第26話 歓楽街の喧騒の向こう

「おふたりの冒険者ランクは七等級からですね。もちろん受けられるクエストはランクに応じたものになります」


 ライセは自分の冒険者証の板に刻まれた刻印をじっと凝視する。

 七等級は最下級のランクで、受けられる依頼も薬草の採取や町の清掃活動といった簡単なものだ。

 魔物の討伐などになるといくら弱い魔物でも危険が伴うということで六等級からでないと受けることができない。


「あと……申し訳ないんですけどそろそろ窓口の受付終了時間なんです。クエストの受注は明日改めてお願いしますね」


 冒険者の登録手続きだけでだいぶ時間が経ってしまっていた。気づけば窓口に並んでいた冒険者たちの姿もまばらで、すでに皆クエストを受注してギルドから立ち去ってしまったようだ。

 ライセはフィオレの言葉に頷き返し、ノアとアインと共にギルドを後にした。

 時刻は20時を過ぎたころ。通りはまだまだ人通りも多く、多くの店も営業中だ。


「お前たち、明日に備えて今日はもう宿で休むといい」


 アインはそう言うと銀貨の入った袋をライセに手渡してきた。

 ずっしりと重い。銀貨一枚でどれほどの価値があるか想像もつかないが、おそらく今日の食事つき宿泊費ぐらいは十分賄えるだろう。


「え……こんなに?」

「俺には使い道のない金だ。好きに使え」

「あ、ありがとう。助かるよ」


 ライセは遠慮なくアインから銀貨を受け取るとノアと一緒に宿へ向かおうとする。

 しかし、アインはついて来ようとしない。


「え、アインさんも一緒に来るんじゃないんですか?」


 ノアがアインに問いかけると、アインは首を横に振った。

 ライセもそれは同じだった。てっきり一緒に宿まで来てくれるものと思っていたのだが……


「普通の宿に――俺は入れない。アンデッドだからな……」


 ライセは、あ……と言葉を漏らす。ここでもアンデッドだから――

 あらゆるところに『アンデッドだから』という壁が立ち塞がっている。


「そもそも俺に睡眠など必要と――」

「ダメだよ、ダメ。自分がまだ人間だと思うなら。眠る必要がなくても、眠るフリはぐらいはしておかないと」


 アンデッドだから、蘇った死体だから、眠る必要はない。食事を摂る必要はない。

 そうやって自分を無理やり納得させて生きているうちに本当に人間であったことを忘れてしまわないだろうか。


「しかし――」

「どこかないの? アンデッドでも泊まれる場所が」

「……あるにはあるが――南地区のスラムにアンデッドが経営してる店がある。だが――ライセ、お前はそこで怖い目に遭ったばかりだろう。そこにお前とノアを連れていくわけにはいかない」


 南地区……あの場所か。

 ライセはアインに言われて思い出す。ギルドに向かう途中で迷子になり足を踏み入れた結果、三人の男たちに襲われた。

 あの時はルシルが助けてくれたから事無きを得たが、もしルシルがいなければ……

 ライセはぶるり、と身震いする。あんな目に遭うのはもうごめんだ。でも――


「……ライセさん、そんなところに迷い込んでたんですか!?  本当に大丈夫だったんですか?」

「あ、あはは……ほんと大丈夫だから、ルシルさんという教会の人に助けてもらったから。――それよりアイン、そのスラムの宿屋に行こう。じゃないと野宿するから」

「確かにスラムは怖いところですけど――アインさんが一緒に泊まれないなんてもっと嫌です。わたしも一緒に行きますから!」


 ライセとノアの言葉にアインは困惑の表情を浮かべるが、しばらく逡巡してからため息をつき「わかった」と言った。


 ギルドがある北地区の商業区域と違い、南地区はまさしく歓楽街と言っていい夜の街だった。

 至る所に酒場と娼館が建ち並び、煌びやかな明かりが看板を照らしている。


「そこのお兄さん! ウチの店は可愛い夢魔サキュバスがいるよ~、至福のひと時をどうぞー!」

「おいマジかよ夢魔サキュバスとか魔族でもそうそういねえぞ」

「本当ならやめとけ。行ったら最後普通の女に満足できなくなるって話だぞ」

「その顔! 信じてないなっ! アンナちゃーん、ちょっとこのお兄さんたちに挨拶してよ~」


 客引きの男が店内から従業員と思しき女性を連れてくる。

 はちきれんばかりの豊満な肉体と露出の多い煽情的な衣服、そして頭から生えた黒い角と腰から伸びる黒い尻尾が彼女が人間でなく魔族であることを示している。


「うおおおおお! 本物の夢魔サキュバスじゃねえか!」


 男は興奮して魔族の従業員の肌に触ろうと手を伸ばすが、静止される。


「これ以上はぁ♥ お金を払ってから、だゾッ♥」

「く、ぐぅぅ……わかった。払います。払いますからっ!」

「おい、本当に行くのか……?」

「ああ、男には引けない戦いがある。今日この日が俺にとってのそれのようだ……」

「はぁーい♥ お一人様ごあんなーい♥」


 男は仲間にそう告げるや否や、鼻息荒く店内へ入っていった。残された仲間の男が「知らねえぞほんとに……」とぼやいていた。

 そんな光景が至る所で繰り広げられている。看板を見渡すと“サキュバスの館 ジュデッカ”、“ケモミミパラダイス”、などといった店名が並ぶ。

 なかには“アンデッド娘専門店 デッド・オブ・ザ・デッド”なんて店もあり、完全にカオスな空間である。

 ライセはノアの目を両手で覆いながら、往来をなるべく速足で通り過ぎながら目的の宿屋を目指す。


「ライセさぁーん、見えないですよぉ……」

「子供は見ちゃダメ!」

「わたし子供じゃないですよ……あのお店がどんなところかぐらい知ってますから……」

「それでもダメッ!」

「もうっ……」


 件の宿は歓楽街に隣接したスラムにあるようだ。

 ライセはノアの目を両手で覆いながら、往来をなるべく速足で通り過ぎながら目的の宿屋を目指すことにした。

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