第3話 聖鳳教会
「まずは、どれだけ治癒魔術が扱えるか、見せてもらおうか」
癒しの大司教ユリシーズ様がニコニコと俺の方を見ている。
あの後すぐに、聖鳳教会にあるユリシーズ様の執務室に案内された。
そこの応接スペースで、俺はローテーブルを挟んで、ユリシーズ様と向かい合ってソファに座っている。
ユリシーズ様の後ろには厳つい護衛の聖騎士が立ってるし、側仕えの神官も部屋の端の方からじっと俺のことを見ていて、緊張以外の何ものでもない。
唯一の心の支えだったはずの、光の大司教ルーファス様は、さっさと俺をユリシーズ様に引き渡すと、そそくさと自分の業務に戻って行った。「君ならきっと大丈夫!」という頼りない言葉を残して……!
「えっと、まずは怪我が無いと治せないのですが……」
「それもそうだね」
俺がおずおずと言葉にすると、ユリシーズ様はチラリと背後の聖騎士に目線をやった。
聖騎士は一つ頷いて、テーブル側に回って来ると、白い手袋を外し、小刀で自らの手の甲を傷つけた。ピッと十センチ程の赤い筋が走る。
「っ!!?」
「さぁ、いつも通りでいいから、治してみて」
びっくりしている俺に対して、ユリシーズ様はニコニコと平常運転だ。
俺は聖騎士の怪我をした手を取ると、パッと、彼の手の甲を片手で払った。それだけだ。
「おぉ……」と息を呑む音が、執務室内に静かに響いた。
「うん。素晴らしいね。無詠唱に、このスピード。傷口も、元から無かったかのように綺麗に無くなってるね」
ユリシーズ様は、聖騎士の怪我があった方の手を取って、まじまじと見つめた。
聖騎士が元の位置まで下がると、ユリシーズ様は次々と質問を始めた。
「どの程度の怪我までなら治せる? 重症者は? 骨折は?」
「冒険者パーティーを組んでいた時は、重症者は出なかったので分からないですが、ちょっとした突き指や捻挫は治せました。骨折も治したことは無いですね」
「冒険者をやっていたってことは、遠隔でも治癒はできるのかな?」
「できます。数メートルぐらいでしたら、相手が動いていても治せます」
怪我してすぐに治さないと、アンガスの怒号が飛んでたから……とは、流石に言えないか。
「かなり実戦派だね。数メートル治癒魔術を飛ばせるなら、結構広範囲のエリアヒールもいけそうだね」
「エリアヒールは、何度か使ってみたことはあります。ただ、少し集中しないといけなくて無防備になるので、戦闘中はヒールを飛ばして治してました」
「ふむ、なるほど。解毒や調薬の方はどうかな?」
「解毒は本当に初級のものだけです。あまり毒持ちの魔物がいない地域で冒険者をしていたもので……。調薬はやったことが無いです」
「それはこれから学べばいいね。そうだ、何回ぐらいまでなら治癒魔術をかけられそうかな?」
「魔力切れを起こしたことが無いので、何とも……。先程のヒールでしたら、百回でも大丈夫かと思います」
「それなら、魔力量を測った方が早いかな?」
ユリシーズ様は、執務室の端に控えていた神官に目配せをした。
神官が魔力量測定の魔道具を持ってきた。冒険者ギルドでもよく見かける水晶玉タイプだ。
「やり方は分かるかな?」
「大丈夫です。冒険者ギルドで一度使ったことがあります」
俺が正式に冒険者登録をした時の一回きりだ。その時は、確か緑色に光って、魔力量も普通だった。
「色は魔力の属性を、光の強さは魔力量に比例する」
ユリシーズ様に促されて、俺は水晶玉に手を当て、魔力を流した。
水晶玉は緑色に光った。
前回と違うのは、光の強さだ。まともに目も開けていられないぐらい、眩しく光った。
再度、聖騎士や神官達が息を呑む声が聞こえた。
「結構。もう大丈夫だよ。かなり純粋な癒し属性の魔力だね。それに、人間にしては非常に魔力が多い……両親か先祖に、亜人か妖精が混ざっていたりは?」
ユリシーズ様は満足そうに微笑むと、真っ直ぐに俺を見つめて尋ねた。淡い黄色の瞳は、興味深そうに俺を見ていた。
「あいにく孤児だったため、両親の顔も分からないです」
「……そうか、それは失礼したね。確認だけど、他に光魔術や聖魔術が使えたりは……?」
