第23話 守護天使
全軍の魔力を込めて作られた防壁は確かに強固ではある。しかしそれだけに維持するのも困難だろう。消耗戦が得意な異骸の軍にとって、敵の専守防衛は好都合。
見捨てられた前線の騎士団を片づけながら教会の方まで近づくと、白い装束を着た人々を引き連れ、おぼつかない足取りで教皇が前に出てきた。
「皆、よく決意してくれた」
そう言って杖を掲げると、辺りが薄暗くなり、ここら一帯の石畳に巨大な魔法陣が描かれていく。
「主よ。どうか我らに、
魔法陣が浮かび、そのまま空高く上昇していく。鉛色の空を白い光で馴染ませると、雲間から光が差し込む。
「
教皇の後ろで祈りを捧げていた者達が次々と倒れていった。彼らの体から抜け出た魂は魔力の粒子となって天へと昇る。それら
が空中で光輪を形づくり、さらにはだんだんとその下に、真っ白な人型のシルエットが浮かび上がってくる。
「おお……何とまばゆい……!」
その三対六枚の大翼は空を覆い隠すほどであり、随分と大きな天使だった。
「刮目せよ。ジベラールの秘匿守護天使、ラヴィエルだ。三級以下の神官全員を贄に差し出し顕現させた……」
捧霊術。魂を魔力に変換させ、命と引き換えにして膨大な力を得る魔術。暗部の長が自爆する時に使っていたものと同じ術である。
この技を使うと魂が失われるため、死後、術者はどれだけ生前に徳を積んでいたとしても、天国へは行けなくなってしまう。それほどの覚悟を必要とする。
「魔女イゾルデ、これで貴様も終わりだ」
教皇が手をかざすと、その天使は、手元に光の弓矢を現出させ、穏やかに瞑目しながら私にむけてゆっくりと引き絞る。
「さあ、ラヴィエルよ。我らが難敵を、射殺したまえ」
その声に応じて矢を放つと、風を切る音とともにこちらへ閃光が飛んでくる。私はすかさず結界で受け止めたが、その矢先はめり込み、ひび割れていく。
「クッ……」
流石に重い。リリスからもらった仮面でこれほどまでに魔力を底上げしているというのに、受け止めきれない。
「フィオナ!」
私の苦戦を察したアランが飛び上がり、異骸化した腕に力を込めてその矢に剣を振り下ろす。するとその矢は砕け散り、何とか持ち堪えることができた。まさかあれを破壊するとは、さすが異骸の力である。
着地したアランは、そのまま私を庇うようにして前に立つ。
「大丈夫か?」
「うん、ありがとう」
サリエルは片手を天にかざして、光の矢を形成していく。その動きに合わせて、天使の周りに薔薇の結界を展開してみたが、それらはまるで薄氷のようにいとも簡単に砕かれてしまう。
「無駄だ。そのような冒涜的な魔法が、この神聖なる守護天使に効くはずがなかろう」
まあそうだろう。これほどの霊体を相手に通用するような出力ではなかった。もっと魔力を練らねば効果はない。私の妨害をものともせずに、今度は先ほどよりも一際長い矢を作り出していく。
「魔女よ! 貴様には傷一つつけられまい!」
「ええ、そうね。私には無理そう」
私はそう言いながら右の手袋を脱ぎ捨て、手の甲に刻まれたロザリアの紋章を掲げる。
「アラン、あいつを落とすわ。落下してきたらあれをお願い」
「落とす? できるのか?」
「ええ。まあ私がやるという訳ではないのだけど」
紋章が光を発し、異骸のみんなと共鳴する。
「異骸ごときに何ができる!? もう勝負はつい──」
その声を掻き消すようにして、空から何かが軋むような低い轟音が聞こえてきた。その歪つな重圧は、鼓膜だけでなく、心臓までもを震わせくる。人々が耳を塞ぐと、妙な沈黙が戦場を支配した。彼らが顔に浮かべる恐怖の色とは裏腹に、無情なラヴィエルは穏やかに私を殺そうと再び矢をこちらに向けてくる。
教皇は怯みながらも、その恐怖を誤魔化すようにして叫ぶ。
「そ、そうだ! やれ! ラヴィエル! あのハッタリごと、奴を射抜くのだ!」
その声に応じて、閃光を放とうとした瞬間、背後に浮かんでいた鉛色の雲を裂き、赤目の黒竜が現れる。その龍は急降下しながらその天使の喉笛に喰らいつき、自らの体ごと地面に引きづり下ろした。その勢いは、奴らの張っていたドーム状の結界を突き破るほどで、落下の衝撃で教会は半壊してしまう。
