吾輩は探偵助手である。

歩似矢 犬尾

時計台

 十二月某日。吾輩わたしは今、探偵と行きつけの喫茶店に来ている。

 探偵はいつものようにカウンターの奥に居る店主に軽く挨拶をして、ほとんど指定席になっているテラス席へ向かう。……吾輩わたしも渋々ながら探偵についていく。なにもこう寒いのに、わざわざテラス席に座ることはなかろうに……。

 テラス席からは街のシンボルになっている大きな時計台がよく見える。この時計台は探偵が依頼人との待ち合わせによく使う。故に、この喫茶店で珈琲を飲みながら、依頼人を待つのが探偵の日課になっている。

「いらっしゃいませ。ご注文はいつもの珈琲でいいですか?」

 探偵が席につくと、ウェイターの女の子が注文を取りにやって来た。この女の子もすっかり顔馴染みだ。

「うん、いつもの。それと……」

 探偵は身に着けていたマフラーを外すと、無造作に隣の椅子の座面に置いた。そうして、暖かい店内で足踏みをしていた吾輩わたし一瞥いちべつし、続けて言った。

「相棒にミルクを」

 吾輩わたしは、注文には異議がない事を、にゃあと小さく伝える。

 ウェイターもこちらを見て、吾輩わたしに対して小さく手を振った後、探偵に聞いた。

「寒いですね。ミルクは温めますか?」

「いや、彼は猫舌だからね」

 探偵はウェイターの問に笑いながらそう返した。冬場に限ってだが、このやりとりも馴染みのものだった。……吾輩わたしとしてはあまり面白くはないのだが。

 そうしていつものやり取りを終えると、

「しばらくお待ちくださいね」

 とウェイターは言い、店の奥へ戻って行った。吾輩わたしはそれを見送った後、諦めてマフラーのある椅子の上にひょいと飛び乗った。

 先ほどまで探偵が身に着けていたマフラーは木製の椅子と比べると随分と暖かい。       

 つい先週まで探偵がジャケットすら羽織っていなかった事が嘘のように思えた。通りを飾る街路樹達も血相を変え、慌てて冬支度を始めていた。

 ふと、探偵を見る。彼は時計台の方を見つめていた。吾輩わたしも同じように時計台の方を見る。時計台の足元に若い男が立っている。見たところ待ち合わせのようだった。

 探偵もそれを見ていたようで、

「恋人と待ち合わせかな?」

 と、吾輩わたしに話しかける。

 よく見るとその男は後ろ手に赤い花束を持っていた。まぁ、十中八九待ち合わせの相手は恋人だろう。

 探偵も吾輩わたしもしばらくその男を観察していた。探偵がよく口にする言葉を借りるのならば、『人間観察は職業病』だそうだ。

「お待たせしました」

 そうしているうちに、ウェイターが珈琲とミルクを持ってきた。ウェイターは珈琲を探偵に、そして、

「はい、トムさん」

 と言いながらミルクを吾輩わたしの前の机の上に置いた。……略称で呼ばれるのはあまり好きではないのだが。

「ありがとう」

 探偵はウェイターに礼を言い、時計台の方を再び見ると、運ばれてきた珈琲を少し飲んだ。

 吾輩わたしはというと、まだミルクに手をつけず、くだんの男を見ていた。それに気がついたウェイターが、

「あの方、今日は大切な記念日だそうですよ」

 と探偵に言った。

「へー……。知り合いなの?」

「昨日お店にいらっしゃってました。マスターとお話してるのを聞きまして」

 ウェイターは申し訳無さそうに答えた。

 それを聞いて探偵は、

「なるほど……」

 と、予想外の所から出た答えに、驚き半分、納得半分といった感じに呟いた。

 一方でウェイターは、

「人間観察は当たっていましたか?」

 と、嬉しそうに、また、得意げに探偵に聞いたのだった。

「まぁ、概ね正解だったよ」

 と探偵は言った。それを聞いたウェイターは、「ふふっ」と微笑んで、

「どうぞごゆっくり」

 と言い残し店内に戻って行った。

 そこで吾輩わたしはようやくミルクに口をつける。

 探偵はと言うと、

「どんな人を待っているのかな」

 と、珈琲を片手に再び、時計台の男を眺めていた。

 冷たい風が通りの落ち葉をさらい、吾輩わたしの鼻をかすめていく。少しは温めて貰えば良かったと、冷たいミルクを飲み終えてますます冷え切った体を丸めて思った。

 しばらくして、探偵が言った。

「先に僕の待ち人が来たようだ」

 そう言った探偵の気配を耳だけで追う。探偵は会計を済ませるために店内に入った様だった。次に吾輩わたしは体を丸めたまま、顔だけを動かし、時計台の方を見る。依頼人らしき人物が肩を高くし、風下を向いて立っているのが見えた。

 そうしているうちに、会計を済ませた探偵が通りから、

「僕は行くよ。君はどうする?」

 と、吾輩わたしに聞いた。吾輩わたしは首を動かし、探偵にここに残ることを伝えた。探偵は頷き、

「寒いから遅くならないようにね」

 と言い残し、小走りで時計台に向かって行った。

 再び時計台の方を見る。探偵が依頼人と挨拶を交わす様子が見えた。

 ……さて。吾輩わたしはあの男が待っている恋人が、どんな人物なのかを見届ける事にするとしよう。

 持ち主の居なくなったマフラーの上で、春を待つ新芽のように。


 時計台の鐘が鳴った。

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