第26話 大事なもの

 僕はあの日以来ちょっとした能力を得た。


 なぜかは分からないが血を操れるようになった。

 診療所で大量の血を失ったからか部屋を汚したことによる自責の念からなのか、理由は分からない。

 だがこのおかげで僕は弱点を克服することになる。

 以前は外に出そうとしても霧散して効力を発揮しない魔力を血に混ぜることにより対外で操れるようになったのだ。

 とはいえ未だに火や水など攻勢魔術のようなことは何も出来ないが。


 まず最初にしたことは掃除。

 既に木製の床板に染み込みどす黒く変色した血を抜く。勿論とっくに血液としては壊れているためバケツに入れて下水道に流す。下水のスライムにとってこんなでも魔力の塊、ご馳走であろう。

 色味はマシになったが大前提として血はアホみたいに汚い。それこそ糞便よりも汚い。そのため聖水を大量にばら撒き除菌し、塗装用具を買ってきて色を直す。

 ベッドや寝具は僕が生理的に無理なので買い直した。

 もうすぐこの家を出るというのに無駄な散財である。


 あの日からサルサは少し変わった。

 というより過保護が増した。

 僕の偽装工作の単独行動は何とか説得できた。だが市場や通りを歩く時は必ず手を繋がれるし、食事の際はずっと自分の料理には目もくれずジロジロと見てくる。とても恥ずかしいのだが彼女の満足そうな顔を見ると言い返す気にはなれない。


 ちなみに最近知ったが彼女の舌は猫らしく少しザラザラしている。

 ちょっとだけ痛い。


 戦闘訓練は以前に増して厳しくなった。

 それは僕が望んだからというのもあるが、彼女としても何かあった時に自分の身を守れるようにして欲しい、とのこと。

 時折ガードに失敗し、蹴りや模擬剣がモロに入ると過保護モードに入り目を潤ませながら謝ってくる。

 僕としてはもっと遠慮無しにボコボコにして欲しいくらいなのだが。別にそういう趣味では無い。結局人間は痛みが無いと物事を覚えずらい。

 少なくとも僕はそういう人間だ。

 僕はこれまでの大半をそう生きてきた、そう生きてしまったのだ。

 出来ないと叩かれ折檻される。それが嫌だから死ぬ気で頑張る。

 なんか獣の躾みたいだね。

 別に間違ってないけどさ。


 だが僕は痛みについて大きな問題を抱えている。

 あの日以来僕の痛覚はあまり仕事をしない。

 痛覚の鈍化は少しずつ、だけれど確実に僕の戦闘面に顔を出す。

 良く言えば怯まなくなった。悪く言えば僕の自分の身を顧みないスタンスがより一層酷くなった。

 ただ何故か彼女との戦闘訓練の時のみ痛覚コイツはキチンと仕事をする。人生で初めて痛みを嬉しいと感じた。改めて言うが僕にそういう趣味は無い。


 僕は彼女と一緒にいる時だけ人間らしくあれる。


 ____________


「ねぇシオ」


 ある日の訓練の終わりにサルサはポツリと言った。どこか遠くを見る様な瞳には憂愁や憂いの色が映っていた。


「どうしたの?」


「シオはさ、今……幸せ?」


 不思議な質問をする。


「幸せに決まってるじゃん。」


 彼女はそれを聞くと嬉しそうに、でもほんの少しだけ寂しそうに僕を抱きしめた。


「ねぇシオ」


「?」


 ある日の訓練の終わりに彼女はまたも僕に問うてきた。


「アタシはさ、シオが今……幸せかどうか心配なんだ。」


「……どうして?」


「だってシオはさ、アタシといる時は本当に幸せそうなんだよ。だけどアタシがいない時とか、一人でいる時はなんか辛そうだから。いつかシオが全部溜め込んで何処かに行ってしまうような気がして……」


 それは僕の心を酷く動揺させる一言であった。

 きっと彼女の過保護もこれが理由だったのであろう。


「あのね、サルサ。僕はさ、確かに今は幸せなんだ。でもね……その幸せが怖いんだ。

 僕は今までずっと一人だった。

 誰にも愛されずに生きてきたんだ。」


 でも今は彼女がいる。


「サルサが僕を人間にしてくれたんだ。愛を教えてくれた。」


「シオ……」


「だから僕はね、今が幸せ過ぎて怖いんだ。こんなにも温かいものを浴びて僕がおかしくなっちゃいそうだから。僕は今までこれ程温かいものは貰ったこと無かった。本当に信じられないほどに幸せで、嬉しくて……悲しいんだ。この幸せには終わりが有るんだって知ってるから……毎日こっそり泣いて、毎晩祈るよ。朝起きてもサルサが隣にいますようにって。」


 これは僕の紛れもない本心。


「……」


 彼女は何も言わない。ただ僕を優しく抱きしめて頭を撫でてくれただけ。

 でもそれだけで十分だ。


「だからね、サルサ……僕は今が幸せ。だから……その幸せを壊そうとする人は誰であろうと許さない。」


 彼女は僕を強く抱きしめた。


「シオ、アタシはアンタの味方だよ。例え世界中が敵になっても、アタシはアンタの隣に居続けるから。」


 僕は彼女の胸で泣いた。



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