「りゅ、竜だと……!? なぜこんなところに!」
「私にも守護者がいるってこと。さあニール、そのまま喰らいなさい」
起き上がろうとするラヴィエルの頭を抑えつけて再び首に牙を立てようとする。しかしラヴィエルも光剣を作り出し、その牙を受け止めた。
それを見た眼帯の神父はすかさずニールの顔に魔弾を放ち、兵達に支持を出す。
「何をしているのですか!? ラヴィエルを援護するのです!」
それに続いて他の魔導士達も加勢し、連弾の集中砲火を受けたニールは怯んでしまった。
その隙にラヴィエルは巨体を押し返し、飛び上がろうとする。敵の射程圏外から高出力の矢を一方的に放つという戦法をとる以上、一度空に逃れるのは正解だろう。しかし正解故に読みやすい。
私はその飛翔に合わせて薔薇の結界をその頭上に展開し、蓋をする。ありったけの魔力を込めると、結界の刃は密度を上げ、今度こそその天使の体に食い込み、空に赤い花を咲かせた。
私は仮面に飛び散ってきたその血を拭って、自分の手を見つめる。
「天使の血……リリスにあげたら喜びそうね……」
それでもやはり私の力では倒しきることはできず、ラヴィエルは光剣で結界を薙ぎ払ってしまった。血塗れになりながらも、なおも穏やかに瞑目し続けるその表情はかえって気味が悪い。
しかし再び私を射抜こうと地上へと振り返った瞬間、その天使の表情がようやく曇った気がした。
彼女の目の前にはいつの間にか一人の黒騎士が立っていたのである。天という独壇場に翼を持たぬ人間風情が踏み込んできたことに、多少なりとも焦りを感じたのではないだろうか。大振りな剣撃でアランを叩き落とそうとする。しかしラヴィエルは遠距離特化型の天使。距離を詰めてしまえば、アランの敵ではない。アランはその巨大な刃を、易々と剣で弾き返す。そして体勢を崩したラヴィエルの顔を、黒く染まった右腕で掴んだ。
「瘴気……解放……」
アランの手から、ドス黒い瘴気が放たれる。その霧は天使の体を覆い尽くし、その神聖なる霊体を汚していく。灰色にその身が染まると、手足と翼をぐったりとおろし、抵抗をやめてしまった。アランが手を離すと、そのまま自由落下し、地面に体を叩きつけられる。
アランも私がつくっていた結界を足場にしてこちらに飛び、地上へと戻ってきた。天に逃れる天使を追わせるために、空中に結界でいくつかの小島を作っていたのである。あまり効かないと分かっていながらも薔薇の結界で牽制したのは、ダメージを目的とした訳ではなく、出血により辺りの透明な結界を染め上げて、アランに足場を示すためだった。
墜落したラヴィエルを見た兵達は失意に暮れ、その場で呆然と立ち尽くしていた。しかし教皇は諦めず、ラヴィエルへと近づいて杖から魔力を供給しはじめる。
「まだだ! ジベラールの守護天使が、こんな簡単に敗れるものか! ラヴィエルよ! 何をしている! 早く! 早く起き上がるのだ!」
他の神官達も集まり、治癒魔法を施しながら魔力を捧げはじめた。するとその願いは叶い、ラヴィエルはむくりと起き上がる。
「おおっ……! さすが上級天使だ! この程度では傷にもならぬか!」
いや、そうではない。傷はなかったのではなく、再生したのである。そうとも知らない側近の神官が希望を取り戻し、勇みはじめる。
「よ、よし! これならばまだやれ──」
「アアッ……アアアアアアッ!」
ラヴィエルは突如として、つんざくような甲高い叫び声を上げはじめた。頭を爪に血が滲むほどに強く掻きむしり、のたうちまわる。
「ラ、ラヴィエルよ……どうしたのだ……」
「教皇様! お下がりくだ──」
神官の声がぷつりと途切れる。皆が彼の方に目をやると、その上半身はラヴィエルに飲み込まれていた。彼の体を食いちぎると、ついにその赤い目を開眼させ、他の神官達にも襲いかかる。
さっきまで天を駆けていたその天使は、四つん這いで地を這いながら、次々と人々を捕食していく。被護者を喰らい尽くす守護天使の目つきは、もはや獣のそれであった。
「そんな……バカな……守護天使が……異骸化するなど……」
