子猫(後編)
私の生活は一変した。
真美にもっと服を買ってあげないと。
この子を誰よりも幸せにするんだ。
その思いで、私は猛然と部屋を片付けてハローワークにも行った。
ちゃんとした、でもあの子との時間をちゃんと取れるような仕事を。
真美は何故か一言もしゃべらなかったけど、そんな事どうでもいい。
神様でも悪魔でもいい。
魂なんかいくらでも持ってって。
ただ、私があの子を幸せにするまでは待ってもらえれば。
真美が産まれた時に最初に考えたささやかな夢。
あの子のウェディングドレスを見さえ出来れば……
ハローワークで良さそうな仕事を見つけた私は、真美の手をしっかりと握りながらそれを話していた。
丁度式場の前を通りがかったからだ。
そこのショーウインドーに飾られたドレスを見ながら言った。
「ママね。今度こそ頑張るね。貴方に絶対寂しい思いをさせないように、お仕事頑張る。あなたのウェディングドレス……この真っ白な服の事ね。大きくなったあなたがこれを着る姿を見たいの」
でも、何故か真美は悲しそうな表情で俯いていた。
「どうしたの、真美? そうだ! 帰りにケーキ買って帰ろっか? 真美、イチゴのショートケーキ好きだったよね。ママもこれから大好きになる。沢山一緒に食べようね」
そう言って真美の手を握った時。
目の前に大きな犬を連れた女性が通りがかった。
怖そうな犬だな……
そう思った直後。
その犬は何故か真美を見ると、目をつり上げて大声で吠え始めた。
それどころか、真美に飛びかかろうとしたのだ。
「こら! ジョン! なんで……こら!」
飼い主の女性が慌てて止めに入るけど、私はそんな声も耳に入らなかった。
真美を守らないと。
そう思い、真美に向き直った私は……目を見開いて、呆然とした。
目の前の真美は酷く怯えた表情で……尻尾があった。猫のような耳……も。
「あなた……誰?」
私の声と表情で真美は表情を引きつらせ、その直後……ぼんやりとその姿を……変えた。
一匹の小さな子猫に。
あの日、私が気まぐれで助けた、そして私の頬を舐めたあの子猫に。
「……なんで」
私はかろうじてつぶやいた。
「あなた……あの時の……真美じゃ……なか……った」
私は目を背けていた現実に呆然として……泣いた。
すると、そばに先ほどの子猫が近づいてくるのを感じたが、私は払いのけた。
「あなたは……真美じゃない!」
子猫は悲しそうににゃおん、と鳴くと……私から離れていった。
どっか行ってよ……偽物!
そう思いながら歩いて行く背中を見ているうち、私は頬を舐める子猫の温もりを思い出した。
子猫の真美との日々も……
私は……
その時。
道路に歩き出した子猫に向かって、勢いよく走ってくる車が見えた。
え?
私は、気がついたら子猫と車に向かって駈け出して……体中に信じられないような衝撃を感じた。
※
ああ……痛い。それに……寒い。
死ってこういう事なんだ……
道路に倒れている私の耳に、子猫の悲しそうな泣き声が何度も聞こえる。
その合間に私の顔中を舐めてくれているのが分かる。
「あり……がと……う。夢……見せてくれ……て」
薄れゆく意識の中で子猫の鳴き声が響いていた。
あなたに……名前を……着けたかったな。
※
「被害者がいないってどういうことですか?」
事故現場に臨場した警察官2名に向かって、車の運転手は混乱しきった表情でしゃべっていた。
「いえ、確かに女性とぶつかったんです! 最初、猫にぶつかりそうになって、ヤバいと思ったら急に女性が飛び出してきて……」
「でも、その女性とやらはどこにもいませんよ。まあ、ここを見る限り人身でもないし物損でもないので、特に問題は無いと思いますけど……ただ、幻覚が見えるようなら運転の継続には支障があると思うので、休まれた方が良いと思います」
そう言って立ち去っていった警察官を見送りながら、運転手はなおも周囲を見回した。
おかしい。確かに俺は女性とぶつかってたはずなのに……
首をひねった運転手は、視界の端に入っている2匹の猫を何気なく見た。
「あれ? あの猫、さっきの……2匹だったっけ? ……駄目だ、やっぱ疲れてるな」
そうつぶやいて車に乗り込む運転手を見た2匹の猫……子猫と大人の猫は、お互いに寄り添いながら、近くの路地に入っていった。
【終わり】
●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇
動物が形を変えて人間の前に現れる。
それは古今東西を問わず様々な物語の中で出てきました。
動物は人間の歴史の中で、時に相棒。時に友人。時に家族として、様々に寄り添ってきました。
特に犬や猫というのはその特徴も相まって、人の生活において本当に身近な存在です。
自らの過ちによって大切な物を失った女性。
そんな彼女の心の再生において、子猫の果たした役割は大きな物でした。
子猫と女性。
お互いの望んだ形では無かったかも知れません。
でも、間違いなくお互いの心の欠けた一部を埋め合える存在になっている。
そう思わされます。
お客様。
今夜はこちらのお酒なんていかがですか?
これは私のサービスです。
はい。こちらは「ツェラー・シュバルツェ・カッツ」と言うワインになります。
ドイツ語で「ツェル村の黒猫」と言う意味のこのワイン。
爽やかで果実の風味に溢れた一品で、私も大好きなんです。
自宅でも個人的に愛飲しております。
サービスですので、よろしければどうぞ。
……あ、どこから紛れ込んだんでしょう。
可愛い猫ちゃん。しかも2匹。
親子でしょうか?
よしよし。残り物だけど、食べる?
あら……なんか、居着いちゃいましたね。
う~ん、猫は飼ったこと無いんだけどな……ねえ、お客様。
この子達、なんて名前にしましょうか?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます