第26話 第四階層の野火

 ヘルメットに石灰電池をつけて、大洞窟ジンの第四階層を行く、吉田先生、私・千石片帆、そして寧音さんの順で歩きます。つけ加えるならば、寧音さんが放った使い魔の管狐くだぎつねさんが斥候として、私達三人の前方を駆けています。


 地下通路の角を曲がったところで、突然――

「うわっ」「きゃあ」


 私と浩さんの二人はトラップにかかり、床下の隠し部屋に落ちました。管狐さんの重量には反応せず、前衛の吉田先生が落ち、後続の私が巻き添え食った形です。巻き込まれなかった後衛の寧音さんは穴の上にいて、「大丈夫?」とお声がけしているのが聞こえます。


 下に落ちた吉田先生は器用に両脚で着地なさると、続いて落ちて来た私をお姫様抱っこでお受けになり、さらに、ドンと私の肩をかすめて、後ろの壁に手をやったのでした。


 ――壁ドン? いやっ、駄目……吉田先生、寧音さんという婚約者がいらっしゃるのに?


 私は二度目の、「きゃあ」を叫びました。鼓動が激しくなり、頬が火照るってくるのを感じます。

 先生の顔が近いる。

 けれど吉田先生はすまし顔で、右手のひらの上にある何かを左手親指の爪でピンと弾きました。


おひい先生、貴女の横、壁に〝虫〟がいた……」

 これが本当の〝肩すかし〟――

「ムカデがいたのですの?」

「いえ、ドールでした」


 吉田先生が潰したドールの身体はぺしゃんこに潰れ、壁にへばりついています。

 ドールは、首根っこに貼り付いて中枢神経から脊椎動物の身体を乗っ取る幻夢境の生物です。

 私は三度目の「きゃあ」を叫びます。

 すると、上からライトでのぞいていた寧音さんが、「もうっ!」と嫉妬全開で、抗議の声をあげたのでした。


 私をお姫様抱っこしたままの吉田先生が、そのまま穴の縁にまで私を押しやり、外へ出すと、自らは、側壁を横跳びしながら昇って脱出いたします。風を切るとはまさしくこのことで、瀬名さんが走る髪がたなびいていました。


 ――綺麗!


 T字に腕を開き、ピョンと穴の外に着地した吉田先生を見遣った私は感心して、

「軽やかな身のこなしでいらっしゃるのね」

 寧音さんはドヤ顔で、

「姫先生、兼好は学生時代に陸上選手をやっていて、得意種目はハードルだったんだって。知らなかった?」



 待ち構えていた寧音さんが腕組みして、

「ねえ、兼好、今、どさくさに紛れて、姫先生のお尻を触ったでしょ?」

「さあ、夢中だったから憶えてないよ」

 まあ、今回は不可抗力だったので、不問といたしましょう。


   *

 

 通路を進んで行くとまた陽射しのようにまた、パッと明るい場所に出ました。

 山林と畑に囲まれた、茅葺かやぶき屋根の古民家が、連なっていました。


 寧音さんが、

「ねえ、姫先生、畑と山林との間にススキを生やしているのはなぜかな?」

「ススキは茅の一種で、それで葺いた屋根は、藁葺わらぶきのそれよりも長持ちする。そして畑の端をススキ野にしておくことで、里が森に飲み込まれないようにしているの。つまり緩衝地というわけね」


 集落や畑に人影はありませんでしたが代わりに、ススキ野には農耕馬や牛が放し飼いになっていて、それを食べているのが見えました。その馬の群れの中から、群れのリーダーと思われる牡馬おすうまが駆け寄ってきて、少し離れたところから私たちを偵察にやって参ります。


「いやあ、のどかだなあ」先を歩く吉田先生がと、「おや、また落とし穴だ」


 吉田先生が落とし穴を見破ったのはいいのですが、そこから突風が吹きまいります。


 ――野火だ!


