ふりだしに戻る裸の巨人
東郷夫妻、日本に帰国。
この帰国は私的なものとして報道各所には完全に秘されていた。
1シーズンが丸々休みとなったこの一年は、日本を拠点に移す。外せない用事が出来たらアメリカに戻るという予定で動くつもりでいる。
そして二人が最初に向かった場所は──。
「母さん、ただいま」
「お義母さん、ただいま」
東郷家、玲の実家。隣は咲の実家である。
出迎えた玲の母は玲の顔を見るなり、抱きしめてきた。
玲への銃撃事件は日本でも大きく報道されていた。電話口でも玲は自身の無事を家族に伝えていたが、実際に会って無事を確認できたのは今日が初めてだった。
我が子が撃たれるという報を受けた直後、家族の誰もが頭を殴られたような衝撃を受けて呆然としてしまった。無事の知らせを本人の口から聞いても、不安は拭えなかった。
直接顔を見て、ようやく安堵ができた。
「心配、かけて、もう」
「ごめん」
──ただただ、親不孝の息子は謝るしかできなかった。
「ホテル暮らしだなんて。ウチで暮らせばいいのに」
「わかるだろ?」
「……まあ」
玲と咲の新たな日本の拠点は長期間借り切ったホテルにした。
そうした理由を、母は察する。孫の顔を見れるのも時間の問題という朗報だった。
「それに、日本だからって安全とは限らないしな」
「そんなまさか」
「俺の勘」
「あら物騒」
玲の勘の精度の高さを知っている家族の一人としては、由々しき事態だった。
「まあ、直接仕掛けてくるってヤツじゃないと思う。精々が監視止まりかな」
時たま視線を感じる程度の感覚。鬱陶しいが、わざわざ探し出して藪を突く程のことではない。
あくまで所在を探る程度。流石に日本で仕掛けてくる度胸はないということらしいと玲は結論づけた。
「日本にいるって言っても、ちょいちょい仕事したりするからな。まるっきり暇ってわけじゃないよ」
「折角のお休みなのに仕事なんて」
「俺の立場になるとね、仕事を作ることもしなきゃいけなくなるのよ」
「生意気なこと言っちゃって」
我が子の成長に母は涙が出てくる。最近は涙腺が緩くて仕方ない。
ただただ野球が上手くなることばかり考えてきた子供の頃とは見違えてしまっている。
立場が人を育てるというが、息子も立派になっている。嬉しい思いと寂しい思いが同居して、母は複雑な思いを抱いていた。
「とはいえ、当面は休みだけどな」
「しまらない夫だこと」
「しまらない息子だこと」
「ほっといて。俺も休みたいの」
休みたいのは玲も同じ。降ってわいた休日なのだから、休まなければ損というものだった。
東郷家朝日家共に、ヒエラルキーの上位は女性陣であり。男はとかく無力である。
「はいもしも──『なんだニックか』」
『なんだじゃないですよ、黙って日本に行っててビックリしたじゃないですか』
実家で休んでいると、ニクソンから電話が掛かってくる。
そういえば言ってなかったなと俺は今更ながらに思い出した。
『そりゃひっそりと行きたかったんだから黙ってないと意味ねえじゃねえか』
『俺に黙ってる必要ありました?』
『一応、狙われてる身なんでね』
『全然狙われている感がないですけどね』
『うるせえ』
ぎゃーぎゃー騒いで狙われなくなるんだったらいくらでも騒いでやるっての。そうじゃねえから落ち着いているんだって。
むしろ怯えているから図に乗らせる。堂々としていればどうってことはない。
『……チームの様子はどうだ』
『変わりはないです。ただ、実戦勘を鈍らせないようAAAのチームと紅白戦をしたりと色々やってはいますが、来シーズンまでモチベーションが持つかどうかは別ですね』
『一年の空白はでかいから無理もない。腕を鈍らせない程度に練習する程度でいい。勿論、下手糞になったヤツは容赦なく切るが』
『わかりました。個人の裁量に任せると伝えておきます』
『自己管理もできねえヤツなんかいらないからな』
スポーツエリートの最低限の基準は、自己管理能力があるかどうかだ。
この空白の一年は、メジャーリーガー全員が試されていると言っていい。輝かしい表舞台に立つために、どれだけ己を研鑽し続けられるかを要求されている。
無論、無理のし過ぎも余計な怪我を招く。何事も、バランスが大事だ。
『というかズルいですよ。俺も日本に行きたかったです』
『お前人気者だから来るな。俺の影が薄くなる』
『んなワケないでしょうが。……わかりましたよ、帰って来る頃には練習サボってるアンタの球をホームランに飛ばす程度には腕上げていきますよ』
『それなんて言うか知ってるか?不可能っていうんだよ』
そもそもトレーニングはサボってねえしな。
『俺は日本でメジャーのイメージアップをやるから、そっちはそっちで頼んだぞ』
メジャーの不祥事といえるこれは日本でも大きく報道されている。
球団が信用できない、日本人選手を日本に連れ戻せなど意見があるが、そうなったら俺は行く宛てなくなるんだよな。特別殿堂が解消されてないから。
で、狙われた俺が日本で変わらない様子を見せれば大丈夫だって信用を得られるはずだ。
……なんで被害者の俺がこんなことやってんだろうな。
『渦中の人間がなんか言ってる』
『被害者だっつーの俺は』
俺に非は一切ないっていうのに。俺が原因みたいなことを言いやがって。
野球が上手すぎて難儀するってこの状況自体が間違っているだろうが。
俺は妥協を許さず完璧を目指してプレーをして、結果を出し続けてきた。それは本来称賛されるべきことであるはずだというのに、疎まれている。
ただただ、失望だよ。
『篤が来るのを待つさ。この一年を待てばようやくだ』
『そうですね。多少はマシになると思いたいです』
今は野球留学でアメリカにいる篤が、俺たちの希望と言っていい。たかが高校生の小僧に良い大人の俺たちが勝手な願望を抱いているのが間違いであるだろうが、このメジャーの状況自体がおかしいのだ。
洒落抜きで、篤が希望なのだ。
『篤の様子はどうだ?元気してるみたいか?』
『ええ。顔を見に行ってますが元気でしたよ』
『アメリカの土地柄に慣れてきたってところかな』
『順応性高いですよ。英語も通じますし』
『お前みたいに?』
『そっすね、日本でプレーしたいっすね』
『この野郎』
今の所、順調と。勘も篤は問題ないと言っている。
となればこの一年は完全に充填期間だな。
『日本に来たきゃ仕事取って来いよ。じゃあな』
『言いましたね?言質取りましたよ。では』
電話を切る。向こうの様子は大丈夫という情報を得た。
……なら、心置きなく、休むとしますか。
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