第1章4話 イカレ帽子屋──The Mad Hatter

 春先にもかかわらず、その薄暗い部屋では暖炉だんろが赤々と燃えていた。

 火勢にされておきがくずれ、その中から生まれ出た新たな炎が紅蓮ぐれんの舌でめつくしていく。


 屋敷の主は、かつて別人だった。


 ゴードン・バルキーズと呼ばれた貴族──奴隷商として財を築き、交易町リビドでも名士として知られた子爵ししゃくは、半年前、廃鉱はいこう崩落ほうらくって命を落としたとされる。


 彼の死後、廃鉱に集められていた乙女たちの遺体が百体近く発見され、平和な町は一転、子爵の凶行きょうこうに震え上がった。


 そんな事情で手放された──そこは、かの子爵の屋敷だった。


 リビド郊外こうがいにある大きな屋敷は閑散かんさんとしていた。

 いたるところに蜘蛛くもの巣が張り、かつては豪奢ごうしゃだった家具も絨毯じゅうたんほこりを被り、大理石の床はひとの行き来も忘れて死んだように冷たくなっている。


 その廃屋はいおくのような屋敷の応接室に、少女はいた。


 ツインテールにした赤毛の髪に、フリルのリボン。

 シックな黒いワンピースは、陶磁とうじのブローチでめたリボンタイのえり元や、ゆったりとふくらんだパフスリーブスのそで口、ひじまで伸びるシックな手袋にいたるまでフリルをあしらったかわいらしいものだが──……着ている本人の表情は全然違った。

 感情というものをそぎ落としたかのような、完璧な無表情。


 十二歳という、メイドと呼ばれるにはおさなすぎるような年齢の少女のことを振り返って、小洒落こじゃれた貴族服の青年がおもしろげに言った。



「──どう思う、リデラート?」


「……どうとは?」


「今の話だよ。この研究者さんの話」



 言って、応接セットの対面に座る白衣の人影に向けてあごをしゃくった。


 応接テーブルには、場違いな湯気を立てる紅茶が二客、置かれていた。全身真っ赤な貴族服を着た青年と、対面のソファに座る白衣の研究者の分。

 秘密の会合かいごう場所として、これ以上に似つかわしい場所もあるまい。


 会合場所をここに指定したのは青年の方だった。

 燃えるような赤毛を首の後ろでまとめ、真っ赤な貴族服を着た青年──ミヒャエル・レイモンド伯爵はくしゃくは、にっと笑みを引いた。



「──ノワールの実験体が生きてたって話、さ」



 二年前に亡者の侵攻によって滅んだ王国の──極秘裏に研究されていた「実験体」。

 リデラートは、完璧な無表情からほんのわずかに眉をひそめた。



「……眉唾物まゆつばものでは? ノワール王国は一夜にして全滅したと記録されて──……」


「全滅……は違います。ノワールの英雄──防国の双璧アスター・バルトワルドの生存が話題になったのは知っているでしょう?」



 白衣の研究者が、リデラートのげんを静かに訂正ていせいする。

 リデラートはコホン、と咳払せきばらいした。



「…………あくまでも『記録上は』です」



 公式の記録と、実際の事実が違うということは、往々おうおうにしてある。


 旧ノワール王国の誇った英雄──アスター・バルトワルドが生きていて、グリモアの王女カトリーナと相棒契約パートナーシップを組むはずだったのは、周知の事実だ。


 先のグリモア国王治政三十周年式典で公式に承認される予定だったが、その式典当日に、グリモワール三世の暗殺事件が勃発ぼっぱつ。王城内に亡者がく事態となった。


 結局、首謀者しゅぼうしゃだったエヴァンダール王子は生涯しょうがい幽閉の身となり、新国王レオンが即位して、事態は一応の収束を見たのだが──



「アスター・バルトワルドだけじゃない。その数ヶ月前には、この交易町リビドでも廃鉱崩落事件が発生して、百体近くの乙女の遺体が発見されました。首謀者はこの屋敷の主人だったゴードン・バルキーズ子爵と世間では言われてるけど……──」


「──……真の首謀者はそうじゃない」



 言葉尻ことばじりを引き取って、ミヒャエルが言いきる。

 それは、世間には決して知られていない、事件の真相を知っている証左あかし


 研究者の眉がピクリと動いた。 



「……知っていましたか」


「生前のゴードン・バルキーズ子爵とは親交があってね。この屋敷の鍵も、その経緯で借り受けた。……まさか彼の死後に使うことになるとは思わなかったが」



 クツクツ、とミヒャエルはわらう。



「生前のクロード王子とも面識あったよ。ゴードン・バルキーズ子爵はクロード王子に協力して亡者を量産し、世界各地に輸出するつもりだった。引き換えに、ノワール王国を再建するときには協力すると約束して、ね。……だが、実際に利用されていたのはバルキーズ子爵の方さ。クロード王子の方には、バルキーズ子爵の野望に協力するつもりなんかさわさらなかった。──彼の本当の目的は死んだ婚約者──ルリア・エインズワースをよみがえらせることだった」