 女袴がめくれないように抑えていた私は、風上から、焼け焦げた匂いに気づきました。放牧されていた馬が一斉に、一方向へと逃げて行きます。


「なるほど、第五階層への降り口はあそこか!

「吉田先生、そこにたどり着く前に、私達は焼け焦げてしまいますわよ」

「二人とも、ぼけっとしていないで、そこの落とし穴に飛び込むわよ。――野火をやり過ごさないと」


 先ほどの洞窟通路では落とし穴だと気づかず、落ちてしまいましたけど、今回は野火からの避難のため、自ら落し穴に飛び込んだ次第です。ところがですよ。そこは、第一階層へ転移する仕掛けになっていたのでありました。――第四階層って、なんて意地悪にできているの!!


 第四階層での野火を避けた私達三人は、第一階層に逆戻りして、初めからやり直し。

 戻る途中、私が吉田先生や寧音さんに、

「問題の野火トラップについてですが、炎というものは、火勢の反対側に回って火をつけると、鎮火できると女高師《※女子高等師範学校》時代に読んだ理化学教科書にありました。――試す価値があるのでは?」

 すると吉田先生が、

「まるで古事記に出てくる日本武尊やまと・たけるのみことが、〝草薙の剣〟で野火を払うみたいですね。――姫先生の企てを、〝草薙作戦〟とでも呼んでおきますか」


 第四階層に戻ると、落とし穴が多いフロアのようなので、慎重に前へ進みます。問題のススキ野ではまだ野火が鎮火しておりません。そこで〝草薙作戦〟発動です。私の見立ては大当たりで、見事に野火は鎮火し、私たちは第五階層に降り立つことができた次第です。


   *


 第五階層の洞窟通路を抜けて行くと、またしても明るい広場がありました。

 吉田先生が私の野帳を見遣って、

「姫先生の大洞窟ジンの地図も、そこそこ、書き込まれていますね。――それにしても、歩測だけでこれだけの精度の地図を書いてしまうとは、大したもんだ」

「兼好、どさくさに紛れて姫先生にくっつくな」

「ども、失礼しました」

「吉田先生はして(※お嬢様言葉翻訳=ガサツで)いらっしゃりますので、ごめんあそばせ」


 そこで先駆けをしていた管狐さんが戻ってきて、主の寧音さんの肩に乗り、耳打ちをなさいました。彼女は周囲をぐるっと見渡し

「通路の袋小路になったところに扉がある。なんかのお店みたい」


 それで寧音さんの仰る順路を行くとアールデコ調の赤と青のネオンで飾られた看板に〝サラダバー飯店〟と書かれたお店が確かにありました。そこの重厚な木戸を開けてみます。すると中にはカウンター・テーブルがありました。

 見た目は現世の人で四十歳くらいの、恰幅かっぷくのいいマダムが微笑んで、


「いらっしゃいませ、もしかしてアンタは有名な聖女様の御一行だね」

「レン大陸の鉱人族ドワーフさん? こんな場所、大洞窟ジン現世うつつよにまで、拠点を設けていらっしゃるのですか?」

「このあたりには希少鉱物・魔鉱石鉱床があるから、危険を承知で、私達鉱人族は拠点集落をつくったの。――このお店〝サラダバー飯店〟一階は、見ての通り飯屋兼雑貨屋だけど、二階は宿になっての。よかったら泊まっておいきよ」


 カウンターに立つ私が、戸口に立つ吉田先生と寧音さんを振り返り目配せすると、お二人が大きくうなずきましたので、

「ありがとう存じます。シングルとツインのお部屋をお願いいたします」

 そういうわけで、幻夢境の大陸統一貨幣の前金を支払い、サラダバー飯店に一泊し、シングルルームには吉田先生が、ツインルームには寧音さんと私が休むことになりました。ありがたいことに宿には、シャワールームもございました。


 お店の掛け時計が五時を回ってほどなく、筋肉質の小柄で汗の匂いがする殿方がたくさんやって来られて、お店は満杯になりました。

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