第15話 魔法の代わり

 今日は1週間ぶりの授業。エデン先生に会える日だ。



 いつも通り挨拶を交わしたあと、先生を椅子に勧めた。

 何度も会っているのに、私が勧めなきゃ座りもしないのだ。

 こちらのミッションは達成しそうにない。


「それでは聞きましょうか、お嬢様。今週はどれだけ上達したんです?」


 私の上達具合を聞いてから魔法の授業を始めることになっている。


 これまでに何度も無茶をした私への監視だと思う。

 もちろん彼は口に出しはしないが。


「………それが、ですね………」


 これが、最近、ネガティヴ気味な理由。

 いつもより愚痴が多い理由。


「どうなさったんですか。言葉にお詰まりになるのは初めてでしょう」


 その通り。

 これまでは順調だった。


 手汗をかき始めて、侍女長がおいていったタオルをつかむ。


「………」

「黙ってらしてもわかりませんよ。それぐらいはお分かりになるでしょう?」


 目の前が真っ暗だ。

 アリ地獄に突き落とされたような気分。


「私、今週………全然上達してないんです。実は」


 いつもなら1つぐらい魔法を覚えてくるのに、今週は全くだった。

 散々だった。


 時間はいつもより取ったのに………。



 どうして?

 どうして上達しないの?



 ジーンと熱くなり、涙がぽたりぽたりと落ちてくる。

 慌ててタオルを押し当てた。


「すみません………見苦しいところを」

「とんでもありません。リエ殿を呼んで参りましょうか?」


 リエ。来てほしい。


 でも泣いたぐらいで人を呼ぶなんてとんだ甘やかしだ。



 私は申し出を断った。



 私は、そんな弱い人間にはならない。

 知らず、拳を握り締めていた。


「先生」


 毅然とした態度で呼べただろうか。


 不安になるな。

 令嬢らしくあれ。


 私は前世の名も覚えていない普通の転生者。

 だとしても、ハイカル男爵令嬢ミュラーであることは事実だ。


 私は期待に応える義務がある。



「魔法に行き詰まったとき、どうなさいましたか。先生の経験を教えてください」


 彼は数秒宙を見上げた。

 しばらくして、私を見た。


「違うことを勉強しました。魔法ではないことを」


 違うこと………。


「思い詰めているのではないですか?

 魔法はイメージです。術者が落ち着いていなければ、行使することはできません」


 思い詰めている。

 そうかもしれない。焦っているかもしれない。


 心が不安定だとうまくイメージがまとまらないのかも。


「それでは先生、お手数ですが、魔法以外のことを教えてくれますか?」

「………初めてですね、そのように仰られるのは」


 魔法に囚われていたからね。


「そうですね………」


 先生はカバンから本を2冊取り出して、1冊を差し出した。

 『水属性魔法事典』という表題だ。


「まずはこちらをお貸しします。ロイリーお嬢様が使われていた本です」

「水属性の本を? どうして………」


 持ってきているの?


 心の声を呼んだように彼は、初めて微笑んだ。


「予想がついたのです。そろそろだろうと」


 私は思わず頭を下げた。


「重ね重ねありがとうございます」

「とんでもないことにございます」


 本を端に寄せると、先生はもう1つの本をぺらりと捲った。


「私の専門をご存知ですか?」

「専門、ですか。すみません、知りません」

「実は私、専門家といえるレベルではありませんが、歴史の研究をしていました。いまは姉と父に無理矢理、商業経営を習っていますが」


 ほえー。

 歴史か………。


 前世の好みは雑食ではあったが、基本ファンタジー小説を読んでいた。

 歴史はあまり興味なかった。

 少なくとも、進んで読もうとはしなかった。


「商業経営のほうが興味ありますね」

「ご令嬢なのにですか?」

「頭脳戦が好きなんです、私」

「なるほど。先に歴史でもよろしいですか。貴族の嗜みとして必要ですので、教えないわけにもまいりません」



 先生は、木の板を加工して表面が滑らかになった黒板と言うべきものを、控え室に待機していたリエから借りて運んできた。


「お嬢様はどれくらい王国の歴史をご存知ですか」


 答えなんてわかっているだろうに………。


「もちろん、全く知りません。一から教えてくださいませ」

「清々しいほどの開き直り、逆にありがたいです」


 まあ、貴族はプライドが高いからねえ。




「まずは、いまの王国の状態について知っていただきましょう」


 エデン先生は、黒板に王家の方々のお名前を書いた。



 これらは、何があっても覚えなければならない名前だ。


 国王の名前は、王国の民の全員に知られているだろう。

 また、他国の貴族はもちろん、一部の平民も聞いたことがあるだろう。


「現国王はジークハインツ・セレビュアーティー陛下。王妃はロザンアリス陛下。側妃はルナリーネ殿下。

 そしてご子息は2人おられます。サリナルアレン第1王子殿下。カリンローネ第1王女殿下です」


 名字は国名とは異なるようだ。

 前世で一度だけ出会ったことのあるタイプだ、長すぎる名字を略して国名にしたのだろう。


「先生。ミドルネームと敬称はどういう法則なのでしょう」


 先生はチョークらしきものでミドルネームに線を引いて答えた。


「国王陛下とその妃のミドルネームはガーゼンです。王子殿下と王女殿下、いまはいらっしゃいませんが王子妃殿下はギールです」

「王太子か王太女になってもギールなのですか?」

「はい、変わりません」


 格が上がっても名前は変わらないのか。


「それと敬称のことですが、正妻様には“陛下”、側妻様には“殿下”とつけます。歴代の国王や王太后様には“陛下”をつけます」

「ありがとうございます。あの細かいかもしれませんが、王弟殿下が公爵となった場合、殿下とお呼びするのか公爵閣下とお呼びするのか、どちらが正しいのでしょう」


 あまりにも詳しいので、ラノベを読んでいて気になったことまで訊ねてしまった。

 さすがに平民の知識の範囲を超えているかと不安になったが、彼は問題なく返答した。


「場合によるでしょう。王弟(王族)としてその場にいらっしゃるのか、公爵(高位貴族)としてなのか。それを読み取る必要があります」

「はっはい。ありがとうございます」


 なんと。

 一体何者? というレベルで、先生は歴史オタク(?)だった。



「確か、王族の方々は純血魔族なんですよね?」


 この国、というかこの世界では、3種族が共生している。

 聞いたときは耳を疑ったが、長い間大きな戦争はおこっていないことが何よりの証拠だ。


「はいそうです。王族は帝国から妃を貰わなければなりません。純血でいるためには必須事項です」


 帝国__サビンレ帝国__は魔族の王、魔王が支配する国だ。

 人間のほうが多い国内から妃をもらうことはできない。


「また、3大公爵閣下は初代国王の側近の子孫ですので、彼らの祖も魔族です」

「そうなんですね!」


 おそらく魔族には人間にはない特性を持っているのだろう。

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