「…………」


「おっと、どこでその情報を手に入れたか、なんて野暮やぼなことは聞かないでくれよ。こっちにもそれなりの情報網はあるんだ。──ねぇ、リデラート?」


「イエス、ご主人様マスター



 ミヒャエルにこたえて、リデラートはまつげを伏せる──主人の要望に応えるのがメイドじぶんの務め。

 研究者の方も、それ以上は追究しなかった。



「……しかし、なるほどね。アスター・バルトワルドにクロード王子。ノワール王国の生き残りも存外いたわけだ」


「だからといって、そう都合よく実験体が生き残っているなんて考えられません。ノワール王国が秘密裏にやっていた研究は研究資料もろとも散逸さんいつしてもはや手に入らないはず──……」


「めずらしくねばるねぇ、リデラート。それとも何だい、実験体が生き残ってちゃいけない事情でもあるの?」



 ミヒャエルの言葉が終わるか終わらないかといううちに──

 ブツリ……と、リデラートの理性が焼き切れた。


 冷徹れいてつな彼女にもしも血がかよっていたら、頬をカッとしゅに染めたことだろう。

 リデラートは革靴ローファーり上げた。あと髪の毛一筋でミヒャエルに届くところで我に返った。



(しまった……っ!)



 革靴の靴底が主人に当たりかけた、その姿勢のまま微動だにできず、彫像のように固まる。



「も、申し訳ありません……」



 ミヒャエルは視線だけで少女を見た。

 その顔に笑みはなく、少女に向けて真剣な眼差しを向けている。しみじみと言った。



「……リデラート、」


「はい」


「……………………パンツ見えてるよ」



 ゴッ! というものすごい風切り音がした。


 足を蹴り上げたまま固まっていたメイドメイド服の少女が、革靴を蹴り抜いた音。

 その動きを予期していたミヒャエルがかろうじて回避する。



「危ないな。主人に向かって蹴り抜くか、普通?」


「お望みであれば忘却レテの河の向こうまで蹴り飛ばします」


「魂送りじゃなくて殺人予告だからそれ!」



 ソファのクッションをもって、ミヒャエルは防御姿勢をとっている。


 リデラートは自分に言い聞かせるはめになった。

 このひとはご主人様マスター、このひとはご主人様マスター、このひとは──……幼女趣味でド変態であってもご主人様マスター


 ソファに座っていた研究者が、うろんげにたずねた。



「大丈夫、なんですか……?」


「うん、まぁ。仕事はやる子だから」



 さっき殺人予告までされたのを棚上たなあげして、ミヒャエルは軽い口調で言う。

 ひょうひょうとした軽薄さ──それこそがこの男の真に恐ろしいところだった。


 マフィアの元締もとじめの殺人依頼だろうと。時価数億のダイヤの強奪依頼だろうと。気に入った依頼はことごとく引き受け、成功させる。

 反面、気に入らなければ依頼人を殺して依頼自体をなかったことにしてしまう──その気まぐれな狂気。


 この男の裏の顔を知る者は、こう呼ぶ──赤い帽子に貴族服、燃えるような赤毛のイカレ帽子屋マッドハッター


 屋敷の元々の持ち主──ゴードン・バルキーズ子爵が亡者の大量生産と輸出という野望を抱いたのも、彼の暗躍があってこそ。



「さて、報酬ほうしゅう次第じゃ何でもやるけどね。このボクに何をさせようっていうんだい。ノワールの『三人目の生き残り』さん?」



 ミヒャエルの指摘に、リデラートは目をみはった。

 いったいどこまで情報をもっているのか……。

 仕えているリデラートにさえ底が知れない。


 来訪者らいほうしゃたる白衣の研究者も驚いた様子で……けれど、否定はしなかった。

 アスター・バルトワルド、クロード王子に次ぐ──「三人目の生き残り」。


 どうやって正体を見破ったのか、とも言わない。

 ただ確信を深めて、静かに、その言葉を口にした。



「──旧ノワールの実験体を手に入れてほしい」



 不死の軍隊を作る研究の──その実験体。

 円と無限大の刻印しるしを刻まれたその子どもを……。


 赤毛のイカレ帽子屋マッドハッター──ミヒャエルはにっとほくそ笑んだ。



「…………引き受けた」

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