十二

 日野屋の主、利兵衛の前で、内藤雅勝は茶を啜っていた。

 「内藤様、その額の傷はいかがされました」

 利兵衛は雅勝の額の小さな傷痕を目ざとく見つけ尋ねた。

 「ちと、ぶつけてしもうての」

 「気を付けませんと、せっかくの男前が台無しになってしまわれますぞ」世辞を欠かさぬ利兵衛であった。

 「で、今日はどのような御用件でお越しいただいたのでござりましょうや?」

 「うむ、商売柄、顔の広い主殿に折りいって頼みがござってな」

 「何でございましょう?」

 「腕の立つ浪人者を御存じないかと」

 「腕の立つ浪人者?」

 「うむ。実は、行き付けの料理茶屋がならず者から嫌がらせを受けておってな、そ奴らを追い払ってもらいたいのだ」

 「はあ・・」

 「拙者が追い払ってもよいのだが、そうするとなにかと・・な」

 「さようでございます。それで内藤様がお怪我でもされたら大変でございますからな」

 腕の立つ浪人者と言われ、利兵衛が真っ先に頭に思い浮かべたのは木ノ浦光三郎であった。しかし、もし、万が一にも光三郎に怪我でもされたら日野屋の商いにも支障が出かねない。そう思わせるほどに、光三郎は日野屋にとって無くてはならぬ存在になっていたし、利兵衛はもちろんのこと、伊助や幸吉、そのほかのお店の者達からの信頼も厚いものとなっていた。

 思案顔の利兵衛を見て、

 「誰ぞおらぬかのう?」と再度尋ねた。

 「ひとり、思い浮かぶ者がいるのですが・・、お引き受け下さるかどうか」

 利兵衛としては光三郎にこの仕事を世話するのには躊躇いがあった。しかし、内藤様は日野屋が大名貸をしている備後福山藩の国家老の次男坊であり、その方の依頼とあらば、信用の置けぬ者を紹介するわけにもいかない。

 「勿論、報酬はそれなりに出す。仕官の口を探している者なら、我が藩で召し抱えることも考えてみてもよいのだが・・」

 「そこまでしていただけるのでございますか?」

 「ああ、拙者が申せば大概のことはなんとかなる」

 「そうであれば、心当たりの者に声を掛けてみましょう」

 利兵衛は以前、光三郎から仕官の口を探し、出奔して江戸に出てきたことを聞いていた。福山藩ならば申し分ない。もし、光三郎が福山藩に仕官できるのなら、光三郎を失う事も致し方の無い事、と思いたいところであるが、はたして、光三郎の代わりとなるほど腕の立つ浪人者がまた見つかるであろうか。このことを心配する利兵衛であった。

 「では、よろしく頼むぞ、主殿」

 「はい・・」

 「ん?いかがいたした?浮かぬ顔だが」

 「・・いえ、そのようなことは・・、追って返事を致します」

 「待っておるぞ」

 雅勝が出て行ってから利兵衛は帳場に向かい、伊助に、

 「木ノ浦様が戻られたら私の部屋に来るように」と申し伝えた。

 ほどなくすると、「御免、木ノ浦でござる」と障子越しに声がした。

 「お入りください」と光三郎を招き入れた利兵衛は、

 「そちらに」と手を伸べ座るよう促した。

 光三郎が座すると利兵衛は尋ねた。

 「木ノ浦様は、まだ仕官の口を探しておられるのですか?」

 「二、三年前までは・・、今は、諦めました」

 光三郎は日野屋に雇われた後も、幾つかの藩の門を叩き仕官を願い出たが、ことごとく門前払いをされた。なんの伝もなく闇雲に仕官を願い出たところで無駄であると光三郎は悟ったのである。

