ込み、海の潮が頭にかかる。
「くっ、如月ぃぃぃぃぃ!!」
「さぁその魔力を投げてみろ!」
挑発するように如月は叫ぶが神宮寺は動こうとしない。
(この距離じゃ当てられない、あとほんの少しでもやつに隙があれば)
魔力量は足りていない。だがそれは神宮寺の予測でしかない、希望的観測を込みで考えればあたりさえすれば如月を倒せるはずだ。
「あとは、隙さえ」
「まぁ当てられればの話だがなぁぁぁ!!」
ハイになっているのか声を裏返した如月は真っ直ぐに神宮寺に向かっている。その行動にはなんの迷いもなかったが、彼女の進路は下から生えてきた石の柱によってはるか上空に曲げられた。
「は?」
如月はなぜ今自分が上空にいるのか理解できず、数瞬の間思考が止まる。
それはちょっと前まで神宮寺がいた崖、その上から身を乗り出しているのは彼もよく知っている存在。
「今だ!神宮司!」
小鳥遊累、その人だ。小鳥遊は今にも気絶しそうなほど体全体に火傷を負っているがそれでも彼が倒れないように折れそうな体を隣で小鳥遊美音が支えていた。
サイコパスと名高い彼女だって人間だ、こんな理解もできない戦いを前にしてまともにいるという方が無理がある。
それでも彼女はここに立っている、震える足など知らない、怖がる心などどぶに捨ててきた、今はただ神宮寺郎の味方であるという強い意志を持ってここにいるのだ。
「先輩!頑張って!」
二人の声援が神宮寺に届く。
「「神宮司ーーー!また、テニスコートで会おう!」」
こんなときでものんきなテニス部の人達は彼らなりの激を飛ばす。
それらは正体不明の原動力となり神宮寺は声を張り上げて叫んだ。
「小鳥遊、皆、っいっけぇぇぇぇぇぇ!!」
「ちっ、くそ」
降りてきた巨大隕石に両手を当ててなんとか止めようとするが、その勢いは止まらずじりじりと地面に近づいていく。
「くっそだめか、これは」
如月は抵抗するのをやめ受け入れるように手を広げ目をつむった。
そしてその玉は如月を道連れに海に落ちた。
どおおん!すさまじい轟音が腹に響く。崖の一部が崩れるほどの簡易な地震は海すらうならせる。
「………どう、だ」
だがしょせんはただの魔力の塊を放っただけ、被害規模は消費した魔力量には比例していない。
「ほんと、もう出てこないでほしいが」
神宮寺は荒れる海を見て嘆息する。
本当に、本当にフラグではないのだが神宮寺は数分経っても如月が上がってこないことを確認した後、完全に倒したと思いずっと張っていた緊張の糸を切らす。
「ふぅ、やったぜ」
ぺたん、とその場に腰を下ろし息を吐く。恐ろしいほどの安堵が神宮寺を囲ってくれる。
「や、やったのか!神宮司、っ!」
遠くからかすれかすれの小鳥遊の声が聞こえるが神宮寺には「あぁ」と短く小さい返答を返すことしかできない。
「く、来栖」
緊張の糸が切れたせいで足に力が入らずはいずりながら気絶しているらしい来栖理亜のところまで行く。
「………」
来栖理亜からの返答はない、けど息はしているのできっと生きてはいる。それに二度目の安堵をし、今一度赤く染まった空を見上げる。
「竜胆………」
今はなき竜胆雅に思いをはせながら空を見上げていると、真正面から心臓の芯から凍るような威圧感が襲い掛かる。
「はぁっはぁっはぁっ、神宮寺私は、はぁはぁまだ、生きて、はぁいるぞ」
「………ふざ、けんなよ」
もう終わりだと思っていた、このまま終わらせてくれると思っていた。
だがそれはだめだと提示してくるのが如月という生物だ。
やつは片腕を失い、全身血まみれにしながらも虚ろな瞳で神宮寺を見ている。そんなボロボロな状態で彼女は両の足で立っている。
確実にダメージは入っている、でもこれ以上やつの体力を減らす手段を今の神宮寺は持ち合わせていない。
完全なる手詰まり、前にも後ろにも打開の手は残っていない。
「あ、まだ、まだ生きているのか」
小鳥遊累は絶望し膝をついて荒い息を吐く。
