中編

 夕飯を完成させた礼佳は、彩佳の帰宅を待ち侘びていた。


「彩佳め~、あんな奴のことを気に入るなんて、お姉ちゃんは許さねぇぞ。今日は彩佳の嫌いな野菜を多めにしてやったぜ」


 冗談混じりにぷんすか怒っていると、自宅の固定電話が突然鳴り響いた。礼佳はサッと受話器を取る。


「はい、明円です」


 受話器の向こうからは男の声が聞こえる。男は警察の者だった。


「はい、はい……、えっ……!?」


 礼佳は電話の内容に愕然とする。

 電話は、彩佳が交通事故に遭ったという報だった――。



 暗く静かな病院の中、彩佳は手術室に入っていた。

 礼佳はその前の待合室にいる。

 時が止まったかのような重い静寂の中で、礼佳は泣き崩れる。


「彩佳を……守りきれなかった……! あの時……誓ったのに……!」


 礼佳は血が出るほど強く手を握り締め、そしてあの時の『決意』を思い出す。


「あの時……? あの時って……なんだ……?」


 礼佳の過去が走馬灯のように頭を駆け巡る。その過去とは、礼佳の本来の姿を思い出させた。

 礼佳は病院の外へと駆け出す。


「全てのモノたちよ……! お願いだ……! 彩佳をひき逃げした犯人を教えてくれ……!」


 心の奥底から、モノたちに助けを請う。その姿は、人間を逸脱した何かだった。

 周囲の様々なモノたちが礼佳の呼び掛けに呼応する。


『『『『『――こっちだよ、礼佳ちゃん』』』』』


 礼佳はモノたちの指し示す方向へと足を走らせた。


          *


 翌日。

 生徒たちで賑わう学校の教室。その中で、知は一人、窓から空を眺めていた。

 季節は六月の半ばということもあり、少々暑い。学校の生徒は長袖から半袖へと変わっていた。


 知は何とはなしに、隣の礼佳の机を見る。

 礼佳は、今日はまだ来ていない。

 もうすぐ朝のホームルームだ。知が知る限り、礼佳は遅刻をしたことがなかったので、まだ学校に来ていないことが珍しかった。

 しばらくして、担任の教諭がやってきた。

 生徒たちは各々の席に戻り、静かになる。

 クラス委員長が号令をかけた。


「あー、おはよう。実は昨日から明円の行方が分からなくなっていて、捜索願いが出された。その前に妹さんがひき逃げ事故に遭ったとのことで今も入院している。もし何か分かる者が居たら――」


 担任の教諭が驚くべきことを口にした。

 知は勢いよく立ち上がる。そして、


「――失礼します!」


 一目散に教室から駆け出した。


「お、おい! 物江!?」


 背後からは、吃驚した教諭と生徒たちの声が聞こえたが、それらを無視し、急いで自宅の神居堂へと向かった。



 神居堂の店内で、息を切らした知が、村正と向き合い、会話をしている。


「それはマズいな。荒神こうじんになった可能性が高いぞ」


 村正の頬に一筋の汗が垂れる。顔付きは非常に険しい。その顔付きは、現在の事態の深刻さを表していた。


「今すぐにでも見つけないと!」


 知は外に駆け出し、大きく息を吸い込む。


「……この街の、生きとし生けるモノの皆さん! お願いです、ぼくに力を貸してください……!」


 知は誰もいない住宅街の一角で、静かに語り掛け出した。


(礼佳さん、モノの声が聞こえるのはあなただけじゃないのですよ。モノの血が流れてるぼくにも聞こえるのです――)


 知の呼び掛けに周囲のモノたちがざわつく。そして、しばらくした後、


『応――!』

『応――!』

『応――!』

『応――!』

『応――!』


 たくさんのモノたちが知の呼び掛けに呼応した。


          *


 ゴミだらけの汚れたアパートの一室。一人の男がケータイで電話をしている。


「いやぁ、参った参った。ひっさびさに人を車で撥ねちまってよ。あん? そうそう、誰にも見られなかったから即行その場から逃げたよ。当たり前じゃん。そう言えば俺、人を撥ねたのはこれで二回目なんだけどよ、前の時はなんか無駄に幸せそうな家族連れだったなぁ。ガキだけが助かったんだけど、その時ガキが持ってた人形が印象深くてさ。ありゃ、マジで気持ちが悪かったぜ。ははははは」


