「麻生優作はアメリカで名前を呼ばれたくない」

二十三

第1話 パサパサの寿司と神

「どうしてこの国の寿司はパサパサのカスカスなんだ!」

 アメリカ・ネバダ州のとある町の寿司屋で麻生優作(あそうゆうさく)は項垂れた。

 水分を失ってパサパサのカスカスになったイカ握りを摘み上げ、重いため息を吐く。私のような純日本人には、理解に苦しむほどいびつで不味くて、目を剥くほど高い寿司も、現地アメリカ人には最高に美味しいらしく、連日の満員御礼だった。午後三時前だというのに未だ待ち客が長い列を作っている。

 一体、なぜだ————。

 優作はため息をつきながら、パサパサの酢飯の上にくたびれたマグロが乗った寿司皿を、引き抜いた。

 手が、怒りでアル中のように震えだす。

 適当に切ったセンスの一ミリも感じられない形。潤いを失い、老人の肌のように乾いた表面。このマグロが一貫五ドル。ふざけるな、クソが! これが日本の寿司と思われるのが嫌でたまらない。

「らっしゃっせぇ~」

 禿げ散らかした、中国訛りの板前が、カウンターの奥から顔と歯を突き出した。どこかの漫画で見たような顔をしている。

 店員はみな寿司の握り方もわかっていない非日本人だ。訛った日本語で挨拶をしたあとは、英語で接客。

 自慢げに寿司より大きいワサビをだして、味も素っ気もないインスタントの味噌汁をサービスで出してきた。

「わっどぅーゆーわん?」

「えっ、あっ! えっと。じゃぁ、甘エビを頂こうかな」

 優作の、流暢な日本語に寿司職人が目を丸くした。

 本物の日本人が食いに来たから驚いてやがる。優作はふふんっと自慢げに鼻を鳴らした。

 昔はアメリカで寿司を握っている日本人をよく見かけたが、今では稀だ。ほとんど、現地のアジア系アメリカ人が握っている。

 優作は不快だった。

 別に日本人以外のアジア人が寿司を握るなとは言わない。嫌なのは、彼等が「私は日本人です」と堂々と偽って握ることだった。ここの奴らは平気で嘘をつく。現地のアメリカ人は、彼等の訛りまくった日本語を聞いても本当の日本人かどうかなど分からない。アジア人だったら皆同じ、酷いときには、アジア人は全員中国人と思っているやつらもいる。彼らにとっては、「アメリカ人か、そうでないか」なのだ。

 優作は、日本人が思うほどアメリカ人は日本を知らないと知った。

 彼等は寿司を握るアジア人は全員日本人だと信じて疑わない。寿司職人=日本人、という図式は彼らの脳から簡単には切り離せない。握っている職人も、その方が都合がいいから自分の国籍を隠すようにしている。

「ワタシニポンジンデスヨ」

 などとコテコテの外国語訛りで、平気で嘘を吐く。

 二度いうが、優作は日本人以外が寿司を握るなとは言わない。嫌なのは、日本人が握った寿司がブランド化されていることで、ブランドが広がれば広がるほど「日本人が握った寿司はマズい」と広められているような感じがしてならないからだ。だが、それは優作の勝手な思い込みで杞憂である。連日客が訪れるところをみると、アメリカ人に取ってはこのマズい寿司こそ美味しいのであり、我々日本人が思う美味い寿司屋は閑古鳥がないていたのだから。


 レストランの口コミで低評価をつけられる理由の一つに、「寿司屋なのにカリフォルニアロールがない」と書かれていたのを見た時、自分が寿司職人だったら「バカ舌に合わせて作ってられるかクソが!」と、プライドが許さず、さっさと日本に帰るだろうと思った。実際、帰った職人もいた。

 アメリカ人はとにかく濃い味を好む。彼らは醤油が大好きで、なんでもドボドボとつける。シャリなんかは醤油で全部黒く染まって白い部分がみえなくなっている。あれじゃあ醤油の味しかしない。

