場面.12「楽園」
犬人が示した道を暫く行ったところで、アリスは透けてる壁を見つけてそれを潜った。そして出た場所は狭くも広くもなく天井には明り取りがあり、そこから差す光の中央には、アリスの背丈よりは少し高い卵型の何かがあった。
その卵型の何かには機械の蛇のような彫刻があり、それが卵に巻きついて、捉えているのか守っているのか、どちらともつかない様子だったが、天井からの光のせいか厳粛な雰囲気に包まれているとアリスは思った。
少し透けている卵の中で、何かがゆっくりと回転しているが、よく見るとそれは複数の生命螺旋だと分かった。しかしそうだとすると、まさか目の前の卵が割れて、中から無数の蛇が生まれ出てきたりするのかと思い、アリスは直ぐに来た壁を手探りしたが既に見えない壁に変わっていた。
仕方なく卵を迂回して透けてる壁を見つけて、この場所から移動したほうが良さそうだと思ったところに「来訪者とは珍しい。私はジャバラ。これを守り或いは連れ出す為にここに居る」と誰かの声がした。
アリスは辺りを見回したがそれらしい姿はなく、すっかり忘れかけていたコンソリアンかと思ったが、それはあの中性的な声ではなく、落ち着きと威厳のあるものだった。
アリスはその声の雰囲気に合わせて注意深くそして丁寧に「私はアリスです。あなたは、いえジャバラさんはどこから話しているのですか?」と言うと「君の眼の前、私は蛇の姿をしている」と言われ、卵に巻きついている機械の蛇の目を見ると、確かにその目が自分を見ている事に気が付いた。
その目を見ながら丁寧にお辞儀をしたアリスに「済まない。私が動く時はこれを連れ出す時だ」と詫びたジャバラに「それは何ていうか、あなたの子供たちで、今は守っているという事ですか?」と訊いた。
「私の子供たちではない。この中にあるのは、飢えも病も死さえもない生命螺旋たちだ。私はこれを守るためここに居る。」
「それは生まれるまでで、その時はあなたがそれを連れ出すという事ですか?」と、とにかく今直ぐそれが出てきたりしない事を願っているアリスがそう言うと「連れ出す時は、これが出る事を望む時。これは既に生きている」というジャバラの言葉にアリスは首を傾げて「生命螺旋がですか?」と、それを生きているとは言わないのでは、と疑問に思いながら言った。
「なるほどアリス。君の言いたい事は分かる。生命の定義が曖昧なのだね。確かにそれには様々な見方があるが、少なくともこの卵の中では、生命螺旋は単なる生体の設計図ではない。複数の生命螺旋が互いに呼応しながら、それぞれの命を永遠に保つ事が出来る、これは楽園だ。」
ジャバラのこの言い方には衝撃を受けた。生命螺旋は生まれて生体にならなくても、それ自体で生きている生命だと。それでここがメタバリアム、仮想システムの中である事を思い出し、それならそんな事も出来るのかも知れないと思い至った。
そこで少なくとも卵の中から大量の蛇が出てくるような事はなさそうだと安心したアリスは「生命螺旋のままで、どうやって見たり聞いたり出来るのですか?」と訊くと「卵の中では、それぞれの生命螺旋の生体がシミュレーション生成され、仮想生体が感応しあいながら社会性を持って生きている。ただし実体の生体のように、身体や目鼻といった外観は生成されず、仮想生体は互いの感性を直接やりとりしている。」
そう説明されたアリスだったが、仮想生体とやらの世界が実際にどんな感じなのかは、全く想像できなかった。そこで「なぜ卵の中に?」と訊くと「外観のデザインに意味は無い。重要なのは生命螺旋のままで生命たり得るので、生体化した場合の全てのリソースが不要だという事だ。ここでは生きてく為の資源もエネルギーも全て最小だ。」
アリスは何となく圧縮融合と関係ありそうな予感がし「卵の中の生命螺旋は、生体なら何人分くらいなのですか?」と訊くと「互いに重複融合できないユニークな生命螺旋が数十人相当だ。この卵はネオ・メタバリアムのプロトタイプであり、その規模は現状では非常に小さい。」
アリスはまたしても衝撃を受けた。これはメタバリアム閉鎖以前からあったエリアの残骸なのか。それともメタバリアムを使った新しい何かなのか。
機械の生命システムに守られた世界で、生命螺旋として格納され、仮想生命としてシミュレーションされた社会を生きるというのは、しかもそれが最終的には相当な人口になるなら、それ自体が一つの機械生命体であり、しかもこの場合、機械生命体とはレドロンのような単体ではなく、それ一つが生命社会でもあるという話しだ。
しかもそこでは現実のシミュレーションは無く、互いの身体も無く、それでどんな感覚や精神世界が成立するのか。これには多分、物語生成やエクソダシスの言う解決離脱なんかも関わっている気がしてきたアリスだったが、それらをすっきりと一つにするような話までは、全く思い浮かばなかった。
そこでアリスはジャバラが言っていた事を思い出し「ところで連れ出すとはどういう事ですか?」と訊くと「生命螺旋とその仮想生命が自らに満足せず、新たな知恵を欲しがるなら、その時は私がそれを連れ出す。ただしそれは生体への道であり、飢えや病や死を受け入れなければならず、それは自己破壊を伴う失楽園である。」
「生体になると元の生命螺旋は無くなってしまうのですか?」「生命螺旋は卵の中では純粋な情報体であり有機体ではない。だからそれは失われないが、生体として生き始めた時点で、元の生命螺旋とは別の生命と言える。それは互いに別の世界を生きていく他者である。」
アリスは言葉を失ったまま、その場に立ちすくむしかなかった。その頭の中では幾つもの奇妙なイメージが浮かんでは消えていたが、その中でも比較的鮮明なものを上げるとしたら、一つの街のような巨大な機械システムが生命システムとして機能し、その中では現実を仮想化した世界ではない、全く別の生命世界が存在し、そこでは情報化された生命螺旋と、それを元に生成された仮想生命が、互いに想像もつかない感覚世界を共有しながら、独自の社会を形成しているという、それはもう人ではない別の生命だとアリスは思った。
しかもジャバラの話からして、それは永遠に閉じた仮想世界の牢獄ではなく、何某かの機会があれば、リスクと引き換えに外の物理現実で生体化するというプランもあるという話だ。
アリスはもしかしてと思わず身震いした。既に自分は、ネオ・メタバリアムとやらに取り込まれているのだろうかと。
ジャバラが楽園と言った卵の中で、回転している生命螺旋を直視できなくなったアリスは、それでもなんとか「お話ありがとう」と言葉を絞り出し、卵の反対側へ出て先を見ると、そこが見た目には行き止まりである事に気持ちが重くなったが、それでもその壁に右の腕を伸ばしてみると、それが透けてる壁だと分かった。
振り返らず、でもそこにある卵と蛇のジャバラについて、それがもしも悪い話ではないと言うなら、それは少なくとも強制ではダメだと思いながら、アリスはそのエリアを後にした。
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