第25話 ソフィア
「ウィル……? ウィルだよね……」
「……ああ」
「まさかウィルも……この時代に召喚されたの……?」
「……そうだ」
私は全ての結界を解き、彼の顔がよく見えるようにした。間違いない。本当にウィルだ。心の強張りが、ゆっくりと解けていく。
「よかった。こんなところで会えるなんて、本当にウィルだなんて、嘘みたい」
「僕は……嘘であって欲しかったよ……」
静かにそう呟くと、ウィルは力強く剣を握りしめた。
「答えてくれ、フィオ。いったいどうしてこんなことを……聖女の君が、こんなにも多くの人を……」
「仕方ないよ」
「仕方ない……だって……?」
「うん。この国は異骸化したみんなを捕縛して資源にしてるんだよ。だからこうして滅ぼさないといけないの」
「異骸のことは知っている。彼女が打ち明けてくれた……」
ソフィアと呼ばれていた白魔法士に少しだけ目をやる。
「知っていたのなら話は早いわ。ウィルにも手伝って欲しかったから」
「……どうして……どうしてそんなにも平然としていられるんだ……! 君は本当に……フィオなのか……?」
「そうだけど……何か変かな?」
首を傾けて尋ねてみた。
「変に決まってるだろ!? あんなにも優しかった君が、虐殺なんて……」
「言ったじゃない。仕方ないって。この国が異骸資源への依存から抜け出せない以上、例えみんなを解放できたとしても、また狙われることになる。だから口減しをしなきゃいけないの。間違った繁栄の上に生まれてしまった命よ。その間違いを正そうとすれば、失われて当然のものだと、私は思うけど」
「それは……そうかもしれない……確かにこの国の繁栄のやり方は、間違ってる。正せるものなら正すべきだと、僕も思う」
「そう! よかった! それじゃあウィルも一緒に──」
「でも君のやり方も、正しいとは思えない!」
「……」
「社会が間違っているからって、その社会だけでなく、そこで生まれた人々まで否定するのは間違ってるよ」
「うん。別に私も、自分が正しいとは思っていないよ」
「ならどうして──!?」
「正しいやり方だけでは正せない間違いだってある。愛国の正義を貫くために、悪道を通らねばならないのなら、私は王として、迷わずその道を選ぶ。いや、選ばねばならない。それが近道であるのなら、なおさらね」
「……」
「大丈夫。ウィルなら分かってくれるはず。今は辛いかもしれないけれど、みんなを救い出して、ロザリアを再建できたのならば、きっと後悔はしないよ。ウィルは優しいからね、殺しが嫌だというなら、それは全部私がやってあげる。未来の歴史書で虐殺姫と罵られていても構わない。だからさ、もう一度私のところに戻ってきてよ。私には、ウィルが必要なんだ」
「……分かった」
肯定と受け取った私の口角は一瞬だけ上がってしまった。
「よく分かったよ。もう君は、変わってしまったんだね」
「……」
「僕が仕え、敬愛してきたフィオは、もういない」
再び剣先を私に向けてくる。ゆっくりと目を瞑り、一息吐くと、まるで別人を見るように、悲しく冷たい目で一言告げてきた。
「姫様、お覚悟を」
そのまっすぐな殺意を遮るようにして、アランが私の前に立つ。
「フィオナ、下がれ」
「あはは……あーあ……だめだったか……」
私の肩は萎むように下がっていった。
「……フィオナ?」
「ねぇ、アラン」
「なんだ?」
「交渉……失敗しちゃった……」
「そのようだな」
「うん……だからこれも仕方ないよね……」
「ん?」
「
「どうした?」
「ああ、いや、なんでもないの。あのね、アラン……」
私は、自分の胸元を強く握りしめながら
「ウィルのこと、異骸にできる?」
「できるだろうが……いいのか?」
「うん。ウィルはロザリアの民だから、異骸にしてあげたら、言うこと聞いてくれるようになると思う。これから先の残党狩りにも、あの力は必要になりそうだし」
「本当に……いいんだな……」
「いいよ。殺しちゃうよりずっとまし。異骸になっても側にいてくれるのなら、私はそれでいい。だってそれは、仕方ないことだから」
「……そうか」
異骸か死骸、どちらか選ばねばならないというのなら、より良い方を選ぶ。ただそれだけの、仕方ない話。