「「………」」
あのテニス部の面々たちですら言葉も出ずにただ茫然と流れを見つめている。
唯一あるとしたらそれは神宮寺自身にある。
「そうか、やっぱこれしかないか」
神宮寺は自分の掌を見てうなだれる。
それは禁忌の手法、誰もが忌避し使うことはない魔法だ。
使うとしたらとんでもない阿呆か、未来を捨てる覚悟を持った英雄か。
どちらにせよそれを使えば彼はもう魔法使いとしての神宮寺郎には戻れない。
「せっかく魔法が使えるファンタジー世界に転生できたんだけど」
夢はもう終わる。
彼が紡いできた苦労や努力は今このときをもって終焉を迎える。
神宮寺は口を開く。
「君は笑う、私の愚行を」
その選択は愚者のするものだと自身を嗤う嘲笑の唄。
「君は讃える、私の勇気を」
すべてを捨てでも何かを救おうとする自身を讃える唄。
「私の覚悟をどうか見ていてほしい」
前だけを向き自身を鼓舞するための唄。
「すべてを捨てた愚者の勇気エンブレムトーレス」
業を作る詠唱は成った。
神宮寺の手には残りの魔力では絶対に足りないほどの巨大な魔力の玉が形成されていた。
「貴様、その魔力はなんだ?」
「………俺のすべてだよ」
「は?どこからそんな魔力」
「使いたくはなかったよ、使えば俺はもう魔法を使えないからな」
「お前、何言って」
おそらくこの時点でその技を知っているのは神宮寺郎ただ一人だけだ。
前世を持つ彼だけが少し先の未来の技術を使うことができるのだ。
「………あのときもこんな感じだったのか小鳥遊」
思い返すはゲームのラストバル、仲間全員の魔力が尽き、唯一立っていた小鳥遊累が見せた最後の輝き、その姿は今も彼の脳裏に焼き付いている。
奇しくもゲームの展開と似ていることに笑みをこぼす。
「何が、起こっている?」
「お前はもう終わりだ」
「………くっ」
目の前の人間は自分を殺す可能性がある、そしてその自負がある。ぶれることない瞳がそう訴えかけてくる。
如月は初めて矮小な人間という存在に恐怖を覚えた。
「じゃあね、また会おう」
それは如月にかけられた言葉ではない、魔力と決別するための最後の未練だ。
その業は使用者の魔力の最大値をすべてなくして新たに魔力を捻出するものだ。
魔力の最大値の消失、それはつまり神宮寺郎の魔力を貯蔵する器自体がなくなるということだ。
そうなれば魔力は彼の中に溜まることなはく、外に逃げて行ってしまうだろう。
だからこの業を使った時点で彼はもう二度と魔法を使うことはできないのだ。
「貴様ぁぁぁぁぁぁ!!!」
如月は耐えられず神宮寺に向かって突撃する。
頼りなくふらついているが上手くすれば神宮寺の攻撃をかわしてとどめを刺すこともできるだろう。
でもそれは小鳥遊累が許さない。
「そうはさせない!………っくっ」
手をかざし魔法を繰り出そうとしたがその手からはもう何もでない。小鳥遊累の器にはもう魔法を繰り出せるだけの魔力は残っていなかった。
「くっそ」
ばんっ!と地面をたたき苦虫かみしめたような顔をする。
「くらえぇぇぇぇ!」
今にも神宮寺の胸に如月の手が届きそうになったそのとき、一つの魔力の塊が如月の顔に命中した。
「ぐっ、何がっ」
その魔力の塊はまったく威力も速さもなかったが目の前の神宮寺に集中していた如月には命中したのだ。
威力は弱くともダメージを負わせることができたためか如月は少し立ち止まり顔を抑えている。
「やっちゃいなさい!神宮司!」
神宮寺にとってほんとに数十分会っていなかっただけなのにとても懐かしく感じる声が後ろから聞こえてきた。
「あぁそうか、そういうことか」
「くっっそ」
神宮寺はその声の正体が誰なのか気づいたのか少し微笑んでから、手に溜めていた魔力の玉を如月に向かって放った。
次の話でこの作品は完結する予定です!!
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