第28話

 教室を出て、僕は部室へ向かった。


 佐藤は部室に居るような気がした。どうしてそう思ったのか僕にはわからなかった。


 それでも、まだ帰ってないような気がした。


 僕は部室の前に着くと、一度呼吸をしてから、扉を開ける。ドアは僕の予想通り鍵がかかっていなかった。


「ここに居ると思ったよ」


 佐藤はうつむいた様子で、いつもの席に座っていた。


「先輩は、どうしても譲れない物ってありますか?」


 今にも消えてしまいそうな、そんなか細い声で、佐藤は聞いてくる。


「あるよ。僕にも」


 僕は佐藤の対面に座った。ここは佐藤の笑っている顔が見える僕の特等席。しかし、今日は顔が見えなかった。


「……先輩は強いですね」


 佐藤はどうしてそこまでして、ホワイトフラワーにこだわるのだろうか。佐藤の情熱には、使命感をも感じる。


 その情熱の半分、いや一部で良いから、僕にも持たせてくれないだろうか。


「そんなこと無い。大丈夫、佐藤は僕に持ってない物をたくさん持ってるよ」


「でも、失敗しました。先輩は、私が居なくても竹内さんと浅野さんを納得させたじゃないですか。宮崎さんもそうです。彼女のことだって、ちゃんと傷つかないように許して……。今もそう。先輩は強くて優しいから私のことをちゃんと励ましてくれます。でもダメなんですよ。わたしみたいな悪い人にも優しくしちゃ」


「そんなこと無いよ。僕はあの公園で、佐藤に救われたんだ」


 佐藤は肩を震わせた。そして彼女の顔から落ちた一滴の雫が、きらりと光った。


「……あれは、先輩が勝手に立ち直っただけじゃないですか」


「じゃあ、今から佐藤も自分で立ち直りに行こうか」


 僕はカバンを持ち、特等席から立ち上がる。


「僕、駅前のパンケーキ屋、食べに行きたいなって思ってたんだ。一緒に行こうよ」


「パンケーキ、食べます」


「決まりだね。じゃあ、ちょっとお手洗い行ってくるから、それまでに準備しといて」


 僕は一度部室を出て、部室の扉に体重を預けた。部室の中からは、雫がこぼれる音が聞こえた。


 僕はタイミングを見計らって、部室に戻った。佐藤は少し目を腫らしているが、わだかまりになっていた気持ちを流して、すっきりしたような様子だった。


「じゃあ、行こうか」


「はい」


 佐藤がバッグを持ち、僕は部室の鍵を取る。


「先輩」


 僕が鍵を取ったそのタイミングで、僕は佐藤に呼ばれて、振り返る。


 すると、僕の胸の中に、佐藤が飛び込んできた。


「ど、どうしたの?」


「もうちょっと、このままで居させてください」


 佐藤は目を閉じて、僕の胸の中で三回深呼吸をした。僕はその間呼吸を止めていた。


 髪から香るいい匂い。僕の胸から背中を回る、健康的な範囲で細い腕。閉じている瞳から、くるりと上がっているまつ毛。


 僕はもう何もしてはいけない気がした。


「……そ、そそ、そろそろ離れて」


「じゃあ、最後に、ぎゅってしてください」


「そ、そんな」


「い、いいから早くしてください」


 佐藤の顔は見えないが、僕の胸から伝わる体温は少し温かくなっている。佐藤も今の状況の大変さに気が付いたらしい。


「早く!」


 僕は佐藤の言葉を聞いて、彼女に手を回す。


「もっと、ギュっとしてください!」


 言われるがまま、僕は彼女を自分に押し付ける……ことはできなかった。


「もう、さすがにまずいって! ホントに」


 僕はそう言って、佐藤を引き離した。引き離して見えるようになった佐藤の顔は真っ赤で、今にも茹で上がってしまいようだった。


 佐藤は、僕と目が合うと、左下へ目線を逸らした。


「は、早く、パンケーキ屋に行こう!」

 

 僕は逃げるようにして、体を翻した。


「……ばか。ばか壮太」


 僕も佐藤も耳まで真っ赤になっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る