 結局、彼らは味が濃くて見た目がゴージャスで、ボリュームがあれば高評価をつけるのだ。

 優作が度々訪れていた本物の寿司屋————いわゆる日本人が握っていた寿司屋の大将は、プライドを捨ててアメリカ人の舌に合わせた「ジャパニーズ風キャリフォルニアロール」を店の定番メニューとして売り出した。おかげで店は大繁盛。連日満席になったが、優作はこの店の大将を「裏切り者」と呼んだ。

「アメリカ人に媚びへつらいやがって。お前の寿司への情熱はそんな簡単に捨てられるものだったのかよ!」

 酔っ払った勢いで大将につっかかったところ、

「アメリカで生まれた娘と家族と生活のためやねん! 現地人の味に合わせるしかなかったねん!」

 と号泣され、掴んだ手を緩めた。

「生きるため、か……」

 優作は湯のみを机に叩きつけた。茶までまずく感じる。実際、まずかった。

「ハイ、ドージョ。エビよ」

 手術で装着するような薄い手袋を着けた板前もどきが優作に寿司を手渡した。

 おやじの手に染み付いた皮膚の塩味がうまさの秘訣なのに……と、内心で毒づく。

「あ、さんきゅ、さんきゅ」

 優作はニカっと笑顔を作って頭を上下に揺らした。得意の愛想笑いは狭い日本を生き抜くための処世術であったが、ここアメリカでは稀に気持ち悪がられる。

「いただきまぁーす」

 海老をお箸でつまむ。本当は手で掴みたいところだが、この国の礼儀として素手で食べることを控えた。

 口に含んだ瞬間「うぐっ」っとなった。

 なんだ、このカスカスの海老は!? それよりシャリだ。箸で摘んだだけでパサパサと崩れ落ちやがった。

 柔らかさと光沢を失い、乾燥した米粒を見て優作は再び怒りに震えた。

 こんなものが日本人の握った寿司としてアメリカ人に慕われているとは情けない。卓上型シャリ玉機「寿司の助」でさえもっと上手に握るぞ。

「シャリがまずいっ。まずすぎるぅーっ!」

「やはり、そう思われます?」

「うわっはあーっ!?」

 優作は隣から聞こえた突然の声に驚き、椅子から転げ落ちそうになった。実際、半分落ちた。

 声の方に顔を向けると濃ゆい顔をした天然パーマの金髪碧眼男性と目があった。彼はラクダのような長いまつ毛を瞬かせ、優作を見つめていた。

 ザ・外国人にいきなり話しかけられた優作は、

「イ、イエス! ノーサンキュー。えっと、アイムソーリー! ノープログラム」

 ―と捲し立て、愛想笑いを作った。

”なんだよ、この外人。知らない人に気軽に話しかけて来るなよ!”

 そう思った直後、よく考えればここはアメリカだということを思い出した。

 外国人は自分の方じゃないかおっさん! と、脳内で自分にツッコミを入れる。

 しかし、どうしてアメリカ人というやつは、見知らぬ相手でも知り合いみたいに気安く話しかけてくるんだ? こっちは見た目アジア人で英語が話せないかもしれないというのに……彼らにはそういう気遣いがまったくない。もっと相手のことを考えてほしい。

 優作は内心、ぶつくさ言いながら、先ほどの外人のセリフを思い返していた。

”あれ? 先ほど聞こえたのは日本語だったような?” 

 いや、実は、自分はいつの間にか英語が得意になっていて、脳内で勝手に変換されていたのではないだろうか、だとすれば「やったぞ!」と、優作は思った。『聞くだけで英語がペラペラになる』の教材を毎日聞いていた甲斐があった。聞くだけで英語がペラペラなんてんなもんあるかぼけぇ! と思っていたが、あったのだ。

「彼らの味覚は一体どうなっているんでしょうね」パサパサまつげが続ける。「おそらく味は関係ないんでしょう。彼らに必要なのは珍しさと量のみ。そう思いませんか?」

「え? あえ? え? あ、あの」

 優作は慌てて唾を飲み込んだ。しかし、さっきのパサパサした寿司のせいで喉が詰まってうまく飲み込めなかった。

「に、日本語ですよね? 日本語話しておられます?」

「あれ、違いましたか? 私が人間と会話をするときはその人物の国の言葉で話すようにしているのですが、あなたは日本人ではないのですか?」

「い、イエス! アイ」

 優作は軽いパニックに陥った。否定疑問文で尋ねられたら、答えは反対になるんだったっけ。いや、そんなこと関係ないんだ。日本語で尋ねられてるんだから英訳する意味はない。

