第4話

 アレクシス王子の言葉で、周囲の貴族たちがざわつき始めた。

「堕天使の姿が見られるのか?」

「絵で見たことはあるが、本物を拝めるとは」


 アレクシスは手を合わせると、じっと目をつぶりぶつぶつと呪文を唱え始めた。


「さあ出てきてくれ、堕天使ノックスよ」


 アレクシスの言葉に一体の堕天使が空間から現れた。五十センチほどの小さな人の形をした魔物で、背中には黒い翼が生えている。しばらくするとその後ろに別の堕天使が五、六体姿を見せた。


 私には堕天使の姿がはっきりと見える。ただ、まだ他の人々にはその姿が見えていないようである。

 けれど、聖女イリスだけは堕天使へしっかりと目を向けている。やはり、彼女も堕天使と関われる特殊な能力を持っていたのだ。

 

 アレクシスは堕天使たちに向かって、溜め込んだ魔力を放出した。彼の手から明るい光が堕天使に届くと、やがて堕天使は自らを発光し、その姿を現したのだった。


「おお」

「これが堕天使なのか」


 会場にいる人々がざわつき始めた。初めて見る魔物に怯えながらもながらも、貴族たちはその姿を凝視していた。


「さあノックス、今から皆の前で本当のことを語ってくれないか」


「ああ、お前は俺との取引に応じた。約束通り真実を語ってやる」


 取引? まさか……。

 私は堕天使ノックスの言葉に、嫌な想像を膨らませてしまった。


「ここにいるエルフィーナは聖女イリスの命を奪うために堕天使を利用したそうだが本当か」


「デタラメだ」


 周囲の貴族たちが、堕天使の言葉にざわつき始めた。


「エルフィーナに罪はないのだな。では、どうしてそんな話をでっちあげたのだ?」


「すべてはイリスの考えついたことよ。イリスがこの国を操るとこができるようになった時には、我々堕天使族をこの世界に永住させると約束した。その見返りで嘘をついてやったのだ」


「堕天使を永住だと? そんなことをすれば人類はどうなってしまうのだ?」

「魔族と人間は共存できない。ゆくゆくは我々が破滅に向かう道だぞ」

 貴族たちが騒ぎ始めている。


「そんな話こそ、デタラメです!」

 聖女イリスが声を張り上げた。いつもおとなしそうに振る舞っているイリスの顔がこわばっていた。

「聖女の私が、魔族と結託するなんてありえません」


「その聖女というのも嘘だ」

 堕天使ノックスは続けた。

「我々は、この世界への安住と引き換えに、真の聖女から聖なる力を奪う呪をかけた。そして、イリスに偽聖女の力を与えたのだ」


「偽聖女だと!」

 ラファエル第三王子がぼう然としている。


「そうだ」


「では、真の聖女とは、誰なんだ?」


 堕天使ノックスが私に顔を向けた。

「ここにいるエルフィーナだ。エルフィーナこそ、聖なる力を持つ真の聖女だ」


「なんだって」


「イリスはエルフィーナの聖なる力に嫉妬し、エルフィーナの聖なる力を奪う呪いを私たちにかけさせたのだ」


「証拠は? 堕天使の話が本当だという証拠はあるのか?」


「証拠ならここに記録している」

 後ろにいた堕天使が胸に抱えているものをノックスに手渡した。

 それは堕天使の頭の大きさほどある水晶玉だった。

「真実は全てここに記録されている。イリスが述べた一部を今見せてやる」


 水晶にイリスの姿が映し出された。その中にいるイリスはこんなことを述べていた。


「エルフィーナを殺してしまうと、私に流れている聖なる力も失ってしまうわ。残念だけど、エルフィーナは殺さずに牢屋に放り込んでおくしかないのよ。そうすれば私は、この先もずっと聖女でいられるわけだし」


