第14話
気が付くと、ぐちゃぐちゃの泥の上に立っていた。振り返ればダストシュートみたいな扉がある。なるほど。移動の間の記憶は一切ない。タウちゃんの言っていた通りなのだろう。ただ、そんなにストレスを受けた形跡はない。aには。
「ぐぬぬ…モヤモヤとイライラがスゴい…何か知らんが凄く叩かれたっぽい…」
Kは凹み気味だ。内容が思い出せないのでイライラに拍車が掛かっているらしい。
『あれはここの監視者かな』
タクリタンの声に辺りを見渡せば、スラリと背の高い女性がこちらに向かって来ていた。一面の泥に足を取られることなく、滑るように進んでいる。
「Welcome,human. 私はこのサタリエルの監視端末です。皆様をご案内致します」
「サーちゃん」
「いいえ。サタリエルの監視端末です。宜しくお願いします」
「サタリエル…」
「ええ。サタリエルの監視端末です」
ダメそうだ。この端末はタウちゃんと違い略称を認めない構えを見せている。
『ここに貝空の気配は──なさそうだな』
「んじゃ、ぐらんちぇに会ってみたい」
「グランチェという個体名にヒットはありません」
Kは目を瞬かせる。aは溜息を吐いた。略称は尽く通じないらしい。これはこれで面倒臭い。
「失礼。グランチェスカです。居るって聞いたけど」
「グランチェスカであれば、この泥海の端に居ます」
サタリエルの監視端末はスッと指を向ける。その先は平坦で、ただただ泥が広がっている。タウミエルのような建物群もない。空の色は相変わらずだ。
「…行ってみようか」
「助けて、青龍ちゃん」
泥の上を歩くのが嫌で、青龍の召喚を試みる。
「…え」
セフィロートの『穴』も自前の『穴』も開かない。まったくの無反応だ。aとKは顔を見合わせる。
『私の力が及ばないのは仕方がないが…』
自前の召喚まで不可とはどういうことだろう。不調な感じすらしない。初めからそんな機能はないかのように一切反応を返さない。
「…歩けと…」
目の前の広大な泥地に、ふたりは肩を落とした。
靴の中は勿論、跳ね返りの泥に膝下まで侵食されながら歩く。そして、泥の中で膝を抱える女性を見つけた。長い黒髪は泥に漬かり、服も腰の辺りまで浸水している。水気の多い泥の上に体育座りをしているのだから当然だ。
気付いていないわけはないと思うが、彼女は全くこちらを気にしていない。何処か虚ろな眼で、足先の泥を眺めている。
「え〜っと…こんにちは、グランチェスカ…?」
Kが声を掛けると、ビクッと肩を跳ねさせ、ひどく緩慢な動作で頭を起こした。
「…だれ…?」
外見は成人女性に見えるが、その発音は覚束ない。
「はじめまして、なのかな。ウチらを襲ったぐらんちぇとは別モノ?」
「シェリダーは、情報を共有してくれない」
なるほど。あちらでグランチェスカと呼ばれているのはシェリダーという名前で、グランチェスカとは別モノということでいいらしい。
「そのシェリダーは、発狂の危機にあります」
「…あんなもの、もう発狂しているようなものでしょう。ザマーミロです」
「わあ」
どうやらグランチェスカはシェリダーがお嫌いなようだ。
「じゃあその危機回避のために力を貸してくれたりは」
「しません」
力強い。
「じゃあ力を貸してくれそうな子を紹介してくれたりは」
「しません」
「そっかあ」
取り付く島もない。
「じゃあ…もう一度転位したくない?」
「………」
虚ろだった眼が、鋭くなった気がした。
「還れるの?海に」
テキトーなことは言うべきではない。還し方も知らないのに、とaはKを睨み付ける。
「手伝ってくれるなら、そういう可能性も出てくるかも知れない」
「還れる、還れる?還る。還りたい。
突如立ち上がり、泥だらけの両手でKの肩を強く掴んだ。
「手伝って、くれるなら、そうなるよう出来る限りこちらも手助けをするという話で──ぐらんちぇ、ぐらんちぇ痛い!力強い!」
仕方なくKからグランチェスカを引き剥がす。
引き剥がされたグランチェスカは天を仰いで「アハハ、海!還る!海!」と喚いている。正直かなり恐い。
「K、アレ相手に詐欺紛いのことして最後は刺されるぞ」
「思ったよりヤベーな、ぐらんちぇ」
掴まれていた肩を擦るKの顔は引き攣っている。
「まあともかく、詐欺のつもりはないよ。だって、玄獣持って帰れるんだよね?元々戦力増やしにって話だったし」
『契約が出来ればな。守護獣に近い扱いになる。そう何体もは無理だぞ』
なんだ、なら大丈夫かとaが安心した処で、Kは反面顔を顰めた。
「契約?ぐらんちぇって国家守護獣じゃないの?二重契約にならない?」
『恐らく、縛られているのはシェリダーの方だ』
「んじゃいいのか?ん?国家守護獣クリフォトに送っちゃってもビナーは平気?」
『それは…解らないな』
タクリタンに解らないのならふたりには解らない。aにはそもそも何故シェリダーをクリフォトに送る話が出たのかも解らなかった。Kによると同位体は片方の世界に同時に存在するようなものではないのだそうだ。
「…ま。やってみてから考えよう」
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