「ノー。アイムジャパニーズ」

「え? だから日本人で合ってますよね?」

 天パ外人が少々、威嚇した感じで眉根を寄せる。

「あひゃ……!」

 そういえばさっきから相手は日本語で話していたじゃないか。優作は恥ずかしさで顔が火照った。

 外国人の顔を見て話すとどうしても英語が出てしまう。英語が話せる訳でもないのに顔が外人ってだけでなぜか英語で話そうと頑張ってしまうのは日本人特有の悪い癖なのだろう。相手が必ず英語圏であるとも限らないのに英語を使う。

 英語は共通語だ。外人をみたら英語で話せば通じる、と教えてきた日本の教育が悪い。

「すいません。欧米人を見ると、なんか全部英語に聞こえてしまうんです」

「そうですか。私はまた、人間界に長くいるせいで設定が狂ってしまったのかと思いました。はははは」

「……に、人間界?」

 優作はケツを半分だけ椅子からずらし、この危ない外人からいつでも逃げられる体勢を整えた。

 まだ三皿しか食ってないが、どうせこの店の寿司はパサパサのカスカスだ。構うもんか。優作はそう考えながらもあと二皿くらいは食べておかないと失礼だろうか、さっきの偽日本人風寿司職人は以外と愛想がいいやつだったな。二皿で帰ったら、不味かったんじゃないかとショックを受けないだろうか。その時はチップを弾めばいいか。などと、またも日本人特有の要らぬ気遣いが優作の脳を占めていた。

 優作はそんな自分のめんどくさい超日本人的な性格に自己嫌悪していた。

(過剰なサービス精神を叩き込む日本的教育が悪いんだよ、このクソが! 日本はいつかそのサービス精神のせいで滅ぶぞ!)

「あなたは日本から来られたのですか?」

 天パらくだまつげが優作に聞いた。

「はぁ、まぁ、そうですが、あなたは日本語がとてもお上手ですね。訛りが全くない」

 優作は尻をもう少しだけ外へずらした。

「ありがとうございます。そう言っていただけると助かります。私は地上の人間の全ての言語を話すことが可能ですが、これは設定であり、自分ではその国の言葉を話しているという自覚はないのですよ。理屈では聞き手のあなた方が自分の言語として自動的に理解しているだけなのです」

「あ……はぁ」

 優作は口をぽかんとひらきながら情けない声を吐きだした。

 さっきからこのらくだはなにを言ってるのだ。人間界とか地上の人間とか、全ての言語だとか設定とか。まるで自分は人ではなく、どこか宇宙からやってきたような言い方じゃないか。

 そう言えば、ここアメリカのネバダ州にはエリア51と呼ばれる、エイリアン関連の施設があると噂されるが、まさかこいつ宇宙人なんてことはないだろうな。

(まさか……ね。はは)

 優作はラクダまつげを横目で流し見た。食通の日本が大好きな有名人にこんな顔がいた気がしてきた。

 大抵こういう寿司好きの日本語が堪能な変わったアメリカ人というのは、偉大な功績を残す起業家や投資家のビリオネアが多いそうで、かくいうスティーブ・ジョブスも日本の蕎麦が好きすぎて、社員食堂に蕎麦メニューを置いたくらいだ。もし、このらくだまつ毛が実はアメリカでは名高い投資家だったら、この出会いは運命かもしれない。ここで仲良くなっておけばいいことがあるかもしれない。就職先を紹介してもらえるとか。

 優作は乾ききったイカのようになった唇を一舐めした。

「し、失礼ですがあなたのお名前は?」

(覚えておいてあとでググろ)

「ああ、これはこれは。自己紹介がまだでしたね」

 ラクダまつげが白い歯を剥き出して微笑む。

「私は、神です」

「え? カミュ……さん、ですか?」

 セイン・カミュとかいう芸能人がいたな、と思い浮かべる。

「いえいえ、神です」

「えっと、それはつまり……」

 優作はいよいよ逃げる態勢でもって尻を傾けた。

「GOD?」

「YES」

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