 ブツン。


 突然ケータイが切れ、家の電気が消える。


「なんだぁ? ブレーカーでも落ちたか?」


 プルルルルルルルル。


 男のケータイに電話が掛かってくる。


「クソッ! こんな時に誰だよいったい」


 男は苛立ちながら、荒れた手付きで電話に出る。


「もしもし、わたしメリーさん。今あなたの家に向かっているの」


 その声は感情が含まれておらず、まるで機械音のようだった。


「はぁ!? 誰だよお前!? 」


 ブツン。


 電話が切れる。


「なんだぁ、今のふざけた電話は……」


 数瞬後。


 プルルルルルルルル。


 再び電話が掛かってくる。


「もしもし!?」

「もしもし、わたしメリーさん。今あなたの家の玄関の前にいるの」

「何がメリーさんだ! ぶっ殺すぞテメェ!?」


 ブツン。


 こちらの応答には答えず、言いたいように言われ、切られる電話。

 男の苛立ちは頂点に達する。


「玄関の前にいるだぁ? もしかしてイカレ野郎か。上等だ。こっちから出向いてやるよ」


 男は電気を点けないで、スマートフォンの明かりだけを頼りに、玄関の前まで行く。

そして、玄関の扉を開けると、そこには誰もいなかった。


「……んだよ。誰もいねーじゃねぇか」


 僅かながらホッとする男。


 プルルルルルルルル。


 しかし、再び電話が掛かってくる。この時、男には恐怖心が芽生え始めていた。

 男は恐る恐る電話に出る。


「……もしもし?」

「もしもし、わたしメリーさん。今あなたの家の中にいるの」


 ブツン。


 それを聞いた男の恐怖は、いよいよ持って本当のものとなる。

 震える体を押さえながら、ゆっくりと、先ほどまでいた部屋へと戻る。

 部屋に着いたと同時に掛かってくる電話。

 恐ろしいと思いながらも電話に出る。


「…………」


 ここまで来ると、男はもう無言になるしかなかった。そして――


「もしもし、わたしメリーさん――」


 突如背後で、何者かの気配を感じ、おずおずと背後を振り向く。




「今あなたのすぐ後ろにいるの」




 背後にはナイフを持った球体関節人形の姿があった。


「うわあああああああああああああああああ!!」


 球体関節人形、メリーに肩を刺される男。傷は深いらしく、血がドバッと噴き出した。


「彩佳を傷つけたお前を、あたしは絶対に許さねぇ……!」


 メリーは憤怒の表情で、男を睨め付ける。その表情に、哀れみは一切なかった。


「た、助けてくれぇ……!」


 怯えて命乞いをする男だったが、メリーはそれを聞かず、とどめを刺そうと近付く。

 すると、目の前に見知らぬ子供が現れた。

 子供は玄関から突入してきたようで、その様子から人間ということが窺える。


「見付けましたよ! 馬鹿なことはやめてください!」


 その言葉を聞き、メリーの眼球がぎょろりと動く。視線の先は子供にあった。


「お前もこいつの仲間か……? だったら今すぐ殺してやる……!」


 メリーが強烈な殺意を子供に向ける。

 メリーは子供を刺し殺さんと、大きく跳躍した。

 しかし、子供は、それを僅かに躱す。

 そして、メリーの背後を取ると、頭から押さえ付け、そのまま外へと連れ出した。

 外は陽も沈み、夕闇が迫っていた。


「知! 大丈夫か!?」


 子供は着物姿の男に知と呼ばれた。

 着物姿の男は知に駆け寄る。


「大丈夫です、村正!」


 着物姿の男は村正というらしい。


「放せッ!! あたしはメリー! アイツを殺すんだアァ!!」


 メリーは知の腕の中で暴れ回り、羽交い絞めを解こうとする。

 その光景があまりに恐ろしくて、思わず泣きながら、手を合わせてしまう。


「付喪神になると、自分がモノであることを忘れるとよく聞きます。悪い形でなのが残念ですが、礼佳さんは思い出したようですね。自分が付喪神だということを!」


 メリーの暴れようはどんどん酷くなり、もはや手が付けられないところまで行っていた。すると、メリーの体に異変が起きる。


「マズい! 歪みが生じた! 壊れるぞ!」


 それを聞いた知は、メリーの体を解放する。

 