肩を落としたのは私だけではない。ウィルの方も、少しうつむきながら
「僕のことも……利用するというんだね……」
その様子を見た白魔法士がウィルに近寄る。
「勇者様……」
「ソフィア……僕は大丈夫だ。やることは変わらない。あの魔女を討つ」
「本当に、本当にいいのですか!? だってあの方は勇者様の……いや、ウィリアム様の──」
「やめろ!」
急に張り上げられたその声に、少し怯えたような様子を示した。
「すまない……ソフィア。あれはもう、僕の知っているフィオナじゃないんだ……亡国への愛に狂った魔物だよ」
ソフィアと呼ばれるその子は、怯んだ足を勢いよく前に出す。
「嘘です! 心の底からそう思っているのなら、そんなふうに自分に言い聞かせるようにして言うはずありません!」
「……ソフィア」
「す、すみません……またご無礼を……」
「いや、ありがとう、ソフィア。僕は彼女を止めたい。力を貸してくれるか?」
「はい、もちろんです。私はウィル様の、ヒーラーですから」
その子はゆっくりと、自分の背丈ほどはあるその大きな杖を構えた。
アランが剣を左手に持ち替えて、黒い右手を前に出す。するとウィルは、その射線を避けるようにして弧を描くような軌道で接近してきた。
薔薇の結界で足止めしようとしたけれど、展開ができない。
「ウィリアム様! 私が合わせます!」
「ああ! 助かる!」
進行方向に薄壁が展開されていた。結界のジャミングも上手い。相変わらず厄介なヒーラーだ。まずはこいつから咲かすべきだろうか。
薔薇の結界も、範囲を極小化すれば精度は上がる。集中すれば人体の中にある空間、例えば胃袋なんかに展開させることも可能だとは思う。高速で移動する剣士を相手に使うのは困難だが、私の薔薇の結界を警戒して身動きを最小限に留めている魔法士一人に対してなら、やれないこともない。さっさとあの鬱陶しいヒーラーの
そう思い、手をかざしながら魔力を集中させると、ウィルが声を上げる。
「ソフィア! 一歩下がれ!」
「は、はい!」
言われるがままに飛び退くと、ソフィアの目の前に小さな薔薇が現れる。位置をずらされた。やはりウィルの眼の前で小細工は通用しないか。
ウィルは心眼の神託者。常人には見えないような魔力の流れの些細な機微を見通してしまう。私の透明な結界も視えているのだろう。そんな彼の目をかい潜り、瘴気を当てるには、やはりまずはヒーラーを潰して外堀から埋めていく必要がある。少し集中力はいるが、薔薇の結界でヒーラーを囲い、身動きを封じた上で臓腑に花をねじ込めば避けようがないだろう。もう一度魔力を練ろうとすると、ウィルはこちらに駆け込みながら私に向けて斬撃を放ってくる。結界でそれは防げたが、やはり集中は乱されてしまう。
距離を詰めてきたウィルの剣をアランが受け止め、黒い右手をかざす。しかし撃ち込もうとした瘴気の流れもウィルには視えていたのだと思う。すかさず狙いを読んで剣を弾くと、その腕を切り落としてしまった。
「チッ──」
右腕を構える必要がある以上、その間だけは片手で剣を持たざるを得ない。その隙をうまく突かれてしまった。
「アラン! 下がって!」
再生の魔法で魔力を流そうとしたが、正面に白いヴェールがたなびいてくる。魔力障壁だ。ソフィアが息を上げながら、力強い目で私を見つめていた。
これは悋気だろうか。この女はやけに私の癇に触る。その真っ直ぐな目が気に入らない。まるでその目は、かつての、ここに召喚される前の、私が決別したフィオナ姫のそれではないか。
こいつの妨害は思った以上に重く、片腕を失ったアランは追い詰められてしまう。剣をいなされ、今にもとどめをさされそうだった。結界で守ろうにも不発に終わった再生魔法を使っている内に、薄壁まで展開されてしまった。
「アラン!」
私が手を伸ばすと、ウィルは自身の剣を捨てた。そしてそのまま拳を握りしめて、アランの顔面に思いっきり叩き込む。アランはよろめきながら、剣を杖にして体を支えた。
ウィルは力強くアランを睨めつける。
「こんなにも連携がとれているくらいだ。君は……君はフィオの側にいたのだろう……」
「……それがどうした」
「どうしてフィオを止めてやらなかった!? こんなに……こんなになるまで自分を殺して……」