「いえ、使えるのは、治癒魔術と空間魔術だけですね」
「それなら、他の属性の神官に取られることは無いね」
そこまで確認すると、ユリシーズ様はコホン、と咳払いした。
「まずは癒しの中級神官でどうかな?」
「えっ?」
ユリシーズ様の提案に、俺はびっくりしすぎて、それ以外言えなかった。
神官の仕事は初めてだし、てっきり見習いからスタートするかと思っていたからだ。
「ユリシーズ様! いきなり中級は前例がありませんよ!」
端の方に控えていた神官が声を荒げた。前髪がかなり後退したおっさんが、真っ赤になっている。
「そうだね、破格の待遇だね。でも、君も見ていた通り、彼の治癒魔術の実力は上級だし、魔力量も非常に多い。解毒も調薬も神官業務もこれから学んでいけばいいことだ。それに、ここで彼の実力に見合わない役職を提案して、『やっぱり冒険者に戻る』と言われる方が、教会の損失になるよね」
ユリシーズ様はさりげなく俺の方を見て、パチリとウィンクをした。
神官のおっさんは、ユリシーズ様に諭されて「ぐぬぬ……」と押し黙ってしまった。
「ノア君も、それでいいかな?」
「えっ、あ、はい……できれば、いろいろ教えてくださる先生や先輩を紹介していただきたいです。治癒魔術以外は、初めてのことばかりだと思うので」
「もちろん、そのつもりだよ」
ユリシーズ様が、俺に右手をスッと差し出してきた。
「それでは、中級神官ノア殿。今後ともよろしく」
「はいっ! よろしくお願いします!!」
俺はガッシリと、その手を握り返した。
神官という全く新しい仕事に、俺の胸はワクワクと高鳴っていた。
***
早速、神官の宿舎に案内された。
丁度空きがあったようで、南向きで、教会の中庭を眺められる一階の一人部屋だった。
一人用のベッド、デスク、クローゼットというシンプルな部屋だ。
まぁ、収納については、俺には空間収納があるから、そこまで問題じゃないけど……
前の住人の手入れが良かったのか、すぐにでも使えそうなほど綺麗に整っていた。
「あっ……そういえば、生活用品を揃えたいんですが……」
俺は宿舎まで案内してくれた先輩神官に尋ねた。気さくで親しみやすい雰囲気の人だ。
ダンジョンで放り出されたから、ほぼ私物は無し。今着てる服も全部ニールさんから貰った物だ。
「ああ、ユリシーズ様から伺ってるぞ。いろいろ大変だったな。神官の制服は支給されるからいいとして、それ以外の物だな。冒険者ギルドのある通りに一通り店が集まってるから、そこで買い物をするといい」
「ありがとうございます!」
先輩は丁寧に地図まで書いてくれて、教会の出入口まで案内してくれた。
笑顔で送り出してくれた先輩に、ほっこりと胸の辺りがあたたかくなった。
「まずは王都のギルドに顔を出して、お金を下ろさないとな。いろいろ入り用だからな〜」
初めはどうなることかと緊張しまくったけど、とにかく仕事と住める場所が決まってホッと安心できた。
俺は、ずっと冒険者をやってくんだと思ってた。
小さい頃からやってたからな。
だけど、ああいう目に遭って、初めて別の道を示されて、「ああ、こういう生き方もあるんだな」って、目が醒める思いがした。
あまりにも自分の視野が狭すぎて、「もっと自分にしっくりくる生き方もある」っていう選択肢も見えてなかった。
——自分で自分の可能性を潰してたんだ……
「流されてみるってのも、たまには悪くないな」
ずっとやってきた「冒険者」の自分を手放すのは、なんだか少しだけ胸が痛んだ。でも、それ以上に「神官」の自分に新しい希望を見出せた。
今までアイアン・ケルベロスで全く評価されて無かったことが、ここに来て初めて評価された。
俺に期待してくれたユリシーズ様や、背中を押してくれたルーファス様達に応えたいって想いもある。
「今度こそ……」
やれるとこまでやろう。
俺は顔を上げ、今までで一番スッキリと落ち着いた気持ちで、歩き出した。
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