 メリーの体が眩い光に包まれた。


 しばらくして光が収まると、メリーの体は異常に変化していた。


 体は金属質となり、大きさは人のそれと同じになっている。体全体に刻まれた幾何学模様が不気味な印象を抱かせた。


 その姿はもはや球体関節人形ではなかった。


「損壊――。それは、付喪神となった物の暴走変身――」

「あたしの邪魔をする奴はみんな殺す! 彩佳が味わった痛みを、お前にもたっぷりと味あわせてやる!」

「……どうやら話し合いでの解決は無理なようですね。分かりました。あなたには力づくで分からせてあげます」


 知がメリーに強い眼差しを向ける。


「来い、村正!」

「おおおおおおおおおおッ!!」


 知の呼び掛けに村正が咆哮する。


「江戸時代、徳川家に仇をなした妖刀、村正を知っているか? 幾人もの血を吸った呪われた刀――。それがオレだ……!」


 そう言ってにやりと笑う村正。

 そして、その姿を白煙で包むと、やがて真の姿を表した。

 そこには煌びやかな日本刀が鎮座していた。

 知は村正を手に取る。


「勢州桑名住村正――いざ、推して参る!」


 村正が眩い光に包まれ、その形状を徐々に変えて行く。

 村正は透明度の高いガラスのような刀身になって行き、そして、大きく爆ぜた。

 爆ぜた後からは、光の翼が顔を覗かせる。翼は一つに重なり、大きな剣となった。


「村正の損壊は特別で、変身というよりは変形に近い――。理性を保ったまま力を振るうことが出来る。さぁ、その刃で全てを斬り裂け、村正!」

「煌めく刃は物江 知と共に――」


 攻撃態勢へと移った知は、ゆっくりと眼鏡を取った。


「悲しき哀れな人形よ、その怒り――全て俺が受け止めるッ――!」


 初撃はメリーからだった。


 メリーは鋭い爪で知の体を切り裂かんとする。知はその攻撃を後転で躱し、勢いをつけると、横腹目掛けて蹴りを放った。

 蹴りはメリーに直撃したが、ダメージを与えた様子はなく、さらなるメリーの攻撃を許す。メリーは上から下へ、下から上へ、燕返しのような攻撃を放ち、知に少々のダメージを与える。知は胸部に軽い切り傷を負った。


 知は村正を握り直し、体勢を整えると、横一閃を放つ。しかし、メリーは軽躍で躱し、空中で回転蹴りをかましてきた。知はまたしてもダメージを負うが、メリーが地面に着地する瞬間、股下から斬り上げる。


 さすがのメリーもこれにはダメージを受け、鼻先に斬り傷が出来た。

 戦いはお互いに一歩も譲らない。


「損壊によって暴走変身した付喪神には、弱点がある。そこを突けば礼佳は元の姿に戻る――」


 メリーの次なる一撃は、右から左、左から右への二連撃だった。知はその場で屈み込み、攻撃を回避すると、メリーに向けて、足払いを仕掛ける。


 しかし、メリーは知の足払いを難なく躱し、出足払いを仕掛けてきた。知はメリーの出足払いを食らい、前のめりに倒れ込む。そして、その僅かな隙は、知に大きなダメージを与えた。知は既のところで致命傷を避けたが、左肩に創傷を負う。


「……グッ!」


 村正を片手持ちになってしまった知だが、ここにきてメリーの攻撃は勢いを増す。知の全身を狙った攻撃は、とどまることを知らず、知の体にいくつものダメージを与えた。


 ダメージの重さからか、知が苦悶の表情を浮かべる。


 知は村正を杖にし、立っているのがやっとの状態だ。

 そんな劣勢状態の中、突如村正から声が聴こえる。


「知、核が分かったぞ!」

「遅いぞ、村正……」

「そう言うな、礼佳の核は腹部だ! そこを狙え!」


 村正のその言葉を聴いたと同時に、メリーの目付きが鋭くなる。その目付きには必殺の意思が込められていた。弱点を気付かれたことにより、メリーは渾身の攻撃を仕掛ける気だ。


「――来いッ!」


 メリーは大きく跳躍して、ドリルのように高速回転する。爪先の照準は知だ。

 知はそれを真っ向から受け止めると、致命傷すれすれで攻撃をいなす。メリーは勢い良く地面に突き刺さった。見動きが取れず、慌てふためくメリーだったが、時は止まってくれない。知はメリーにゆっくりと近付く。

 そして、知はメリーの腹部を、村正で優しく貫いた。


「神から神へ。あるべき姿に還れ――」

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