 広間に集まる全ての人が、水晶から浮かび上がったイリスの姿をじっと見つめていた。そして、驚きと疑いの目を、イリスに注ぎ始めた。


「うそよ。これは私を落とし入れるための大ウソよ!」


「魔族の水晶を否定するなど、許されることではないぞ。まあ良い、そこまで言うのなら誰もがわかるようにしてやろう」


 ノックスの目が赤く輝き、私の体から黒い蒸気のような光が漏れ出てきた。

 なんだか、体が昔に戻ったような懐かしい気持ちになった。


「たった今、エルフィーナの呪いを解いた。聖なる力がどうなっているか確かめてみるがよい」


「これは」

 列席者の奥にいた司祭が声を上げた。

「聖女イリス様から聖なる力が消えている。かわりにエルフィーナに聖なる力が宿っている……」


「エルフィーナにかけていた呪いを解き、もとに戻しただけだ」


「確かに……、エルフィーナの聖なる力は、イリス様が持っていた力よりもはるか安定している。聖なる力が本来の場所へと戻った証拠だ」


「どうだ、これでもまだ私の話が大ウソだと言い切れるのか?」


 エリスは下唇をかみながら堕天使をにらみつけている。


 もうはっきりした。

 乙女ゲームでは、いじめられながらも最後は幸せを掴む主人公のイリスだが、実はとんでもない悪役令嬢で偽聖女だったということだ。

 そして、悪の限りを尽くし投獄されるエルフィーナの私だが、本当は無実の罪を着せられた真の聖女だったのだ。


「しかし」

 口を開いたのは

ラファエル第三王子だった。

「どうして堕天使は今さら真実を述べだしたのだ? このままなら自分たちが安住の地を手に入れられたのだぞ」


「私たち堕天使と寿命を引き換えに契約したいと申し出るものがいたからだ。その男の寿命十五年分を受け取り真実を述べることに同意したのだ」


 ノックスがそう語る視線の先には、アレクシス第二王子の姿があった。

 周囲の貴族たちも、じっとアレクシス王子を見つめ始めた。


「お前はこんなことのために自分の寿命を十五年も差し出したのか?」

 ラファエル第三王子の声は上ずっている。


「こんなことなんかではない」

 アレクシス王子が落ち着いた声で返した。

「エルフィーナの無実を証明するためだ。私の寿命十五年に充分値することだ」


「どうして!」

 私はアレクシス王子の言葉を聞いて反射的に声を出した。

「だめよノックス! 私の寿命をもらってください。アレクシスからでなく、私から十五年分の寿命を受け取って!」


「それはできない。これは魔族のしきたりだ。あくまで契約した人物から寿命はいただく」


「……そんな」


 私はアレクシス王子に視線を戻すと、王子は笑みを浮かべ私に頷いてきた。


 これが、女たらしで軽薄な男と噂されるアレクシス第二王子なの?

 頭の中でぐるぐると疑念が回り始めた。

 そういえば、ミレルバがこんなことを言っていた。


『魔法学校時代、私はある男性をお慕いしていました。でもそのお方はエルフィーナを好いておられるようで、嫉妬した私はイリスに協力してもらい、二人の悪い噂を流して仲を割いたのです』


 ミレルバが慕っていた男性とは、アレクシス王子なのでは……。

 だったらアレクシス王子の悪い噂はすべて嘘……。


「さあ、約束だ。アレクシス、お前の寿命をいただくとするぞ」


 ノックスがアレクシス王子に近づき、その目が再び赤く輝き始めた時だった。

 後ろから別の堕天使が現れた。

 あの堕天使は確か……。


「ノックス様、少し待っていただけませんか」


「どうしたロト」


「実は、このエルフィーナという女には借りがあります。飛べなくなった私を回復術で救ってもらいました。どうかノックス様、今回ばかりはこの女の希望通り、アレクシスから寿命を奪うことを許してやってもらえませんか」


「行方不明だったお前を救ったのはこの女だったのか」

 ノックスは私を見つめた。

「堕天使の傷を治す人間がいたとは驚きだ。しかしロト、こればかりはどうにもできぬ。一度交わした契約を反故にするなどあってはならぬものだ」


「そうですか……」


 再びノックスの目が赤く光り、じんわりとアレクシス王子を照らした。

 やがて黒い霧のようなものがアレクシスを包み込み、しばらくすると霧は消えた。


「さあこれで契約は終了だ。この男から十五年の寿命を確かに頂いた。また契約をしたいときにはいつでも申し出るがよい」


 それだけを言うと、ノックスは翼を広げ空中へと浮かび上がった。

 後ろに控える堕天使たちも一斉に浮かぶ。

 その中で、ロトと呼ばれた堕天使が私の前に進み出た。


「あの時はありがとう」


「いいえ」

 私はアレクシス王子の寿命が奪われた事実に、まだショックを隠しきれないでいた。


「大丈夫だよ」

 ロトは周囲に聞こえないようにそっとつぶやいた。


「ノックス様は許してくれたよ。アレクシスの寿命は奪っていないから」


「え?」


「みんなの手前、ああ言っただけだ。実際は寿命を一年も奪っていないから安心していいよ」


「本当なの」


「魔族にかけて誓うよ。間違いない」


「ありがとう」


「お礼なら、次に会ったときにノックス様に言って。あと、アレクシスにはちゃんとこのことを伝えて安心させてあげてね」


「わかったわ」


「じゃあ。また会えると嬉しいな」


「私もよ」


「じゃあ、また」

 そう言うとロトは宙に浮かび、ノックスたちのもとに戻っていった。

 そのまま堕天使たちは空間の歪みに入り込むと、一瞬にして宮殿から姿を消し去った。

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