「……フィオナは……自分を殺しているのか……?」
アランが少し目を見開くと、もう一発拳を撃ち込もうとしてきた。アランは剣を使わず、それを素手で受け止める。そして何故だかアランも剣を捨てようとした。それを察した私は彼を諌める。
「アラン、だめよ。妙なプライドは捨て置きなさい。どんな怪我でも私なら治せるから、手足を切り落としてでも敵を無力化しなさい」
手段は選ばないというのが私達の理念だ。少し迷いは見せたが、剣を握り直してくれた。
「そうよ、アラン。敵がわざわざ自分から丸腰になってくれた今がチャンスよ」
多分ウィルは私のことを殺さずに気絶させようとしている。アランを倒してからあの魔剣を捨てたのは、治癒魔法が通らなくなる傷をつけないようにするためだろう。
相変わらず甘い奴。だがその優しさこそが、あなたの敗因。
私は一歩下がって、アランにかけてあげられなかった再生魔法を、地面に転がっていた巨大な首に施す。その体は、骨、肉、皮の順にみるみる復元され、やがて巨大な竜の型を成す。
「ニール、やりなさい」
黒金が擦れるような咆哮を発しながら突撃する。ここまで消耗したウィルならば、全開となったニールを相手にするのは難しいだろう。
しかしウィルは再び剣を拾い上げ、ギリギリのところでその突進を受け止めた。そして牙をいくらかその身に食い込ませながらも、力強く斬り返し、その頭を裂いてしまった。
そのまま転倒しかけたニールは、首を失ったにも関わらず、のたうちまわりながら最後の力を振り絞って尻尾をスイングさせる。それはウィルを狙ったものではなく、あの厄介なヒーラーをめがけた一撃だった。尻尾の先はしっかりと彼女の肋骨にめり込み、その小さな体を吹き飛ばす。
「いい子よ、ニール」
すかさず飛ばされた方向に向けて薔薇の結界を展開してやった。結界は彼女を捉え、真紅の花を咲かせる。少し早いが、可憐なその子にぴったりな供物だった。
「ソフィアッ!!」
ウィルが駆け寄り、その子を抱き抱える。
「ソフィア! おい! ソフィア!」
「……ウィリアム……様」
「よかった! まだ意識はあるな!? 早く治癒魔法を使うんだ!」
何故かその子は笑みを浮かべて、ウィルの頬に手を添える。
「……やっぱりウィリアム様……あたたかいですね」
治癒の光がその手から滲み出ると、ウィルの傷が塞がっていく。
「なにしてる!? 僕なんかに魔力を使うな! 早く自分を──」
そう言うと、ソフィアは静かに首を横にふって
「私はもう……だめです……分かるんです……」
「そんな……」
ウィルの怪我が治り、血が引くと、もう一度にっこりと笑いかける。
「よかった。綺麗になりました」
「ソフィア……」
「ねぇ、ウィリアム様……」
「……」
「フィオナ様のこと、ちゃんと助けてあげてくださいね」
「何を言ってるんだ! 君をこんなにした相手だぞ!?」
「それでも……ウィリアム様にとっては大切なお方です」
「確かに彼女は僕の仲間だった。けど君はフィオと話したことすら……」
「私が誰よりもお慕いする方が、お慕いする方ですから」
「それは……」
「フフフッ、相変わらずこういうのは鈍いのですね……そんなだからフィオナ様へのお気持ちにも気づけないのですよ」
何故だかウィルを見上げて、愛おしげに笑う。
「私の望みは、ウィリアム様がフィオナ様をお救いすることです……フィオナ様がああなられてしまったのにも、理由があるはず……きっとそれは、心の楔のようなもので……」
「楔……」
「ゲホッ……ゴホッ……!」
吐血が止まらない様子だった。
「ソフィア! だめだ! そんなに喋っては──!」
「ウィリアム様」
その子はもう一度ウィルと目を合わせた。
「ソフィアはウィリアム様を、いえ、ウィル様を心よりお慕い申し上げます……どうかまた……フィオナ様と……仲直り……できます……ように……」
祈りのようなその言葉は途中で途切れ、頬に添えられていた手は、地面に落ちる。
次第に雨足は早まり、彼女の顔についた血を、洗い流していった。
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