第19話
夫は京都から帰って来たときを境に、私に話しかけてくるようになった。
「おはよう」
「おはよう」
「今日は家で夕飯を食べたいんだけど」
「わかりました。用意しておきます」
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
挨拶に毛が生えたような会話しかなかったが、彼が私との関係を修復しようとしているように思えた。
後一年だ。
この一年間は我慢して妻としての役目を果たす。
妻としての私に落ち度があれば、離婚時に何らかの影響が出るかもしれない。
雄太が不安に思うような行動は慎むべきだ。
妻の務めを果たそう。
そう決心する。
食事が必要なら、ちゃんと言ってくれれば作る。
夫は美玖が産まれるまでは絶対に私と離婚しないだろう。
彼らの計画は子どもを二人手に入れる事だから。
「朝食なんだけど、俺が作ろうかと思ってる。三人分」
「え!」
どういった風の吹き回しだろう。
天地がひっくり返るほど驚いた。
「いや、その……だから雄太も一緒に朝ご飯を食べたいと思ってるんだ。早起きしなくちゃいけないけど、朝くらいしか顔を見られないから」
「息子がいたこと思い出したんだ?」
嫌味が口から出てしまった。
「いつまでも、怒っていないで、そろそろ本来の美鈴に戻ってくれないか?」
「謝ってないのに?」
「え?」
「謝ってもらってないけど。誕生日は帰ってくるんだったわよね?プレゼントもまるで雄太の為にいろいろ考えている様子だったのに、5日後?」
「今更、掘り返すような事か?」
「……まぁ、大して期待もしてないから、どうだっていいわ」
「美鈴のそういう言い方が、どうだっていいのかと思わせる。誕生日だって、帰って来ても来なくてもどっちでもいいって言ったじゃないか。そういった日頃の言動は、俺を家庭から遠ざけるんだ」
「遠ざかりたかったんでしょう?」
逆に訊きたいわ。
「そんな事はない」
「自由に好き勝手にできるんだから、あなた幸せでしょう。他に何を望むの」
「妻の明るい笑顔や、家でのくつろげる時間。子どもとも一緒に過ごしたい。俺は仕事で家にいない事がほとんどだから、限られた短い時間くらい雄太と過ごしたい」
仕事で時間がないのかしら?しらじらしい。
雄太との時間を確保したいんだったら、河合愛梨と会わなければいいだけの話でしょう。
◇
私は田所さんに夫との会話を聴いてもらっていた。昨夜の話をスマホのアプリで録音していたのだ。
「美鈴ちゃん。これって旦那さんにも録音されてない?」
「え?」
「この会話を聴いた限り、夫は夫婦関係を修復しようと努力しているのに、妻が拒否している。子どもとの時間も取らせてもらっていないふうに聞こえる。少なくとも事情を知らない第三者が聴いたら、妻が夫に対してハラスメントを行っているように思われる。モラハラだ」
「うそ……でしょう」
けれど、私が夫との会話を録音しているんだし、彼も録音している可能性がある。
言われるまで気がつかなかった。
前回の人生では、それはなかった。
だから夫から訴えられる可能性を失念していた。
まさか、雄一さんが私をモラハラで訴えてくる可能性がある?
◇
家の中に隠しカメラや盗聴器材がないか田所さんに調べてもらった。
「今のところ、カメラなどは無いようだ」
良かったと安心する。
「私が常に家にいて、夫だけがこの家にいるという状況は今までなかったと思う。カメラを仕掛けるのはリスクがあるわ」
日中ずっと家にいる私に、仕掛けたカメラが見つかるかもしれないリスクは犯さないだろう。
「そうだな。いつ発見されるか分からないし彼としても危険はおかせないだろう。けれど、これからはそういう可能性も視野に入れ、会話にも気を付けた方がいいね」
「わかりました」
妻からのモラハラで離婚。子供の親権を取り上げられる。
そのパターンもあるんだ。
後一年の間、私はこの状況に耐えられるんだろうか。
前向きに考えようと田所さんから言われた。
夫婦仲が悪かったら、少なからず雄太はそれを感じ取ってしまう。
雄太君のためにも、今は良い夫婦を演じた方がいい。
田所さんの言うことはもっともだ。
私は夫に対して冷たい態度を取り過ぎている。
3回目の世界では、私が原因で夫婦関係が拗れたと言っても過言ではないだろう。
本来、浮気した彼が悪いのは確かだけど、それに対して文句も言っていないし、かといって夫との関係の修復にも努めていない。
どちらにしても、最後は離婚になるんだけど……
いろいろ考えすぎて、その上で自分の至らなかってところも見えてきた。
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