ロザリアの民でない以上、異骸化させたとはいえ完全に操ることはできないが、敵陣で無差別に攻撃しながら暴れ回ってもらえれば十分である。現にこれが決め手となり、ジベラールの陣形は修復不能なほどに崩壊してくれた。
ニールとラヴィエルの落下によって敵の結界も破壊されたので、私も教皇の首をとりにみんなを引き連れて歩みを進める。
彼は落胆し、なす術もなく、ラヴィエルの暴走を眺めていた。そしていよいよ教会の壁が崩落し、中に避難していた人々の姿が見えてくる。異骸の軍勢を目にすると、誰もが絶望した表情を浮かべる。彼らの震え上がる様子を目にした教皇は、私に向かってひれ伏した。
「……私の負けだ……降伏する」
「そう。分かったわ」
みんなの方に振り返り、軽い勝利宣言をする。
「みんな、お疲れ様。あとは掃討戦ね。一人残らず──」
「ま、待て!」
「ん?」
「待ってくれ! 降伏すると言ったのだ!」
「うん、聞こえてたよ?」
「だからもう抵抗はしない! 捉えた異骸も全て解放する! だからどうか……どうかこの場は、私の首一つで収めてはもらえないだろうか!?」
「傲慢ね。別に私はあなたの首なんかに、そこまでの価値を感じていないわ。神の子じゃあるまいし、あなた一人で全員の罪を背負えるなんて思わないことね。他の奴らと同様、私の民を救うために、洗いざらい吐かせてから殺すだけよ。ほら、命は平等って、神様も言ってるでしょ?」
「民を救う……そうだ、私もその気持ちは貴殿と同じだ」
崩落した建物の中で助けをこう人々を見つめてから、力強い目で私を見上げた。
「異骸のインフラ化を主導したのは教団……だからこそ、敗北した私達が報いを受けることに異論はない! しかし民に罪はなかろう!? あの者達は何も知らない! 悪いのは私であり教団だ! だからどうか、民にだけは情けをかけてやってはくれないか!? 貴殿も民を想う王なのであれば、この気持ちも分かるだろう!?」
「うん、確かにあの人達は、悪い人ではなさそうね」
「あ、ああ! そうだ! では──」
「だから何?」
「えっ……」
「私のお母さんも、悪い人ではなかったよ」
そう静かに告げると、教皇は言葉を失ってしまった。
あの薄暗い監獄の中で、エネルギーとして利用され、心が壊れてしまった母の姿を思い出すと、胸が締め付けられる。あれだけ優しかった人が、どうしてあのような仕打ちを受けなければならなかったのかと、何度も考えたけれども、もちろん答えなんてものは見つからなかった。何故ならそもそも、そんな問いの立て方自体が、間違っていたから。
「善人が正しく報われ、罪人が正しく報いを受ける世界なんてのは、幻想でしかない。神の裁きというのは、どうしようもなく無差別で、気まぐれで、無情なんだよ。だからこそ神は、真に平等なのだと、私はそう思うことにしたんだ」
「そ、そんなのは異端の考えだ! 神は我々人間を愛してくださっている! そのようにぞんざいに扱うことなど決して──」
避難民達の悲鳴が上がる。教会の方へと目をやると、ラヴィエルが建物を守る結界に牙を立て、こじ開けようとしていた。
神の使者である天使が
「これが私の、今の信仰よ。そして私は神託者。神の意を汲み、その御心に仕える者。王だろうと民だろうと、罪人だろうと善人だろうと関係ない。目についた者から平等に、裁きを下していくだけ」
「そ、そんな……」
「ほら、天使に神の国へと導かれるなんて、本望じゃない」
ついに教会を守る結界が破壊され、ラヴィエルがその長い手で人を鷲掴みにする。そのまま喰らいつこうとすると、牙が頭を粉砕する直前に、その動きがピタリと止まった。次の瞬間にはラヴィエルの首が落ち、血飛沫を上げながら転倒する。
そして気づけばどこからともなく白いフルアーマーに身を包んだ剣士が降り立ち、人々を庇っていた。
頭を失ってもなお、死に際の虫けらのようにのたうちまわるその巨体を、もう一閃斬り払い、完全に沈黙させる。
その英雄の降臨に、人々の目に光が戻っていく。
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