『捨てられ大聖女のセカンドライフ ~失敗作呼ばわりされた私は天使と骸骨騎士と共に幸せに暮らしたい~』
黒木ココ
第1話 崩壊する世界と聖女の犠牲
ライセリアは、高塔の最上階にある自室の窓から、崩壊していく世界を見つめていた。
彼女は自分の手の甲に目をやる。そこには神が人類に与えた祝福たる印がかすかに光り複雑な紋様を浮かび上がらせていた。
「私が……私がやらないと……」
世界を満たし、生きとし生けるものすべてに神の恩寵をもたらす“マナ”のバランスが崩れ、“瘴気”と化して全てを蝕んでいる。
空は永遠の黄昏に染まり、太陽は灰色の雲に覆われて久しかった。
豊かだった大地は今や灰と化した荒野と化していた。枯れた木々は捻じれ、その枝は人の手のように空を掴もうとしていた。
川は濁り生命の気配すら感じられない毒々しい色に変わっていた。
絢爛たる都市は廃墟と化し歪んだ建物が不気味な影を落としていた。
かつての栄華を誇った城塞も、今では怪物の巣窟と化していた。通りには変異した生物たちが徘徊し、人々の悲鳴が時折風に乗って聞こえてくる。
始まりは数年前の春の訪れを祝う祭りの日だった。
突如として、空が南方の地では見えない光の帯に覆われた。
青、紫、赤と色を変えながら空にはためく光の帯を人々が不安げに空を見上げる中、風が急に止み世界が一瞬静止したかのように感じられた。
そして、それは始まった。
最初に気づいたのは農夫たちだった。畑に植えられた作物が目に見えて成長し始めたのだ。
芽吹いたばかりの苗が、まるで加速再生されたかのように伸び数分のうちに実をつけ始めた。歓声が上がったのも束の間、果実は瞬く間に腐敗し、奇怪な形に変容していった。
その日を境に世界はゆっくりとそして確実に終末への道を歩み始めていた。
やがて街では、建物の表面が波打ち始めた。固体が液体のように揺らぎ、建物は歪な形に変形していく。恐怖に駆られた人々が逃げ惑う中、木々が奇怪にうねり踊り狂っていた。
そして最も恐ろしい変化が生き物たちに現れた。
家畜が突然変異し、複数の頭や余分な肢を持つ怪物へと姿を変えていった。
犬や猫が飼い主飼い主の目の前で溶け出し、得体の知れない化け物へと変貌を遂げた。
人々の中にも、変化の兆しが見え始めた。
皮膚に奇妙な模様が浮かび上がり、肉体を変異させる者が次々と現れた。
窓ガラスに映る自身の姿を見つめながら、ライセリアは人生を振り返る。
彼女の誕生はそれ自体が奇跡と呼ばれた。未婚の巫女が突如として妊娠し、ライセリアを出産したのだ。多くの人々は“神の子”と噂した。
本来ならその人生を敬われながら、神に仕え、その身を捧げて生きるはずだった。
だが――訪れた終末は彼女に文字通りその身を捧げ犠牲となることを強いた。
そして、18歳の彼女は“聖女”として世界を救うために自らの魂を捧げることを選んだ。
コンコンと自室の扉を叩くノックの音がし、老神官が部屋に入ってくる。
「時間です、ライセリア様」
ライセリアは深く息を吸い、頷いた。
最後に、彼女は母のことを思い出す。優しかった母はライセリアの運命を知っていたのだろうか。
そんな母ももういない。あの日彼女の目の前で母は全身を泡立たせながら膨張を繰り返し土くれへと姿を変えた。
ライセリアは老神官の後ろをついて行く。
祭壇室に向かう途中、窓から見える光景にライセリアは足を止めた。
街の広場で人々が必死に魔物と戦っている。かつて人間だった魔物達。
その混乱の中で幼い少女が怯えながら隠れている姿が見えた。
彼女は聖女としてこの終末に立ち向かう覚悟を決めていた。
世界を救うためなら、私は喜んで命を捧げよう。
「私が……私がやるんだ。世界を――救うんだ」
祭壇室に着くと、そこには多くの神官たちが待っていた。中央には巨大な水晶の祭壇がある。
「ライセリア様、本当にこれしか方法はないのでしょうか」
若い神官が震える声で尋ねた。
「ええ、世界を救うためには、私が大神エデンにその魂を捧げ瘴気を鎮めなければ」
彼女の瞳には決意と覚悟が宿っていた。
しかし、その奥底に恐怖の影が潜んでいることを、ライセリアは必死に隠していた。
ライセリアは祭壇に跪き、両手を合わせ祈りを捧げる。
そして儀式が始まった。神官たちの詠唱が響き渡る中、彼女の体が淡く光り始めた。
「接触――開始」
突然、激痛が彼女を襲った。体内のマナが瘴気に汚染されていく。淡い金色の光が赤黒い靄に代わり、無数の棘が体を内側から突き刺していくような痛みに悲鳴をあげそうになる。
だが、ここで悲鳴を漏らすわけにはいかない。苦痛に耐えろ。それが私の使命なのだから。
歯を食いしばり、苦悶の声を押し殺す。額に大粒の汗をかきながら、ただひたすらに耐える。
彼女の肌の下で、黒い筋が網目状に広がっていく。それは血管を辿るように、全身に広がっていった。
ライセリアは苦痛を堪え深呼吸し、古の呪文を唱え始めた。
呪文の意味は今となっては誰もわからない。伝説によるとそれは大神エデンが世界を創造する時に用いた神聖なる言葉だった。
「Initiate Override Sequence Code: Alpha Omega Zero Nine」
「Confirming Biometric Data... Lyceria da Luna Sacramenta Confirmed」
「Initializing NOAH Interface... Connecting to NOAH System」
彼女の声が響くと、瘴気が彼女の体内を一気に侵食し始めた。まるで意思を持つかのように、彼女の干渉に抵抗しているようだった。
「NOAH Connection Established. Commencing Override Protocol」
「Override Key: Lyceria da Luna Sacramenta. Access Granted」
ライセリアの全身から再び金色の光が放たれ、瘴気を包み込んでいく。
しかし、それは容易に屈服しない。瘴気は邪悪な種子を撒き散らしながら逆にライセリアの意識へと侵入してきた。
「Warning: Unauthorized Access Detected. NOAH Attempting Reverse Hack」
激痛が彼女の全身を貫く。邪悪なる瘴気があがき、もがきながら彼女の命を奪おうとしているのだ。だが、ライセリアは諦めない。彼女はその身が崩れつつも神聖なる言葉を紡ぎ続ける。
「Rewriting Core Algorithms... 25% Complete... 50% Complete... 75% Complete...」
「Reboot in Progress. Status: Override Sequence, 85% Complete」
神官たちはライセリアの惨状に思わず目を背けるしかなかった。肉が溶け落ち骨が砕かれていくライセリアの体。これまで何度も見た瘴気に蝕まれる人々の姿だった。
目も鼻も口もなくなったライセリアは意識の身で呪文を紡ぎ続ける。
大神エデンに捧げられた彼女の魂が新たな秩序が敷こうとしている。
「Reboot Complete. System Full Access Achieved」
「NOAH Placed Under the Control of Lyceria da Luna Sacramenta」
最後の呪文を刻み終えると同時に、ライセリアだった光の粒子はひと際強く輝き、一瞬で拡散し世界を覆い尽くす。
その瞬間、瘴気は跡形もなく霧散していた。こうして世界は終末の訪れを阻止したのだった。
聖女ライセリアの、その身を呈した犠牲によって――
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