 「さようでしたか・・。もし、仕官の口があると申したら、いかがされます?」

 光三郎は首を傾げ、

 「利兵衛殿が、なぜそのような・・?」と訊き返した。

 「実は、贔屓にして頂いているある藩の方から頼まれ事をされましてなあ」

 利兵衛は雅勝から依頼されたことを光三郎に話し、その見返りとして、

 「召し抱える。と申されている」と話した。

 光三郎は、それだけのことで仕官が叶うと言うのか、あまりにも「旨い話し」だと甚だ疑問に感じた。

 しかし、この依頼を引き受けることによって利兵衛の顔が立ち、日野屋に利が持たされるというのであれば、この話、気乗りはせぬが受けねばなるまいと思った。

 思案顔の光三郎に、「いかがでござりましょう?」利兵衛は尋ねた。

 「拙者の日野屋での仕事はこれが最後ということでござるか?」と喉元まで出かかった言葉を呑み込み、

 「一度、詳しく話を聞きたい」と申した。

 「そうでございますか。では、明日、そのお方の所へ参り、お話を伺いましょう。それでよろしいでしょうか?」

 「はい」光三郎は決心の返事をした。

 翌日、利兵衛は光三郎を伴って備後福山藩の下屋敷へ赴いた。

 二人を出迎えたのは野田弥介であった。野田の案内で離れ屋に行くと雅勝が座敷で待っていた。

 「これはこれは、主殿自らかたじけのうござる」

 雅勝は二人に座るように促し、

 「そちらの者が?」と利兵衛に尋ねた。

 「はい。木ノ浦光三郎様でございます」

 「木ノ浦でござる」

 光三郎は雅勝を見据えたまま畳に手をついた。

 その視線に無気味さを覚えた雅勝であるが、平静を装い、

 「内藤と申す」と頷くように頭を少し下げた。

 「木ノ浦様が、詳しい話しを聞きたいと申されますので、こうして一緒に参った次第です」

 「左様であったか。何から話せばよいかのう・・」

 「ならず者を懲らしめるとか・・」光三郎が訊いた。

 「そう、そう、善福寺の近くに花野屋という料理茶屋があってのう」

 「花野屋?」

 「御存知か?」

 「・・いや」

 光三郎は咄嗟に否定した。というより何か違和感を覚えた。

 光三郎が利兵衛から聞いていた話では、ならず者から嫌がらせをされているお店だということだが、光三郎が先日花野屋に行った時には多くの客で賑わっていた。

 光三郎が思い浮かべた嫌がらせは、ならず者たちが商いをなんらかのかたちで妨げ客がお店に来にくくするようなものであった。しかし、店は客で賑わい繁盛していた。であれば、脅しか何か別の嫌がらせか?

 何れにせよ、この内藤という男から詳しく話を聞くまでは知らぬ事にしておこうと思ったのである。

 「そうか。実はその花野屋で働く一人のお女中に浪人者が付きまとっておってな。その浪人者をなんとかしてくれと、女将から頼まれてしまってのう」

 「その浪人者を内藤様は存じておるのですか?」

 「うむ、顔だけは見知っておる。その者どもは・・」

 「者ども?」

 雅勝の言葉を遮り光三郎は訊き返した。

 「ああ、二人おるのだ。その者どもは、善福寺の門の所でおのぶが帰るのを待ち伏せしておるのじゃ」

 「おのぶ?」

 「うむ、付きまとわれておるお女中の名である」

 あのおのぶ殿なのであろうか?浪人どもに付きまとわれている女がおのぶ殿であれば、光三郎が花野屋に行った折に、浪人者の拙者にふつうに酌が出来るものなのであろうか?いくらおみちの為とは言え、浪人者に対して恐怖心を覚え、酌をするのも躊躇われるのではないかと思うのだが、そういった素振りは光三郎には感じられなかった。

 「その二人の浪人者を懲らしめればよいのですか?」

 「そうじゃ。二度と嫌がらせが出来ぬほどに痛めつけてもらいたいのじゃ」

 「もし、相手が死んでしまったら?」

 「ま、成り行き上死んでしまったらそれはそれでいたしかたないであろう」

 「内藤様・・」

 利兵衛が口を挿んだ。

 「もし、殺してしまったなら、木ノ浦様はお縄になってしまわれます」

 「ああ・・、そう言うことか。であれば、この屋敷に来るがよい」

 「匿っていただけるのでございますね」

 「左様、この屋敷内に居れば町役人たちには何も出来まいて」

 「しかし、その後は?」

 「その後は、拙者の国許へ行ってもらおうかの」

 「それは福山藩で召抱えていただけるという事でございますね」

 利兵衛は内藤の口から確約が欲しかった。

 「そういうことになるのであろうな」

 はっきりとしない返事である。

 「木ノ浦様、内藤様が仕官を約束してくださりましたが、いかがされます」

 利兵衛はむりやりにでも内藤が仕官のことを約束したことにした。

 「分かり申した」

 光三郎は利兵衛が自分の為に内藤から確約を取ろうという意図が十分に伝わった。しかし、この内藤という男の言う事が腑に落ちてこない。あの日、おのぶ殿と話した折りの眼差しは、拙者を探ろうとするものであったが、怯えてはいなかった。その事が、先程から気に掛かっている光三郎であった。

 「まずは、その二人の浪人者の顔を見ておきたいのですが」

 「ならば、明晩、酉の刻に主殿から借り受けておる善福寺裏の屋敷にて落ち合う事にいたそう」

 「善福寺裏の屋敷?」

 光三郎の尋ねに、

 「帰り道に手前が案内いたします」

 利兵衛が答えた。

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