10 愛のカタチ

あれは吐く息が白く染まり、露出している顔や手などの素肌が痛みを発するほどに寒い日の事だった。

仕事で都内へ行っていた俺は、いくつもの電車を乗り継ぎ、重い体を引きずって自宅近くに来ていた所であった。

時刻は既に23時を過ぎており、周囲を歩く人影はない。

暗く重い空気の漂う空からは、少し前からはらりはらりと白い結晶が降りてきており、それが世界を少しずつ白く染めていた。

「……積もらなきゃ良いけどな」

独り、誰に聞かせるでもなく呟いた言葉は夜の闇に消えて、俺の中にある寂しさを増やすばかりだ。

早く帰ろう。

そう決意した足は先ほどよりも早く動き、体を前へ前へと押し出してゆく。


だが、そんな風に闇の中を進んでいた俺は、不意にソレを見つけた事で足を止めた。

子供である。

白い着物を着た子供が、広場の前にある浅い階段の前で寝ているのだ。

俺は思わず駆け寄って、その少女の肩を叩いた。

「おい。大丈夫か?」

返事はない。

だが、呼吸を確認すればまだ息があるようであった。

一瞬救急車を呼ぶか迷ったが、少女の僅かに開かれた瞼から俺を見つめる瞳が、『俺に』救いを求めている様で……。

俺は少女を抱きかかえて家に向かって走るのだった。


少女は、家賃三万円のボロアパートに帰ってくる頃にはすっかり目を覚ましており、ガラス玉の様な透き通る瞳で俺を見つめていた。

「大丈夫か? 痛い所とか苦しい所はあるか?」

俺は少女を畳の上に座らせてから少女にいくつか問うたが、少女からの返答はない。

ただ静かに俺を見つめているだけだ。

そんな少女にどうすれば良いか分からず、何か欲しい物は無いかと問うと、少女は唇を僅かに動かして……薄く微笑んだ。

どこか冷たく、まるで氷の様な笑みだ。

その笑みを見ていると、俺は何故か体が凍り付いた様に動かなくなり、少女から目を離す事が出来なくなる。

「……わたし、欲しい物があるの」

少女の僅かに開かれた口から零れる言葉は、無機質で、冷たく、どこか寒々しい。

「やさしい人が良いわ。でも、やさしすぎてはダメ。溶けちゃうから」

「お前、は」

俺はようやく動いた口で、少女に問うた。

そして少女は畳の上に立ち上がりながら、俺を見つめ、再びその小さな唇を動かして音を紡ぐ。

「わたし? わたしは、雪おん、な゛!?」

「……は?」

俺は着物の裾を踏み、勢いよく転んだ少女を見下ろしながら、ようやく解放された体で間の抜けた声を出すのであった。


そう。これがお雪との出会いであった。

「いやぁ、懐かしいな。お雪」

「わたしとしては、早急に! お忘れいただきたいのですけれども」

「ハハハ。では……死ぬまで覚えていよう」

「このっ! こんの! 意地悪!」

「ワハハ。良いじゃないか。そそっかしいお雪らしくて」

「何が良いんですか。私はあのせいで山に帰れなくなってしまったんですよ! どう責任を取ってくれるのですか! ホロホロ」

「泣いているのか!? お雪」

「えぇ。えぇ。泣いておりますとも」

「泣いて! いるのなら! 涙が水晶となっているはずだ。どこだ? どこに落ちた」

俺はすぐ隣で泣いているお雪を抱えて移動させ、畳の上に転がっているであろう水晶を探した。

が、見つからない。

「おかしいな」

「おかしいのは貴方様でございます! 愛する嫁が泣いているというのに! その涙で出来た水晶の方を優先するとは! 愛はどこに消えましたか!?」

「愛はここにあるさ」

俺は自分の胸を指さしながら笑う。

が、お雪は納得が出来ないと俺を睨みつけるのだった。

「ふぅーん」

「なんだ? その顔は」

「では、昨晩はどちらに?」

「そりゃお前。美紀ちゃんが会いたいって言うからデートに行ってたぜ」

「浮気じゃないですか!」

「違う! 美紀ちゃんは適当に褒めて、適当に抱けば金くれるATMみたいな子だ。浮気じゃない!」

「ひどい……!」

「なんとでも言え。俺はこうやって生きているんだ。だいたい雪女は愛した男を氷漬けにして山に連れて行くんだろ? 俺と大して変わらないじゃないか」

「どこが! 全然違いますよ! わたし達は愛! 貴方はお金でしょう!?」

「どこに違いが?」

「全然違うでしょうが!」

俺はお雪の言葉に首を傾げながら携帯を弄って通販サイトを開いた。

「おぉー。俺たちの愛が五千円で売れたぜ」

「私の涙水晶売ったんですか!?」

「当然」

「この! くず! くずぅ!」

「わはは。これで今日は良い飯が食えるぜ」

俺は笑いながら、お雪の頭を撫でる。

以前よりも得られる金は減ったのに、何故か満たされている心で。

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