奪還

「――で、そのノートを使って、黄色のものを金に換えていったと」

 水越がノートをめくる。そこにはこれまでに盗まれたものが事細かに記されていた。

「このノートを手にしてから、背中に羽が生えてるやつとか、りんごが好きな変なやつとか見えてないか?」

「え?いや、そんなものは別に見えてないですけど……?」

「虎松、時代が少し違うのよ」

「すいません。知ってるかと思って」


「黄色いタオル、黄色のペン……」

 水越がノートに書かれた内容を読み上げる。

「母さんが仕事でいない間、家にあるもので確かめたんだ。あの男が言ってたことは本当だった。ただ、大したお金にならなくて……」

 最初に換えたものは、100円かそこらの金額だった。量が多くないと、それなりの価値があるものでないと、お金の量は増えない。そうして、より多くのお金を手に入れるために、徐々に目立った犯行へと至ったのだという。

「学校の行き帰りで目についたもの。車とか、花とか。なるべく量は多めに書いた。弁当屋はいつも食べてたところで一品なら、って……。水越さんの名前は、委員会の名簿を見て知って――」

 

「で?盗んだものは、どうなった?金は今、どこにあるんだ?」

 詰め寄るように虎松が聞いた。

「お金は、家にある僕の机の引き出しの中に入ってました。盗んだものは、お金になってしまったから――」

「私の、名前は……?」

 震える声で水越が言った。

「それは……」

「どこいったか分かんねえってか……」

 虎松の問いに風街は目を伏せた。

「ふざんけんじゃねぇよ!!」

「……っ!」

 虎松の怒鳴り声が一瞬にして張り詰めた空気へと変えた。

「盗まれて悲しむ人がいること想像できたよな?苦しむってこと分かっていたよな?追い詰められる人がいるかもしれねぇって思わなかったのか?……なぁ!!」

「好きで……盗んだわけじゃ……」

「今のお前を見て、仕方がなかったなんて誰も思わねぇよ!お前のやったことは立派な犯罪なんだよ!どんなものだって盗んでいいわけねぇだろうが!!」

「虎松!!」

 魚沼は虎松と風街を引き離した。 

「虎松、一旦そこまでにして」

「甘いよ、魚沼さんは」

 虎松は吐き捨てるように言った。

「とんでもないことしてしまったって、もう分かったわね?」

 魚沼は風街を見て確認するように静かに聞いた。

「……はい」

「水越ちゃんは随分と苦しんでいたの。あなたが何かをお金に換えてる間ずっと」

 

「名前ってね、生まれてからずっと呼ばれるものでしょう?だからもう、身体の一部みたいなものよね。そんな大事なものを、自分の一部を奪われたの。自分の人生を盗まれたって言われても大袈裟な話じゃないと思う」

 風街は静かに小さく頷いた。

「車や花や弁当のおかずだって勿論盗んでいいわけじゃない。だけど、後ろめたさを感じなくなって、何ふり構わず盗みを行ったこと、いくら追い詰められていたからってそれは恥ずべきこと、してはいけないことだったとちゃんと反省して欲しい」

「僕は……、僕はどうしたらいいですか……?」

 泣きながら風街は言った。

「取り返すのよ」

「「どうやって……?」」

 魚沼の発言に風街だけでなく、虎松と水越も疑問を抱いた。

「例の男の所在なんて分かりませんよ?」

 水越が言った。

「実は僕、その人の名前すら知らないんです……」

 追うように風街も言った。

「そのノート、書いたものをお金に換えられるくらいすごいものなんでしょ?」

「まぁ、はい」

「じゃあ、逆だってできるんじゃないの?」

「……はい?」

「貸りるよ」

「あっ……」

 魚沼はそう言うと、水越が手にしていたノートをひょいと取り上げ、ノートにボールペンで書いた。

“今まで書いたものを元に戻す”

「いやいやいや、姐さん、流石にそんなん――」

 虎松が言いかけたときだった。

「残念だなぁ。元に戻すのかい?」

 明らかにその場にいた4人とは違う、男の声が部屋に響いた。

 声のした方に目を向けると、サングラスにスーツ姿の背の高い男が事務所のドアの前でニヤニヤと笑って立っていた。

「……!?」

「いつのまに……!」

 風街は怯えた顔で男を見つめた。

 男はそんな風街に構わず、ゆっくりと魚沼たちに近づいてくる。

「君さ、本当にいいの?」

「……え?」

 風街の前まで来ると、見下ろしながら男は言った。

「あなたちょっと――」

 魚沼がそう言いかけたところで、男は人差し指を口元にそっと当てる。

「むぐぐ!!」

「魚沼さん……!?」

 水越が魚沼の元へ駆け寄る。魚沼は何とかして声を出そうとするものの、まるでチャックで閉められたように口が開かない状態になっていた。

「お金がないと妹さんもお母さんも、みーんな幸せになれないんだよ?……本当に返すのかい?」

 風街の心は決まっていた。

「……いいんです。人のものを盗んでまで手に入れたお金で幸せになんかなれないって気づいたから」


「我儘だって、自分勝手だって十分、分かってます。だから……、だからお願いします。今まで盗った黄色を返してください……!」

 土下座をしながら風街は謝った。

「……ふぅん。あーあ、つまんないの」

「おい!」

 詰め寄った虎松を無視して男は言った。

「次は無いからね」

 パチンと指を鳴らしたのと同時に、どこからともなく大量のアヒルとTシャツ、バナナなどが虎松の頭上に落ちてきた。

「んぎゃふっ!!」

 身動きが取れなくなった虎松を横目に、嘲笑いながら男は言った。

「では、失礼するよ」

「ヒッ」

 水越は小さな悲鳴を上げた。去り際でちょうどサングラスを外した男の目は、紫色をしていた。

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