ep.2クレーマーがナンボのもんじゃい
前回までのあらすじ
Aは経営する塾が赤字続きで、鼻血を噴き出しながらも憤死寸前の状態にあった。Bからの冷静な声掛けにも応じつつ、塾の厳しい財政状況に悩むA。彼の借金は400万円に達し、塾の経営も低迷している中、県からの5000万円の委託事業のコンペがあると知り、二人は必死に提案書を作成。しかし、結果は不合格。失望しつつも、Aは新たな手を模索しようとするが……
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事務局のダイヤルを打ち込んでスマホを握った。4回のダイヤル音で女性が出て、事務的な対応によって事務局に回された。寝ぼけたような中年男性の声。
「はい、選考事務局です」
「応募しましたAと申しますが、選考の結果について再考をお願いしたいと思いまして」
「はあ、そういったお問い合わせは対応しておりませんが」
明らかに面倒くさそうな様子。
「そこを何とか」
「そうは言いましてもね、もう選考もだいぶ進んでいまして」
Aはだいぶ進んでいるんですね、とオウム返しする。
「進んでいる、ということは、まだ結論が出ていないということですね」
「あー、いえ、でももう終わりますので」
「終わっていないんですね、ではちょっとだけで大丈夫ですので!なんなら、追加資料を受け付けてい
ただくだけでも」
「だから、そういうのはやっていないんですって。切りますよ!」
切りますよ。そう言われるということは、まだ切られないということだ。本当に切るやつなら、とっくにスパッとパシッと切っている。Aは力を込めた。クレーマーがナンボのもんじゃい。
「嫌です!」
「なんで!」
「絶対うちに任せたほうがいいからです!」
Aの脳はキマっていた。生存本能によって生成されたアドレナリンによる暴走だった。
「他の事業者の満足度って高いんですか」
「満足度……」
「他の事業者ってちゃんと生徒のためを思ってるんですか?生徒の満足度をちゃんと高める仕事ができるんですか」
「答える必要はないかと」
「答えられないんですね?」
中年男は喉をつまらせたような声でいう。
「あなたはどうなんですか」
「私達はできますよ。何なら……資料の32ページにも書いてありますよ。読んでくださいましたよね?」
「いちいちすべてのページを見ているわけではありませんから」
「えっ、資料を読まずに私達を落選させたのですか?」
「そ、それは……」
「一番大事なところだったのに?」
「それは、いきなり言われても……」
「それはなんとも残念じゃあありませんか。一番重要な内容を読んでくださらなかったなんて。その他は単なる事業説明なのに」
「……」
「ハンバーガーをピクルスだけで評価するようなものです。それは納得できません。一瞬で構いませんので、再考してほしいです。説明に上がらせていただけませんか」
「……少しお待ち下さい」
しばらくの保留音のあと、追って報告しますと言われてメールアドレスを確認され、電話は終わった。
Aは電話を切ると、深いため息をついた。BとCは、呆然とAを見つめていた。
「A先生、大丈夫ですか?」 Cが心配そうに尋ねた。 「ああ、なんとかな」 Aは疲れた表情で答えた。
その日のことは、Aはあまり良く覚えていない。
「はい、精一杯やらせていただきます!今後ともよろしくお願いします!」
親子の背中を見送る。普段の自分に似合わない爽やかな表情でAは叫んだ。久々の新規兄弟入会、しかも双子、中学受験パックお申し込み。ありがとうございます。これでラーメンセットが食べられる。
「ほんと、良かったですね。僕も一安心です」
「A先生って本当営業だけは上手なんですね」
BとCが安堵しながらこちらを見る。プロポーザルの落選から3日経ち、Aたちは相変わらず崖っぷちのところをなんとかうまくやっていた。しかし、同時にじりじりとした焦りもあった。役所は本当に考え直してくれたんだろうか。
Aは深呼吸をして、もう一度県の事務局の番号を押した。指が震えるのを感じながら、受話器を耳に当てる。
「はい、大福県教育委員会事務局です」
間違いない。あの中年男性だった。
「お世話になっております。先日プロポーザルに応募させていただいたAスクールのAと申します」
中年男性は一瞬黙り込んだ。おそらく前回の強引な電話を思い出したのだろう。
「ああ、はい。どういったご用件でしょうか」 相手の声には警戒心が滲んでいる。
Aは冷静を装いながら話を続けた。 「大変申し訳ありませんでした。前回は失礼な対応をしてしまって」
相手が何か言いかけたが、Aは遮って話を続けた。
「ただ、私たちの提案をもう一度検討していただけないでしょうか。この間から、私たちは地域に根ざした新しい教育プログラムを実践し始めています。地元企業との連携や、地域の特性を活かした独自の教材開発など、具体的な成果も出ています」
Aは息を整えながら、(ギリギリ嘘にならない)アピールをさらに続けた。
「もちろん、前回のような無理強いはいたしません。ただ、私たちの本当の取り組みをご覧いただき、改めて評価していただく機会をいただけないでしょうか」
電話の向こうで、相手が深いため息をついた。
「分かりました。ただし、約束してください。今回も駄目だった場合は、すんなり諦めていただけますね?」
Aは即座に答えた。 「はい、約束します。ただ、私たちの本気の提案を見ていただければ、きっとご理解いただけると信じています」
「分かりました。では、来週の月曜日、15時から30分間のプレゼンテーションの時間を設けます。それでよろしいですか?」
Aは思わず声を上げそうになったが、必死に抑えた。 「はい、ありがとうございます。必ず伺います」
電話を切ると同時に、AはBとCに向かって叫んだ。
「やった」
BとCも驚きと喜びの表情を浮かべた。
「今度こそ失敗は許されませんね」 Bが真剣な表情で言った。
「そうだな。でも大丈夫だとは思う。この間から俺たちが積み上げてきたものがある。それを全力でぶつければ、きっと分かってもらえるはずだ」 Aは自信に満ちた表情で答えようと思った。ただ、そんな台詞は自分には合わない。よって、ただニタっと笑うに留めた。
Cも決意を新たにした様子で言った。 「私たちの教育プログラム、必ず認めてもらいましょう」
3人は早速、プレゼンテーションの準備に取り掛かった。地元企業との連携の成果、独自開発した教材、生徒たちの反応、そして何より、彼らの熱意と理念。すべてを分かりやすく、説得力のある形でまとめていく。夜も更けて行ったが、誰一人帰ろうとはしなかった。彼らの目には、かつてないほどの輝きがあった。これが最後のチャンス。すべてをかけて挑む覚悟が、3人の心に宿っていた。
「よし、できた!」 Aが叫んだ時、夜明けの光が窓から差し込んでいた。
疲れきった3人は、しかし晴れやかな表情を浮かべていた。
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